第98話 向かった先は猫の森
橋を渡り切った俺たち三人は、犬だか狼だか良く分からん超大型犬に、人だか猫だか良く分からんのを乗せて、街道に沿って北へ北へと歩いた。
俺は山王都に行くときは東門、海王都に行くときは西門を利用しているので、北門を抜けて北方に向かうのは久しぶりだ。それこそ何年振りかな。
「しっかし、ホント何も無いなぁ、この辺は」
「こんなに広いんだから、野菜でも作れば良いのにね」
「いや、どうも土の質が悪くてダメなんだと」
学院都市から、それほど離れてはいないこの辺りはまだ緑が多く感じる。だが、それは東門を抜けた先に広がる豊かな大草原とは違い、手入れのされていない草ぼうぼうの空地のような風情だ。土地が痩せていて作付けには適さないと聞く。人が好き好んで住むような土地ではないのだろう。
だが、数十年前にこの先にある北の荒地から魔陽石が採れることが判明してからは、見向きもされなかった土地を巡って地権者がケンカを始め、そのうち地元の豪族が首を突っ込み始め、今では海王都と山王都が睨み合いだ。
「ん、あっちから何か来たよ。馬車かな?」
先を歩いていたセハトが、くるりと振り返って言った。ホビレイル族の視力は抜群だ。
俺は、セハトの指差す方向に目を凝らしてみた。
「あれはキャラバンかな? 脇に避けるか」
街道の向こうから来たのは隊商らしき馬車の一団だった。どうにもこうにもガラの悪そうな御一行様は、道を譲った俺たちの前を押し黙ったまま通り過ぎた。
二頭立ての荷馬車を取り囲んで歩く、フードを目深に被った男たちの不穏な目付きや顔に走る刀傷からしても、まず真っ当な護衛では無さそうだ。俺だったらもう少し品の良い護衛を雇う。ご時勢的にも、おそらくは武装隊商、戦場を渡り歩く武器商人だと思われる。
「うむむ、何だか感じ悪いね」
「セハト、ああいった連中には無闇に声なんか掛けんなよ。あの手の輩はな、平時にゃ強盗・人攫い、有事にゃ傭兵・人殺しってのが世の習いだ」
「それは聞き捨て成りませんね。今のうちに成敗しておきますか」
「……お前さん、そんな短絡思考で、良くぞ今まで世の中渡って来れたな」
魔陽石の採掘地にはまだ遠い。ここいらはまだ安全だろうが、用心に越したことは無いだろう。
小一時間も歩き、変化の乏しい風景に飽きてきたタイミングで、セハトが「ほら、あの森だよ」と小高い木々が生い茂る森を指差した。
「セハト、一つ訊いても良いか?」
「何かな? ボクに答えられることなら、お答えしようじゃないか」
「何だそりゃ? さっきの俺の真似か?」
へへへ、と笑うセハトに「あの日は魔陽石を採りに行ったんだろ? なんで森なんかに向かったんだ?」と、当たり前と言えば、当たり前すぎる疑問をぶつけた。
「近道かな? って思ったんだ」
セハトは背負ったボディバッグの中をゴソゴソやりだし「これ見てよ」と、中から紙束を取り出した。
「ほう、こいつは良く描けてるな」
俺は、セハトから手渡された学院都市北部のお手製地図を眺め、素直に感心した。
センス良く色分けされた地図は視覚的にも理解しやすく、距離から所要時間に至るまでが詳細かつ丁寧に記されている。しかも、要所要所に入るイラストやコメントが賑やかで面白い。時間をかけてじっくり眺めたいくらいだ。
「これは素晴らしい。確かにこれには人生を費やす価値がありますね」
俺の後ろから地図を覗き込んだアッシュも感嘆の声を漏らした。
「へへっ、照れちゃう。でね、ここなんだけど……」
照れ隠しなのか、セハトはいそいそと地図の上を指差した。そこは、いま俺たちの立っている「現在位置」なのだろう。
「ここをさぁ、こうやって真っ直ぐ行けば近道出来るかな? って思って」
セハトの指が緑に塗られた部分、おそらく森であろう部分を、すすっ、と一直線になぞった。
「ショートカット出来ないから森を避けて街道が迂回してんだろ……って、そうか、お前、ホビレイル族だったな」
森林地帯で生まれ育つホビレイル族には、森を抜けるのは街道を歩くのと何ら変わりは無いのだろう。だが、付き合わされたシンナバルには色んな意味で災難だ。
「なるほど、良く分かった。ところで、御屋敷とやらのマッピングは終わっているのか? 森の中の先導は任せるけど、建物の構造は頭に入れておきたい」
「うん、大体はマッピング出来てるよ」
パブロフの背に括りつけたサイドバッグから、セハトは大量の紙束を綴じた分厚いノートを取り出した。その間もシンナバルと言えば、熟睡しているのか大人しい。猫は良く寝ると聞いたことがあるが、呪いで猫化したケースでも、やっぱり良く寝るモンなのだろうか?
