第96話 猫は好きな方だけどさぁ
セハトがあっさり外してくれたポスターを受け取り、クルクルと丸めながら店内に戻ると、先に中に入っていた赤い外套の青年が顎に手を当てて、壁に吊るした『竜鱗の盾』の模造品を興味深げに眺めていた。
「あっ、すいません。勝手に見させていただきました」
「展示品だから構わないさ。何なら手に取ってみてくれよ。それ、ウチの自慢の逸品なんだ」
俺がそう言うと、「では、失礼して」と、アッシュは壁から盾を取り外した。
己の背負った青銅色の盾よりも一回りほど小さい『竜鱗の盾・レプリカ』を手にして、「おぉ」とか「これは」とか唸っている青年を横目に店の隅に目をやると、パブロフがお気に入りの場所に伏せていた。そしてシンナバルはといえば、巨犬の隣りに同じ姿勢で丸まっている。これは何の冗談だ? 何かの御呪いか?
「ボク、コーヒーね」
思いもよらない方向からのコーヒーの催促に振り返ると、いつの間にやらカウンターの席に腰掛けたセハトが、先ほど引き抜いた画鋲を独楽のように回して遊んでいた。
森林で暮らすホビレイル族は、気配や足音を消す術に長けている。盗賊科の生徒としては優秀なのだろうが、慣れないとビックリする。
「はいよ、コーヒーね……って、普通にコーヒー出てくる武器屋は、そうは無いんだからな」
なんてボヤきながらも、「キミも飲むかい?」と、出会ったばかりの青年にも分け隔てなくコーヒーを勧める俺のサービス精神、素敵だね。
だが、声を掛けられた当の本人は「ほぅ」とか「素晴らしい」とかブツブツ呟きながら、『竜鱗の盾・レプリカ』を上げたり下げたり表にしたり裏返したりと悦に入っている。
「これ、おいくらですか?」
「……人の話をまったく聞いて無かったな」
「え? 何の話ですか?」
「いや、何でも無いよ。で、その盾なんだけど結構するぜ」
愛おしそうに盾を撫でまわす青年に向かって、「こんだけだ」と指を一本立ててみせた。
「一〇〇〇Gですか? それなら安いくらいです!」
「いや、ご期待に副えなくて申し訳ないんだけど」
興奮気味な青年を手で制し、前置きをして正確な価格を告げた。
盾を抱えたまま呆然としている青年を放っといて、相変わらずパブロフの隣りに蹲っている赤毛の少年に向き直った。
「お前もコーヒー飲むか? ミルクたっぷり甘々のヤツ」
そう声をかけるとシンナバルは顔を上げ、漫然とした表情でこちらを見てから、ふわーっと大きく欠伸をした。
「俺の話、聞いてる?」
だが、俺の質問にシンナバルは意外にして奇妙な返事を返してきた。
「にゃ~」
……聞き違いか? それとも、ふざけてンのか?
「みゃ~」
何と言って良いのやら、どうにも言葉が見つからない。たじろぐ俺の目の前で、シンナバルは左手の甲を使って額や顎をコシコシ擦り始めた。
……待てよ。この動き、どこかで見たことがある。
親愛なる常連客、黒猫ディミータを思い出して手近にあった掃除用品、ハタキを手に取りって少年の顔の前でパタパタ振ってみせた。
その途端、シンナバルは瞳をランラン輝かせ、モゾモゾ身動ぎをし始める。
こりゃあれだ、間違いないな、と合点した瞬間、電光石火の勢いで『錬金仕掛けの腕』が横薙ぎに振るわれた!
「んのおぉお!」
生命の危機に婆ちゃん譲りの状況判断スキルが発動する!
