第82話 三人目の王女
「それが、俺と彼女の出会いだったんだ」
満足げにニコニコと頷くセハトと、その動きを真似するように何度も頷くルルモニ。
「なあ、ルルモニ。リサデルって名前に聞き覚えはないか? 教官とか院生とかさ?」
「ふあぁ……なに? さんでる?」
「ここは白熱教室じゃなくて武器屋だ。お前、もしかして寝てた?」
俺の問いに、ルルモニは首をゆっくりと縦に振ったが、そのうち目を閉じて船を漕ぎ始めた。
「おい、ルルモニ起きろ!」
ゆらゆらと身体を揺らし、カウンターに突っ伏したルルモニは、すうすうと気持ち良さそうに寝息を立て始めた。
「参ったな。本格的に寝ちまったよ」
「すぐに起きるんじゃない?」
「セハト……ノーム族の睡眠抵抗力の低さを知らないのか?」
土の精霊の祝福を受けたノーム族は、耐毒、耐麻痺、耐石化などの土の属性に関する状態異常には高い抵抗力を持っているが、何故か睡眠に対する抵抗力だけは妙に低い。
地下訓練施設で、第一位魔術「睡眠の魔術」に倒れたノーム族の仲間は、突けど叩けど目を覚まさず、結局、担いで地上に戻る羽目になったことがある。
「こいつらは一回寝ちまうと、自分から目を覚まさない限りは、ひたすら寝てるんだぞ」
「うっわあ、おもしろーい!」
「全然、面白くない。しっかし、困ったなぁ」
セハトは、ルルモニの長く垂れた耳を引っ張ったり、息を吹きかけたりして楽しんでいるが、当の本人はムニャムニャウフフと寝言をいうだけだった。
「おじさん家に泊めてあげれば? おじさん、ここの上に住んでいるんでしょ」
「あのなあ。お兄さんは、こう見えてもジェントルマンなんだぞ」
「サンジェルマン?」
「近所のパン屋がそんな名前だが、んなこたぁどうでも良い。だいたいウチは武器屋だ。喫茶店でも飲み屋でも宿屋でも……って、あぁ宿屋か」
以前、巨犬も一緒に住める貸し部屋が見つからなくて困っていたセハトに、日頃から世話になっている「ネルの宿屋」を紹介したことがある。だが、世渡り上手なセハト君は、その数日後には「ネルの宿屋」で、ちゃっかりと住み込みバイトを始めていた。
「セハト、お前、この後はネルさんの宿屋に戻るだろう?」
「うん、そうだね。でも、まだ砂漠の話を聞いてないよ」
「続きは夕飯のついでに話してやる。そのときに、これの最高の使い方を教えてやろうか?」
俺は、セハトから土産に貰った塩板を手に取り、燃え上がりやすい好奇心を煽るようにセハトの顔の前でヒラヒラさせた。
「最高の使い方? 何だろう? 舐めるの?」
「残念。違いますな」
ふっ、ちょろい。簡単に着火しやがった。
セハトは、もうたまらない、といった表情でダークブラウンの髪を掻き回した。
「砕いて、粉にする?」
「それじゃあ、ただの食塩ですな」
「お湯に溶かす?」
「それじゃあ、ただの塩水ですな」
「うぐぐぅ」と、唸りながら、セハトは椅子の上で体を捻った。パブロフが暖炉の前から巨体を起こし、頭を抱え、悩み捻れる少年にデカい身体を擦り付けた。
「と、いうわけで、正解はネルさんの宿屋で発表します」
「うえぇー! いま教えてよー!」
「駄目です。ルルモニ連れて『ネルの宿屋』に行ってくれないか? 料金は俺が払うから、ネルさんに頼んでエコノミールームにでも放り込んどいてくれ」
不承不承に頷いたセハトは、「蒸す? いや、違うか」などと呟きながら、パブロフを伏せさせて、その背に絶賛爆睡中のルルモ二を乗せた。当のルルモニはといえば、ふかふかの巨犬の背が気持ち良いのか、顔を毛に埋もれさせてウフウフと笑い、眠りこけている。なんて幸せな奴なんだ。
セハトは、「じゃあ、あとでね」と手を振り、読んでも書いても文字通りの「お荷物」を乗せたパブロフを連れて店から出て行った。
二人と一匹を見送った後、奴らが荒らしたカウンターを片付けた。こぼれたジャムを布で拭き、床に散ったクッキーの欠片を掃き集めようと箒の柄を掴んだ時に、ふと錬金人形を思い出した。「琺瑯質の瞳の乙女」のモデルはリサデルに間違いないだろう。魔導院屈指の錬金術師と貴族出身の神聖術師、接点は何だ?
