第67話 火焔の魔人
「ルルティア?」
俺はあまりにも衝撃的な光景を前に、思わず声を上げて駆け寄った。
燃え上がる火柱の中で、女が前衛的なダンスを踊っているかのように見えた。
あまりの火勢に助けに入るどころか近寄る事すら出来ない。猛烈な熱風から錬金外套の袖で自分の顔を覆うので精一杯だ。
苦悶の絶叫すらも燃料にして成長した貪欲な炎は、更に勢いを増して錬金術科の制服を喰い尽くす。
真っ直ぐな髪も、均整の取れた肢体も、容赦の無い灼熱の炎が嬲り続ける。
顔を覆って立ち尽くす俺の目前で、閃光と共に小規模な爆発が起きた!
予想していなかった爆発に思わず身を伏せ、すぐに顔を上げた。すると、あれだけ燃え盛っていた炎の塔は消え、地面には一掴みの燃えカスと、不自然な輝きを放つ銀色の腕輪だけが残っていた。
膝を突いて這い寄り震える手を伸ばし、燃えカスに触れようとした途端、強い風が黒い燃えカスを砕き、空にさらって行く。
俺は伸ばした手を地面に叩きつけるしか無かった。
「嘘だろ? こんな、こんなの……無ぇよ……」
感じた事の無いほどの喪失感に涙も出ない。こんな別れがあって良い訳が無いだろ。あまりにも残酷過ぎる。
俺は銀色の腕輪に手を伸ばした。炎に炙られた腕輪は高熱を孕んでいたが、恐る恐る指先で触れて確信した。やっぱり呪物だ。これがルルティアの異常な行動の原因だったのか? いや、だが待て……。
「何故、一般人が残っているんだ。避難命令が届かなかったのか?」
思考を中断して声の主に視線を移した。その制服、特務機関か。
「てめえか。てめえがやったのか。てめえが……」
「何も見なかった事にして早く立ち去れ。それが貴様の為だ」
顔を上げると、ある意味では見慣れた仮面。そして深紅の長い髪。一瞬、特務機関の隊長を連想したが、ネフティスの髪は鮮やかな鮮血の様な色だ。こいつのそれは、暗がりに燃える深紅の炎。
「女一人を始末するのに清掃部隊が動いたのか? そんな大層な仕事だったか? それとも、これが最近の特務機関のやり方か?」
「貴様、俺達を知っているのか。何者だ? 一般人では無いな」
俺の言葉に仮面の男は驚いた様子だった。表情を容易に読み取らせない為の仮面だろうが。あまりにも若い。反応が若造丸出しだ。
「俺はただの武器屋だ。こいつは一体、誰の命令だ? アイザックか? それともネイトの差し金か?」
「……武器屋と言ったな。何故、ただの武器屋がウチの司令と部隊長を知っている?」
仮面の男は、蔦が絡み合う意匠の金属製の杖を俺に向けた。杖の先には炎の色の宝石が嵌め込まれている。職業柄、様々な杖を鑑定してきたが初めて見るアイテムだ。
しかし、こいつの職種は何だ? 炎を扱う術と、少年のような華奢な身体からして魔術師か? だが錬金術の騎士団は戦闘職以外の職種は採用しないはずだ。格闘戦闘能力を補う錬金強化は、魔術師や神聖術師には向いていない。
「先に質問したのはこっちだぞ。掃除屋」
「教える必要は無い。武器屋」
「気に入らねえな」
「気に入ってもらう必要は無い。そこをどけ」
仮面の男が掲げた杖から前触れも無く火球が射出された。準備動作も無しに魔術発動だと?