我ながら惚れ惚れするよな華麗な回避から、一瞬遅れて鋼鉄の腕がハタキを刈り取った。
危なかった……瞬時の判断が遅れていたら、手首ごと千切り取られるところだった。
だが、安心するのはまだ早い。鋼鉄の腕に弾かれたハタキが、クロスボウから放たれた矢のように、無防備に立ち尽くすアッシュを一直線に襲う。
「んのわぁあ!?」
アッシュは、慌てて両手に抱えた『竜鱗の盾・レプリカ』を翳して身を守る。
ガイィン! と、激しい金属音と共に不自然な体勢のまま、吹き飛ばされるようにして床に倒れ込むアッシュ。
無慈悲な一本の矢と化したハタキは盾に遮られて軌道を変え、深々と天井に突き刺さった。
「ほーらね。手を出さない方が良いよ、って言ったじゃん」
女の子にしては肉付きの悪い少年のような脚を、椅子の上でブラブラさせながらセハトが言う。その声で俺はようやく我に返った。
「そんで、いつからだ? 何がどうしてこうなった?」
「昨日の夕方から」
そう言ってセハトはコーヒーを一口含んだ。ホビレイル族らしい大きな手で包み込むように持つと、マグカップが小さく見える。
金髪の青年といえば片膝を突いて、床に伏せたパブロフとシンナバルを面白そうに眺めていた。
「魔陽石を採りに行った日に、森の奥にボロッボロに良い感じの御屋敷を見つけちゃって。マッピングしたかったんだど、シンナバルに止められたんだ」
「そりゃそうだ。正常な思考の持ち主は、森の奥のボロ屋敷に近づこうとは思わない」
俺は、アッシュから貰った『ドラゴンバーム』とかいう、打ち身や捻挫に効く白い軟膏を手首に擦りこみながら毒づいた。どうも軽く捻ってしまったようだ。
「それで昨日なんだけど、授業が終わった後にパブロフ連れてマッピングしに行こうとしたら、シンナバルが付き合ってくれてさ」
俺の皮肉に気付いてか気付かずか、セハトは身振り手振りを交えながら話を続ける。そんなセハトの動きに合わせて、パブロフとシンナバルの首も揺れる。
「ま、女の子一人じゃ心配だろうよ」
「パブロフも一緒だから大丈夫だよ、って言ったんだけどね。でね、ボクとパブロフとシンナバルで、そのボロボロ屋敷の中に入ったんだ」
夕暮れ時、森の奥にヒッソリ佇む朽ちた屋敷……御免被りたいシチュエーションだ。
「そしたらね、屋敷の中はね……」
「屋敷の中は……?」
「ネコだらけだったのにゃ~!」
セハトは両手を開いて頭に乗せてピコピコ動かした。ネコミミを表現したいのだろう。だが甘い。ディミータの域には遠い。
パブロフとシンナバルは、セハトの動きを追うのに飽きたのか、サラダボウルに注いでやった牛乳を一心不乱に舐めている。
生まれた時から犬だったであろうパブロフはともかく、舌だけで器用に牛乳を舐めとるシンナバルの姿には、人生経験が豊富な俺でもさすがに動揺を隠せない。
「で、なんでコイツがこんな事になってる?」
生まれた時から犬だったであろうパブロフはともかく、俺の記憶が確かならば、先日会った時にはシンナバルはまだ人間だったはずだ。
「それが分からないから、おじさんのトコに来たんだ」
「俺だって、こんなのを元に戻す方法なんて知らな……いや、まさか」
「シンナバル君は、何かの呪いに当てられているようです」
シンナバルの様子を観察していたアッシュは片膝を付いたまま、俺とセハトのいるカウンターに振り返って言った。
「我々、騎士の職種に就く者は、神聖術師ほどでは無いのですが、多少は呪いは感知出来るんです」
そう言って微笑んだアッシュは、シンナバルの頭を撫でようとでも思ったか、すっと手を伸ばす。
サラダボウルから顔を上げたシンナバルが、その動作を見逃すまいといった様子で、瞬きもせずアッシュの掌を見つめている。
どうなる事かと眺めていると、シンナバルの喉から「しゅう~」と空気が漏れるような音が聞こえた。
「パブロフッ!」
俺が「危ない!!」と叫ぶより早く、セハトの鋭い指示に反応した巨獣がシンナバルに襲い掛かった。
猛烈な勢いで床を転げ回る、白い巨獣と赤毛の少年。次第にアームズが赤熱し始める。