リサデルは、今でも学院に在籍しているのだろうか? だとしたら何の為に? そもそも貴族出身の御嬢さんが学院に来た理由は何だ? 彼女は「貴族とはいっても没落貴族なのです」と笑い、「本当は洋服の仕事がしたかった」と泣いた。
あんなに好きだったのに、彼女の面影が朧げになっていく。
どんなに耳を澄ましても、彼女の歌は遥か遠ざかっていく。
深い海のような色だけが、青い瞳だけが胸奥に沈んでいく。
何度も会いに行こうかと思った。だが、英雄の呪いは俺を捕えて放さない。十年近くも「鋼玉石の剣」で呪物を粉砕しまくって、ようやく気が付いた。
両親は「呪物」が原因で死んだ。婆ちゃんは「呪い」に身体を蝕まれて死んだ。ビーフィンの死だって「呪物」に仕組まれた因果だとは、俺の考えすぎか? 気がついた頃には、俺の身の周りは「呪物」と「呪い」で溢れかえっていた。
鮮やかな石っころの塊みたいな「英雄遺物」の効果は、呪物を破壊するだけでは無い。
――――鋼玉石の剣の効果は「呪物を引き寄せ破壊する」
そして、その呪いは「血に連なる最後の一人が果てるまで呪物を狩る」
漆黒の蛇は「呪物」を捕らえて喰い尽す。俺の一族が絶え果てるまで、蛇は満足しないだろう。
俺は、もう誰も巻き込みたくは無いんだ。それがリサデルだろうが――――ルルティアだろうが。
西日が壁をくすんだオレンジ色に染める。
俺は手にした箒を壁に立てかけて、カウンターの裏から契約書などが入った書類ケースを開け、中から古びた一枚の紙を抜き出した。
黄ばんだ原稿用紙は、恋愛小説の最後の一枚だ。俺は原稿用紙を裏返してカウンターに乗せて、そこに描かれた絵をしばらく眺めた。
*****
マッチョの助けもあって、憧れのリサデルと友達になれたのは偉大なる第一歩だ。これなら恋愛小説のラストも、少しはハッピーエンドを匂わせても良いんじゃないか?
浮き立つ気持ちを抑えきれずに遺体安置所の隣室に向かった。
物置改め新聞部の安っぽい扉をノックすると、ガタガタと扉が揺れた。返事が無いので、引き戸の窪みに手をかけてみたが、これまたガタガタ揺れるだけで扉は動かない。この合板、生意気にも鍵が掛るようだ。エレクトラは留守かな。日を改めて出直すとしよう。
その日の夜に、エレクトラの小説をもう一度最初から堪能した。気分や立場次第で、同じ小説でも違う風に感じるもんだ。初めて読んだ時には、想い人に焦がれる歌姫に感情移入してジリジリしながら読んだけど、今は歌姫を応援する気で読んでいる自分が何とも不思議だ。
小説を読み終えた時に、最後の一枚の裏に何か書かれていることに気がつき、原稿用紙を裏返してみた。そこには歌姫であろう可憐な少女の絵と共に、「砂漠の歌姫」とか「砂の恋歌」などの、幾つかのタイトル案が書かれていた。
サービスのつもりだろうか、エキゾチックな衣装の歌姫のイラストは何となくリサデルに似た面持だった。だが、なんで歌姫の頭に猫耳が付いてんだ?
