第87話 これからも ずっと
足にハンデのあるルルモニを慮って、「モニちゃんは後から来て!」と、声を掛けてからルルティアの部屋へと急いだ。
錬金術科の課題を持ち帰ること自体は禁止してはいないけど、ルルティアの錬金実験は寮内で行なっても良い実験のレベルを超えている。
つい先日も、「錬金術で妖精さんを作るのだ」とか何とか意味の分からない実験を始めて、ルルティアの部屋とルルモニの部屋を隔てていた壁に大穴を空けたばかりなのに!
「*階段を駆け上がらない・駆け下りない*」
自分で書いた注意書きを見ないようにして二段飛びで階段を駆け上がる。
「*危ない! 廊下は走らないこと*」
自分で書いた注意書きを無視して長い廊下を駆け抜け、ルルティアの部屋の前に立った。
荒い呼吸が収まらないまま、真鍮のドアノブを握り、体当たりするように内開きのドアを押し込むと、思いの外に抵抗感の無い手応えでドアが開いた。
「っひゃあ!」
焦りと心配のあまり、勢い余ってつんのめり、そのまま部屋の中に倒れこんでしまった。
「ルルティア!? 怪我は!? どこにいるの!?」
立ち上がるのももどかしく、膝立ちになって部屋の中を見渡す。
どうやって使うのかも分からない実験器具に混ざって、メイク用品やファッション雑誌が部屋中に散乱していたけど、幸いなことに焦げ臭さや火の気配は感じなかった。
「神様……お導きを」
乱れた呼吸を整え、短く祈りの言葉を呟いて心を落ち着ける。
ゆっくりと部屋の四隅に視線を巡らせると、私が押し開いたドアの陰に、女性のそれと思しき青白い足首が垣間見えた。
「ルル……ティア?」
ギクリとして、左手を床に突いたまま、右手でドアを手前に引くと、染み一つない裸の背中が目に入った。
「ル、ルルル、ルルティア!?」
四つん這いで慌てて這い寄り、ぐったりした力無い身体を抱き起こす。
大丈夫、必ず助ける! 私は神聖術科の院生。治癒の神聖術には自信がある。それに、薬学科のルルモニだって、すぐに駆け付ける。二人掛かりなら、どんな大怪我だって治療……し……て……
使命感にも似た決意と、微妙な違和感を持って抱き抱えた身体は――――
首から上を失っていた。
「いっ、いやあぁあぁぁぁ!」
抱きかかえた身体から手を放し、恐ろしい事実を前にして叫び声を上げてしまった。
「ど、どど、どうしよう……どうしよう……」
首の無い遺体を膝に乗せ、座り込んだままズルズルと後ずさると、右手がサラサラした何かに触れた。指に絡んだ「それ」は、馴染みのある手触り。
嫌な予感にゆっくりと右に首を巡らせると、そこには……こちらを向いて無造作に転がる人間の頭部が。
「ぎぃやゃあぁぁあぁぁ!!」
光を失った瞳と目が合い、ふっ、と意識が遠退いていく……あぁ神様。リサデルは、もうダメです。
「どうした、リョオチョオ? だいじょーぶか?」
ようやく駆け付けたルルモニの声を頼りに、途切れそうになった意識を無理やりに繫ぎとめる。
「モ……モニちゃん、ルルティアが……どうしよう」
それだけ言うのがやっとだった。
ところがルルモニは、首無し死体を膝に乗せて放心状態で座り込む私の脇を抜けて、トコトコと部屋の中に入ってきた。
「モ、モニちゃん? 何を……」
ルルモニは、おもむろに生首を掴み上げ、まるで球技に使うボールのように小脇に抱えた。あぁ、また気が遠くなっていく……
「リョオチョオ、ニンギョーだ」
「え?」
「え、じゃない。『に・ん・ぎょー』だよ、これ」
「え? 人形?」
恐る恐る膝の上の首無し死体を眺める。言われてみれば人の身体にしては妙に軽いし、血の一滴だって出ていない。ルルモニの抱えた生首は、良く見たら「オリンピア」とかいう、私に似せた錬金人形の頭じゃない!?
