第79話 貴族と税金と双子の女王
さあ、どうだ。言いたいことは言い切ったぞ。気持ち悪がられようが、ドン引きされようが構うもんか。
エレクトラは、パチパチと音が鳴りそうなくらいに、二、三回、大きく瞬きをした。すると、その瞳からジワジワと涙が溢れだし、ほのかに紅が差す頬の上に涙の筋が流れた。
「うわぁ! なんで泣く? 俺、また変なこと言った?」
「気にしないで下さい。感動すると涙が出るんです」
エレクトラは、流れる涙を拭きもしないで無表情に言い放った。
「いや、それは自然なことだと思うけど……とりあえず涙を拭けよ」
遺体安置所の隣の元物置部屋で涙を流す無表情な少女と、それを目にして動揺する両手を縛られた俺。なんともシュールだ。
「小説が書けそうです」
「はい?」
突然の話題の変化に付いていけない。獣人族の女の子って、こんな感じなのか? それとも猫らしい気まぐれなのか?
「恋愛小説を読むのが好きなのです。ドキドキします。でも、私はまだ人を好きになったことがありません」
「あ、うん。そうなんだ」
今まで読んだ書籍を絵本から辞典まで思い出してみたが、恋愛小説はあっただろうか。今週発売の学院都市ウォーカーの恋愛指南特集なら読んだばっかりだ。
「貴方は先ほど、意中の女性に対する正直な気持ちを述べました。感動しました。とっても素敵です」
「はあ、そりゃどうも」
これは褒められているのか? 無表情に涙を流し続ける少女に面と向かって言われても、正直、何とも言えない。
「貴方が知りたいという女性の情報を提供しましょう」
「え? 良いの? 本当? やった!」
「ただし、条件があります」
そうか、ここは新聞部で情報屋だった。猫耳少女のインパクトが強すぎて忘れてた。
「ああ、情報料は幾らくらい出せば良いかな? タダで手に入る情報なんて大したモンじゃないもんな」
「お金なんて要りません。取材をさせて下さい」
「え? なんの?」
「貴方の」
「また、変態についての?」
「いえ、恋愛についての」
俺が返答に詰まっている間もエレクトラは瞬きもせずに俺を凝視し、涙を流し続ける。なんだこれは? 新手の脅迫の手段か? そう言えば俺、縛られてたっけ。
「取材を元に小説を書かせて下さい。もちろん実名は伏せます」
「そ、それは、ちょっと……」
「はい、そうですか。残念です。では、お帰り下さい。お出口は……」
「な、ちょっ、待てよ!」
取り引きどころか、まるで脅迫だ。これが報道関係者の押しの強さってヤツか?
新聞の束を挟んで向かいに座るエレクトラが、テーブルに手を突き、ぐぐっ、と身を乗り出す。
息が掛かるほどの距離。攻撃力すら感じさせる鋭い視線は、接近するほど威力を増すようだ。
「私はネタを得る。貴方は情報を得る」
吊るされたランタンの炎が揺らめくと、俺とエレクトラの影も揺れる。
暗い場所では、猫の目は瞳孔が開く。真ん丸な穴に吸い込まれるような錯覚。
「私は小説を書く。貴方は意中の女生徒と近づきになれる」
真円に近い黒目から目が反らせない。あれ? 俺は、いま、息を吸ったっけ? あれ? 吐いたんだっけ? 息をする方法を忘れそうだ。
催眠術なんて絶対嘘だと思っていたが、これはマズいかも知れない。
「貴方は何も失わない。悪い条件ではない」
「わ……わかった」
無表情なまま少女の口角だけが釣り上がる。なまじ美形なだけに凄味を覚える。こいつは子猫型小悪魔に違いない。
エレクトラは一言、「契約成立です」と呟いたが、俺には一方的な勝利宣言にしか聞こえなかった。恋愛小説のネタだと……恥ずかしすぎる。
「では、その女性の特徴を教え下さい。おおよその年齢、背格好、髪の長さ……」
「あぁ、彼女、山王都出身かも知れない」
「そうですか。対象を絞り込みやすくなります」
俺は、自分の知り得る限りの彼女の特徴を、猫耳小悪魔風な女新聞記者に伝えた。
全て聞き終わると、エレクトラは音も無く立ち上がり、背後の棚から分厚いファイルを取り出す。
「新入生で神聖術科。山王都出身。十四、五歳の女子……この女生徒でしょうか?」
おもむろに差し出された絵葉書のような物を、ぎゅうぎゅうに縛られた不自由な両手で受け取る。これはポートレートか。なんだ? これは!