嬉しい事に次の日の昼食も、俺とマッチョとリサデルの三人で取った。ほんの数日前までは、夢にも思わなかった状況だ。だが、ここにエレクトラがいたら面白いのに、なんて考えてしまう自分に戸惑った。なんでエレクトラが気になるんだろう。
放課後になり、俺は原稿用紙の束を持ち、新聞部の部室に向かった。
新聞部の部室のある地下訓練施設入口に続く廊下を歩いていると、木箱を抱えた見慣れない制服を着た男たちと擦れ違った。腕に巻かれた腕章は風紀委員会の物だ。地下で何かあったのだろうか。よほどの事件でない限りは、学院内に風紀委員会が介入することはあり得ない。
胸騒ぎがして自然と小走りになった。
嫌な予感は現実となった。地下訓練施設に向かう生徒たちが見守る中、扉を打ち破られた新聞部の部室からは、十数人の風紀委員会の捜査員たちが書類や新聞を箱詰めにして運び出していた。
「あの、すいません。新聞部で何かあったんですか?」
俺は慌てて、威嚇するような鋭い眼差しを周囲に向ける捜査員に声をかけた。
一人だけ意匠の違う制服に身を包んだ捜査員は、「捜査上の機密だ。答える事は何も無い」と、感情の籠らない目で俺を見下ろした。
「エレクトラは、副部長の女の子は、どこにいるんですか!?」
捜査員は俺の質問に、ただでさえ厳つい顔を更に険しくさせた。
怖っ、と思った次の瞬間、強面の捜査員は大柄な体格に似合わぬ素早い動きで、原稿用紙の束を持った俺の右腕を掴み上げた。万力で締め上げるような剛力に、思わず呻き声が出てしまう。
「い、痛ててて、って、何しやがる!」
「小僧、何か知っているのか。この紙は何だ?」
「くそっ! そんなの関係無いだろ!」
屈強な捜査員は、如何にも場馴れしたように力を緩めることなく俺の腕を捻り上げた。
「おい、その書類を寄越せ。腕を折るぞ」
「畜生! やれるもんならやってみやがれ!」
無言の捜査員に腕を引っ張られ、立ったまま脇固めを極められた。ミシミシと音を立てるような痛みに耐えきれなくなり、バラバラと原稿用紙が床に散らばった。
「小僧、執行妨害だ。これくらいで勘弁してやる」
極められた腕を離され、支えもなく膝を突いた俺の顔面に強烈な蹴りが入る。視界がバッと白くなり、鋭い痛みと口に拡がる血の味を感じたが、俺は溢れだす鼻血を押さえつつ、床に這いつくばって原稿用紙を掻き集めた。
「ふん、懲りて無いか。良い根性だ」
捜査員の履いたブーツの爪先が、四つん這いで原稿を集めていた俺の腹を猛烈な勢いで蹴り上げた。一瞬、身体が浮き上がる。腹を襲った衝撃に胃の中の物がこみ上げ、内臓が千切れるような激痛にもんどり打った。だが、そんな痛みや苦しみよりも、昼に食べた物でエレクトラの作品を汚してしまったことに涙が出た。
床を転げる俺の姿なんて目に入らないように、捜査員が原稿用紙を拾い上げている。
痛みに耐えかねて蹲った俺の目の前に、歌姫の描かれた、あの一枚が落ちていた。俺は捜査員に見つからないようにして、その一枚を懐に押し込み身体を丸めた。
「公務執行妨害で連行する。立て」
髪を掴まれて、無理やり引き起こされる。ブチブチと髪が抜ける音が聞こえたが、俺にはもう、抵抗する気力は残っていなかった。ところが前触れも無く、俺の頭を掴んだ捜査員の動きが止まった。
「何だ貴様ら! 文句でもあるのか! 全員、執行妨害で連行するぞ!」
捜査員が吠えた。俺は頭を鷲掴みにされつつも、何とか顔だけを上げて周囲を窺う。
地下に向かう準備をしていた生徒たちが、鼻血と吐瀉物に塗れた無様な俺と、俺を痛めつけた捜査員を取り囲んでいた。書類を箱に詰めていた風紀委員たちも、ただならぬ雰囲気に手を止めて集まってきた。
「仲間にそこまでされては、こちらとしても我慢なりません」
冷静な口調が、かえって抑えた怒りを感じさせる。この妙に丁寧な口調は……。