膝の上から錬金人形をどけて、ルルモニの抱えた人形の首を確認しようと立ち上がった時、窓際に置かれた机の辺りから、「ゴッ!」と鈍い音と、「あたっ!」と、短い悲鳴が同時に聞こえた。
「あたた……頭ぶつけた……」
のそのそと机の下から這い出してきたルルティアの顔を見て、安堵感が胸いっぱいに、怒りは頭いっぱいに拡がったけど、どちらも溜め息と一緒に空気中に拡がって消えた。
「大丈夫? どこか怪我してない?」
片手で頭を押さえたルルティアに声を掛けると、何故か彼女は険しい目で私を睨み付けた。
「な、何? どうかしたの? ルルティア?」
私の問いに、吊り目がちな目を細めたルルティアが一言、「誰?」と言った。
「……あなた、眼鏡はどうしたの?」
「その声は寮長さん。では、そこに立ってるチンチクリンは?」
「ちんちくりんではない。ルルモニだ」
「おお、モニさんだったか」
ルルティアは、つかつかとルルモニに歩み寄って、「ねえ、寮長さん。なんでモニさんにヘッドロックされてるの?」と、脇に抱えられた人形の頭に話しかけた。
「ルルティア、私はこっち」
んー? と、眉を寄せて私の方を見たルルティアは、「なっ……寮長さんが二人? これは実に興味深い」と、眉間を人差し指で押し上げる。
「え? あ、あれ? 眼鏡、メガネないっ!?」
この子は本当に魔導院開闢以来の最高頭脳の持ち主なのかしら? ステータス鑑定師たちは測定方法を間違えたりしたのでは……。
眼鏡を探して右往左往するルルティアの足元で「パキ」っと何かが砕ける音がしたのと同時に、私を含む三人が「あ」と、声を上げた。
「やった」
「やったね」
「やっちゃった……」
ルルティアは屈みこんで、ブリッジから折れて二つになってしまった眼鏡を持ち上げて、「うあぁ……どうしよう。これからお出かけなのに」と呻いた。
そうだった。この子は「ブキャー」とかいう、ふざけた名前の、ネガティブオタクで糖尿病の男とランチデートに出かけるつもりだ。何としても止めなければ!
ルルティアを問い質そうとした矢先に、「ティア、ちょっといいか?」と、ルルモニに先を越されてしまった。
「うーん、そこにいるのはモニさんね」
ルルティアは、壊れてしまった眼鏡のレンズを、顔の前に近づけたり離したりしてルルモニを確認していた。
「これ、もらっていいか?」
ルルモニは、私に良く似た顔をした人形の頭部をルルティアに差し出した。
――ちょ、ちょっと待って!?
ルルティアは、一瞬、悩んだ顔をしたが、「うん。良いよ」と、快諾した。
――ちょ、ちょっと待って!!
「ちょっと待ちなさい! 私に似せた人形を好き勝手に取引しないで!」
「いやだなぁ、寮長さん。こんなのより、寮長さんのが一〇〇〇倍は可愛いですよ」
「そういう問題じゃないでしょう!」
「じゃっ、そーゆーことで」
「待ちなさい、モニちゃん! 持ち逃げしない! 大体、何に使うつもり、それ!?」
「帽子スタンド」
「止めてよ! そんな悪趣味な!」
「悪趣味なんて酷い! こんなソックリに作ったのに!」
「ルルティア! さっき、私の方が一〇〇〇〇倍は可愛い、って言ったじゃない!」
「寮長さん、桁増えてる」
「い、良いでしょ別に! 言ってみたかっただけです! とにかく、これは私が預かります」
ルルモニから無理矢理に人形の首を奪った拍子に、手元が狂って取り落してしまった。
「ゴトン」と鈍い音を立てて、自分に似せた人形の首が足元に転がる薄気味悪さよりも、首から立ち昇るように現れた、オレンジ色の煙に気を取られる。それは、透き通った橙色をした……蝶?
