第73話 ホビレイル族のセハト
「それで、何してるの? 暗殺者を返り討ちにしてるの? それってカッコイイね」
セハトは腰に手を当てて、格闘する俺とルルモニを目を細めて眺めている。ここまでくると好奇心は罪だ。
巨犬は俺の尻に興味を失ったのか、ぶるっと身体を震わせて店の隅に伏せた。そこは彼のお気に入りの場所だ。さすがは常連客。日当たりの良い場所を知っている。
「ねえ、旅の方。聞いて下さいまし。この人、競馬に夢中で生活費を入れてくれないの」
「黙れ。お前はこれ以上喋るな」
とにかく、この馬鹿げた状況を打破したい。ルルモニにかけたスリーパーホールドを外す。
「お前、本当は普通に喋れるんだろ」
「はてさて、なんのことやらです」
「……とりあえず、お前ら座れ。セハト、何か飲むか?」
「久々にコーヒー飲みたいな。パブロフには水を下さい」
*
小柄な身体にしては大きな丸っこい手でマグカップを持ち、セハトは旨そうにコーヒーを啜った。
セハトはホビレイル族だ。彼らは森に住み、樹上に住居を構えて生活している。好奇心旺盛で陽気な連中だが、飽きっぽくて生産性のある仕事に向かず、森から森へ遊牧民のような生活をしている。
小柄な身体に不釣り合いな大きな手は異様に器用で、いかにも細かい作業に向いていそうだが、総じて飽きっぽいので大成しない。
何をやらせても役に立たない残念な連中だが、とにかく性根が明るくて大らかで、やたらに生真面目なエルフ族や、ひたすら頑固なドワーフ族よりも、俺にとっては付き合いやすいのは確かである。
「ボクはセハト、この子はパブロフって言います」
洗面器に張った水を一心不乱に飲んでいたパブロフが条件反射的に顔を上げ、ハアハアと荒い息をあげてルルモニに顔を向けた。
「おう、ルルモニさんだぞ。よろしくな」
「自分の名前に『さん』を付けるな。で、アレ以外は用意してやるからさ。買ったら帰れ」
「アレってなんだ?」
「だから『マンドレイク』は御禁制だって言っただろう」
極力「マンドレイク」の単語だけは小声でルルモニに伝えた。
マンドレイクは、その単語を口に出しただけでも怪しまれる。白昼堂々と麻薬について語り合うようなものだ。風紀委員会の耳に入ろうものなら、事情聴取は間違い無しだ。
小声で話し合う俺とルルモニに、セハトは興味深そうな視線を向けてきた。彼らの尖った耳は、エルフ族ほどでは無いが感度抜群だ。好奇心が服を着てコーヒー飲んでるようなセハトに聞かせる話ではない。
「そうかぁ、マンドレイクは手にはいりませんかぁ」
「お前、アホか! 何で小声で話しているのか考えろ!」
慌ててルルモニの口を押えようとしたが、すでに遅し。セハトの目は好奇心でギラギラだ。
「おい、セハト。瞳孔が開いてんぞ」
「マンドレイク、持ってるよ。ボク」
セハトが襷掛けにしたボディーバッグから干涸びた肌色の人参を取り出した。それは確かに人の形をしていた。
俺は店の扉まで走った。扉から顔だけ出して外を確認。風紀委員会の巡回員の姿は無い。「*休憩中*」の吊看板をドアノブに下げて、扉を閉めた。鍵も掛けておく。そして、俺は目の前の無邪気な犯罪者どもを前に宣言した。
「最初に言っておく。俺は、お前らと連座して捕まりたくは無い。断じて無い。絶対に無い。分かったか? この犯罪者どもが」
「持ってちゃダメなの? マンドレイク」
「当たりまえだ! 所持しているだけで十年は固いぞ」
「でも、ルルモニはマンドレイクがほしい」
「そう。じゃあ、あげるよ」
食いかけのクレープを手渡すくらいの気軽さで、魔導院御禁制の品がセハトからルルモニに手渡された。
「俺は何も見ていない。何も見てない」
視界が回り、吐き気がする。口の中がカラカラだ。俺の店で悪魔の取引が、重大犯罪が行われた。ごめんよ、婆ちゃん。俺には止められなかったよ。
「……だいたい何に使うんだよ。ソレ」
「これで『ティア』のくすりをつくる。あれは肺のびょうきがひどい」
肺の病気? 「ティア」とはルルティアの事か。そういえば寮の隣りの部屋に、変なヤツが棲んでいるって言っていたような……
「もしかしてルルティアの事か? そんな毒物で薬が作れるのか?」
「マンドレイクを王水と反応させると、エリキシル中で酸素原子がマテリアル還元して……」
「分かりました。もう良いです」
ルルモニの正体が、いよいよ分からなくなってきた。
「これは、おじさんにお土産」
「何だ。お兄さんにも土産があるのか」
セハトは気持ち良さそうに眠る相棒の背に括りつけたサイドバッグから、手帳サイズの白い板のようなものを取り出した。
「お前、これ塩板じゃないか。まさか『南の果て』まで行ったのか?」
手渡された塩の板をまじまじと見つめた。これは南の果ての砂漠でしか取れないはずだ。
砂漠を旅したときに見た「死せる湖」の風景が脳裏に浮かんだ。「ソルトフラット」と呼ばれる幻想的な白い平野。
「砂漠の入り口までは行ったんだけど、暑さでパブロフの具合が悪くなっちゃって。これは休ませて貰ったキャンプで、仲良くなった人たちから貰ったんだ」
「そうか、脱水しかけた時には塩分が大切だからな」
「ツィターを弾いたら喜んでくれてさ」
セハトはそう言って、ボディバッグから弦を張った小さな箱のような楽器を取り出した。
カウンターに置いた楽器の上に添えたセハトの指が踊るように動き出すと、異国情緒溢れるメロディが小さな箱から溢れ出した。さすがはホビレイル族。器用なモンだ。
ああ、懐かしいな。この曲は……
――――ここはどこ ここは砂の海 振り向いても 何もない蜃気楼
遠い昔、俺がまだ学院の生徒だった頃、神聖術科の彼女が良く歌っていた歌。
それは――――精霊の歌。美しくも悲しい歌。
http://blogs.yahoo.co.jp/lulutialulumoni/9848549.html
シンナバルの画像を変更しました。