第90話 女王計画
路地を走り抜けた後、私とルルモニは落ち着いて話せる場所を探して歩いた。
私は午後から面接の仕事があったので、二人で相談して魔導院の正門に近い喫茶店に入った。昼食目当ての客で店内はそれなりに混みあっていたが、席が空いていない程でも無かった。
飲み物だけを注文し、私の頼んだ紅茶とルルモニのココアが運ばれてくる間、テーブルの向かいに座ったルルモニがぽつりぽつりと話し始めた。騒ついた店の雰囲気は、深刻な話をするには丁度良かった。
「その武器屋のご主人が、私が昔、付き合っていた人だった、って事で合ってる?」
私が確認するように言うと、ルルモニは運ばれてきたホットココアには手を触れずに頷いた。
きっとルルティアを庇っているのだろう、ルルモニの語る要領を得ない説明は、要約してみれば簡単な話だった。でもそれは、私には簡単には受け入れられない内容だった。
「あの人……学院都市に戻っていたんだ」
食事をする気にもならなくて、湯気を立てるアールグレイを口に含んだ。独特な香気が朝から何も入れていない胃と、睡眠不足の頭に染み込んでいく。
「リョオチョオは、いまでもアイツのことが好きなのか?」
あまりにもストレートに過ぎる質問が、私の胸に突き刺さる。
「もう、十年も前の事だから……忘れちゃった」
――――醜い嘘ね、リサデル。
どうしてクローバーの空き缶を宝物みたいに大切にしてるの?
どうして十年も昔の流行遅れのドレスを大事に取ってあるの?
どうして小さな頃から大好きだった恋歌を歌わなくなったの?
どうして別れた「あの人」の誕生日を未だに忘れていないの?
――――十年も経ったのに、どうして?
「だから、ルルティアの邪魔なんてしないよ。安心して、モニちゃん」
私が無理に明るい口調で嘯くと、膝に手を置いて俯いていたルルモニは、少しだけ表情を和らげた。
「でも、アイツはリョオチョオのことが、いまでも好きなんだとおもう」
「そんなはず……無いよ。もし、そうだったら、とっくに会いに来ているはずでしょう?」
ルルモニは、店のロゴの入ったマグカップを手に取って、カップの中を覗き込んだまま、「……うん」と小さく答えて黙り込んだ。
人々の賑やかな話し声。カチャカチャと食器の立てる音。私たちのテーブルだけが静かだった。
「リョオチョオは、アイツにあいたいって、おもわなかったのか?」
カップから顔を上げたルルモニの言葉。それは再び私の胸を抉った。
「学院都市中を捜して回ったんだけどね。でも、きっと捨てられちゃったんだよ、私」
「ちがうよ。アイツは、そんなヤツじゃないよ」
かっと顔が赤くなるのを感じて、強く唇を噛んだ。
「そんなの分かってる!」と、大きな声を上げてしまいそうになる衝動を抑え、小さく神への祈りを口にした。
許されるのならば、彼の後を追いかけたかった。
魔導院も学院都市も捨てて、深い森の奥でも砂漠の果てでも構わない。あの人と一緒にいたかった。
しかし、私に下された命令の一つは「学院都市から外に出ないこと」だった。私を縛る鎖は一本だけでは無い。
「……そうね。彼にも何かの理由があったと思う。私も心の整理が出来たら会いに行ってみようかな」
「リョオチョオ……」
「モニちゃん、そんな顔しないで。私だって子供じゃないから、馬鹿なことはしない。約束する」
朝から多くの事がありすぎて、心に余裕が無くなってきた。普段ならルルモニとは何時間でもお喋りを楽しめるのに、今は一人で考える時間が欲しい。
「今日は、少し早めに行って面接の準備がしたいの。時間があったら、またゆっくり話そうね」
冷めかけた紅茶で唇を湿らせてから、私は伝票を取って立ち上がった。
腰を浮かしかけたルルモニを手で制してから、「あ、そうだ。ココア代は良いから、飴くれるかな?」と訊くと、ルルモニは嬉しそうに微笑んだ。
「これ、スッキリするミントの飴。いろんなハーブがはいってる。くちにいれると、すぐにとけるから、めんせつのまえにもよいぞ」
ルルモニは、愛用の水玉ポシェットの中から若草色のおはじきのような飴を何個か取り出して、差し出した私の掌に乗せた。
「そう言えば、最近、モニちゃんも地下に潜っているんでしょう?」
私は飴を受け取りながらルルモニに訊いた。
「うん、くすりのざいりょうをとりに」
「足は大丈夫?」