「モニさん、捕まえて!」
「おう! まかせろや!」
ルルティアの声に威勢良く応えたルルモニは、思いの外に機敏な動きでオレンジ色の蝶を壁に追い詰め、それこそ子供の虫捕りのように、両掌で優しく包んで捕まえた。
「あれえ? なんだ、これ?」
ルルモニは首を傾げて、蝶を捕えたはずの両掌を上にする。小さな掌に乗っていたのは、透き通った黄褐色の石だった。でも、何だろう? 先ほどにも感じた、この違和感は……。
「ありがと、モニさん」
ルルティアは、琥珀に似た石をルルモニから受け取り、スカートのポケットに仕舞った。
「ルルティア……今の、なに?」
私は、何かが胸に閊えたような気持ちでルルティアに訊いた。あの感じ……あれは、まるで……。
ルルティアは、私の不安も素知らぬ顔で「うふふ、妖精さんでーす」と、得意気に答えた。
「この研究が完成すれば現在、錬金記憶装置に魔術符号化し稼働する中央制御回路による最大処理速度を大幅に引き上げ全機能各種を現在試験稼働中の試作試験機の能力に対し暫定値にして五倍以上の効率的且つ自律的に実行可能とした錬金人形は自律型錬金人形として新たなステージへと駆け上り必ずや」
「ねえ、ルルティア。さっきから話しかけてる相手、それ鏡よ」
「あれ? 寮長さんが二人いる」
眼鏡を失ったルルティアが、大きな姿見と私を交互に指差しながら怪訝な顔をする。
「ねえ、予備の眼鏡があるでしょう?」
呆れた私の声に、「そうでした、そうでした」と、机の引き出しから予備の眼鏡を取り出して鏡に向かったルルティアは、鏡を覗き込んだ姿勢のまま動かなくなってしまった。不審に思い、近づいてみると何事かブツブツと呟いている。
「ダメ……こんなの……絶対にダメ……どうしよう」
「ルルティア? どうしたの?」
「可愛くない……眼鏡が可愛くない……こんな眼鏡じゃ、あの人に会えない……」
千載一遇のチャンス! 神様は、やっぱり私の味方をして下さっている!
「そうよ! そんなダメ眼鏡じゃダメ! うん、見れば見るほど可愛くない! だから、今日のお昼はモニちゃんと私で食べましょう」
「寮長さん……私、そんなに可愛くないですか?」
「いいえ、あなたは超絶可愛い。でも、その眼鏡は俄然ダメ全然ダメ凄くダメ。だから今日のお昼は私と食べましょう」
「うっ、うん、そうしようかな……」
よぅし、もう一息。神様、見ていて下さい。誤まった道を選ぼうとしているルルティアを正道に導くのは私の御役目です。
「あたらしいメガネ、かいにいけば? ぶきゃーと」
邪悪の囁きに、どんよりと沈み込んでいたルルティアの表情が、ぱあっと音がするくらいに明るくなった。
「ありがとう、モニさん! 私、テンション上がってきたあっ!」
いえーい! と、ハイタッチして手を取り合う二人。
モニちゃん、余計な事を! これでは「ランチデート」が「お買い物デート」にランクアップしちゃうじゃない!! もう、こうなったら最終手段だ。
「なに着て行こうかな? 寮長さん、モニさん、一緒に選んで!」
「……私も行く」
手を取り合ってグルグル回っていた二人の動きが止まった。
ルルモニが硬直したまま、私の顔を見てフルフルと首を振っているけど、それ、どんな意図があるの?
「ねえ、ルルティア。私をその人に紹介してくれない? 挨拶だけしたら帰るから」
せめてこの目で、どんな男か見極めないと気が済まない。
ルルモニの手を放して、ルルティアが真っ直ぐ私に向き直った。レンズ越しに青灰色の瞳が私を射抜く。
「寮長さん、約束をして下さい」
「なに? 何を約束すれば良いの?」
「私、あの人が好きです。絶対に邪魔しないで。約束して下さい」
私を見据える強く美しい眼差し。均整の取れた、同性でも見惚れるほどのプロポーション。気品と知性の溢れる凛とした立ち姿。そして、自信に満ちた表情。
七年がかりで磨き上げた私の宝石は、この瞬間、最も光り輝いてみえた。たとえ彼女がどんな病魔に侵されていようとも。
「ええ、約束するわ」
私は嫉妬した。恋をしているルルティアに。愛を知った女の美しさに。
それは、私も持っていた大切な宝物。どこかに無くしてしまったけど。
「あーあ、もう! 見せてもらおうじゃないの! あなたが好きになった人を!」
「ねえ、寮長さん」
「何よ? ルルティア」
「大スキ。これからも、ずっと」
http://blogs.yahoo.co.jp/lulutialulumoni/10507830.html
上記のヤフーブログにルルティアの画像を追加しておきました。




