第75話 俺は一目惚れを信じる
「ふうん、そいつがティアの『こいがたき』か」
「お前、古臭い言葉を知っているな。だが、俺とルルティアには何にも無いからな」
「恋敵は抹殺だ」
「抹殺……とにかくマンドレイクを仕舞え。それから物騒な事を口走るな」
ルルモニがバリボリと焼菓子を噛み砕く。その釘バットの様に剣呑な視線から目を逸らした。
「それでさあ、どんな女の子だったの? 美人系? 可愛い系? 小悪魔系?」
セハト、ナイスアシストだ。場を読む才能は天才的だな。あとで美味いモン喰わせてやろう。
「小悪魔系とか良く知ってんな。でも、逆を突いて天使系だったな。背が低くて可愛くて清潔感があって目が大きくて歌が上手くて、更にはなぁ……」
***
俺から、じりじりと距離を取る少女は、振り返って二度見するほどの美形って訳ではない。どちらかといえば、清楚で愛らしい容姿だ。親に紹介したら喜ばれる女の子、って印象だ。
でも、何故か目が離せなかった。初めて会った気がしなかったんだ。俺の心を捉えて離さなかったのは、その瞳。ブルーの瞳は深い海を連想させた。武器に例えるなら、カイヤナイトを嵌め込んだ丁寧な作りの「ショートソード+1」かな。
彼女は神聖術科の制服を着ていた。神聖術科の女子は、他の科に比べてもレベルが高い。この場合のレベルとはステータス数値の事ではなく、「容姿レベル」。有り体に言えば美少女レベルだ。
魔術科の女子は、独自の世界感が濃ゆい「不思議ちゃん」が多くて付き合い難い。錬金術科や薬学科の子は研究一筋で、ちょいと垢抜けないんだなあ。おっと、ルルモニの視線の刺々しさのレベルが上がったな。
ちなみに総合戦闘科の女子は「逞しい子」が多くて俺の好みと違う。例外的な存在だが、ネイトはレベルが高すぎて、並んで歩くと気が引ける。あんなのと釣り合うのは、やっぱ同族のエルフしかいないだろうな。
彼女は俺の存在に気付いたようで、歌うのを止めた。警戒と戸惑いの入り混じった表情で俺を見る。
転落防止の柵を背に、いつでも逃げ出せる態勢を取るところは、女の子とはいえ、さすがは学院の生徒といったところか。
俺は、学院の「ハイレベル女子」は大体記憶していた。まあ、男子生徒ってのは、一部の例外を除き、総じてそんなモンだ。意外そうな顔をしているな少年セハト。
「美少女鑑定眼」には自信があったが、この美少女は俺のデータに無かった。と、いう事は新入生かも知れない。
「私に何か御用でしょうか?」
俺には天使の囁きに聞こえた。そして、毅然とした態度に痺れた。磨き抜かれた藍晶石みたいな瞳に射抜かれた俺は、月並みだけど恋に落ちていたんだろうな。
「あ……いや、その、う、うたっ……うひっ、ふひひ」
「すいません。失礼します」
彼女は籠から逃げた小鳥の様に逃げ去ってしまった。
俺は、「お嬢さん、お待ち下さい。不躾ながら貴女の歌声に聞き惚れてしまって……失礼を重ねる非礼をお許しいただければ、御名をお聞かせ願えませんか」と、続く台詞を用意していたのに。
屋上の床に俺の影だけが長く伸びる。転落防止の柵に手をかけ、沈む夕日に向かって呟いた。
「どうしてこうなった……」
*****
「ぶきや、おまえ、ばかだ」
「お前に言われたく無いわ。アホモニ」
「う~ん、女の子に向かって『ふひひ』は無いよ。おじさん」
「アレは若気の至りってヤツでなぁ」
コイツだけは味方だと思っていたのに。いや、冷静な第三者的視点から見れば、確かにあの時の俺はストーキング変態少年だ。
「で、武器屋。その最低な印象から、どうやって女を口説き落としたんだ?」
「生々しい言い方だな。ところで、スラスラ言葉が出るタイミングは自分で分かるのか?」
「ルルモニにも、わからないんだな。これが」
「ねえ、おじさん。どうやって変態から恋人にクラスチェンジ出来たの?」
「セハト、それはクラスチェンジとは言わない。大逆転と言うんだ。それでな、親友に相談したんだな。これが」
