第59話 私の生きる道
「Wehe! Wehe! Waffen! Waffen! Starke Waffen! Scharf zum Streit!」
身体が軽い。まるで背に翼が生えたようだ。
手には金色に輝く槍。二度と握る事は無いと思った槍を握り、心と身体が歓喜に震えた。
戦死者の丘を埋め尽くす遺骸の山から、鎧兜に身を固め戦士が一人、私の前に歩み出る。
まだ動ける戦士がいるとは何と重畳! 私が虹の橋に導いてやろう。
「Hojotoho! Hojotoho! Heiaha! Heiaha! Willkommen! Willkommen! 」
闘争の歓喜に叫び、完全武装の戦士に躍りかかった。
だが、戦士は私の渾身の突きを避けようともしない。兜の面頬を下げた戦士の表情は窺い知れない。
臆したか。竦んだか。私の買い被りか。貴様は戦死者の館に相応しく無い。
「駄目だ。止めるんだ。ネス」
聞き覚えのある声。戦士が兜の面頬を上げた。生真面目さの中に愛嬌を感じる笑顔。
私は雷に打たれたような衝撃を受けて突進を止めた。槍を握りしめた左手が震える。
「カ、カイラル? 本当に? 生きて……生きていたんだ。良かった……」
「おいおいおーい! 俺を忘れちゃいかーん!」
アスベルが大きく両手を手を振り、小高い丘を駆け上がって来る。
カイラルとアスベルの兄弟が、私の目前に仲良く並んで立った。信じられない。溢れる涙が止められなくなった。
「ネス、俺さ、お前の事が好きだ。だからさ、ネスが元気なら俺は幸せなんだ」
「おい! こら! ネスが困っているだろう。物には順序ってもんがだな」
「ちょっと、二人だけで盛り上がらないで下さい」
真っ白な修道衣を着たミュラが腰に手を当てながら怒っている。私は夢を見ているのだろうか?
「何でも一人で背負い込むのはネスの悪い癖。神様は等しく平等なのよ」
「ミュラ、でも私は、私は皆を護れなかった」
「もう一人で苦しまないで。苦しみや悲しみは皆で分かち合うのよ。ネスは十分苦しんだわ」
ミュラは、私の砕けてしまった右腕を手に取り、何度も何度も優しくさすった。鋼鉄の腕に感覚は無いはずなのに、ミュラの手はとても暖かかった。
「君は僕の友だ。我々エルフ族にも永遠という言葉があるのなら、君は永遠の友だ」
真新しいローブに身を包んだソカリス。私を初めて同族と認めてくれたエルフ。
「私は……私は皆と一緒にいたいよ。皆と一緒に生きたい」
鋼鉄の腕は涙を拭くには適していない。涙を受け止めるほど優しく出来てはいない。
「ネス、ご覧よ。あれが虹の橋だ」
ソカリスが杖を天に翳すと、赤く染まった空から陽光を思わせる暖かな光が降り注いだ。
細い筋の様だった光は、徐々に太さを増して七色に輝く光の柱となった。
Hojotoho! Hojotoho!
Heiaha! Heiaha! Hojotoho! Heiaha!