「えーっと、ちょっと待っててね」
パラパラとページを捲るセハトの手元を覗き込むと、方眼紙に描き込まれた様々な図面が目に入った。
「ちょっとそれ、見せて貰っても良いか? もしかして学院のマッピングもしてあるのか?」
セハトは「当然でしょ」と言いながら、ノートを差し出してきた。
「おお! 懐かしいなぁ!」
適当に開いたページは学院食堂のマップだった。あまりの懐かしさに、思わず声が大きくなる。
几帳面に書き込まれた図面には、窓や柱の位置は当然としても、机の配置から椅子の数まで網羅してあった。もはや驚きを通り越して病的にすら感じる。しかし、どうやって厨房から調理のオバちゃんたちの休憩室の中までマッピングしたのだろう?
「ここ、僕が良く座る席なんです」
隣にきたアッシュが、横合いから学食マップの上を指差した。
「ああ、分かる分かる。その辺は陽の当たり具合が丁度良いんだよな」
「なになに? どれどれ? どこどこ? チェックするから教えてよ」
俺が広げ持ったノートを前に、「ですからここがですね」と説明するアッシュに、「どれ? どこ? ここ?」と鉛筆を持って迫るセハト。
そうだった。こいつらは俺の客であるのと同時に、俺の後輩なんだよな。俺の仕事は、こいつらの役にも立っているんだ。そう考えれば武器屋の仕事も悪くはないな……武器屋?
「セハト、もしかしてウチのマッピングもしてあるのか?」
「とーぜん」
「当然って……お前、ちょっと見せてみろ」
手に持って開いたままノートを差し出すと、セハトはパラパラとページを捲り、「はい、このページだよ」と言い、自信あり気な笑みを浮かべた。
得意満面のセハトが開いたページを眺めて、俺は軽く眩暈を感じた。
「何でお前がウチの風呂場やら俺のベッドの場所まで知ってんだよ……うわ、タンスの中まで!? あれ? これってお前、まさか地下室に入ったのか!?」
「だって、こないだ『好きに遊んでていいから少し店番しててくれないか』って言ったじゃん」
確かに言った。シンナバルに魔術儀典を見せてやった時だ。
「すっごく広くてビックリした。ねえ、何であんなに広い地下室があるの?」
「そんなの聞いてどうすんだ。まあ、そのうち教えてやるよ。ところで、奥の倉庫の中には入って無いよな?」
「入りたかったけど、入れなかったよ。でもさあ、奥にはどうやって入るの? あの扉、鍵穴が無いから開錠出来なかったんだけど」
「鍵穴があったら開けて中に入るのか? お前、それは盗っ人の発想だぞ」
「へへへ、照れるなあ」
「照れる、じゃ無いだろうよ……まったく」
そう言って毒づくと、店の詳細マップを覗き込んだアッシュが「奥の倉庫には何が眠っているのですか?」と、顎に手を置く得意のポーズで訊いてきた。
地下倉庫にゃ凶悪な最高等級呪物が山盛りなんですよ、なんて答えるワケにもいかないよなぁ。返答に困っていると、セハトがポン、と手を叩いた。
「分かった! えっちなお宝だ!」
「残念、そいつは屋根裏部屋です」
「はわわ……あるんだ」
「何だよ、お前が振ったんだろ。でな、あの地下倉庫には性質の悪い呪物を封じてあるんだ。だから、これからは近づくなよ」
万が一、って事もある。好奇心旺盛なセハトには、念を押しても押し足りない。
「呪物ですか。例えばどういった物ですか?」
セハトではなく、意外にもアッシュが食いついてきた。
「それこそ歩きながらでも教えてやるよ。さあ、そろそろ行こう」
*
