第69話 空の欠片 水の魂
お前ら久しぶりだな。暫らく見ないうちに中々良い面構えになったじゃねえか。
地下訓練施設の何階まで到達したんだ? なに、地下五階だと!?
錬金昇降機が地下訓練施設に開通した? 直通で地下五階まで行けるのか。ふんふん、なるほど。試験に受かれば錬金昇降機の利用許可証が貰えるのか。そりゃ便利な時代になったなぁ。
地下訓練施設の最深部には何があるかって? そんなモン、俺が知るわけないだろう。大魔王が待ち構えているんじゃないか? 『せかいのはんぶんをおまえにやろう』ってな。
お前ら、もう俺より強くなったんじゃねぇか? おや、謙遜なんて真似が出来るようになったか。
お前ら、成長したな。良いよなぁ若者は。俺なんて四捨五入したら三十路だもん。なんだよ、アラサーとか言うなよ。なんかリアルで嫌だ。
そう言やぁ、こないだ学院都市商工会の健康診断に行ってきたのよ。そこで俺の書類を見た受付のお姉さんにさぁ、「あら? 意外にお若いのですね」って言われたんだよ。どういう意味だよなぁ……
お前ら、来て早々に申し訳ないんだけど今日は早仕舞なんだよ。買いたい物があったら早く言ってくれ。これから魔導院の中央総合病院に用があってね。
再検査? 違うわ! そこまで検査結果は悪くなかったって。
見舞いだよ、見舞い。知り合いが入院しててね。うん、そんなに悪くは無いんだが、入院中に一回くらいは見舞いに行かないとな。
*****
魔導院中央総合病院は、外科や内科は当然として、耳鼻科、眼科、小児科、産婦人科など五十以上の診療部門に病床数一千床を超える大病院だ。医学部も併設され、魔導院薬学科との連携も取れている。
広大な敷地に立つ病院は、連絡通路で魔導院とも繋がっていて遠目には同じ建物にも見える。三階までが外来で、そこから上が病棟だ。案内看板を見る限り最上階は十四階だった。
広い正面玄関の前には庭園の様な庭が拡がり、遊歩道が整備されている。ベンチも点在しているが、さすがに冷え込んだ季節の夕方には入院患者の姿は無い。
ここに来たのは久しぶりだ。婆ちゃんが亡くなって以来だな。魔導院中央総合病院は基本的に重篤な患者しか受け付けない。受けるとしたら金持ちか、魔導院にとっての重要人物だろう。
もうじき日が暮れるというのに、広いロビーには老若男女、様々な種族が入り乱れていた。どんなに医術が、神聖術が、錬金術が発展しようが、人は病を患い、怪我を負い、いずれ死ぬ。
院内には、数台の錬金昇降機が設置されていた。さすがは大病院だ。ルルティアの病室は最上階と聞いている。使わない手は無いだろう。
昇降機乗り場で最上階直通の錬金昇降機を待った。しっかし錬金昇降機、増えたなぁ。需要が増えたのか? 価格が下がったのか? 価格が下がったから需要が増えたのか? 経済ってのは生物だ。
気の抜けたチャイムが鳴り、鈍重な扉が開く。錬金昇降機の中にいたのは、俺より頭一つ高い色付き眼鏡と、俺より頭一つ低い真紅の髪。司令官と護衛か。
アイザック博士は、魔導院の教授陣の着る詰襟のスーツ、チビっ子は魔術師科の制服を着ていた。ローブの様な制服は、身体に合うサイズが無いのか完全に着られていた。
「おほっ! カースじゃないか。元気そうじゃないかい? おおっと、病院でいう台詞では無いな」
「博士、お久しぶりです。ルルティアの見舞いですか?」
「ん? ああ、入院中も研究を進めたいってね。見舞いがてらに資料や資材を持って来たんだ。いやぁ、彼女、研究者の鑑だよね。ルルティア君は、私の大切な娘みたいなものさ」
色付き眼鏡の奧は見通せないが、ルルティアの頭脳は博士にとって貴重な宝に違いないのだろう。
「そうですか。彼女は俺の大切な友人です」
「うんうん、これからもルルティア君と仲良くしてやってくれ。友情や愛情は人生を豊かにしてくれるよ。おおっと、扉が閉まる。シンナバル、行くぞ」
博士との立ち話の間中、赤毛の少年は、じいっと俺の顔を睨み続けていた。ァんだよ、やんのか? クソガキャ?
