第80話 当たって砕けて散っただけ
実戦訓練だというのに、どうにもこうにも気合いが乗ってこない。
単純に振り下ろしただけの木製の戦斧は、軽快なサイドステップであっさりと避けられてしまった。マッチョのその、剃りあげたばかりのスキンへッドに気がいって仕方がない。
バックステップで距離を取るつもりだったが、出足が遅れて半歩程度しか後退出来なかった。
「おっせぇ!」
――――マッチョ、声でけぇよ
一度でも鉄棒にぶら下がると、少なくとも百回は続く懸垂で鍛え上げた胸筋が、俺のすぐ目の前に。
「ハエがっ!」
――――あぁ、ヤバいなぁ
削り出しの丸太みたいな剛腕が唸りを上げて迫る!!
咄嗟に姿勢を低くて避けようと試みたが――――俺、すでに遅し。
「止まるぜっ!」
強烈なラリアットが俺の首元に炸裂した。
ぐわっ、と身体が浮き上がって、ふわっ、と意識が遠くなるのを感じた。
「あら? ここどこ?」
首を襲った痛みに起き上がる気力が萎えた。視線だけで部屋を確認する。白い天井、白い壁。そして、そこに沁み込んだ薬品の臭い。あぁ、ここは学院の保健室か……
――――ラッキー! 大義名分付きでサボれる。さあ、寝よう。
いや、ラッキーじゃねえし。だいたい俺は、なんで保健室で寝てるんだ?
痛む首に手をやると、何か固い物が首に巻かれていた。こりゃギプスか? いや、これは確かムチ打ちになった時に首に巻く「ネックカラー」とか言うやつじゃないか?
「おや、気が付きましたか。首、大丈夫ですか?」
ちと気取った口調には聞き覚えがあった。ネックカラーが邪魔で上手く首が曲がらないので、声が聞こえた方に視線だけ向けると、舞台役者のような笑みを浮かべた爽やかリーダーが俺を見下ろしていた。
「いやあ、凄かった。ラリアット一発で人間が空中を一回転したところなんて、初めて見ましたよ」
「その結果がコレか」
首に巻かれたネックカラーに触れた。さぞかし間抜けに見えるんだろうな。
「正確には床に倒れたので、一回転半でしたがね」
「んなこたぁ、どうでもいい。俺を一回転半させたマッチョはどこ行った?」
「さあ? 私とメッツォ君とで、君をここまで運んだのですが、彼、『胸くそ悪い』とか言って出ていきましたよ」
「そっか……」
あのハゲ、模擬戦で気を抜くのを何よりも嫌うからな。しかし、ここまでやるか? 普通。
「でも、君の治療が終わって、先生が心配無いと言ったところまでは、ここにいたんですよ」
「俺が気ぃ抜いてたのが悪かったんだ。フォローしなくて良いよ」
爽やかリーダーは、ふっ、と気障に笑ってから、「そういえば、これを」と、金属の缶を俺に差し出した。
痛む首を出来るだけ動かさないようにして身体を起こし、四葉のクローバーの描かれた、なんだか可愛らしいデザインの缶を受け取った。
「それ、ジンジャークッキーですね。山王都名物の」
「山王都の?」
「山王都」という単語に過剰に反応してしまう自分に落ち込む。
山王都、貴族、憧れの彼女は鉄壁の防御力。じゃあ、俺は何だ? せいぜい「ひのきの棒」だ。血潮は棒で、心はひのき……
「この辺りでは、なかなか手に入らないんですよ、それ」
爽やかな声で我に返った。どうも考え事をすると没入しちまう。婆ちゃんも俺の話を聞いていないことが多い。遺伝だろうな。
クッキーが入っているらしい缶を振ってみた。カタカタと軽い音がした。
「詳しいんだな。山王都のこと」
「えぇ、私は山王都の近くの出身なんですよ。小さな村ですがね」
それで異様に礼儀正しいのか。納得した。
「それ、メッツォ君が、君に渡しておいてくれと。『こいつは秘密兵器だ』と、言っていましたが、それ、兵器じゃなくてクッキーですよね」