そこには写実的という言葉を超えた、信じられないほどに精緻な肖像画が描かれていた。輝く瞳、つややかな唇、弾む髪、軽く微笑みかけるような……憧れの少女。
鉛筆書きとは、とても思えない。感激を通り越して、もはや衝撃的だ。
思わず椅子から立ち上がりかけて、太ももをテーブルの縁に強打してしまった。弾みでティーカップが倒れそうになる。
「痛っ! とっとと、危ねっ!」
慌ててカップを押さえようとしたが、ポートレートを持ったままなのも、両手が縛られていたのも忘れていた。あっちを立てたらこっちが立たぬ。こっちを立てたらあっちが……
「落ち着いて下さい。はしゃぎ過ぎです」
「あ、はい。すいません」
叱られてしまった。小学生の頃に、はしゃぎ過ぎてクラス委員の女の子に窘められたのを思い出した。ついついテンションが上がっちまった。
「な、なぁ、これ書いたの、誰?」
「私です」
「凄い。凄すぎるよ! 新聞記者とか小説家よりも画家になったほうが良いんじゃないか?」
「興味ありません」
「なんてもったいない!」
「もったいなくありません。役には立ってます」
肖像画に釘付けになっていた隙に、ポートレートを、ひょい、っと取り上げられてしまった。
「私は見た物を瞬間的に捉えて、ほぼ正確に描写出来ます。この能力だけで学院に入れました。だから役に立ってます」
「なぁ、それ、くれないか?」
「あげません。これは新聞部の資料です」
新聞の束が山と積まれたテーブルを挟んで猫耳と対峙した。
俺が右から回り込むと、猫耳は左に、すすすっと回り込む。俺が左に回り込むと、猫耳は右に、すすすっと……
俺の焦りが目に入っていないかの様に、エレクトラは無表情にファイルを眺めている。時折り「ふうん」とか「へえ」とか呟くのが気になって仕方が無い。
「なあ、ポートレートはともかく、早くファイルを見せてくれないか」
「だめです。部外者は閲覧禁止です」
「何だって? 話が違うぞ」
「違いません。私は『ファイルを見せる』とは一言も言っていません」
「くっ……」
ぐうの音も出ないとはこの事だ。くそぅ……これが交渉術ってヤツか。
エレクトラはファイルから顔を上げて俺を見た。
「貴方の質問には答えますが、聞かれない事には答えません。悪しからず」
「わ、分かった。じゃあ、まずは――」
「スリーサイズや過度にセクシャルな内容にはお答えしかねます」
「そんな事まで調査済みなのか!」
「知りたいのですか? 貴方、やっぱり変態ですか?」
エレクトラは、ファイルで口許を隠し、すすすっと出口の背に後ずさった。おいおいおい、ここで振り出しに戻るのか?
「待て待て、そもそもスリーサイズやら、セクシャルなんやらの話を振ったのは、そっちだろ」
「それもそうでしたね。失礼しました」
エレクトラは、改めてファイルを開き、俺の事を一瞥もせずにファイルの中身に目を移した。大して失礼したとは思っていなさそうだ。
「ところで情報自体は正しいのか? ここにきて人違いは勘弁してくれよ」
「それは御心配無く。貴方から聞いた条件に該当する神聖術科の新入生は、この半年間で一人だけです」
「名前くらいは教えてくれるよな?」
「はい。それくらいなら管理事務所でも教えてくれますから。名前は……リサデル」
「リサデル? リサデルかぁ」
夕陽に歌う儚げな姿とは裏腹な、意志の強さを感じる、きりりとした眉と眼差し。小柄なくせに毅然とした態度と姿勢。憧れの少女の名はリサデル……良い! 想い描いたイメージにピッタリの名前だ。
「ブランドフォード」
「はい?」
「リサデル・ブランドフォードさん、ですね」
「ブランドフォード? 家名付き?」
「そのようですね。二つ名前があるのは珍しいですね。人間族の亜種でしたか?」
「亜種じゃないよ。そりゃ貴族ってんだよ……うはぁ」
山王都出身の貴族の御嬢様。そいつは恐らく『鋼鉄の巨人兵』並の守備力があるだろう。ひのきの棒の攻撃力じゃあ、勝ち目が無い。
*****
「ききんぞく?」
「アホモニ。どういう流れで金とか銀の話になるんだよ」
「ルルモニさん。貴いの『貴』に、家族の『族』だよ」
「おぉ。にんげんぞくのアレか。かねもち? 金持ち喧嘩せず」
ついついルルモニの顔を見てしまった。本人は至って真面目な顔をしている。セハトは意味が分からないと言った顔だが。
何となくパブロフの様子を伺ってみた。暖かい暖炉の前で寝てると思いきや、首だけ上げては、こちらを見てハアハアと口を開けていた。何だか笑っているようにも見える。お前には意味が分かったのか?
