第97話 長い橋での長い話
「よーし、みんな揃ったね。いざ、シンナバルを救う冒険に、しゅっぱーつっ!」
学院都市の静かな昼下がりに、ひとり気炎を上げるセハト。道行く人々がチラリチラリと振り返る。
アッシュは周囲を見渡しながら苦笑いを浮かべ、小さな声で「おう」と応え、それに付き合うようにして、パブロフが「ウォン」と一声鳴いた。俺も乗り遅れちゃいかんと思い「なあ、昼飯食った?」と、言っといた。
「むおー! なんなんだ、キミたちっ! やる気あんのかっー!?」
憤るセハトを余所に「そこのパン屋の惣菜パンが美味いんだぜ」と、俺が言うと、「それは良いですね。寄って行きましょう」と、アッシュが頷いた。
俺とアッシュが連れだってパン屋に向かって歩き出すと、その後ろをパブロフがのっそりと続いた。
「もーっ! 何だよ! 友だちの一大事だっていうのに!」
「あんま気負うな。敵の正体が分からないウチからテンション上げ過ぎると、本番前にスタミナ切れんぞ」
「え? あ、うん……」
「とはいえ、時間は惜しいからな。喰いながら歩こう。あの店、コロッケパンが美味いんだ」
セハトは、「コロッケパン?」と嬉しそうに声を上げた。そして、目聡くパンの形をした看板を見つけ、そこに目掛けて真っしぐらに走って行った。まったく現金なヤツだ。
「やりますね」
アッシュの声に「ん、何が?」と、答えて振り返ると、彼は感心したような顔をして顎の下に手を当てた。
「あの状態のセハト君を宥めるのは、ひと苦労なんですよ」
「コロッケパンで釣っただけだ。さ、俺たちも行こう」
パン屋を指差して促すと、アッシュは「勉強になります」と何度も頷いた。こいつも頭が固いな。
俺たちはそれぞれ、思い思いのパンを買い込んでから北門へと向かった。
学院都市の北門は、東西の門に比べると交通量が少なく、門構えも他方の門よりも小さくて質素な趣きだ。
だが近頃、北方は海王都と山王都の領有権争い、正しくは魔陽石の採掘権争いが激化の一途を辿っている。湖の対岸と学院都市を隔てる橋の渡り口である北門の警備は、人数も多く厳重に見えた。
俺は風紀委員会の警備員の中に、一人だけ意匠の違う制服を着た男がいるのに気が付いた。
――あの制服、ファーストステージか。
風紀委員会公安一課、対テロ対ゲリラ対策部隊「第一部隊」が出張ってるってことは、風紀委員会はいよいよ大規模衝突が起こると踏んだのだろうか。また武器の仕入れ値が上がっちまうな。
身体検査でもされるかと思ったが、俺たち一行は声を掛けられる事も無く警備員たちの前を通り過ぎた。だが、向かいから擦れ違った行商人らしき男が呼び止められ、荷物を改められている。こりゃ、帰りは面倒だが西門か東門に回るとするか。
「ねえ、おじさん。ちょっと質問」
「なんだい、セハト。お兄さんが答えられる内容なら、お答えしようじゃないか」
コロッケパンが大量に詰まった紙袋を抱えたセハトが足元をグイグイ踏みしめると、その動きに合わせて橋板がキイキイ鳴いた。
「学院都市は立派な煉瓦作りなのに、なんで橋はこんなにショボイの?」
「そりゃお前さん、もしもの時にブッ壊す為だよ」
俺は「特注・肉だけサンド」を頬張りながら、セハトの問いに答えた。
「もしもの時ってどんな時?」
「有事の際って時」
「ユウジのサイってトキ? 意味分かんない」
「今ならもれなく軍事衝突の事を指す」
頭の上に疑問符が浮かんで見えるようなセハトに「ほれ、アレ見ろ」と、広大な湖に浮かぶ船を指さした。ボートと呼ぶには大きくて、船と呼ぶには小さい、いわゆる小舟だ。
「学院都市が武力衝突に巻き込まれそうになった場合、東西と北の橋を落とすんだ。そうすりゃ船を使わない限り、学院都市には近づけない。しかも川幅が狭いから大型軍船も使えない」
「なんで南の橋は落とさないの?」
「学院都市の南方はエルフ族の住む森林地帯だ。エルフ族が学院都市に攻め入るなんて有り得ないし、大部隊は森林地帯には展開出来ないからな。あらゆる面で学院都市は鉄壁だ」