そう言って、爽やかリーダーは口に手を当てて、くっくっと笑った。まぁ、そこそこのセンスだ。悪くは無い。
「秘密兵器ねぇ……」
いくら鈍感な俺でも、これの使い途くらいは想像がつく。まさかマッチョから俺へのプレゼントでは無いだろう。
「山王都では、ジンジャークッキーにジャムを塗って食べるのが三時のおやつの定番です。私は苦手なんですけどね」
「甘いのが駄目なのか?」
「いえ、ちょっと生姜が。でも、弟は大好物のようでして、一缶まるまる一人で食べ尽くします」
「へえ、弟がいるのか」
「戦士に憧れているみたいなんですよ。今頃、村で斧でも振り回していることでしょう」
そう言って爽やかリーダーは楽しそうに笑った。気取らない良い笑顔だ。
「では、私は寮に帰りますよ。君は一人で大丈夫ですか?」
「え? もう放課後? 俺、どんだけ寝てたんだ?」
今度は気障っぽい笑みを口の端に浮かべ、「では、また生きていたら」と言い、爽やかリーダーは保健室から出て行った。
さて、どうするか。俺は手に持ったクッキーの入った缶を眺めた。何ともやり切れない気持ちになってきたので、そのまま保健室のベッドに倒れ込んだ。
「ぐおぁ! 首、痛ってぇ!」
首をやられていたのを、すっかり忘れていた。
クッキーの缶を胸に抱いたまま白い天井を眺めていたら、憧れの彼女の歌声が聞こえた気がした。都合が良いよな、俺の耳。
――感動しました。とっても素敵です。
エレクトラは、そう言ってくれた。いいさ、恋に破れた少年の純愛小説なんて、なかなか良さそうな題材じゃないか。リアルな作品が出来上がるぞ。なんせノンフィクションだもんな。よし! 悩んでいたって仕方が無いじゃないか。
雲が晴れたような気持ちになって、弾みをつけて身体を起こした。
「どぅあ! 首、痛ってぇ!」
寮に戻る前に、何となく屋上に行ってみようと思った。湖の向こうに沈んでいく夕陽を眺めるのが好きだ。
学院都市を取り巻く湖は、強大な破壊の魔術が大地を抉った跡だと言われている。戦乱の時代に想いを馳せるのは、六英雄マニアの俺には最高に気分が良い。
学院には、殆ど生徒は残っていなかった。屋上に向かう階段を登っても、誰ともすれ違わなかった。もう夕飯どきだもんな。何となくカレーに似た香りが鼻をくすぐり、胃の辺りが、ぐっとした。
ふと、踊り場で足を止めた。そういえば、美味いのかな、これ?
「あ、下向くには首、痛くない」
手に持ったクッキーの缶を眺めつつ、つい独り言を言ってしまった。そして、階段を降りてくる人の気配を感じて、顔を上げた。
「づあぁ! 首、痛ってぇ!」
首を押さえながらも、降りてきた人に道を譲るために踊り場の端に身を寄せる。「あ、すいません」と、声をあげた女の子の、小鳥のような美声には聞き覚えが……
痛めた首を動かさないように、視線だけで確認。神聖術科の制服、小柄な身体、海を思わせる青い瞳。リサデル・ブランドフォード。突然の不意打ちに頭の中が真っ白になった。
「あなたは……」
そう呟いて、全身から警戒心を発散させる少女は、後ずさりながらも、階段を登ろうか降りようか迷っているようだ。好意を持った相手に嫌われるって、本当にキツイね。
「あ、オレ、いや、ボク、いえ、タワシは……」
第二位神聖術〈静寂の法〉をかけられた魔術師みたいに言葉が続かない。
少し濃いめの眉を寄せた少女は、階段を駆け降りるそぶりを見せた。
「まっ、待ってくだっ、くれ、され、さい! リサデルさん!」
駆けだそうとした少女の足が止まる。彼女は驚きと嫌悪感のこもった表情で俺を見た。
「どうして私の名前を?」
しまったぁー! アホか? アホなのか、オレはーっ!