天馬に乗った戦乙女たちが、戦死者たちを光の元へ導いていく。
「君は生き続けることで、今よりも悲しく苦しい思いをするかも知れない。でも、僕らが共に過ごした事実は永遠に不変だ」
ソカリスが天を見上げながら呟いた。
「私はネスと一緒に戦えて楽しかったよ。せっかく始めたんだからジョギングは続けなさい」
「俺の事、忘れんなよ。俺がネスに最初に唾つけたんだからな」
「ネス、もうちょっと女の子らしくね。野獣っぷりに磨きがかかっていますわ」
カイラルが、アスベルが、ミュラが光に向かって歩み去っていく。
「行かないで! 私を置いて逝かないで! 嫌だ! 一人は嫌だよ!」
行きたい。私も光の元へ。
生きたい。私も皆と一緒に。
「君はもう、一人ぼっちじゃないだろう。ルルモニの事を頼んだよ」
ソカリスが私の左腕にそうっと触れた。
「君に森の加護を。泉の精霊の導きがあらんことを」
私は黄金の槍を投げ捨てて、ソカリスのローブの袖を掴んだ。
「どうすれば良い? 私はこれから、どうすれば良いの!?」
「生きるんだ。生きるんだよ、ネス」
「生きる……」
「そう、どんなに辛くても生き抜いて。永遠ほど遠く離れても、僕らはいつだってネスの傍にいるよ」
ソカリスは微笑みながら光の元へと歩き出した。
私は後を追いたかったのに、足が前に出なかった。その気になれば、足は前に出ただろうに。
戦死者の丘には、もう一体の遺骸も残ってはいなかった。
赤い砂塵と朱色の空。
見渡す限りに突き立てられた無限の武器。
間もなく日が落ちるだろう。
こちらを眺めていた金色の戦乙女が、私が投げ捨てた槍を拾うために片膝を突いた。その背を傍らに立った眼帯の男が見下ろしている。戦乙女を見つめる隻眼には、両目分の慈しみが満ちてた。
東洋の物と思われる衣装を着た眼帯の男が、片膝を突いたままの戦乙女の耳元で何事か呟いた。
苦笑いを浮かべた戦乙女が、黄金の槍の柄で男の頭を小突く。
隻眼の男は大袈裟に痛がりながら、ひょこひょこと光の元へ去って行った。男のおどけた後姿を見送る戦乙女の顔には、限り無い愛情が溢れていた。
閑散とした戦死者の丘には、私と戦乙女しか残っていなかった。時折吹く冷たい風が、ひゅうひゅうと寂しげな音を立てる。
金色の戦乙女は黄金の槍を手に立ち上がり、私の目前に立った。
私は、砕けた右手と満足に動かない左手で顔を覆った。みんな逝ってしまった。貴女も私の前から去るのですか。
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Leb' wohl, du kühnes, herrliches Kind
さようなら……勇敢で立派な我が娘よ
Du meines Herzens heiligster Stolz
我が心の清らかな誇りよ
Leb' wohl Leb' wohl Leb' wohl
さようなら……さようなら……さようなら
so schlummre nun fort
眠り続けなさい
Der Kampf endete
戦いは終わった
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湯に浸かっているかの様な温かさ。柔らかに包まれる心地良い安心感。
目を開くと銀灰色の瞳と目が合った。私はカースに抱きかかえられていた。
思わず顔が赤くなる。恥ずかしさに身をよじったが、怪我と疲労で身体が言う事を効かなかった。
「良かった。目が覚めたか、隊長。体調は、たいちょうぶか?」
火照った顔が、上せた頭が、一気に冷却された。
「カース。このタイミングで三段重ねとは高得点だな」
「隊長なだけに心配ネイト」
「ぶわっはっはっは!」
爆笑する三人。まさかディミータにも伝染するとは。
カースの存外に逞しい腕に身を預けると涙がこみ上げて来た。慌てて目を閉じて誤魔化した。
「隊長。俺が背負うから、しっかり掴まって下さい」
「こらこらこらぁ! ネイトに無駄に触るなぁ」
「なんだよ。隊長は、俺と身長変わらないから背負うしかないんだってば」
私は腰を落としたカースの背に、恐る恐る身を預けた