錬金昇降機の扉をくぐるように頭を下げ「じゃ、またね」と、片手を挙げてアイザック博士は立ち去った。色付き眼鏡の怪人の後を追って少年が続く。
俺は錬金昇降機に乗り込み「閉じる」と書かれたボタンを連打した。早く閉まれ。
扉の隙間から、声変わりし切らない少年の声が聞こえた。
「あの……姉さんを助けてくれて、あり――――」
最後の方は聞こえなかった。
錬金昇降機は音も無く昇って行く。これって、故障して途中で止まったりしたら、どうなるんだろうね。急下降するのかねぇ。
錬金昇降機から出ると、すぐに看護師の詰所があった。詰所のカウンターの前を通らないとフロアに入れない作りになっている。
「お腰の物をお預かりしますね」
清潔感溢れる、えらく別嬪さんな看護師が丁寧な口調で俺に告げる。ベルトに留めたショートソードを鞘ごと外して看護師に手渡した。
面会簿に名前を書き込みながら、ルルティアの部屋を看護師に聞いた。
「ルルティアの部屋はT号室で間違いないですか?」
「はい、ルルティア様のお部屋は特別室のT号でございます」
別嬪看護師は資料も確認しないで即答したが、何故かまじまじと俺の顔を見つめてきた。
「あら? 貴方、あの時の……」
「はい? 『あの時の』? って、何ですか?」
「いいえ、失礼しました。どうぞお通り下さい」
俺は短く感謝の意を述べて、『特T』とやらを探した。
病院の最上階は完全個室のエグゼクティブフロアになっていた。シンプルながらも上品な内装は一流ホテル並みだ。壁紙は金唐革かよ。ここは一体どこの宮殿だ? 靴底の足裏から伝わる絨毯の感触にすら高級感を感じる。
フロアには疎らに人が屯している。下界のロビーとは大違いだ。見舞い客の身なりも別物だ。一目で高級品と分かる。
ルルティアの病室は直ぐに見つかった。なんせ特T号室まで、すなわち二十室しかフロアに部屋が無かったからだ。豪華な内装に反して部屋の扉は薄くて安っぽい。おそらく人の出入りや医療器材の出入りの為だろう。
俺は扉を数回ノックして、部屋の中に声を掛けた。
「はい。開いています」
思っていたよりも元気そうな声に安心して、想像以上に軽い扉を開けた。
「んなっ、広っ!」
夕闇が迫る刻限なのに、魔陽灯に照らされた室内は明るく、瀟洒な造りながらも清潔感のある室内は、控えめに見ても俺の店の売り場フロアよりも広い。所々に見舞いの花が活けられている中、人ひとりが隠れんぼ出来そうなくらいに大きな壺に、空間芸術顔負けの活花が飾られていた。
「あ、しまった。見舞い持って来んの忘れた」
「気にしないで。貴方の御見舞いなんて、これっぽっち期待していないから」
窓際のリクライニングベッドの上から辛辣な言葉が飛んで来たが、緩く起き上がったマットレスにもたれたルルティアは嬉しそうな顔で迎えてくれた。ローズピンクに赤いドット柄のパジャマが彼女に似合っている。
「来てくれただけで十分よ」
華やかな微笑みに惹き込まれかけて、俺は慌てて目を逸らした。
彼女のベッドの周りには、様々な本が積み重なっている。ふと、チーズケーキが大好きな書痴の幼馴染を思い出した。
「今日は早仕舞したんだけど、ギリギリで客が来ちゃってさ。でも、花はこれ以上いらないだろう? ところで、この馬鹿デカいのは誰が贈ってきたんだ?」
「それはアイザック博士からよ。あの人、ちょっと頭のネジが数本抜けているわよね」
お前にだけは言われたくないだろう、と言いたくなったが、相手は病人だ。ここは我慢しよう。
