第62話 黒猫と人形と俺
マグカップをフゥフゥやってるディミータを眺めていると、店のエントランスに人の気配を感じて振り向いた。そこに立っていたのは白い作業着に垂れ耳をイメージしたのであろう、イヤーウォーマー付きの帽子を被った『白犬宅配便』の配達員だ。
「ちーす、毎度。お届けもんッス」
「はいよ。そこに置いてもらえる?」
配達員の兄ちゃんは、大きな木箱を脇に抱えて持ってきた。恐らく注文していたロングソードだろう。今日あたりに魔導院の東北に位置する「山王都」の鍛冶屋から十本ほど届く予定だ。
「ハンコかサインしゃッス」
配達伝票にサインを書き込みながら、差出人の名前を確認した。魔導院錬金術科? 心当たりが無い。中身は何だろう。
「あっしゃったー」
「ありがとさん。また頼むね」
配達員が出てったのを見届けてから、木箱に張られた伝票を確認した。等間隔に並んだ几帳面な字には見覚えがある。
「魔導院の錬金術科から? 品名は……掃除用品?」
俺は先日、ルルティアの持って来た『錬金術の粋』とやらを集めた残念な全自動掃除機を思い出した。
***
「おいおいおい。ホントに大丈夫かよ、コレ?」
一抱えほどの大きさの青い円盤が、床の上でパチパチと火花を散らし始めた。
「なあルルティア、これは錬金術科の新兵器か何かか?」
「うろたえないで。これは放電というものよ」
青い円盤は放電を繰り返した後、ぴんぴろりーんと軽快なメロディを奏でた直後に煙を吐いた。
「うぉ! 煙噴いたぞ」
「ダメかあ。今度こそ上手く行くと思ったのに」
「お前さあ、魔炎晶石以外に使えるモン、開発した事あんの?」
「汎用円盤型全自動錬金掃除機試作零号機」は錬金術師ルルティアの最新作だった。いまやゴミバケツの蓋くらいの存在価値しか無さそうだが。
「私……元から在る物を改良発展させるのは得意なんだけど、一から考えて開発するのは苦手なの。魔炎晶石だって、魔火石をベースにしただけだし」
なんと珍しい。「錬金術の生きる宝石」こと錬金メガネ娘が弱音を吐くとは。
「なぁに、『失敗は成功の母』っていうじゃないか。お前ならやれるさ」
俺は柄にも無くルルティアに励ましの声をかけた。中身は別としても落ち込む美しい女性には優しくなるのが男の性ってヤツだ。中味は別として。
「この前もアイザック博士に笑われたし」
「アイザック? ああ、ドクの事か」
昔、仕事絡みで知り合った汚い白衣の色付きメガネを思い出しながら、円盤をブーツの爪先で突いてみた。ゴミバケツの蓋は完全に沈黙している。
「私、才能無いのかな……」
カウンターに突っ伏したルルティアを横目に、しゃがみ込んで錬金掃除機をどけてみると、艶が出たレッドウッドの無垢材の床に、丸い焦げ跡が付いてしまっていた。ちょっとショックだ。
「ねえ、慰めてよ」
ひたすら床の焦げ跡を指で擦っていた俺の肩に、背後に回ったルルティアが両手を置いた。その手の冷たさと柔らかさに鼓動が早まる。彼女の長い髪が首筋にさらりと触れ、華やかな芳香が鼻孔をくすぐった。
「なっ、慰めるって……どっど、ど、どうやって?」
しゃがみ込んだままの姿勢で固まった俺の耳元に、ルルティアが唇を寄せる。
「ねえ……お願い……」
熱い吐息が耳にかかる。
甘えた囁きが俺の耳孔に響く。
「なんか買って」
「アホか。自分で買え」
***
また、あの円盤型掃除機か? しかし箱が大きすぎやしないか?