「ルルモニは変な諺を知ってんな。感心するよ。だが、貴族が金持ちとは限らない」
「おじさんは貴族じゃないの? お金は無さそうだよね」
「おぅ。お兄さんは立派な一般市民だ。金は無いが税金を滞納したことは一度も無いぞ」
「ぜーきん? アレのことか?」
ルルモニが指差した先には、擦り切れたモップと歪んだバケツ。そのバケツの縁に引っ掛けたボロ布。アレか。
「それをいうなら雑巾だろう。税金ってのは、国や街、それこそ貴族に納める上納金のことだよ」
「えー。お金を納めなくちゃいけないの?」
「本来は皆が困った時に使う金を集める制度だったんだ。ホビレイル族には、そういった制度は無いのか?」
「困った時には皆で出しあっていたよ。お金を沢山持っている人が多めに出すんだ」
セハトの属するホビレイル族は、水と風の精霊から生まれたとされるエルフ族の亜種と考えられている。
慎み深く理性的な反面、禁欲的でいて排他的なエルフ族とは違い、好奇心にあふれ、享楽的な種族だ。世俗的ではあるが、ある意味エルフ族よりも洗練されているとも言える。
「そいつは理想的だな。やっぱホビレイル族って良いな。なぁ、ルルモニ。ノーム族はどうなんだ?」
難しい顔をしていたルルモニが、さらに眉を寄せてテーブルの上の一点を見つめる。一呼吸おいて、思い出したように顔を上げた。
「つくったものを村長があつめて、売りにいってた」
ルルモニの属するノーム族は、土と火の精霊から生まれたドワーフ族から派生した種族と言われている。
岩のように屈強で、炎のように豪放な反面、石のように頑迷で、烈火のように直情的な性格のドワーフ族に比べ、ノーム族は土の優しさと、火の暖かさを併せ持つ。
ホビレイル族やノーム族は、そもそも人口の少ないエルフ族やドワーフ族に比べても、さらに人口が少ないと学院で教わった覚えがある。
「物納ってのも分かり易くて良いよな。だが、それは恐らくノーム族の穏やかな性格と人口の少なさから成り立っているシステムだろう」
「人間族は駄目なの? 人の数が多すぎるから?」
セハトの質問は相変わらずに鋭い。
「あぁ、それに欲深いんだよ、人間族は。寿命が短いからな。だから――」
「いのちがみじかいと、よくばりになるの?」
あまりにも素直な言葉。あまりにも澄んだ瞳。返す言葉が直ぐには浮かばない。
きっと、お前らには分からないさ。
人間族最大の欲望、それは「死にたくない」だ。死への忌避なんて偉そうな文言じゃない。
不老長寿? 不老不死? 絵空事だ。
生きていることが幸せ? 綺麗事だ。
死にたくない。それだけだ。
嫌というほど呪物を砕いて、嫌というほど思い知った。人間族の欲望の源泉は――――生きることへの執着。生命への渇望だ。
生きていたいのに、抗えぬ運命に生命を絶たれた者。
生きていたいのに、運命に絶望して生命を絶った者。
彼らは時として恐るべき「呪物」を残す。
その証拠は腰のホルスターに収まっている。
第七等級呪物「鋼玉石の剣」――――それは英雄の残骸。呪いの結晶。
その証拠は店の地下倉庫に蠢いている。
俺が、いや、婆ちゃんですら砕けなかった無数の呪物が――――
「そっかぁ! 時間が無いから焦って欲を張っちゃうんだね。その気持ちは分かるなぁ」
「あ、あぁ、セハト、正解だ……正解」
疲れてんのか、俺は。妙なことを考えちまった。
「そうだな。人間族は数が多いし寿命も短い。好き放題にやらかす馬鹿ばっかだ。だから馬鹿を導く指導者が必要だ」
「わかった! それが、きんぞくだ!」
「ルルモニさん、惜しい! 『ん』が多い!」
きゃっきゃっと、じゃれ合う二人を見ているとアホらしくもなり、羨ましくもなる。
ノーム族、ホビレイル族、彼ら「亜人族」は永い時間を生きる。
