第76話 女王戦争
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「お前ら、菓子が足りなくなってきたんじゃないか?」
ルルモニが千切れるような勢いで首を縦に降る。その動きを面白そうに眺めるセハトの頭も小刻みに揺れる。
「よし、ちょいと待っていてくれよ」
過去の恋愛話だなんて、何だか恥ずかしい展開になってきたな。やっぱ元カノの話なんかしなければ良かったかな。ここらで、ちょっと仕切り直そう。
休憩室に入り乾物を並べた戸棚を調べてみたが、クローバーのマークの入った菓子缶しか残っていなかった。缶の中身は山王都の土産物として有名なジンジャークッキーだ。
缶の蓋を開けると、ミルクの甘い香りと爽やかなジンジャーの香りが広がった。このクッキーは客に出す茶請けなのだが、何故だかついつい手が出してしまう。俗に言う、「やめられない止まらない」ってヤツだ。
俺はコーヒー豆や砂糖を並べた棚からジャムの瓶を取り出し、ジンジャークッキーと一緒にトレイに載せて二人の元へ戻った。
「お待たせ。ほれ、タイミング良く山王都の名物の御登場だ。ジンジャークッキーにコケモモのジャムを塗って食え」
「さんのーと?」
ルルモニが、いそいそとジャムの蓋を捻りながら、同じ方向に首を捻った。
「なんだったかな? それ?」
ルルモニの小さな手では、瓶の蓋が固くて開かないようだ。見兼ねたようにセハトが掌を上にしてルルモニに向ける。
「ルルモニさん、『山』に『王』に『都』だよ」
手渡されたジャムの瓶を両手で包む様に握り、苦も無く蓋を開けたセハトの手元を見て、ルルモニが「おぉう」と、感嘆の声を上げた。
「さんのうと。おもいだしたぞ。さむいところにある街だな」
「その通り。学院都市の北東に位置する宗教都市だ」
「ボク、この間、行ってきたばかりだよ」
ホビレイル族の少年は、誇らしげに薄い胸を張った。今しがた南方の砂漠から戻ってきたのに、その前には寒冷地帯に出張っていたとは、恐るべき行動力だ。
「そりゃまた大したフットワークだな。かなりの旅路だろうに」
学院都市から出発すると考えると、南の果ての砂漠も山王都も、どちらも到着するまでに、かなりの日数がかかるはずだ。しかも南の果てに到達するには、学院都市の南に広がる森林地帯を抜けなければならないし、山王都に行くには険しい山岳地帯を越えるか、街道に沿って大きく迂回するしかない。
「パブロフの背中に乗れば森でも山でも岩場でも、へっちゃらだよ」
「まさか、そんな移動手段があったとは……」
思わず暖炉の前で敷物のように寝そべるパブロフに目をやると、巨犬の耳だけが、こちらを向いていた。自分の事が話題に上っていることに気が付いているのだろうか。賢いヤツだ。
巨犬の繁殖に成功すれば、新しい交通システムで一儲け……いや、無理か。まず、こんな大巨獣、大陸のどこに生息しているんだ。
エフェメラ堂書店で犬の図鑑を片っ端から調べてみたが、パブロフみたいな犬種は見つから無かった。俺は未だに犬じゃなくて「魔銀狼」なんじゃないかと疑っている。
「でもね、山王都はあんまり居心地の良い街じゃ無かったな。寒かったし、街も人も何だか冷たいんだ」
「そうだな。あそこの住人は人間族至上主義だし、思想も極端に右寄りだ」
「みぎより?」
ルルモニが、ジャムてんこ盛りクッキーを握った右手をしげしげと眺めている。無理も無い。ノーム族には右派だの左派だのは無縁だろう。
「ルルモニ、クッキーにジャム乗せ過ぎだ。他人のことも考えろ、ってことだ」
「クッキーに『みぎより』が、かんけいするのか」