俺は身の危険を認知する前に反射的に飛び退いた。
子供の蹴る鞠ほどの大きさの火球は、俺の目の前にあった銀の腕輪を直撃した。人を一人、焼き尽くした炎に耐えた腕輪が、乾いた藁の様に燃え上がった。
俺は信じられない光景に思わず口走った。
「どうして呪物が燃やせる? 呪物破壊だと?」
「……武器屋。貴様、本当に何者だ? 答えろ」
「教えて下さいませんか、だろ? クソガキが」
「特務機関は、魔導院法第七条により一般人への攻撃を許可されている。殺害しても不問に付される。貴様の命など始末書一枚と引き換えだ!」
仮面の男が、俺の顔面に向かって宝石の嵌った杖先を突きつけた。
俺は中腰になり、右手を腰に回してショートソードの留め具を外す。
「やってみろよ。この放火魔が。どいつもこいつも景気良くパンパカ火ぃ着けて回りやがって」
「この俺を放火魔呼ばわりするつもりか!? 放火犯は呪物に狂った錬金術師の女だ!」
「やはりそうか。聞いても無いのに良く喋ってくれたなチビっ子。感謝するぜ」
「貴様! 俺を愚弄するつもりか!」
いちいち反応が餓鬼臭ぇ。だが、それこそ俺の術中だ。ほれ、怒れ怒れ。
俺は、わざとらしく眼前に突き付けられた杖の先を手で払った。だが、杖の先に軽く触れた瞬間、悍ましいほどの憎悪が伝わってきた。これも呪物か!? しかも相当な高等級呪物だ。
「うるっせえな。いちいち喚くな。一日に何度も人が焼け死ぬ所を見せやがって。てめえも同罪だ。クソガキが」
俺は動揺を悟られない様に、わざと大袈裟な身振りで仮面の男を詰った。呪物は、この生意気な若造を懲らしめてから、鋼玉石の剣で粉砕してやる。
「お、俺を子供扱いしたな!」
「来いよ、遊んでやるぜ。腐った性根を粉砕してから再構築してやるよ」
男が仮面を投げ捨てた。若造は訂正だ。少年だな。顔つきも身体つきにも幼さを感じる。せいぜい十代中頃だ。深紅の髪に、険のある深紅の瞳が怒りに燃えていたが、少女の様な顔立ちと華奢な身体では迫力不足も甚だしい。
「こいつは失礼したな、少年。でも、チビっ子はチビっ子だろ? その杖、呪物の臭いがプンプンしてやがるぜ。ここは一丁、お兄さんが粉砕してやるよ」
俺は腰に差したショートソードを抜き放った。
鋼玉石の剣を使うまでも無い。俺の読みでは、腕輪を燃やした炎は鋼玉石の剣の放つ炎と同じで、人体には影響は出ないと踏んだ。熱を感じなかったからだ。
だが、少なからず俺も鋼玉石の剣の呪いに縛られている。用心には越した事はないが、この小僧がそこに気が付いている由は無い。
「黙れ黙れ黙れ! 燃やす! 燃やしてやる!」
逆上した少年は、安い挑発で冷静さを失ったように見えた。少年が口の中で一言呟く。
一呼吸の後、俺に向かって突き出された杖の先から火球が飛び出したが、挙動を読んでいた俺は、飛び退くだけで火球を避けた。遥か後方で小さな爆発音が聞こえた。
「アホゥが。どこ狙ってんだ。公園の芝生を傷めるなよ。俺らの税金だぞ」
少年は遠目に見ても顔面を紅潮させている。冷静さを失った魔術師ほど組し易い相手はいない。
魔術は発動するまでタイムラグがある。術者の深層心理で炎をイメージして、火の精霊に力を借りるのが火球の攻撃魔術だ。高位の術者になると瞬時にイメージを完成させて火球を連射してくるが、この少年はそこまでの術者では無さそうだ。
「――ちっ! 口だけでは無いな! 武器屋っ!」
少年は俺から距離を取ろうと、更に一撃を放ってきたが、俺は身体を捻るだけで火球を躱した。
想像通りの行動だ。素人か、それに近い戦闘初心者だな。その若さで攻撃魔術を自在にコントロールする才能は大したものだが、完全に力に溺れていやがる。特務機関も人材不足か? それとも研究主任の女一人を消すには新人隊員でも十分と踏んだか。
「ちょこまかと避けやがって! 戦う気が無いのか!」
「ありますよう。お坊ちゃま。早く的に当てて下さいよぅ」
攻撃魔術を操るには、相当の精神力を要する。熟練の戦士と言えども重たいロングソードを、そう何度も振り下ろせないのと同じ理屈だ。精神も肉体も同じく疲労する。少年が火球を撃ち疲れての弾切れを待つのが正攻法だ。