「なになになーに? 中身なーに? 箱開けるの手伝おっかぁ?」
マグカップを手に、ネコジャラシを前にした猫みたいな顔でディミータが言う。
「いや、お客さんに仕事の手伝いはさせられませんよ」
「そんなのコーヒー代と思って。気にしない気にしない」
了承も無く、「ふんふふふーん」と鼻歌交じりに木箱の梱包を解き始めるディミータ。機嫌良さ気に長い尻尾が揺れている。どうせ中味に興味があるだけだろう。
俺は梱包を解くのに夢中のディミータを眺めながら幾分温くなってしまったコーヒーを口に含んだ。
「ふふふーん、よいしょーっと……、って、え?」
ところが、箱の蓋を開けたディミータの鼻歌が突然止んだ。俺は何の気無しに彼女の顔を見やった。
「カース……あんた……」
木箱の蓋を持ち上げたまま、ディミータが呆然とした顔で俺を見た。
マグカップを片手に、長い尻尾を踏まないように気を付けながらディミータの背後に回った。彼女の肩越しに箱の中身を覗き見て、思わずコーヒーを噴き出しそうになった。
「おっ、ごっ、ぶはっ!」
危うくディミータの後頭部をコーヒーまみれにするところだった。最悪の事態を回避したものの、苦い液体が気管に入り激しく咽た。
「カース……これはマズイわ。いくらなんでもマズイわ」
俺は地獄の苦しみに耐えながら、箱の中身を確認した。宅配便の木箱の中に入っていたのはスポンジのような緩衝剤に包まれて眠る、黒いメイド服を着た、どう見ても十代中頃の少女だった。何故だっ!? そして、この子は誰だっ!?
「おまわりさーん。この人でーす」
「ちょおっと待ったあっ!」
店の外に駆け出そうとしたディミータを全力でもって押し留める。
「離せ変態、このロリコン野郎がっ! 助けておまわりさーん! 大変でーす! 変態でーす!」
「待て待て待てぃ! 冷静になれ! 宅配便が生身の人間を受け付けるワケ無いだろがっ!」
俺はディミータを背後から羽交い絞めにして、何とか抑え込んだ。
「離せっ! お前の手の内なんか分かってんだ! あの配達員もグルだろう! この連続少女誘拐犯め」
「いつ、どこで、誰が、連続で、少女を誘拐したんだ! その豊かな想像力を活かして考えろ!」
「ああ、想像してやる。これからお前は、その子に信じられないようなイタズラ行為をするんだ」
「ねぇ、ディミータさん。お互い長い付き合いじゃないですか。僕をそんな風に見ていたんですか?」
「そして、事実を知った私にも、そのとんでもない変イタズラをするつもりなんだろう! 誰か、誰か助けてぇ!」
踠く黒猫を抑え込むのも、もう限界だ。普通の猫だって抑えるのは大変なのに、相手は猫人族だ。
「私だって特務機関の一員だっ! 易々と貴様の餌食になるもんかっ!」
人間族にはあり得ない柔軟性で拘束から抜け出たディミータが、これまた人間族にはあり得ない跳躍力でカウンターに飛び乗った。ディミータの足元にはスローイングナイフ満載の木箱が。
「こ、こら! 机の上に立つんじゃありません! ちっちゃい頃にお母さんに言われなかったか!?」
「黙れ俗物!!」
ディミータの右手が閃いた。次の瞬間、俺の足元に五本ものナイフが連続で突き立った。なるほど、ディミータのスローイングナイフの腕は良く分かった。
「そのナイフから、こっちに来るな。来たら殺す必ず殺す。一片の慈悲も無く、私のナイフはお前を殺す」
「分かった。分かったから落ち着け。とにかく俺の話を聞け」
カウンターの上に立ち、俺を見下ろすディミータの視線の冷たさ。
婆ちゃん……僕は女性から、あんなに冷たい目で見下されるのは生まれて初めてです。
「まず、宅配便が生身の人間を運ぶのは不自然だ」
「だからグルなんだろう。そうだ、仲間が大勢いるんだろう。この店は昼は武器屋、夜は少女趣味変態紳士秘密倶楽部なんだ」
「だから、その想像力を違うベクトルに向けろ! 宅配便の兄ちゃんは、その木箱を脇に抱えて持って来たんだぞ。いくら女の子が軽くても流石に無理があるだろう」
「ふん。変態にしては口も頭も回るようだな」
「ディミータさん。貴女とはもう少し良好な関係を築けていたと思うのですが」
「いいだろう。確認しよう」
ディミータは、猫のように警戒した視線を俺に寄越したまま、木箱の脇に降り立つ。片膝を突きつつ、少女の身体に手を触れる。
「あれ? これ人形よぉ。なぁんだぁ。びっくりしたぁ」
「なぁんだぁ。びっくりしたぁ……じゃ無ェよ。謝れ! 俺に謝れ! 心を込めて俺に謝れい!」
「ごめんねっ!」
