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お前ら!武器屋に感謝しろ!  作者: ポロニア
第四章 火焔の魔人

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第65話 ここで燃えなきゃ男じゃないぜ

「ルルティア、答えろよ。お前、こんなとこで何してんだよ」

「あの……あのね、私……」


 ゴミ箱の蓋を手にしたまま、しどろもどろになるルルティア。俺の知っているルルティアは、細いが決して折れない茎を持つ、大輪の花のような女性のはずだ。こんなオドオドした表情も話し方をするようなヤツじゃない。


「それに何だよ。その恰好は?」

「これはね、その……」


 俺は職業柄、人が身に着けている物を仔細に観察する癖がある。

 最新号のファッション誌を毎月何冊も読み込むファッションフリークのルルティアが選ぶにしては、どうにも妙な着こなしだ。野暮ったい外套は彼女には大きすぎて合っていないし、ご自慢の美脚を覆い隠すほどのレングスもおかしい。それに、鮮やかな赤をイメージカラーと言い張る彼女が選ぶにしては、地味なグレーの外套というのも違和感がある。しかも、雨でも無いのにどうしてフードを被る必要がある?


「そのゴミ箱に何の用があるんだ? 答えろよ」

「ち、違うの。これは……」


 ルルティアは慌てた様にゴミ箱の蓋を戻した。蓋を持った右手の袖からは銀色の腕輪と魔導院の制服が垣間見えた。

 外套の下は魔導院の制服か。魔導院内では制服着用は義務なので、ファッションを自由に楽しみたいルルティアは、外出する時には必ず私服を着ていたはず。


「珍しいな。お前の制服姿なんて久々に見たよ」

「……今日はたまたまよ」

 

 いつもの歯切れの良い返事はどうした。俺を唸らせるような、いつもの明朗な台詞を吐いてみせろよ。

 お互いが立ち尽くし、睨み合う様な形になる。……いや、睨んでいるのは俺で、睨まれているのはルルティアだ。


「消火急げ! 近くの水路から水を引け!」

「もたもたするな。延焼を食い止めろ!」


 男たちの怒鳴り声が聞こえた方角に目を向けると、立ち昇る不吉な黒煙が見えた。あの方向……やはり馴染みの喫茶店か!?


「何をしていたかは後で聞く。今は急ぎなんだ」


 俺は早口で捲し立て、そのままルルティアの手を引いて走り出した。

 ……お気に入り、って言っていた、いつものヒールじゃないんだな。一体、どうしたって言うんだ。







 通り一面に薄い霧みたいな灰色の煙が立ち込め、焦げ臭さが漂っている。

 路上には消火に当たる消防団の男たちの他に、無責任な見物人が大勢(たむろ)っていた。


 錬金煉瓦で覆われた現在の学院都市には、大規模な火事は起こり得ないせいだろうか。実働経験不足の消防団の不慣れな消火は遅々として進んでいない。

 互いを罵り合う姿と焦りを感じさせる怒声は指示系統が混乱している証拠だ。それは、地下訓練施設で嫌と言うほど目にしてきた光景。


 俺は右手でルルティアの手を引き、左手で見物人の群れを泳ぐように掻き分け、前へ前へと進んだ。

 鼻と喉を刺激する焦げ臭さ。男たちの怒号。ホースの吐き出す「でかい水鉄砲」としか形容出来ない途切れがちな水勢。風に煽られた火の粉が舞い散る。

  無残に燃え上がる喫茶店を目の当たりにして、全身を熱気に炙られているというのに、思わず全身が震えた。


「なんだよ……なんなんだよ、これ……」


 思わず口から洩れた言葉がルルティアの耳に届いたのか、冷たい手が強く握り返してきた。


「救護班来てくれ! 怪我人多数!」

「離れて! 離れて下さい! 煙を吸わないように!」

「そこ、崩れるぞ! 火の粉に気をつけろ!」


 ――婆ちゃん、俺のかけがえのない「場所」が燃えちまう。


「ポンプの補充はまだか! 水が足りないぞ!」

「下がって! そこの人! 下がれ!」

「窓から離れろ! ガラスが落ちるぞ!」


 ――お父さん、お母さん、大切な思い出が燃えちゃうよ。


「中に一人取り残されただと? 確認急げ」

「喫茶店の店主がカウンター内に!?」

「煙が凄くて突入出来ません!」

 