「こっここ、これ食べてくれ、らさい!」
ジンジャークッキーの入った缶を、彼女に押し付けるようにして渡し、俺は階段を転げ落ちるように駆け下りた。と、いうか現実から逃げ出した。
「――――って話さ。終わったかなぁ、俺」
次の日、俺は大事を取って午後の実技練習には参加しなかった。講義時間内では、戦士科の俺と、闘士科のマッチョは実技的な訓練でしか顔を合わせる機会は少ない。それに、なんとも顔を合わせるのが気まずくて、クッキーの礼も言えずじまいだった。
結局、悲しい恋の結末は、死体置き場の隣りの元・物置部屋でエレクトラに報告も兼ねて聞いてもらった。聞いてくれる相手がいるだけでも心が休まるってもんだ。
エレクトラは俺の話を聞きながら、ふんふんと呟いて手帳にペンを走らせる。心なしか、嬉しそうな顔をしているように見えるのは気のせいか。
「素敵な響きですよね。シツレンって」
「ズバリ言うなよ。でも、やっぱ失恋かなぁ」
「元々が成功確率の低いミッションだったじゃないですか。当たって砕けて散っただけの話ですよ」
「慰めてんのか、追い打ちかけてんのか、どっちかにしろよ」
さすがにガックリきて、テーブルに突っ伏したくなったが、相変わらずテーブルの上は新聞やら書類やらの山脈が形成されていて、顔を伏せるほどの平野すら無かった。
僅かなスペースに肘を乗せ、頬杖をついた俺に紙の束が差し出された。
頭を動かすと首が痛む。ギギギギギと、音が鳴りそうな動きで、紙束を差し出したエレクトラの方を向く。
「小説書きました」
「えぇ? もう書いたの? 早いな」
結構な枚数の紙の束だったが、原稿用紙には丁寧な字がギッシリと書き込まれていた。早速、目を通そうとしたそのとき、
「うにゃあぁ~~!」
獣の鋭い叫びとともに、回避不能の速度と防御不能の角度で、猫人族の拳が俺の側頭部にヒットした。 原稿用紙を持ったまま、俺は椅子ごと引っ繰り返る破目になった。
「ダメ! わたしの前で読まないで下さい! 恥ずかしい」
「く、口で言ってくれれば分かります……」
真っ赤になって顔を覆いフルフルと首を振り続けるエレクトラを見上げて毒づいた。あれ? 首が治った。エレクトラのネコパンチの効果か?
「わたしのいないところで読んで下さい。あと、他人に見せないで」
「ふん。きっつい批評を楽しみにしてやがれよ。こう見えても、俺は文章には辛口だぞ」
「望むところです」
そう言ってエレクトラは楽しそうに笑った。なんだよ、良い顔で笑うじゃないか。
立ち上がって原稿用紙を揃え直した。さて、そろそろ夕飯の時間だ。
「じゃあ、これ、借りてくよ。さっそく今夜読む」
エレクトラに背を向けて、元・物置の引き戸に手を掛けたときだ。
「完全に失恋が確定したら、わたしが、ちょっとだけ付き合ってあげましょうか?」
「アホか。気の毒な俺をからかうな。じゃあな」
いまの心境でそんなこと言われたら、本気にするじゃねぇか。
その夜、ランプの灯りの下でエレクトラの書いた小説を読んだ。それは砂漠の町に住む歌姫が、北へ向かった想い人を慕う恋物語だった。
素人の書いた小説と、高を括ったのが間違いだった。言い回しや文法には突っ込みどころがあったが、なによりも心情描写が見事だった。思わず時間を忘れて読み耽ってしまった。
身分の低い歌姫が、高貴な生まれの想い人に恋い焦がれる物語。なるほど、俺の話をアレンジしやがったな。
最後の一行を読み終えたころには真夜中になっていた。オアシスの畔で竪琴を掻き鳴らしながら、想い人への歌を歌い上げる歌姫の姿を描写したところで話は終わっている。ラストシーンは俺の恋の行方次第だったのだろうか。
――そして、想い人は北から戻ることはありませんでした。
こんな感じのラストかな。切ないなぁ、悲しいなぁ。でも、これはこれで良いラストだ。いやぁ、面白かった。エレクトラを褒めてやろう。
俺はその夜、砂漠を渡る夢を見た。