「長い話になるぞ。聞きたいか?」
ノーム族の少女はクッキーを咥えながら頷き、ホビレイル族の少年はワクワクした表情で頷いた。
「山王都は、人間族発祥の地と言われているんだ。でな、大昔にそこに住んでいた連中が『神』の存在に気が付いたんだ。そして、神を崇める為の神殿を幾つも建てた」
「へぇ、それであの辺は神殿が多いんだ」
セハトは思い出す様に頷いた。パブロフも同意するかのように「ウォン!」と一声鳴いた。
「六柱の神を崇める六神教と、その聖地の誕生だな。ルルモニ、『六柱神』は分かるか?」
「力、知恵、信仰、生命、速、運」
「御名答。薬学科なら知ってて当然か」
ルルモニの在籍する魔導院薬学科は、「怪我を癒す」といった共通目的があるので、神聖術科との連携が密だ。
「宗教ってのは儲かるんだよ。『信者』と書いて『儲』かるだ。なんせお布施として金を置いていってくれるからな。いつしか街は巨大な宗教都市になった。そんで、そこの一番偉いヤツが『神に選ばれし人間族こそが最も優れている』とか馬鹿げた事を言い出したんだよ」
「そうなの? 人間族が一番優れてるの?」
「んなワケあるかい。訓練所でステータス鑑定の結果を見れば一目瞭然だ。あらゆる種族の中で人間族のステータス平均が一番低いんだ。他の種族に比べて寿命も短いし、能力値も低い。お前らみたいに特殊な能力も無い」
ルルモニとセハトの顔を交互に見た。二人とも神妙な顔をして黙っている。こいつらはアホではあるが馬鹿では無い。パブロフを見た。彼は耳を伏せていた。彼は馬鹿では無いが獣だ。
「だが、人間族は繁殖力だけは跳びぬけて旺盛だ。頭数だけは多いんだな。数が多けりゃステータス数値が飛び抜けたヤツも出てくる。これが『英雄』ってヤツになる可能性を秘めている。だから人間族に英雄が多いんだ」
「ボクらホビレイル族に英雄っていたかな?」
「お前らには英雄なんて必要無いんじゃないかと俺は思う。人間族ってのは個々が弱いから『神』に縋り、『英雄』に憧れるんだ」
そうだ。かつては俺も憧れたんだ。騎士に。英雄に。
「そして、周辺の村や町をまとめ上げて、宗教都市を王都とした人間族の王国、『聖王国』が成立したんだ。それが現在の山王国と山王都だ」
「それの何が『みぎより』なんだ?」
「その王国が聖戦と称して大陸統一戦争を始めたんだよ。その時の統治者は女王だったそうだから、この戦争を『第一次女王戦争』と呼ぶ。これは六英雄の時代より少し前の出来事らしい」
俺は、冷めたコーヒーで口を湿らした。大陸の歴史を語るなんて久しぶりだ。
ルルモニが肩から提げた水玉模様のポシェットをゴソゴソ探りだした。
「おい、ぶきや。あめ舐めるか?」
小さな掌の上には、赤い玉と黒い玉が乗っていた。久しぶりに見た。これはルルティアとネイトの好物、イチゴ飴と黒蜜飴じゃないか。
「あぁ、そうか。これを作っていたのはルルモニ、お前だったな。でも、これを舐めたままでは話し難くなるから後で貰うよ」
「――――ちっ」
……いま、舌打ちしなかったか?
「あ、じゃあ、ボク貰っていいかな?」
セハトが横から飴玉を摘もうとしたが、ルルモニは慌てて手を引っ込めた。
「まて、こちらにしろ」
赤玉と黒玉をポケットに突っ込み、改めて水玉ポシェットを探って、紫と黄色の飴玉を取り出した。
「こっちがグレープ、こっちがレモン」
「うわぁ、キレイだなぁ。どちらにしようか悩むなぁ。どっちも美味しそう」
セハトは、ルルモニの掌に乗った飴玉を交互に見比べては両手で頭を抱えていたが、ルルモニは一体、俺に何を喰わせようとしていたんだ?