「興味深い話ですね」
俺が頼んだのと同じ「特注・肉だけサンド」を早々に平らげたアッシュが、水筒の栓を抜きながら訊いてきた。
「どうしてエルフ族が攻め入って来ないと言い切れますか?」
「そうだなあ。道中長いし、ちょっと話でもするか」
すすすっ、と寄ってきたセハトが、「おじさんの話、面白いんだよ」と言って、水筒を呷るアッシュの顔を見上げて言った。
「んな、大した話じゃないさ。昔、エルフの郷に数ヶ月ほど世話になった事があってね」
「それは凄い。よくエルフ族が異種族を受け入れましたね」
口元を外套の袖で拭いながら、心底驚いた顔をしてアッシュが嘆息した。同調する様に「ボクなんて弓矢を射掛けられた事あるよ」と言い、セハトが三つめのコロッケパンを袋から取り出した。
「お前、どうせまた迷惑な真似でも仕出かしたんだろ」
「違いますぅーお土産持って遊びに行っただけですぅー」
「そうか……まぁ、エルフ族ってのはな、とにかく干渉を好まないんだ。金銭にも興味が無いし、領地拡大の野心なんてのも持ち合わせてはいない。あり余る永い時間を何事も無く過ごしたいだけの連中なんだよ。雨が降ろうが槍が降ろうがね」
さぁっ、と爽やかな風が吹いた。湖岸を渡る風って気持ちが良いな。
ふと、シンナバルがどうしているか気になって振り返ると、巨体に似合わず静々と歩くパブロフの姿と、風に吹かれてサワサワと揺れる長い毛に埋もれたシンナバルの姿が目に入った。白い毛の中では、少年の赤毛は目立つ。そして、黒鋼色の鋼鉄の腕も。
昼の日差しを受けて鈍く輝く鉄の塊に、あの女を思い出す。
錬金仕掛けの腕のネイト、ダークエルフのネフティス。あいつはエルフ族の異端中の異端だ。森を捨ててまでして、なんでまた掃除屋の隊長なんてやっているのだろう。
「そう言やぁ、セハト。お前はそもそも何をしに学院都市に来たんだ?」
「え? ボク?」
通算何個目だか分からないコロッケパンを袋から取り出し、咥えようとしていたセハトの動きが止まる。
「地図を描こうと思って」
「学院都市の地図なんて、そこらの本屋で売ってんぞ」
「前に言わなかったっけ? 地図は自分で描かないと意味が無いんだ。他人の描いた地図は便利なだけだよ」
「自分で描いた地図は、便利以外に何があるんだ?」
セハトは「分かってないなぁ」と言い、コロッケパンを握ったまま人差し指を振った。
「嬉しかった事も、悲しかった事も地図に描き残すんだ。ボクが死んでも地図は残る。そうすれば、思い出は消えない」
セハトの瞳の奥にある、強い輝きの正体を知った気がした。
上手く言葉が継げない俺に、アッシュが「どうぞ」と水筒を差し出した。
俺は「おう、一口貰う」と礼を言い、喋り疲れた口を潤した。そして盛大に吹いた。
「ちょっ、おまっ、これっ、さけっ、じゃねえかっ!」
「そうですが、もしかして苦手でしたか?」
「苦手とかじゃなくて、ここは普通、水だろっ!」
「これは失礼しました。竜人族にはとっては酒が水代わりなもので……人間族は違うのですか?」
「いや、水の代わりに酒を飲むヤツなら知ってるけどさぁ」
飲んでも飲んでも顔色すら変わらない幼馴染と、飲み比べをさせてみたいと思う。
「でも、酒は水とは違って簡単には腐りませんし、怪我をしたときの消毒にも使えますよ」
アッシュは指ぬきグローブを嵌めた手で首の後ろを掻きながら、誤魔化すように笑う。その手からキラキラした物が橋板の上に落ちたのを、俺は見逃さなかった。
「なあ、こりゃ何だ? 店の床に落ちていたんだけど」
俺はワークパンツのポケットから、例の透き通った鱗を取り出してアッシュに見せた。
「あぁ、これは……」
アッシュは、俺の掌の上の鱗を一瞥してから、すっと顔を上げた。端正ながらも表情の無い顔。そして、瞬きをしない薄緑の瞳は、どうしてだか蛇を思わせた。