「ちか五かいまではショーコーキができたからラクちん」
「私も久しぶりに潜ろうかな」
「え? リョオチョオが?」
「何よ。私は昇降機が無い頃から、地下五階まで到達していたんですからね」
「ほほう。じゃあ、こんどルルモニのなかまにまぜてやる」
「ありがとう。その時は宜しくね」
マグカップを両手にココアを啜り、すっかり元気を取り戻したルルモニと別れ、会計を済ませる為にレジカウンターに向かった。
私も前に進まなきゃ。使命を果たさない限り、私は自由になれないだろうから。
レジに並ぶ列の先頭で何かトラブルがあったのか、会計待ちの行列が出来ていた。早めに席を立って良かった。面接の時間までは余裕がある。……時間、か。
――――おねがい。ティアに時間をあげて。
ルルモニの言葉が睡眠不足気味の鈍い頭の片隅を過った。どういうこと? まるでルルティアに時間が無いような言い方……。
「あら、リサデルちゃんじゃなーい? 奇遇ねぇ、うふふ」
突然の背後からの声に反射的に振り向く。
見上げる位置にある小さな頭。バランスが悪いと感じるほどの細い体。長過ぎる手足、そして長過ぎる尻尾。
「貴女は特務機関の……」
確かディミータという獣人族の女性。時としてルルティアのボディガードを務める特務機関の隊員。
彼女は伝票を持った手で、顎のラインで切りそろえた黒髪を掻き上げた。
「いやぁん。覚えてくれてたぁ? お姉さん、嬉しいわぁ」
「いつからですか」
「なぁに? 何の話?」
「どこから跡を付けていたんですか」
「えー、なにそれぇ? 私は、たまたまコーヒー飲んでて、たまたま会計に立ったら、たまたまリサデルちゃんが前に並んでいただけよぉ」
私を値踏みするように眺め回す金色の瞳。角度によって濃さが変わる瞳の色は、心の動きを悟らせない。
「リサデルちゃん。前」
「まえ? 前って、どういう事ですか? 前から跡を付けていた、って事ですか!?」
「前ったら、前よぅ」
長い尻尾を撓らせながら、ディミータは私を追い越してレジカウンターに立った。「あっ、ちょっと!」と、言いかけたものの握っていたはずの伝票が見当たらない。
「あ、あれ? うそ? 伝票が無い!?」
私が伝票を探している間にディミータは先に会計を済ませてしまった。
床には紙ナプキンの一枚も落ちてはいない。財布の中を探しても領収書の一枚も入っていない。
バタバタする私を横目にディミータが呆れたように笑う。
「ここって、紅茶が思ったより高いのねぇ。さ、行きましょ」
「え? あ、あの?」
「思ってたよりもドン臭いのね、リサデルちゃん。紅茶とココアの代金分くらいは付き合ってもらうよ」
にやり、と笑ったその顔は、子供の頃に読んだ絵本に登場する、あの猫にそっくりだった。
*****
魔導院に行くには確実に遠回りになるのに、「人の多いところは苦手だから」と、ディミータは大通りを避けて裏道を選んだ。だったら、どうして人気の多い喫茶店にいたのだろう。本物の猫のように捉えどころが無い。
「この後に面接の仕事がありますので、早く魔導院に行きたいのですが」
「うふふ、大丈夫。リサデルちゃんの受け持ちは実技試験の後でしょ」
「何で、そんな事まで……」
ディミータは歩きながら妙に身体を寄せてきた。背の高い彼女の方が歩幅が大きいはずなのに、歩くペースが同じなのが不思議だった。
「リサデルちゃん、あなた、あいつに似てるわぁ。鈍感なところなんて、ホントにそっくり」
「……ディミータさん、何が目的ですか」
口に手を当てて、けらけら笑うディミータ。いけない、冷静さを失ったら相手の思う壺だ。
「喋り方まで似てるぅ。ホントは元カノじゃなくて元兄妹だったんじゃない? あははっ」
「からかわれるのは嫌いです。用件を言って下さい」
「ふぅん、じゃあ言ってあげようか。いつになったら『計画』通りに動くのかなぁ、リサデル・ブランドフォード」
「何の事か分かりませんが」
「用件を言えって、あんたが先に言ったんだよ。交渉事は苦手かい?」
ディミータの口調が変わった。黒蛇のような尻尾が激しく揺れる。
「貴女は長老会議の関係者ですか?」
「違うね。私は特務機関特殊清掃部の副隊長。掃除屋だ。知っているだろう?」
「掃除屋さんが、どうして長老会議の『計画』を知っているのですか?」