「ねえ、私をお姫様だっこで病院まで走ってくれたんでしょう?」
「置いていく訳にもいかないだろう。当然の事をしただけだよ」
「あとで看護師さんたちに聞いたの。私を抱えてロビーで『誰か助けて下さい!!』って大声で叫んだんですってね。看護師さんたち、大喜びしてたわよ」
くすくす笑うルルティアの前で、思い出したくも無い事を思い出して絶望的に赤面した。ああ、そっか。さっきの「あの時の……」ってコレの事か。
「貴方、恋愛小説の読み過ぎよ」
「しっ、仕方無いだろう! 俺だって人間だ。心配もすれば動揺もするわ!」
「お礼にプレゼントしたい物があるの。そこの木箱を開けて」
彼女は、学院都市の背の高い建物の様に積み重なった本の上に、無造作に置かれた木箱を指さした。
俺は、「礼なんていらない」と断ろうとしたが、再度促されて彼女の指差した木箱を開けた。そして、中味を一瞥して直ぐに箱を閉じた。俺は、またもや絶望的に赤面する破目になった。
「あら、ごめんなさい。そっちは下着を仕舞った箱だったわ。でも、好みの物があったら一枚進呈するわ」
「アホか! もう、俺は帰るぞ!」
「プレゼントは、その隣の箱の中」
憮然としながらも本で出来上がったツインタワーの上の乗った、下着の入った箱と同じデザインの箱を開けた。筆記用具や化粧用品が雑多に収められた箱の中に、掌に乗るほどの箱を見つけた。
箱を手に取ってルルティアに見せると、彼女は頷きながら箱を開けるように俺に促した。
箱の中から現れたのは、控えめな大きさのターコイズをあしらったフラットデザインの銀のバングル。
溜息が出るほどに美しいターコイズブルー。
それは、砂漠で見上げた空の色。
エルフの森で見た澄んだ泉の色。
優しささえ覚えるブルーの石に、控えめに入った金色のマトリクスが映える。俺だって鑑定士の端くれだ。このターコイズにどれ程の価値があるのかは、ある程度の予想が付く。
「これは凄いな……どうしたんだ? これほどのターコイズには、なかなかお目にかかれないぞ」
「ナンバーセブン・ターコイズをベースに私が錬成したの。ターコイズは旅人の守護石。災厄から貴方を護るわ」
「こんな高価な物を貰って良いのか? 俺は嬉しいけど……」
「付けて見せて。貴方の手首にぴったりのはずよ」
いつの間に俺の手首のサイズを測ったんだ? 油断ならない話だが、ここは厚意に甘えよう。
バングルは、本当に測ったかのように手首に馴染んだ。美しいターコイズに飾られた右手を天井に翳してみた。これは……良い!
「ねぇ、付けたところを見せてよ」
「凄いなコレ、凄い気に入ったよ!」
興奮を抑えきれずにルルティアのベッドの横に立ち、銀のバングルを嵌めた右腕を差し出した。すると突然、ルルティアは俺の手首を両手で包み込んだ。
思いもよらない力強さに思わず右手を引っ込めかけたが、それよりも顔を伏せ、何事か呟く女錬金術士の様子に気を奪われる。
「お前……何をしている!」
ルルティアの両手に包まれた俺の手首が熱を帯びてきた。彼女の指の隙間から仄かな青い光が漏れだす。
直視出来ない輝きが頂点に達した直後、何事も無かったように、熱も光も収まった。
「ルルティア……お前、何しやがった……」
俺は呆然と右手首を確認した。なんだ、これは? どういう事だ?
「くくく……油断したな。銀髪の剣士よ」
ベッドの上に半身を起こし、冷酷な笑みを浮かべる美女。赤いフレームの眼鏡が怪しく光る。
「くうっ! こ、これは……?」
俺は手首を押さえてベッドの脇に膝を突いた。