こんな状態でも「辰砂の杖」が発動するのか!? 俺は慌てて腰に下げた鞘の『鋼玉石の剣』の柄を握った。
だが、俺の動揺をよそにパブロフは落ち着いたものだった。
「ガルルルル!!」
そのトラバサミのような強靭な顎が、シンナバルの鋼鉄の右腕を咥え込んで離さない。そのうちに巨体に押しつぶされるようにしてシンナバルが床に抑え込まれた。
「きゅう~」
パブロフの下敷きになった猫少年の喉から妙な音が漏れたが、一先ずは安心だろう。しかし、優秀な制圧能力だな。パブロフみたいのが何頭かいれば、風紀委員会も仕事が楽だろう。
「しかし、何の呪いだ、こりゃ? 今まで色んな『呪い』を見てきたが、猫になる呪いなんて初めてだ」
腰を抜かしたような姿勢で尻餅をついた青年に手を貸すと、「お恥ずかしい。油断しました」とアッシュは首の後ろを掻きながら引き攣った笑顔を浮かべた。
「神聖術科で診てもらおうとしたんだけど、ボク以外が触ろうとすると、こんな調子なんだよね」
セハトは両手を上げて、カクッと項垂れた。「お手上げ」のジェスチャーだろうか。
「そんで俺んトコに来たって事か」
俺は「呪い」の内容を読むことが出来るが、物でも人でも接近しないと感知すら出来ない。触れる事が出来れば最善だが、ハッキリ言ってこんなの触りたくない。ガブリといかれるのが火を見るよりも何とやらだ。
「このまま猫として生きていくのも、彼の人生としてはアリじゃないか」
「そんなこと言ったら、ルルティアさんに怒られるよ」
名案だと思ったが、むくれたセハトに窘められた。むう……今の俺は、ルルティアという単語に弱い。
「しゃーねーなぁ」
パブロフに圧しつぶされたままのシンナバルの前にしゃがみ込むと、赤い瞳が俺の姿を捉えた。
トレードマークの三つ編みが解けて、長い髪がボサボサだ。猫少年というよりは野生児だな。
「みゅー」
少女のような整った顔が、気弱げな瞳が俺を見上げている。
――――女子供と小動物には優しくしなさい。
ふと、婆ちゃんの教えが頭を過った。同時に、
――――成人男性と大型動物には容赦をしないこと。
ってのも、頭に浮かんだんだけどね。まぁ、コイツは小動物と化した女子供だ。ここは婆ちゃんの教えに従おう。
膝に手を突いて見守るアッシュとセハトを背に、意を決してシンナバルの頭に手を伸ばす。パブロフに動きを封じられているとはいえ、先ほど見た凶暴性が頭から離れない。
おっかなびっくり、そろそろと指先で触れようとした瞬間、ペロリと人差し指を舐められた!
「ぬうぉぉお!」
意表を突きすぎたシンナバルの行動に、思わず尻餅を突くどころか、後ろにひっくり返ってしまった。
「ぬおー! だって、ぬおー! うッひゃひゃひゃ」
「くふっ……、いや、失礼。ぶっふふ」
手を叩いて爆笑するセハトと、明後日の方向を向いて笑いを堪えるアッシュを恨めし気に見上げてから、気を取り直してシンナバルの髪に触れた。しかし、どうして俺の手に顔を擦りつけてくるんだ、コイツ。
「すごい! 懐かれてるね!」
「静かにしろ。気が散る」
深い森の屋敷。
薄暗い部屋。
大きな鏡。
そして。
ネコ。
「かなり昔の呪いみたいだな。あんまりハッキリは読み取れない。デカい姿見が見えたが……」
呪いを読むと軽い頭痛が走る。蟀谷を揉みながらセハトに訊いた。
「あ、鏡! そう、大きな鏡の前にシンナバルが倒れていたんだよ」
「その鏡が怪しいな。こっから屋敷まで、どんくらいだ?」
「森の入り口まで歩きで一時間、入口から屋敷までのマッピングは終わっているから、合わせて一時間半くらいかな」
「そうか。上手く事が運べば夕方には戻って来れるな」
「一緒に行ってくれるの?」
「行かない訳にもいかないだろ。ただ……」
俺は、「重たい武器は駄目っぽい」と言って、痛めた手首を回して見せた。
「それに、学院都市の北部は紛争地帯だ。治安も良く無いし、日が落ちる前には片付けたいな」
立ち上がってセハトの頭をポンポン叩くと、「それならご安心下さい。僕も同行します」と、アッシュが拳を胸に当てて言った。
