第63話 銀の腕輪
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「ふはは、君の発想には驚かされると言うか、笑わせられると言うか」
アイザック博士の顔に浮かんだ苦笑いに心が引き裂かれそうだ。その歪んだ表情は、私を嘲笑っているようにも見える。もしかして憐れんでいるのかも知れない。
博士の高い鷲鼻の上に乗った眼鏡。色の濃いレンズは蟷螂を連想させる。博士にとって、私は獲るにも値しない虫けら以下の存在なのだろう。
「一時は期待していたのだよ。君の才能に。その賢さに。だが、残念だ。原石も磨き損なえば石ころ程度の価値しかないね。君も錬金術師の端くれならば、私の言っている意味は分かるだろう?」
「博士、待ってください! まだ数枚しか読んでいただいて……」
「時間の無駄だよ。これ、三年前に卒業したファラモンド君の書いた論文の焼き直しだろう。分からないとでも思ったかい? こんなの下手すりゃ盗作だよ」
アイザック博士は、徹夜で書いた私の論文を安売りセールのチラシの様に撒き散らし、その上を歩きながら立ち去った。
これ以上汚せないくらいに汚れた白衣の後を、秘書官らしき女が追う。女のピンヒールが床に落ちた原稿用紙を穴だらけにした。
「博士。次の予定は研究室でのミーティング、その後に魔導塔での報告会が……」
秘書官の報告が、硬質な靴音が、冷たい廊下に残響を響かせた。
言いようも無い怒りと気恥ずかしさを抱えながら、錬金術棟の床に散らばった原稿用紙を拾い集めた。
飾り気の無いケープを羽織った生徒たちがヒソヒソと話し合っている。私を笑っているんだろう。馬鹿らしい。私は何でこんな思いをしてまで魔導院にいるのだろう? 一つ咳が出た。持病の喘息には良くない季節だ。
全ての原稿用紙を拾い集めて立ち上がり、廊下を見渡した。錬金術科の生徒たちは顔を見合わせ、神妙な顔をして教室に戻って行く。あー、頭にくる。
他人より頭の出来が良いからって学院に入って、頑張って魔導院生にまでなったけど、上には上がいるんだもん。魔導院、辞めちゃおっかな?
私くらい美人で賢い女なら、学院都市で幾らでも良い仕事が見つかるわ。それとも金持ちでも見つけて結婚でもしようかしら。研究したり論文書くよりも楽そうだし。あーあ、本当に馬鹿らしい。
また咳が出た。早く寮に戻って薬を飲もう。
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女子寮の古ぼけたエントランスの前に立つと、余計に気が滅入った。築百年を超える伝統ある建物とか聞いたけど、ただボロいだけじゃない。火事でもおきないかしら? それで新しい寮でも建てればいい。
取り留めもない妄想を楽しんでいると「ギィ」と、軋んだ音を立てて寮の扉が開いた。扉を空けて出てきたのは、最新の秋物に身を包んだお洒落な女性。雑誌で見た、目を付けていたミュール履いてる。
「あー寮長、今日の私服、可愛いー」
「ありがとう。急いでいるから、ごめんね」
相変わらず気取ってるわね。昔は洋服の話をしたり、一緒に学院都市に買物に出たのに最近では擦れ違いに挨拶を交わす程度の関係。
彼女は昔に付き合った男が忘れられないらしい。別れた男に引き摺られるなんて馬鹿な女。綺麗な顔がもったいない。女の武器は利用しなくちゃ。この間、馴染みの店の店長にちょっと触ってやったら、やたらに喜んでて引いちゃったわ。気持ち悪い。馬鹿で貧乏な男になんて、これっぽっちの興味も無いわ。
寮の自室に戻り、喘息の薬を飲むのも面倒臭くなってベッドに倒れ込んだ。そのままゴロゴロとアレコレ考えては馬鹿馬鹿しくなって、買ったばかりのファッション誌を寝転がったままパラパラ捲った。
私は、このところ占いに凝っている。今月号のファッション誌の占いページは星占いしか無いが、さっそく読んでみよう。えっと、私の星座の運勢は……
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努力してきたことが実りません。理解の無い上司に苦しめられそう。人間関係はイマイチです。
今月は何か新しいことをスタートさせるには良い月です。以前から興味があったけれど始めるチャンスがなかった習い事などに手を出してみては。一生の財産になる暗示が出ています。
恋愛運・・・馴染みの店で良い出会いがあるかも。年上の男性にも注目!
金銭運・・・散財に注意して。でも、ここぞという時には出し惜しみしちゃダメ。良い買い物が出来そう!
健康運・・・思いがけない火傷には気を付けて!