やりたい事、食べたい物、読みたい本、見たい物、行きたい場所、全てにどれだけ時間をかけようが、全てをどれだけ先送りにしようが釣りがくる。だから焦りが無いし、欲も無い。
「とりあえず、ルルモニ、正解だ。ステータス数値が高い者が指導者になり、そして貴族になったんだ」
「あれ? じゃあ、英雄も指導者になって、貴族になったの?」
「良く話を聞いていたな、セハト。英雄の中には指導者になって貴族になった者もいる。その最たる者が山王都の聖王だ。直系の血を護りつつも、積極的に英雄の血を取り入れてきたんだ。ところが、二十年くらい前に双子の王女が産まれてしまって、ややっこしい事になっちまった」
「ややっこしい?」
またもやルルモニの眉が寄る。
「王位の継承権で揉めたんだ。兄弟姉妹がいる場合は、ステータス数値が高い者が王位を継ぐのが決まりなんだが、なんせ双子だからな。結局、長女が山王都、次女が海王都を支配することで収まった」
「せっかく双子なんだから、仲良くしようって思わなかったの?」
「最初の話に戻るが、宗教ってのは儲かるんだよ。双子の女王の思惑以外に、女王を取り巻く周囲の利権も渦巻いているんだ。だが、王族にとって最重要なのは血統の維持だ」
大陸最強の競走馬「黄金細工師」と同じだ。そうやって優れた血を残す為に選別と淘汰を重ねるんだ。
「そんなことをする理由がわからない」
「そうだよな。お前らには分かんないかもな。だけど人間族は寿命が短いんだ。どんなに高いステータス数値を持っていようとも、たかだか五、六十年の儚い生命だ」
そう言えば、パブロフは何歳くらいなんだろう。暖炉の前を占有する白い巨犬に目をやった。
犬の寿命は十年から十五年くらいと聞く。ホビレイル族のセハトからすれば一緒にいられる時間は、ほんの一瞬ではないだろうか。パブロフが普通の犬だとしたらの話だが。
俺の気持ちが通じたのだろうか。パブロフが顔を上げてこちらを見る。多分、見ているのはセハトの背中なのだろう。お前は良いな。大好きな相手と死ぬまで一緒だ。
「それにな、人間族は欲張りだから、次世代に、子孫に夢を託す。それこそが、貴族が『家名』を残したがる意味であり、理由なんだ」
「じゃあ、そのブランケットさんもステータス数値が高かったの?」
「誰が膝掛けの話をしてんだよ。ブランドフォードだ。まぁ、学院に入れるくらいだから、それなりのステータス数値はあったんじゃないかな? だが、群を抜く、例えば『英雄』ほどの数値では無かったはずだ」
「貴族なのに?」
「そうだ。あくまでもステータス数値が高くして産まれてくる可能性が高まるだけで、子孫の全員が全員、高い数値を持っている訳ではないんだ。だが、貴族の家に生まれたからには、相応の教育を受ける。だから、後天的ながらもステータス数値は伸びやすいって訳だ」
セハトは「ふうーん」と首を傾げる。ステータス数値に関する話は、学院で講習を受けないと理解し難いかも知れないな。
首の角度を真っ直ぐに直したセハトが俺に訊いた。
「じゃあさ、おじさんのステータス数値は、どれくらいなの?」
「俺か? 俺が最後にステータス鑑定を受けたのは、いつだったかな? まぁ、中の上だった気がする」
「ふふん、ルルモニは特上だったぞよ」
「特上! すっごーい! 何だか分からないけど、すごーい!」
自慢げに胸を張るルルモニと、それを囃し立てるセハト。こいつら、やっぱり揃ってアホだ。だいたい特上って、なんの話をしてんだよ。
パブロフは、ただでさえデカい口を大きく開けて欠伸をしてから、べたりと床に寝そべった。あぁ、お前も俺と同じ気持ちか。
「そんな訳でな、貴族と一般人の恋愛ってのは、ステータス数値の問題も含めて上手くいかないんだよ。生まれも育ちも違うから、常識も教養も作法も礼節も、なんもかんもが違うんだ」
憧れの彼女が、貴族の出自と知ったときの落ち込んだ気持ちを思い出した。