右腕は砕けて動かないので、カースの首に廻した左腕に力を込めた。
「た、隊長。しっかり掴まり過ぎです。くっ首がっ! 死ぬ! 俺が死ぬ!」
ディミータが少女を背負い、バックラーが黄金の槍を担いだ。
カースに背負われながら、ディミータの背で昏々と眠りつづける少女を眺めた。彼女は一体何者なのだろう。私には知る由も無い。
バックラーが担いだ黄金の槍を眺めた。悲しい夢を見ていた気がする。カースの髪が頬に触れた。サラサラした感触が心地良い。
みんな、みんな逝ってしまった。私の仲間たち。私の友だち。私の憧れ。
「ふうぅ……ひぅ……」
抑えていた嗚咽が漏れてしまった。カースが一度だけ立ち止まったが、前に進む事を思い出したように何事も無く歩き続けた。
カースの背中に身を預け、銀色の髪に顔を埋めているうちに猛烈な眠気に襲われた。
「眠ると良いよ。目が覚めた時には、寝る前よりは少しはマシな事があるよ」
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私は、丸々二日も眠っていたらしい。清掃部の診療室で目が覚めると、両腕が修理されていた。
「カース? さあねぇ? 用は済んだからって、さっさと帰ったよ。例の少女と槍は魔道院が回収していったよ」
ドクは上機嫌だった。隊員に軽微な被害を出しただけで速やかに事態を収拾した功績により、年内には特殊清掃部から上位の組織に格上げされるらしい。私にはどうでも良い事だが。
*****
姿を消したカースを探すために、ディミータとバックラーにも手伝ってもらったが、彼の行方は杳として知れなかった。
非番の日を利用しては学院都市を探して回った。確か祖母が武器屋を営んでいると言っていたが、老婆が経営している武器屋に該当は無かった。
寒い冗談ばかり吐く「隻眼のサムライ」のようでいて、髪と瞳が「銀髪の剣士」のような青年。「六英雄物語」を読むたびに、カースの背中を思い出して赤面してしまう。そのうち自分が「隻眼のサムライの後を追い、森を出奔した金色の戦乙女」の様に思えて、カースを探すのを諦めた。生きていれば、きっとまた会える。
*****
ルルモニには、その後も会わなかった。何度か学院内や街中で見かける事はあった。だが、少しぎこちない歩様を目の当たりにすると、色々な事を思い出したり考えたりして、結局は逃げ出してしまう自分に嫌気が差す。
――――苦しみや悲しみは皆で分かち合うのよ。
ミュラの声が聞こえたような気がした。
分かっているよ。でも、もう少しだけ。
*****
驚いたことにルルモニの作る飴玉が、学院の購買部に並ぶ人気商品になっていた。
「ごめんなさいね。イチゴ味は売り切れちゃったのよ。黒蜜飴なら残っているんだけどね」
売店の中年女性は申し訳無さそうに言った。
「飴を作っている子にね、黒蜜飴は売れ行きが悪いから廃番にしてイチゴ味を増やしたらどう? って言ったのよ」
私は代金を支払い、黒蜜飴の入った袋を受け取った。
「そしたらね、親友の大好物だから死ぬまで作るんだって。黒蜜飴が大好物なんて、ずいぶん渋い友達よねぇ」
歩きながら袋を破り、黒蜜飴を一粒取り出した。「錬金仕掛けの腕」の使い方にも慣れた。ルルモ二が錬金仕掛けの足で軽快に駆ける姿を見たら、彼女に鋼鉄の腕を見せる勇気が出るだろうか。
潰してしまわないように慎重に飴玉を摘まみ、眺めてみた。黒蜜飴は記憶にある飴よりも色に深みがあるし、形も粒が揃っていてとても綺麗だ。
だけどね、ルルモニ。私はイチゴ味の方が好きなんだぞ。分かって無いな、まったく。
必ず会いに行くからね。全てを護り切る自信が付くまで、もう少しだけ待っていて。
そう誓い、願いながら、両手を空に翳してみた。
この錬金仕掛けの腕で、私は愛する全てを護る。
私の大切な者を傷つける敵を、私はこの鋼鉄の腕で打ち滅ぼす。
森を捨て、友を失い、憧れすら失くした私に残された唯一の道。
誰かに選択を迫られたのではない、私が選択した私の生きる道。
黒蜜飴は優しい味がした。
ありがとうルルモニ。
甘いよ、とっても。涙のせいかな。