目を細めて私を見るディミータが、「計画? ふふん」と鼻で笑う。紅を引いた薄い唇の端が上がった。
すっ、とディミータの手が動く。私は突き飛ばされるようにして灰色の煉瓦壁に肩をぶつけた。
数人の通行人が振り返ったが、関わり合いになりたくないと思ったか早足で歩き去っていく。
「――っ、人を呼びますよ」
「呼ばれて困るのはあんただろ? 公安二課が大喜びだ」
「あ、貴女は……どこまで知って……」
壁を背に逃げ場の無い私の顔を、ディミータは得物を追い詰めた猫のような顔で覗き込む。
温かな初春の気温なのに、心の芯が凍るような寒気がした。
「あんたが、さっさと『計画』通りに動かないから、ルルティアを長老会議に取り上げられたんだろうが」
「やはり、貴女は長老会議の……」
「だから違うって。特務機関だって良い迷惑なんだ。大事な研究主任を連れてかれちまったんだからね。あぁ、頭に来る」
「そ、そんな……私だって……」
「私だって、なに? あんたはこの七年間、何をしていた? 男に逃げられて、やる気無くして、役目をほっぽらかして、ルルティアの世話に逃げたんだろうが」
「そんなの違います!」
「都合が良かったよねぇ。ルルティアには長老会議も御執心でさぁ。『計画』の遅れにも目を瞑ってくれたもんね。あんたは利用したんだよ、ルルティアを」
「ち、違う! そんなのじゃない!」
「違わない。嬉しかっただろ? 可愛い妹が出来たみたいで。気持ち良かっただろ? デザイナー気分が味わえて」
私は歯が噛み合わなくなるほど震えていた。
悔しくて、恥ずかしくて――――怖くて。それは目の前の黒猫に対する恐怖では無い。
自分の狡さ、汚らしさ、浅ましさを、金色の瞳に見透かされた事が怖かった。
何も言い返せない。奥歯を鳴るほどに噛みしめないと、嗚咽が漏れてしまいそうだった。
堪え切れずに涙が溢れだす。ひぐっ、と喉の奥が鳴った。
私を睨み付ける金色の瞳の色が変わった。そう思った瞬間、頬に焼けるような痛みが走った。乾いた音が後から聞こえ、頬を叩かれたと思った時には石畳に手を突いていた。
「泣くな! 泣いて解決する事なんて、唯の一つだって無い」
私の頬を叩いた手を中空に留めたままディミータが言った。
「自分の為に泣くんじゃない。それは卑怯な女のすることだ」
私はじんじんと傷む頬を押さえて、私を叩いた女性を見上げた。
「泣いてる暇があったら、足掻きなさい。抗いなさい。死に物狂いで闘いなさい」
私を見下ろす金色の瞳が、ほんの少しだけ優しく見えた。
この女性は、何者で、何を知っていて、何が目的で、何で私にこんな事をするのだろう。
「意味が分からないって顔ね。一つ教えてあげる。あなたの正体を知っているのは、長老会議と私だけ。だから安心なさい」
「どうして、貴女は私の事を知っているのですか」
「昔、私の妹が、『ある新入生』について調査していたの。調べがついた途端に殺されちゃったんだけどね。ついでに私も酷い目に遭わされちゃった」
「貴女の目的は復讐ですか」
ディミータは「それは最終目的」と、頬に掛った髪を跳ね上げて言った。
「私はね、見届けたいの。妹の命を奪い、私の目を抉った『女王計画』が世界をどう変えるのか。復讐はその後ね」
「……それでは、いつか私も貴女に殺されますね」
「ふぅん、それはどうかしら。私が殺さなくったって、あなたはどうせ……って、誰か来たみたいね」
http://blogs.yahoo.co.jp/lulutialulumoni/10565716.html
↑第89話に登場の赤い鎧の騎士
http://blogs.yahoo.co.jp/lulutialulumoni/10572637.html
↑久々に登場のディミータ
http://blogs.yahoo.co.jp/lulutialulumoni/10556149.html
↑物語のどこかに登場しているプラティナ
以上の画像が新規投稿済みです。良かったら覗いて下さい。
そして、活動報告にも書きましたが、長く良いお付き合いをさせていただいている「大桑八代」君が「第七回ガガガ大賞」を「カクリヨの短い歌」で受賞しました!
5月17日に小学館から刊行予定です!
「武器屋」をご愛読の皆様、ぜひとも「カクリヨの短い歌」をお手に取ってみて下さい。宜しくお願いします!