そんな俺の心境を知ってか知らずか、アッシュは、ふうっ、と息を吐いて表情を和らげた。
「僕が学院都市に来た目的も、聞いていただけますか?」
そう言いながら、アッシュは俺の掌から鱗を摘み上げて湖に捨てた。
空気を読んでか、後ろを歩くパブロフの方へ向かったセハトの背中に、「セハト君も聞いて下さい」とアッシュが声を掛けた。
「竜人族は卵から産まれるのですが、産まれたばかりの姿は人間族の赤ん坊と殆ど変わりがありません」
えええっ? と、セハトは目を見張ったが、婆ちゃんから竜人族の生態について聞いた事がある俺には、特段の驚きは無かった。
「産まれてから五歳までに鱗で身体が覆われて、ようやく竜人族らしい姿になるのですが、情けないことに僕の場合はこんな程度です」
竜人族の青年は、右手のグローブを外して手の甲をこちらに向けて翳してみせる。甲に薄っすらと浮いた小さな鱗は、例えは悪いがヒビ割れた乾燥肌のように思えた。
無言でグローブを嵌め直すアッシュの傍らを、鍔広帽子を被った旅姿の猫人族が追い越して行く。
学院都市では珍しくも無い猫人族だが、男なら誰もがグッとくる艶かしいディミータさんに比べ、いま通り過ぎた猫人族の旅人は直立歩行する猫にしか見えない。失礼な話、男性なのか、はたまた女性なのかも俺には判別出来なかった。
「竜人族は、竜に近い姿であるほどに評価され、竜の力を強く受け継ぎます」
竜人族の常連客の顔を思い出したが、差こそあれども、皆がどこかにドラゴンの要素を持ち合わせていた。ある者は立派な角。ある者は強靭な尻尾。ある者は鱗に覆われた四肢。だが、俺の目の前に立つ青年は、言われなければ人間族にしか見えない。
「僕は、そのせいで散々つまらない目に遭わされました。だから……だから強さを求めて大陸中を巡りました。いつか竜人族らしい姿を得られると信じて」
俺たちは湖に架けられた長い橋を歩いた。
人は皆、何かを求めて長い橋を渡る。ある者は富を。ある者は名声を。あるものは強さを、本当の自分を。
学院都市の北門を潜ってから五分は歩いただろうか。ようやく対岸が見えてきた。
なんだろね。どうしてゴールが見えるとさ、人は走り出したくなっちゃうんだろね。と、思った瞬間、セハトが猛然とスパートしやがった! くそっ、コロッケパン抱えてんのに、何であんなに速いんだ!
二着は譲れん! 俺は全速力でセハトの後を追った。すると、外套の裾をなびかせて隣りにアッシュが並ぶ。
「負けませんよ」
「嫌いじゃないぜ、そういうの」
あちらは鎧を纏い、盾まで背負った重装備。
こちらは革のベストに長剣を下げた軽装備。
余裕でブッ千切ってやるぜ! と、思いきや、一口飲んだ強い酒のせいか、先ほど食べた「特注・肉だけサンド」が胃の底から上がってきた。
――武器屋を舐めんなよ! 婆ちゃん、俺に力を貸してくれ!
婆ちゃんが背中を押してくれたのか、俺とアッシュは、ほぼ同時にセハトの待つ対岸にゴールした。
喉の辺りまで上がってきたのを気合いで押さえながら、俺は地面にへたり込んだ。危ない危ない、危うく粗相をするところだった。
「食後にいきなり走るのは、やっぱり良く無いですね」
アッシュは外套が汚れるのにも構わずに、俺の隣りに座り込んだ。
「へっ、なに言ってんだよ。そんな鎧着てんのに余裕で走ってたじゃねえか」
ははっ、と快活に笑うアッシュの晴れやかな笑顔は、年相応の若者の良い笑顔だ。
一着入線したセハトが、悠然と橋を渡り終えたパブロフの頭を撫でながら、「ボクは、今のままのアッシュで良いと思うよ」と言った。
「あんたはウチの盾を買ったんだ。俺にとっては、あんたが竜人族だろうが何だろうが関係ないさ。これからもご贔屓に頼むよ」
アッシュは地面に座り込んだまま、俺とセハトの顔を見てから、後ろ手を突いて空を仰いだ。
「僕は学院都市に来て良かった」
勇者風イケメン騎士の作り笑顔よりも、ずっと良い笑顔だと俺は思った。