捜査員の眼前に、使い込まれた鎖帷子に身を包んだ、例の爽やかリーダーが立った。その右手は長剣の柄頭に添えられている。リーダーの背後に控えた数十人の生徒たちが、手にした得物に手をかけ、一歩前に進み出た。
ガチャリ、と冷たい金属音がフロアに響き、生徒たちと風紀委員たちが睨みあう。重たい沈黙を破り、俺の頭を物のように掴んだまま、捜査員が底響く声で恫喝した。
「良い度胸をしているな。剣を抜いてみろ。専守防衛で貴様ら全員、皆殺しだ」
「そんな脅しに退くものか。ここは魔導院だ」
リーダーの言葉が合図のように、戦士科の生徒は長剣の柄を握り、闘士科の生徒は鉄甲を拳に嵌めた。
「我々を見縊るなよ。仲間を見捨てるような腰抜けは学院には、ただの一人もいない」
レンジャー科の生徒は矢筒に手を掛け、サムライ科の生徒は刀の鯉口を切る。盗賊科の生徒は懐に忍ばせた短刀を探り、魔術師科の生徒は杖を掲げた。
無言の抗議と、無言の覚悟を叩きつけられた風紀委員たちが後ずさりする。
舌打ちした捜査員が、俺の頭を掴んだ手を放した。膝に力が入らず、再び床に倒れ伏す羽目になった。
「全員、さっさと散れ! 次は無いぞ」
怒鳴るように宣言した捜査員は、そう言って背を向けた。その姿を見た風紀委員たちは、そそくさと箱詰め作業に戻った。
しばらく風紀委員たちを睨みつけていた生徒たちも、リーダーが爽やかに、「さ、もう良いでしょう」と声を掛けると、緊張が解けたようにそれぞれが地下に潜る準備を始めた。
「大丈夫ですか? 立てますか?」
差し伸べられた手甲に包まれた手を掴み、痛む腹を押さえて立ち上がった。
「済まない、カイラル。格好悪いトコを見せたな」
「何があったか知りませんが、ケンカを売る相手が悪すぎる。あれは風紀委員会の公安二課、第二部隊ですよ」
声を潜めたカイラルが俺に耳打ちした。風紀委員会の公安課?
魔導院風紀委員会には、通常部隊では遂行出来ない任務や事案を扱う三つの特殊作戦群があると聞いたことがある。その一つが対諜報機関部隊、通称「第二部隊」だ。
「第二部隊? そんなのが新聞部に何の用があるってんだ?」
「それは、わかりません。でも、対諜報部隊が動いたということは、何らかの情報が……」
得体の知れない不安に、目の前が暗くなるのを感じた。
エレクトラ、お前は何を知ってしまったんだ。
後日、地下訓練施設の受付で、行方不明者名簿の中にエレクトラの名を見つけた。
捜索隊が派遣された日時は――――俺がエレクトラと出会った前日になっていた。
*****
店の外から「みゃおん」、と猫の鳴き声が聞こえて我に返った。急いで窓を開けて顔を出すと、一瞬だけ猫の後姿が見えたが、早くも暗くなってきた路地の角に消えてしまった。何やってんだろうな、俺。
原稿用紙を書類ケースに戻す前に、もう一度だけ歌姫の絵を眺めた。
猫耳を頭に乗せた歌姫は、リサデルに似ているのか、それともエレクトラに似ているのか、俺にはもう、分からなくなってしまった。
でもな、エレクトラ。お前の書いた小説だけは、俺は一生忘れない。「面白かったよ。感動した」って、言ってやったら、お前、どんな顔したんだろうな。
そういえば、小説の題名が付いていなかったな。どんなタイトルにするつもりだったんだ? 歌姫の絵と一緒に、いくつか題名の候補らしいのが書いてあったけど、俺なら「精霊の歌」が良いと思うんだ。
……だけどさあ、原稿の端っこに走り書きしてあった「三人目の王女」って、小説の内容と合ってないよな。あれは、どういう意味だったんだ?
***第五章・完***
http://blogs.yahoo.co.jp/lulutialulumoni/10122930.html
上記のヤフーブログにエレクトラの画像を投稿しました。合わせてお楽しみ下さい。