ルルモニの妙な口調が伝染ってしまった。
*****
木剣のフラついた横薙ぎを掻い潜り、筋肉の塊が俺の懐に飛び込んできた。
強烈なショルダータックルを受ける。
態勢を崩した所に強烈なミドルを喰らう。
無防備になった背中をスレッジハンマーが襲う。
情け容赦の無い連続攻撃に、堪らず砂の上に尻餅を突くと、見学者の中から歓声が湧いた。
「ちょいちょいちょい! ストップ、ストーップ! 何だよ! 殺す気かよマッチョ」
俺は灰色の砂上に尻餅を突いたまま、目の前で仁王立ちする筋肉ダルマに悪態を吐いた。
「うるせぇ。気ィ抜いて練習してるテメェに喝入れたんだ! それに俺の名はマッチョじゃない。メッツォだ」
マッチョは剃り上げたばかりのスキンヘッドが痒いのか、グラブを外した手で頻りに頭を掻いている。
「俺、気ぃ抜けてたか? 毛が抜けたお前に言われたくないんだが」
「これは剃ったんだ。抜けたんじゃ無いわい」
闘士科のマッチョは東洋武術に傾倒している。何の意味があるのか知らないが、東洋の格闘家は頭を剃り上げるのがマストなようだ。だが、厳つい風貌のマッチョのスキンヘッドは、東洋の格闘家というよりも、飲み屋の用心棒か暴力団の構成員にしか見えない。
「それはともかく、どうした? 体調が悪いのか? 剣筋の乱れが酷いぜ」
「参ったな。御見通しかよ」
俺はマッチョに顎をしゃくって休憩室に向かった。乾いた砂を踏みしめる足音が耳に残る。見学者たちは口々に「もう終わりかよ」、「詰まんねえな」なんて言いながら三三五五に散って行った。
「で、どうしたってんだ? 病気か?」
マッチョは、俺の奢ったコーヒーに砂糖を何杯も入れてからベンチに座った。
「病気か……ある意味、病気かもな」
俺はブラックコーヒーを啜った。いまの俺には苦味すら甘く感じる。
「怪我か? 早めに診て貰えよ。そうだ。俺の彼女を紹介しようか?」
マッチョの彼女は、ハイレベルな神聖術科でも五本の指に入るスタイル抜群の美人だ。美女と野獣を地で行く異様なカップリングは学院七不思議の一つでもある。残りの六つ? また今度な。
「怪我か……ある意味では怪我かもな」
「何だよ? 頭でも打ったか?」
「ああ、ある意味では打たれたみたいなモンだよ。笑わないで聞いてくれるか?」
「内容によるな」
既にニヤニヤしているマッチョの顔を見ていると、普段ならギラついた頭を叩いてやりたい所だが、相談する相手はコイツしかいない。
「俺さあ……好きな子が出来てさ。その子のことを考えると、気が散って、何もかも上手く行かないんだ」
笑われるのを覚悟で、思い切って言ってみた。マッチョの爆笑する顔を見るのは嫌だったので、練習場を眺めた。アレは新入生か。酷い太刀筋だな。あら、受け手も酷い。いっちょアドバイスでも……
「俺で良ければ相談に乗るぞ」
真剣な顔に思わず引いた。この筋肉ダルマは、お節介なくらいにナイスガイだったことを忘れていた。
「でもさあ、名前も知らないんだよ」
「学院の生徒なのは間違いないのか」
「神聖術科の制服を着ていた。歌が上手かった。綺麗なブルーの瞳で、小っちゃくて可愛かった」
夕日に照らされて歌う少女の姿を思い出しただけで喉の奥がグッときた。胃の上の辺りがズンッと痛む。
「神聖術科の子たちは歌が上手いからな。小っちゃくて可愛いって、まさか、お前……」
「俺はロリコンじゃねえ。でも、あれだけ可愛かったら噂にはなるはずだ」
「そうなると新入生か。そういやあ、俺の彼女が言ってたな。歌が上手くて可愛い新入生がきたとか」
「そっ、それだ! その子だよ!」
俺は思わず身を乗り出した。手にしたコップからコーヒーが零れる。
「おい、近い近い! 落ち着けって。その子で間違い無かったら、多分、山王都の出身だ」
「何で分かるんだ?」
「俺の彼女も山王都の出身でね。訛りが似ているんだとよ」
「山王都……聖堂都市か」
**********