ラッキーカラー・・・シルバー
ラッキーアイテム・・・ブレスレット
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意外に当たっている気がする。努力が実らないとか理解の無い上司なんて、当たり過ぎで怖いくらい。
そう言えば、旅の占い師が商業区の広場に来ていると学生たちが噂していた。ちょっと行ってみよう。こういう事のフットワークには自信がある。
魔導院の制服を脱ぎ、私服に着替えて足取り軽く広場に向かった。
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占い師のテントはすぐに見つかった。なんせ商業区の広場全体が占いフェアを開催していたのだ。星占いを始め、水晶占い、姓名判断、カード占いに手相占い。そしてテントに群がる女の大群。まるで砂糖に群がる蟻のよう。馬鹿女の見本市ね。
やはり人気のある星占いやタロット占いには行列が出来ている。占って貰うのに並ぶのも面倒臭い。帰ろっかな。馬鹿らしい。出て来て損した。
回れ右して蟻の大群を掻き分ける様にして歩くと、誰も並んでいないテントの前を通りかかった。使い込んだ洗濯板にしか見えない看板には「腕輪占い」と掠れた文字で書いてる。
腕輪占い? 意味が分からない。そのせいで、これだけの女性がいるのに誰もが素通りしているのだろう。
だけど、頭に閃くものがあった。
――――ラッキーアイテムはブレスレット。
これの事かも! 意を決してテントの中に入ってみる事にした。
濃い紫色のビロードの様な素材のテントの入口を潜り抜けて中に入ると、濃いお香の香りが鼻をついた。イランイランに似た、薄白い煙が充満している。これは演出効果?
蝋燭の頼りない灯りに照らされたテントの中は狭く、三人も入ったら満員になりそうだ。
「あんた、不満が溜まっているね」
「ひゃあ! い、いきなり何よ?」
暗がりから突然声を掛けられて思わず変な声を出してしまった。
「……不満? 溜まってると言えば溜まってるけど……」
「見えるよぉ。不満で膨れ上がった暗い情念がねえ」
テントと同じ色をした布を纏った皺だらけの老婆は、まるで不気味な猿の人形の様に見えた。
「このまま我慢を続けたら、あんた、不満が膨らんで風船みたいに破裂するよ」
「お婆さん、あなた占い師よね? それって占い?」
キキキッと、猿の様な不気味な声を上げて老婆が嗤う。
「占いと言うよりは予知さ。ほら、ごらんよ」
老婆は地面に敷いた布の上に、色とりどりの宝石に飾り立てられた腕輪を幾つか並べた。どの腕輪も高価な物に見える。私は目が眩む様な気持ちで眺めた。
「選ぶが良いさ。その腕輪があんたを満たすだろう。一つ三〇〇G」
「えぇー、ちょっと高くないですか?」
三〇〇Gは、手持ちぴったりの金額だ。でも、こんな胡散臭い場所では値切るのが普通でしょ?
「出せるだろう? 出したく無いなら帰るが良いさ。どのみち、あんたにゃ碌でもない未来しか待ってはいないよ」
「何? その言い方!? 出してやるわよ!」
私は財布から、きっかり一〇〇G銅貨を三枚出して、嗤う老婆の顔に叩きつけて一番高そうな金色の腕輪を引っ掴んだ。
老婆は、「ヒイッ」と短く叫んでひっくり返り、無様な格好で慌て銅貨を拾う。猿が地面に落ちた豆を拾っているみたい。
その時、良からぬ考えが浮かんだ。四つん這いで銅貨を拾う老婆は隙だらけ。私は金色の腕輪を右手に持ち、左手で布の上から銀色の腕輪を掴んでテントから抜け出た。
夢中で人混みを駆け抜け、子供の頃から慣れ親しんだ路地を走った。ここまで来れば、さすがに追ってはこれないだろ? 笑いがこみ上げてきた。私を馬鹿にして! ざまあみろ!
私の手には、二匹の蛇が互いの尾を咥えあうデザインの金色のブレスレットと、植物の蔦が絡み合うデザインの銀色のブレスレットがある。ところどころに小さな宝石が散りばめらてキラキラしてる。どちらも素敵。これが二つで三〇〇Gなら良い買い物よ。罪悪感は無くも無かったけど、どうせ旅の占い師だ。二度と会う事も無いわ。
何の気無しに銀色のブレスレットを右腕に着けて、目線に翳した。ラッキーカラーはシルバー。笑いが込み上げてきた。何もかも上手く行きそうな気分。よく見たら、この辺りって嫌な思い出がある場所だわ。表通りには有名な髪結い屋があるはず。
私は近くにあった青いゴミ箱の蓋を開けて、中に魔炎晶石を一粒放り込んだ。
「燃えろ。燃えちゃえ!」
ゴミ箱が瞬く間に炎に包まれ燃え上がる。 私は悪戯をした子供の様に笑いながら狭い裏路地を駆け抜けた。