前触れも無く伸びあがった黒猫が、俺の頬に唇を押し付けてきた。突然、頬を襲った柔らかく甘美な感触に身体も思考も硬直した。
「なっ、にっぬね、のっ、あっ、ありがとうございます」
俺だって十代の若造じゃない。人生経験豊富な成人男性だ。だが、こんな不意打ちは反則だ……なんて思いながらも自分の頬に触れて余韻を味わった。いやぁ、今日はホントに良い日だね。
「でも、この人形を使って何をするつもりなの? あ……ごめん。人の性癖に口を出すのも失礼よね」
「ディミータさんは、どうしても俺を変態にしたいんですね」
「だってさぁ、ウチの研究主任が言ってたよ。中学生の頃に襲われそうになったって」
「あのメガネっ子はね、ちょっと頭のネジが数本抜けているんです。あの女の言う事を真に受けちゃいけませんぜ」
俺は箱から精巧な少女の人形を取り出そうと、人形の両脇に手を差し入れた。人形相手とはいえ、少女の脇に触れるのは気恥ずかしかったが、その硬い感触は人間の物とは違った。
少女人形を立たせてみると、突然、その双眸が開いた。俺は思わずたじろいで、生唾ひとつ飲み込んだが、人形の瞳に光は無い。
「おはようございます。私は汎用人型全自動掃除機試作初号機・オリンピアです」
「へえぇ。凄いじゃない! よっく出来てるぅ!」
先ほどまで一片の慈悲も無く俺を殺そうとしていた黒猫は、新しい玩具に興味津々だ。
ディミータは目ざとく箱の中から箒を見つけ出して、汎用人型掃除機に手渡した。
「店内の床を掃除してっ!」
「それは御命令でしょうか?」
「そうよぅ! ごめいれいっ!」
汎用人型以下略の錬金人形は、驚くほどの自然な動きで床を掃除し始める。しかし、なんだ。メイド服の少女っていうのは、何と言うか機能美と言うか様式美というか……。
「ほうほうほう、これは可愛いわねぇ」
「おや? ディミータさん、貴女も好きですねぇ」
「で、この子、どうすんの? 店に置くの?」
「それこそ、俺の趣味が疑われますわ。魔導院に帰ったらルルティアに引き取れって言っといて下さい」
「そう言えば、随分と長居しちゃったわ。じゃあ、コーヒーごちそうさま。楽しかったわ」
スローイングナイフ満載の木箱を軽々と抱えてディミータは帰って行った。
楽しかった、か。俺は命の危険に晒されて疲れた。
「店内の掃除が終了いたしました」
店内は完全に掃き清められ、塵や埃は店内の隅に集められていた。これは意外に使える掃除機かもな。今度、ルルティアに会ったら褒めてやろう。
「ありがとさん。お疲れ」
人形に声をかけてみたが反応は無い。ぼんやりと突っ立ったままだ。ぼんやりしているのかも定かでは無いが。
俺は人形の顔の前で手を振ったり、パチンと手を叩いたりしてみたが、瞬き一つもしない。だが、ふと既視感を感じ、まじまじと人形の顔を見つめた。――――どこかで会った事があるような。
少し離れて人形の全身を眺めてみたが、モヤモヤした気持ちだけが残った。
考えているうちに、メイド服の少女人形のある部分に目がいった。
俺は、女性のある部分が好きだ。
その丸みを帯びた二つの膨らみが好きだ
幼ければ幼いほど良い。大好きだ。
近所の幼馴染の女の子にも、散々楽しませて貰った。
ディミータは帰った。店内には俺しかいない。ようし、ちょっと触っちゃえ。
俺は両手で膨らみに触れた。おぉう、柔らかい。良し。つっついちゃえ。堪らんなぁ! やっぱり良いよなぁ! 頬っぺ。
「手動により自爆装置安全ロックが解除されました」
プニプニと頬っぺの感触を楽しんでいた俺の耳に、何か恐ろしいアナウンスが聞こえた。
「機密保持の為、五秒後に自爆します」
そんな馬鹿な! 何で掃除機が自爆装置を積んでいるんだ? とにかく人形を外に出さなくては!
「5……4……」
俺は人形を抱えて持ち上げた。急げ!
「3……2……」
「ごめ~ん。さっき投げたナイフ、忘れちゃったぁ」
「ディミータさん! 来ちゃ駄目だっ!」
「は? なに?」
「1……ピー」
俺は人形を抱えたまま目を閉じた――――
「――――自爆装置のテストを終了いたします。お疲れ様でした」
ピロリロリーン、と軽快なメロディを口ずさんで人形は動き目を閉じ、俺は深い深い溜息を吐いた。ルルティアめ……次に会った時には、どうしてやろうか。
「おっ、お楽しみのところを邪魔してゴメンね。お姉さん帰るわ」
ディミータは床に突き立ったナイフを引き抜き、引き攣った微笑みを浮かべ、逃げるように帰って行った。
そこで俺は、ようやく自分がメイド服の少女を強く抱きしめていた事に気が付いた。