背の低い痩せた木々が寄り集まった鬱蒼とした森を前して、俺は思いを確かにした。余程の事情が無い限り、こんな森に足を踏み入れようと思う物好きはいないだろう、と。
「やっぱりホビレイル族じゃないと、この中に突入しようとは思わないだろ」
俺のボヤキを聞き付けたセハトが、さも意外にそうな顔で「そうかなぁ」と言い、かつては歩道があったであろう森の入り口に走って行った。
「ほら、これこれ! これ見てよ!」
セハトは蔦が絡まった灌木をポンポン叩いた。目を凝らすと、セハトが叩いたのは蔦に飲み込まれかけた看板のようだった。それはどうやら猫の顔を模っているようだ。
「なんだそりゃ? 猫の顔か? なになに……『猫の森』って書いてあんのか?」
「そうだよ。わくわくするよね!」
「……いや、普通、しないよね」
「もー! おじさんは若いのに、いっつもヤル気ないねー」
「余計なお世話だ。俺はいつだって自然体を心掛けてんの。ほれ、案内頼むぞ」
先導するセハトに従って、俺たちは森に足を踏み入れた。
森と聞いてエルフの森みたいのを想像していたが、これは林以上・森未満だ。木々の背丈はせいぜい俺の倍程度。歩きながら空を見上げると、枝葉の隙間から青空が垣間見えた。
「何だよ。入口から三十分は歩くって聞いたから、もっと険しいのを想像してたぞ」
「ボク、そんなこと言ったっけ」
「俺の店から森の入り口まで一時間くらいで、そっから屋敷まで三十分って言って無かったか?」
「違うよ。寄り道しなければ二十分もかからないよ」
寄り道だって? 俺は辺りを見渡した。もっと獣道みたいのを想像していたのだが、屋敷に続くであろうこの道は、雑草が蔓延っているとはいえ、しっかりとした石畳で舗装されていて歩き難くは無かった。
「寄り道するほど面白そうなモンなんて、俺には見当たらないけどなぁ」
「くふふ、この森にはねえ、猫がいーっぱいいてね。もー可愛いくて可愛いくて」
セハトは「猫ちゃーん、出といでー」と喚きながら、そこらの茂みを掻き分け始めた。セハトに限った話ではなく、ホビレイル族は無類の動物好きで知られている。
「寄り道の理由が猫とはねぇ」
焼きもちでも妬いてんじゃないかと思ってパブロフの様子を窺うと、巨犬は地面をフンフンと嗅ぎ回っていた。背に乗ったシンナバルも、その赤い瞳でキョロキョロと周囲を探っている。
婆ちゃん譲りの状況判断スキルが発動する――――何か妙だ。
「なあ、アッシュ。セハトたちは、昨日の夕方にここを通ったはずだよな」
「店ではそう言っていましたね」
「それにしては、雑草の倒れ方が妙じゃないか」
俺の疑問に頷き返したアッシュが地面に膝を突き、雑草に触れて怪訝な顔をした。
「これは……血液ですね」
「まずいな。おーい! セハト!」
姿が見えないセハトが心配になり、茂みに向かって声をかけてみたが返事が無い。
俺はベルトに差しておいたナイフを抜き、茂みを切り開きながらセハトの跡を追った。くそっ、ブッシュナイフを持ってくるべきだった。
硬い茎を切るには適さない短い刃で茂みを切り分けると、開けた草むらに座り込んでいたセハトの小さな背中が目に入った。
「良かった。姿が見えないから心配したぞ。返事くらい――」
安心して気を抜いたのも束の間、セハトの身体が小刻みに震えているのに気がついた。
「お、おい! どうした?」
俺の声にぎこちなく振り向いたセハトの頬には、そのあどけない顔には全くそぐわない真っ赤な血糊が、べったりと貼り付いていた。