俺は少年を打ちのめした後のことを考えた。コイツを引き摺って特務機関にご機嫌伺いといくか。お土産に殺されるかもな。だが、俺を殺したら店の地下倉庫に貯め込んだ高等級呪物の山が学院都市を滅ぼしかねないんだぜ。武器屋の地下は、まさにパンドラの匣だ。
呪物を片っ端から粉砕しているつもりが、手が回らなくて溜まっていく呪物。結果的に呪物コレクターになっている自分に、ついつい笑えてきた。
「俺を嗤ったな! 貴様ッ! 灰すら焼き尽くしてやるっ!」
「ホント、面倒臭ぇガキだな。そういうの、自意識過剰っていうんだぜ」
少年が杖を大きく振りかぶって目を閉じた。ブツブツと何か呟いているのが見て取れる。
魔術師は弾切れの前に、とっておきの大玉を用意しておく習性がある。それも俺の読み通りだ。大規模魔術のタイムラグは、火球を射出する「第一位魔術・小炎」の比では無い。このタイムラグがあるからこそ、魔術師は護衛を必要とするのだ。
俺は公園の芝生を蹴り、少年との距離を一気に詰めた。のらりくらりと火球を避け続けていたのも、俺の戦闘速度を見誤らせる為の演技だ。
手を伸ばせば鼻を抓める距離まで近づく。不意を衝かれた少年は、驚愕の表情を浮かべたまま背後に倒れた。少年のあまりの素人っぷりに自分が学院にいた頃を思い出す。
「それでも杖を離さないのは偉いぞ。チビッ子」
地面に腰を付けたまま、少年は唇を噛みしめて俺を見上げた。しかし目付き悪いなぁ。この餓鬼。
俺はショートソードを腰の鞘に納めて、代わりに結晶の塊を取り出した。
「ほれ、杖を離せ。文字通り粉々に粉砕してやるぜ。」
鋼玉石の剣を握ったその時、予期せぬ位置からの炎の一撃が俺の腹部を直撃した。熱傷よりも、虚を突かれて一撃を喰らった驚きに思わず膝を突く。
「なっ、何だとっ? なんだそりゃ!」
防火耐熱錬金外套が無ければ酷い火傷を負っていたかも知れない。俺は後ろ受け身を二、三回転して少年から距離を取った。腹を焼かれた衝撃から、すぐには立ち上がれない。
ゆらり、と少年が立ち上がり、制服の右腕が燃え上がった。そこから覗く鋼鉄の腕。
「錬金仕掛けの腕だと!?」
俺の驚愕の叫びに反応したかのように、制服を燃やす炎が少年の鋼鉄の右腕に巻き付いた。燃え上がる鋼鉄の腕。自在に炎を操る姿は、まるで火焔の魔人だ。
錬金仕掛けの腕の新しい機能か? 違う。あれだけの熱量を長時間維持できるはずがない。それに、あれでは自分自身が燃えちまう。
少年は右腕に巻きついた炎を自在に操り、撓る鞭に形を変えた。それは、まるで炎の鞭だ。
俺の背を冷たい汗が伝う。炎の輻射熱のせいだけではない。少年と俺の位置関係では、炎の鞭で横薙ぎにされたら避けきれない。
「次で止めだ。武器屋」
完全に目が座ってやがる。散々挑発したのが裏目に出た。これだから子供の相手は嫌なんだよ。冗談が通用しないし、直ぐに本気になりやがる。だが、こいつはいよいよ余裕扱いてられないな。
俺は鋼玉石の剣を握り直した。もう、全開でいくしかない。
「目前の呪物の完全破壊まで能力限定解除」
鋼玉石の剣を構成する結晶の配置が目まぐるしく変わっていく。
少年が轟轟と音を立てて燃え上がる炎の鞭を振り上げる。
「鋼玉石の剣・封印術式解除、一式・二式……」
――その鞭が何だか知らんが、跡形も無く粉砕してやる。
鋼玉石の剣の呪いを、英雄の呪いを押さえている封印術を、現在の俺が抑え切れる限界まで解放する。少年を再起不能に追い込むばかりか、俺自身も呪いに侵蝕される可能性が高いが、生命には代えられない。
「二人ともやめなさーい! やめろー! この馬鹿どもー!」
空耳? いや、それは、カウンターで肘を突きながらコーヒーを催促するメガネ娘の声。何か買ってくれと強請るルルティアの声。
俺は思わず声の方向に気を取られた。それは少年も同じ様だ。二人仲良く口を開けて声のした方向を見た。
その瞬間、背後から凄まじい衝撃を全身に受けて、俺は吹き飛んだ。