第8話 赤い短刀 レッドキャップ
*****
平穏を取り戻した学院の中、解放された俺たち五人はビーフィンの遺体を安置している地下の霊安室に案内された。
ひんやりした薄暗い部屋には簡素なベッドが等間隔に並んでいて、それぞれに白い大きなシーツがかけられている。
人の形に膨らんだシーツを見て、彼女が身を震わせた。
「こちらです」
検死官がビーフィンの遺体が安置されているベッドまで案内してくれたものの、俺たちはビーフィンの遺体を前にしたまま、無言で立ち尽くすしかなかった。
遺体の状態が良くないから見ない方が良い、そう検死官から言われていたが、俺はどうしてもビーフィンの親指が気になって仕方がなかった。
「ビーフィン……」
神聖術科の生徒であり聖職者でもある彼女は、何度もシーつを捲ってビーフィンの顔だけでも見ようとしていたが、勇気が出なかったのだろう。大粒の涙がシーツを濡らしただけだった。俺だってそうだ。怖くてビーフィンの指さえ確認出来ないんだ。
誰もが一言も発せず、彼女のすすり泣く声だけが遺体安置所に空しく響いた。
「ご確認、いただけますか」
検死官の一人がビーフィンの遺品を持ってきた。彼が着ていた寝間着は、ズタズタに切り裂かれて遺品としての意味を成さないので処分されたそうだ。結局、検死官の持ってきたのは小さな箱一つだけだった。
机の上に置かれた箱の中を確認して、俺は思わず息を飲んだ。仲間たちも互いに顔を見合わせている。この紅い短刀に目を奪われたのは、これで二度目だ。
一度目はその短刀の作りの見事さに。その美しさに。
二度目はビーフィンの命を奪った凶器としての、その事実に。
俺は震える指で短刀に軽く触れた。峰まで紅い残酷な刃。
検死官が短刀の由来を教えてくれた。俺たちが地下から持ち帰った紅い短刀は『レッドキャップ』という、鑑定科では有名な呪物だったんだ。
**********
その昔、殺人狂の貴族様が、殺人を楽しむ為に特化した、人体をバラす用途だけに特化した豪華な短刀を数十本作らせた。
貴族様は、「ちょっとした趣味に付き合ってくれたら、この短刀を差し上げよう」と、哀れな犠牲者を誑かしては、一晩じっくりと時間をかけて拷問し、夜明けのタイミングと共に犠牲者が絶命する様を見て楽しんでいた。
夜明けの光に照らされた無残な死体を眺めては悦に入る、筋金入りの変態紳士だ。
短刀の刃が磨り減って切れ味が悪くなると、もう一本、脂で切れ味が鈍ると、もう一本。そして、最後に残った一本を使い、心行くまで夜明けまで自分で自分を切り刻んだそうだ。
そして、全身を自らの手で切り刻んだ貴族様は、大変に満足された笑みを浮かべて絶命していたという。
その変態貴族様は、常に赤い帽子を被っていた、または派手な赤毛だったから「レッドキャップ」と呼ばれていたと言う。
**********
その名は「第七等級呪物・赤い短刀」
かけられた呪いは「強烈な殺人衝動に襲われ、最期は自らをも死に至らしめる」
解呪しようとする術者にまで殺人衝動を抱いて襲いかかろうとするだろうから、解呪は難しいだろう。ましてや最終的には自死に至るとあっては危険極まりない。
それなのに短刀の美しさに心を奪われる者が後を絶たず、結果として「第七等級呪物」に認定されたわけだ。ただし、呪われた者が自殺した後は、何の害も無い、美しい短刀になるだけだという。
「どなたか遺品としてお持ち帰りになりますか?」
検死官の問いに誰も答えなかった。そりゃそうだろう。仲間の命を奪った、しかも、余りにも悍ましい由来を持った短刀だ。高く売れるとは言えども、こんな物を売りとばした金で酒を飲んでも文字通り後味が悪すぎる。
「では、これは魔導院で処分しましょう」
検死官が箱を持ち上げた時に、俺は言った。
「俺が貰っても構わないでしょうか?」
彼女が目を見開いた。ただでさえ大きな瞳が零れ落ちそうだ。みるみるうちに涙が溢れてポロポロと雫が落ちる。
綺麗な女は涙も綺麗だな……なんて、こんな時にそんな事を思っている俺は、少しおかしくなっているのだろうか。
「おい、やめておけよ。金に困ってるんなら貸すからよう」
闘士科のマッチョが俺の肩を抱く。痛いくらいだ。
「短刀の事はもう忘れて、今夜はビーフィンの追悼会をしようよ」
普段は目を合わせて会話が出来ない、気弱な魔術師が俺の顔を覗き込む。
「馬鹿じゃねえのか? 欲出すなよ」
憎まれ口ばかり叩くレンジャーが、毒舌を交えながら思い直すようにと俺を窘める。
皆が頷き、俺の肩を叩き、思い留まらせようとしてくれた。本当に良い奴らだ。コイツらこそ俺の宝だ。
「俺なりに責任を感じているんだ。気持ちの整理が付くまで持っていたいんだ」
俺はとっさに適当な事を口走ったが、皆、釈然としない面持のまま納得はしてくれたようだ。
今夜はメンバーで行きつけにしている酒場、『そらみみ亭』でビーフィンの追悼会をする事を決めて、遺体安置所を後にする事にした。
俺は彼女に顔を近づけて、彼女にだけ聞こえるように耳打ちした。
「この間、一緒に買ったあのドレスを着て来てくれないか?」
「え? 『そらみみ亭』にあれを着ていくの? 恥ずかしいよ」
「実はさ、ビーフィンにお前のドレス姿を見せびらかしてやる、って約束してたんだよ。頼むよ」
彼女は頬を膨らませていたが、納得してくれた。
どうしたんだ俺は? ここにきて「嘘つきスキル」が大幅にスキルアップしたのか。適当に言ったことが罷り通ってしまう。
「メイクもバッチリで頼んますよ!」
彼女の小さな背中を両手で優しく押しながら、俺はもう一度だけベッドの上に安置されたビーフィンの亡骸を振り返った。
じゃあな、ビーフィン。短い付き合いだったがお前に会えて良かったよ。
親指の事は、もういい。俺はいま、全てを理解したんだ。