「ちょい待て。さっきの赤いのと黒いのは何だったんだよ」
「ちょっとナニいってるのか、わかんないです」
ルルモニは、可愛らしく肩を竦めて首を傾げる。
「ふざけんな! 訳分かんないのは、お前の頭ン中身だろうが」
「このヒトなんでおこってるデスか?」
「もう、どうでも良いわ。話を続けるぞ」
飴玉で頬を膨らました二人の顔を見ながら歴史の講義を再開した。
俺は、初めて学院の教官の気持ちを理解した。これは大変な仕事だ。
「ええと、どこまで話したか?」
「じょおうが、せんそうをはじめたトコまで」
「そっからだな。女王は人間族による大陸制覇に乗り出し、一度は大陸全土を統一しかけたんだ」
「ボクらホビレイル族とか、ルルモニさんのノーム族は、どうなったの?」
「亜人に対する粛清があったんだ。酷い話さ。女王は人間族以外を滅ぼしかけたんだよ」
二人の生徒は息を飲んだ。無理も無い。こんな話は史書には載っていないし、魔導院でも事実を知る者は、そう多くは無いだろう。これは呪物を追う旅を続けるうちに得た、人間族に都合の悪い、真なる歴史だ。
「でもボクたちは滅んでいないよ」
「武力による大陸制覇に賛同しかねた人間族の穏健派と、大陸各地で抗戦を続けていた亜人族が合流して、反女王連合軍が結成されたんだ」
「あついてんかいだな」
「そうだな。史学でも人気のある時代だ。連合軍は、魔導院の北西に位置する商業都市、いまの海王都に本拠地を置き、激戦の末に女王軍を本拠地の聖王都まで後退させたんだ」
講釈している俺まで熱くなってきた。六英雄時代も熱いが、第一次女王戦争も歴史好きには堪らない。
「結局、女王軍の全面降伏を条件に、両軍は和平して戦争は終結した」
「何で連合軍は聖王都を攻め落とさなかったの?」
セハトの鋭い質問に感心した。やはり、こいつは馬鹿では無い。大陸中を駆け巡って見聞を広めているだけはある。
「女王軍は聖王都を総本山とする宗教団体でもあるんだ。反女王連合軍にも六神教の信者は大勢いた。和平するのが、人間族の被害を最小に抑える最善策だったんだろうな」
「ルルモニには、よくわからないな」
「人間族には色々な考えの奴がいるんだよ。結局、統一王国としての聖王国は解体されたんだけど、人間族至上主義派とか、六神教の原理主義派は聖王都、いまの山王都に残ったんだ。これが山王都が右寄りに傾いた理由だ」
セハトもルルモニも釈然としない顔をしている。長い時間を生きる彼ら亜人族には、政治的な駆け引きなんぞには興味が無いだろう。
「昔な、縁があってエルフの郷に世話になった事があるんだ。人口が少ないエルフたちは、郷長を中心に穏やかに過ごしていた。ちょっとした諍いなんて郷長の一言で解決だ。平和で良いな」
エルフ族の集落は理想的のようにも思えたが、個性や変化を許さない閉じた世界でもあったんだ。例えは悪いが、ハチとかアリの巣みたいだと感じた。そんなこと、この二人には言えないけどな。
そんな俺の心境を知ってか知らずか、セハトは小柄な身体に不釣り合いな大きな手をパチン、と合わせて言った。
「あ、分かる分かる。ボクも森で果物採ってたら、エルフの偉い人に怒られたことがあるよ」
「そりゃ森の中で好き放題に果物むしってたら怒られるだろうよ」
「えぇーっ! だって森に成る果物は、誰の物でもないんじゃない?」
セハトはクッキーを前歯で齧りながらカウンターに肘を突いた。あんまり納得をしてはいない顔をしている。
「そこがポイントだ。じゃあ、お前はエルフを皆殺しにしてまで果物が欲しいか?」
「そっ、そんなこと思ってないよ!」
「セハト、ルルモニ、良く聞けよ。人間族にはな、果物を独り占めしたい奴がウヨウヨいるんだよ。残念ながらな」
「ぶきや、おまえはどうなんだ?」
ルルモニが真剣な表情で俺に訊いた。真面目にしていれば、なかなか知的な顔をしているじゃないか。
「俺か? 俺は、この店で十分だ。果実を独り占めしたいなんて思わないさ。生来、物欲に薄い方でさ」
俺が独り占めしたかったのは一つだけ。そう、彼女だけだったんだ。