 俺の隣りでルルティアが口を押えて激しく咳き込んだ。迂闊だった。ルルティアは肺の病気を患っているのを失念していた。


「ルルティア、気が回らなくて済まなかった。安全な所に非難してくれ。俺は行って来る」


 ズダ袋の中から、こっそり持ち帰った掃除部隊の仮面を取り出した。強力な睡眠ガスすら無効化したマスクだ。ドクよ、アイザックさんだったか? 俺はあんたを信じるよ。


「駄目よ、あなたが死んじゃう。嫌よ、そんなの絶対に嫌」

「行かないと俺は、俺が後悔する。もう後悔ばっかの人生は嫌なんだ」


 ぜいぜいと喘ぐルルティアが、俺の手を取り包み込むように胸に抱いた。

 その両手の冷たさ。その胸の暖かさ。


 炎の熱気を含んだ風がルルティアの着た外套の裾をはためかす。


 切れ長の瞳から涙が零れ落ちる。錬金術の宝石の涙。悪く無い。

 美しい女の宝石のような涙に見送られる。全くもって悪く無い。

 気合いが入るぜ。俺は勿論、死ぬ気はこれっぽっちだって無い。


「待って! これを――」


 水を被ろうと防火水槽に向かおうとした時に、ルルティアから例の灰色の外套を手渡された。


「私が作った防火耐熱錬金外套よ。火に投げ込んでも三分は燃えないわ」

「役に立つモン作れるじゃないかよ。ルルティア、自信持てよ」

「お願い。無理しないで」


 俺はルルティアに返事もせずに駆け出した。

 走りながら彼女の体温を残した外套を羽織り、消防団員の静止を振り切って防臭マスクを装着する。

 扉は焼け崩れていたが、辛うじて形を保っている入口に飛び込んだ。

 濛々とした煙が立ち込める室内。床を、柱を、壁を舐める炎の舌。

 まるで火の付いた暖炉の中に飛び込んだようなものだ。


「ぐあ! 熱っつぅ!」


 押し寄せる想像以上の熱風に仰け反った。甘く見ていた。転げる様に外に逃げるほか無かった。

 凄まじい輻射熱に耐えられない。気合いや根性でどうにかなるレベルの熱気では無い。本能が炎を恐れている。人間の本能は、確実な死には立ち向かえない。

 焚き火に近づき過ぎた時の様に、熱に当たった部分の火照りが収まらない。無論、焚き火のなんぞの比では無い。


「フードを被って! トグルを締めて!」


 女の甲高い叫びにも似た声が聞こえた。あいつ、まだ逃げて無いのか。律儀な女だな。

 言われた通りに防臭マスクを装着した上からフードを被り、羽織ったままの外套のトグルを締め直す。

 

「おい、お前、武器屋の若か?」


 外套のトグルを襟元から一つずつ締めている最中に、年配の消防団員から声を掛けられた。


「そうです。中には、まだマスターが?」

「儂が見たから間違い無い。客を逃がしている最中に、煙を吸って倒れたのを見た」


 消防団員は喫茶店の常連客だ。名前は知らないが顔馴染みだ。


「俺が行きます。これは魔導院の開発した装備で、防火防煙機能は完璧です」


 俺は(うそぶ)いた。半分本当で半分希望だ。ルルティア、俺はお前を信じている。

 消防団員が何か叫んだが、フードを被った俺には何も聞こえなかった。


 意を決して、もう一度、燃え盛る炎の中に飛び込んだ。喫茶店の天井が崩れかけ、延焼が進んでいる。

 体感的な輻射熱は先ほど感じたより和らいだ。さすがは錬金術師ルルティアの作品だ。だが外套に守られていない部分は危険だ。ブーツの分厚いクレープソールから仄かに熱が伝わる。灰色の煙で視界が悪い。リミットは三分だ。

 カウンターを飛び越える事も考えたが、炎に炙られたカウンターがどれほどの伝導熱を孕んでいるか知れたものではない。


 金属鎧を着た戦士が「第一位魔術・小炎」で焼き殺された話は有名だ。小さな火球の一撃は大した威力は無い。だが、連続して炎に炙られ続けた金属鎧は、それ自体が高熱を帯びて中の戦士を焼き殺した。

 

「マスター! 返事してくれ!」


 防臭マスクに遮られて、大きな声が出ているか定かでは無いが、今は叫ぶしか無い。

 天井から焼け焦げた木材が降り注いでくる。本格的に店が焼け崩れ始めた。このままでは焼け死ぬ前に、崩れ落ちた木材で圧死しかねない。

 床を這う炎を飛び越えてカウンターの裏に回ると、燻る床に倒れているマスターを見つけた。怪我の確認をしている時間は無い。

 意識を無くして、ぐったりしたマスターを担ぎ、出入り口に急いだ。外套の裾が焦げ始める。足元が粘つく。ソールが溶け出したか?

 こんな時に暖炉に投げ込んだビーフィンの指を思い出した。炎に包まれ燃え上がる指。親指を立て、ニヤリと笑うビーフィンの姿。


「くそっ、今はお前の出番じゃないぜ」


 思わず愚痴が口を突いて出た。こんな所で死んでたまるかよ。ビーフィン、俺が会いたいのはお前じゃないぜ。俺が会いたいのは……。

 何かが繋がりそうだが、思い出に浸っている場合じゃない。邪魔だ、ビーフィン。大人しくあっちに還れ。俺もそのうち行くからさ。しかし重たいな。意識の無い男性ってのは、こんなに重いモンなのか。

 ずり落ちかけたマスターの身体を担ぎ直そうとした瞬間、後頭部を何者かに殴られた。

 焼け落ちてきた木材が頭を直撃したと確認する事も無く、意識が途切れた。




**********




「あれっ? 俺、いま寝てた?」


 ちょっとヨダレ垂れちゃった。紙ナプキンで、こっそりとカウンターを拭いといた。

 店内に漂う芳醇なコーヒーの香り。壁にも床にも、俺が突っ伏していたカウンターにも、それ(・・)は染み込んでいるのだろう。

 古艶の出たカウンターを指でなぞってみた。いいよなぁ、この艶、このアジ。俺の店のカウンターにもこれくらいの風合いが出るには、あと数十年はかかるだろうな。しかし、変な夢を見ていた気がする。


「お前、いま熟睡してただろう? いびき掻いてたよ」


 隣りの席に座っていた男が、俺に声を掛けてきた。

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