「命に代えても皆さんを守ります」
「そりゃ頼もしいな。じゃあ、必要な物があったら言ってくれ。俺は臨時休業の準備をしとく」
パブロフの背にシンナバルを乗せながら「ボクはいつでも良いよー」とセハトが言った。
俺は「おう」とだけ答えて、「*本日・臨時休業*」と黒板に書いた。
「あの、お取込み中に申し訳ないのですが、僕はあれを……」
アッシュは壁に掛けなおした「竜鱗の盾・レプリカ」を指差した。
「……さっきも言ったが、ギリギリ限界までディスカウントして一〇〇〇〇Gなんだぞ」
「はい、分かっています。でも、これほどの逸品を見てしまっては我慢が出来ません」
青年は腰に下げた巾着をゴソゴソやって財布を取り出した。
「これでお願いします」
アッシュの手には、翼竜が己の尾を咥えて回る意匠の金貨。見紛う事無き一〇〇〇〇G金貨。
先日、似たような事をルルモニにやられたが、今回は一桁違う。過去、自分も同じような事をした覚えがあるが、やるのとやられるのは大違いだ。呪いを読んだ時とは、また違った頭痛が俺を襲う。
「ウチとしてはありがたいが、どうしたんだ? そんな大金……」
「これですか? 先月の事ですが、ここいら一帯を荒らし回っていた盗賊団の頭目を討ち取りまして。その賞金でいただきました」
「賞金は仲間と分けなかったのか?」
「仲間ですか? いえ、一人で討ち取りましたので」
たった一人で盗賊団を壊滅させた? その話を信じるならば、この男、想像以上の手練れのようだ。
「あの……買っても良いですか?」
「お? おぉ、お買い上げありがとうございます」
金貨を受け取り、思わず敬語になった俺のセリフを聞いて、アッシュは嬉しそうに壁から「竜鱗の盾・レプリカ」を取り外し、恋人を見つめるような熱い視線で盾を眺めた。
「いやぁ、確かに一〇〇〇〇Gは高額ですが、あの薄汚い盗賊どもの首と引き換えと考えたら、かえってお得な気がしてきました」
「そっ、そうか。そりゃ良かったな」
テンションが上がっているのも手伝ってか、青年はえらく物騒な事を口走っている。
騎士科の連中は総じて「絶対正義」みたいな思想を持っている。俺が「騎士」に成りきれなかったのも、その考え方に今一つ馴染めなかったからかも知れない。
「ねえー! 早く行こうよー!」
早くも準備を整えたセハトが、飽きっぽいホビレイル族らしく痺れを切らしたように言い、扉を開けて外に出て行ってしまった。
「はい、すぐに行きます!」
アッシュは背負った青銅色の鱗盾をいそいそと取り外し、「竜鱗の盾・レプリカ」にストラップを通して背負い直す。
「なぁ、その盾、下取りしようか?」
気を利かせて言った俺に、アッシュは一瞬だけ迷った素振りを見せたが、「いいえ、差し上げます」と、先ほどまで背負っていた盾を差し出した。
「さっ、差し上げるって、お前……」
受け取った青銅色の盾に、ざっと目を走らせる。じっくり調べてみないと正確な価格は出せないが、美しく並んだ鱗片からしても、この盾だって相当な代物に見える。
「中古と言えども一〇〇〇G、いや、もっとするぞ、コレ」
「良いんですよ。先ほど『ギリギリ限界まで』と仰っていたでは無いですか。その差額としてお受け取り下さい。さ、急ぎましょう」
返事を待たずに青年は、セハトの後を追って店の外に出て行った。
俺は肩を竦めて「ま、良いか」と、ついつい独り言を呟いた。ラッキーと言えば、ラッキーだ。しかし、丁寧な物腰の反面、豪快な男だな。金髪イケメンで腕利きの豪快な騎士。くっ、コンプレックスを刺激されるぜ、まったく。
受け取った中古の盾をカウンターに置いた時に、何かキラキラした物が床に落ちているのに気が付いた。
「爪? いや、これは……鱗か?」
拾い上げた小指の爪ほどの大きさの鱗は、限りなく透明近い青だった。
お待たせしました。ペースが遅くなりましたが、ちゃんと書いてはいます。
第六章が終わったら「宿屋」、「エフェメラ堂」の順で考えています。
活動報告で近況を報告するつもりですので、たまにチェックしてみて下さい。




