第74話 さばくのせいれいのうた
――――あなたの足跡は砂に消えた 零れ落ちた涙も砂に消えた
演奏に合わせて美しい歌声が店内に響き渡る。セハトの巧みなツィターの演奏に耳目を奪われていた俺は、思わず歌声の主を探した。
両手を胸に当て、高らかに歌い上げていたのは――
――――何の為に祈ったのか 誰の為に歌ったのか
清らかな歌声の主はノーム族の少女。小さな身体から溢れ出すような美しい歌声が店内を満たす。
俺は言葉を発することを忘れた。それは驚きのせいだけでは無い。甘い懐かしさと、苦い切なさに胸が締め付けられる。
何の前触れも無く演奏が止んだ。それは、終わったというよりも曲の途中で止まってしまったように感じた。俺は第二位魔術の「幻覚の魔術」から醒めたような気分で、ツィターを奏でていたセハトを見た。
「これ以上……弾けましぇん。こんなっ……こんな悲しい歌……ぐすっ」
「ま、まぁ落ち着けよ。気持ちは分からなくも無いが」
こちらを向いたセハトの顔は涙と鼻水でグジュグジュだ。悪いと思うが、若干引いた。
のそり、とパブロフが起き上がる。飼い主の異変に気が付いたのだろうか。彼はセハトの身体に覆いかぶさるようにして、その涙を舐め取った。
このところ涙腺が緩くなった気がする。シャツの裾で目を擦ってから、素晴らしい歌い手を褒め称えた。
「ルルモニ、凄いじゃないか。ちょっとだけ見直したぞ。お前、ただのアホじゃ無かったんだな」
「これはノームぞくにつたわる『さばくのせいれいのうた』なのだ」
ルルモニは照れたように頬を掻き、椅子に座り直した。褒められたのが嬉しい様子だ。
「それは知らなかったな。学院にいた頃に付き合っていた彼女が良く歌っていたんだ」
「ぶきや、おまえ、ふたまたをかけていたのか? ティアがかわいそうだ」
温くなったコーヒーで喉を潤したルルモニが、訝しげな顔で俺を見る。
「アホか。ルルティアは関係ないだろ。それに、その頃のルルティアは小学校に通っていた頃じゃないかな」
「ショーガックォー? あぁ、ヴェンキョーするところか? ルルモニは行ったことがない」
ノームやホビレイルは人間族とは歳の取り方が違うし、学院都市のような教育制度が無い。だからといって、彼ら「亜人族」が無能無学な訳では無い。
アホの権化の如きルルモニにしても、曲がりなりにも魔導院の薬学科に在籍している。それに、今しがた披露した歌唱力は、そこらの吟遊詩人顔負けだ。そこのカウンターで、顔中を涙と鼻水と犬の唾液でベトベトにしているセハト君だって、趣味でやっている地図の作成から楽器の演奏まで器用にこなす。
「そしてルルモニは、さばくにも行ったことがない」
「じゃあ、良い歌を聞かせて貰ったお礼に、砂漠を旅した時の話でもしようか」
「なになになに? おじさんの若い頃の話?」
泣くことに飽きたのか、それとも気持ちの切り替えが異常に早いのか、セハトが飛びつかんばかりの勢いで話に喰いついてきた。
「セハト、とりあえず顔を洗え。ルルモニ、菓子でも食うか?」
「ひゃっほぅ! コーヒーのおかわりもくれぃ」
「へいへい。その代わり、後でもう一回歌ってくれないか? あの歌、まだ途中だろ?」
「はなしがおもしろかったら歌ってもやってもよい」
「お代は聞いてのお帰り、って事かな」
俺は苦笑いをして、休憩室にコーヒーのおかわりと菓子を取りに行った。
俺の分のコーヒーも乗せたトレイを持ってカウンターに戻ると、二人は待ち構えていたように目を輝かせた。
「さて、どっから話そうか」
「元カノのはなしをしろ。ほーこくする」
「報告? 誰に? 何の為に?」
カウンターの椅子に座ったノーム族とホビレイル族が、無心に焼き菓子を頬張っている。
パブロフは話に興味が無いのだろう。暖炉の前に伏せていた。雄大ともいえる彼の寝そべった姿は白熊の敷物にも見える。
「まあ良いか。そうだな、彼女との出会いは十五歳の頃だったかな」
十五の頃の俺は、学院の訓練所で戦闘技術を学びつつ、地下訓練施設で腕を磨く毎日だった。
授業は夕方まであるから、寮の夕飯まで三時間程度しか時間は無い。地下に潜るための準備には三十分はかかる。実質、放課後に地下に潜っても二時間程度しか潜る時間は無かった。
しかし、優等生な俺とは違って、毎日のように放課後に地下に潜ろうとする殊勝な生徒は少ない。時にはメンバー不足でチームが組めない事もしばしばだった。あ、チームじゃなくてパーティって言うんだったっけ。
「そういやルルモニ、お前も地下に潜るのか?」
「ルルモニは足がわるい。かいだんはだいじょうぶだが、はしごがにがて」
「そうか。つまらない事を聞いたな。すまなかった」
ルルモニの歩様は少しぎこちないとは思っていた。長いスカートは足元を隠すためかも知れない。
「ねえねえねえ! 地下って広いの? 地下って何階まであるの?」
雰囲気を読んでか、セハトがカウンターに身を乗り出して聞いてきた。
彼らホビレイル族は、好き放題に生きている様にみえて、機微を読むのに長けている。楽天的で憎めない性格の彼らは、異種族間の潤滑油的な役割もこなしてくれる。端的にいえばムードメーカーだ。
「それこそマッピングでもしてみなよ。ダンジョンのマッピングは楽しいぞ。方眼紙に書き込んでさ。定規当てながら……あ、そうか。お前、学院の生徒じゃ無かったな」
「ねえ、ボクでも学院に入れるかな?」
「レンジャー科か盗賊科なら良い線いくんじゃないかな。ステータス鑑定だけでも受けてみたらどうだ?」
「ステータス鑑定って痛い?」
「ははっ、痛くは無いよ。眠くなる歌を聞かされるだけだ」
そう、彼女の歌を聞くまでは、歌なんて聞いても眠くなるだけで、大して興味は無かったんだ。
*****
あの日、地下に潜るメンバーが集まらなくてイライラしていた俺は、気晴らしに学院の屋上に出たんだ。秋口だったかな。寒くなってきていたから、屋上には人気が無かった。血が昇った頭を冷やすには丁度良いし、大声出すにも都合が良い。
だが、屋上には先客がいた。誰かが歌を歌っていたんだ。俺は目論見が外れてガッカリした。
しかも、屋上は思っていたより寒くて、こりゃあ、さっさと戻ろうと階段を回れ右したのだが、澄んだ歌声に階段を降りかけた足が止まった。
――――何の為に祈ったのか 誰の為に歌ったのか
歌声は俺の心を、いや、魂を揺さぶった。何かの魔術じゃないかと疑ったよ。昔話に聞く「呪歌」を思い起こさせるほどの歌声だった。悲恋の末、泉に身を投げた娘の話を。そして、その歌を。
俺は歌い手の姿を探した。学院の屋上は広い。だが、歌が終わってしまう前に見つけないと、何故だか二度と見つけられないような気がしたんだ。そして、沈む夕日に向かって歌う少女の姿を見つけた。
長い髪を秋風になびかせて、無心に歌う可憐な姿に、耳だけじゃなく、目も心も、大袈裟にいえば魂すら奪われたんだ。