第58話 武器屋見習いに期待するな
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なんてこった。どうして隊長が、あの槍を手に持ってんだ。
つい先日まで、美しい森に囲まれた泉の畔で、キレイなエルフのお姉ちゃんたちに囲まれて至福の時間を過ごしてたってのに、何が悲しくて薄暗くって湿っぽい地下三階でこんな事に巻き込まれてんだ?
隊長は辛うじて腕の形を残した手甲みたいな左腕で黄金の槍を握り、夢見るような微笑みを浮かべている。
「おい、ネイト? 一体どうしたんだ?」
ただならぬ様子に気付いたバックラーが、隊長に歩み寄り問いかけた。
隊長はゆらゆらと身体を揺らしながらバックラーに向き直る。
「バックラー、近寄るな! 彼女は正気を失っている!」
「何だと? 何だってネイトがそんな事に?」
「とにかく一旦退こう。仕切り直しだ!」
そう叫んで手近な岩陰に身を隠すと、後ろにバックラーが続いた。
「あら、カース。まだ生きていらして?」
「これはこれはディミータさん。御無事で何より」
ディミータは、いち早く危険な雰囲気を察知していたようだ。未だに意識を失ったままの少女を抱え、岩に隠れて様子を窺っていたらしい。
間違いない。あれは英雄遺物『女神の聖槍』だ。それは六英雄の一人『金色の戦乙女』が終生愛用したと伝えられる黄金の槍。
穂先から柄に至るまで、全体に刻まれた『力ある文字』が、空間に満ちる精霊の力を集め、全てを貫く力に変える伝説の武器。
魔導院が保管していたとは知らなかった。だが、『英雄遺物』は”装備条件”が異様に厳しく、身につけるには様々な条件をクリアしなければならないはず。
「ディミータさん、隊長の職種は『騎士』ですか?」
「特殊掃除部に来るまではね。何でそんな事を聞くの」
女性、エルフ、そして元騎士か……確かに”装備条件”を満たしつつある。これで隊長が六英雄の連なる血筋ならば槍を御せる可能性があるが、中途半端に条件を満たすと聖槍の持つ力に呑まれる。それは呪いに限りなく近い。
俺は、婆ちゃんに”装備条件”について、教わった事を思い出した。
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「なぁ婆ちゃん。どうして男は『薔薇のカチューシャ』を装備出来ないんだ?」
俺は店のカウンターに肘を突きながら、武具屋なら一度は必ず目を通す『古今武具百科事典・防具編』を読んでいた。
◇◆◇薔薇のカチューシャ◇◆◇
***人間の男性に恋をした薔薇の妖精が、妖精の女王の怒りに触れ、髪飾りに姿を変えられたと言われる女性専用の頭部用防具***
防御力・髪飾りと大差無い
主な効果・混乱・魅了に耐性あり
装備条件・女性のみ装備可・男性は装備不可
◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇
辞典には、解説文の他に美麗なイラストも描かれている。小さな薔薇が万遍なくあしらわれた、いかにもな感じのカチューシャは、装備した女性を二割増しに可愛く見せてくれそうだ。
「どうしたんだい? まさかお前、女装にでも目覚めたのかい?」
「何故にそうなる?」
「ああ、どうしよう。一族の恥になる前に成敗するべきか」
「……あのさあ、『薔薇のカチューシャ』ってのは、見た目には男が装備する物には見えないけど、装備する事くらい出来るじゃんか?」
婆ちゃんは商品のロングソードに不備が無いか点検しながら、俺の顔を見て意地の悪い笑顔を浮かべる。婆ちゃんがこういった顔をしたときは、大抵、意地悪をされると相場が決まっている。
「では、お前が女物の下着を身に着けたとしよう」
「だから、何故にそうなる」
「お前は自分の下着姿を気に入ったとしても、それを見た周囲の人間は、お前を呪われた存在として見るだろう」
「婆ちゃん……例えが悪過ぎるよ」
なんて例えだ。可愛い孫を変態みたいに言うな。
「だが、女物の下着に夢中のお前は、己が呪われた存在だという事実に全く気がつかない」
「まだ続くのか、それ」
流石にゲンナリしてきた。俺は断じて変態では無い。あえて言うならフェミニストだ。
「話は最後まで聞きなさい。力のある武具は装備する者を選ぶ。条件を満たさない者を受け入れることは無い」
「辞典には”薔薇のカチューシャは男性の装備不可”って書いてある。でも、頭に乗せる事くらいは出来るだろ?」
俺は店の壁に吊り下げてあった『革の帽子』を手に取って、被ってみせた。それを見た婆ちゃんは、ゆっくりと首を振った。
「薔薇のカチューシャは女性しか受け入れない。装備しても本来の能力を発揮しないだけだ。それが”薔薇のカチューシャの装備条件”という事」
「呪われたりはしないのか?」
「お前が頭に薔薇のカチューシャを乗せて歩いていたら、ご近所さんは、お前を呪われた存在として見るだろう」
「また、そこに戻んのか」
「装備条件を満たさない者に呪いを齎す程のアイテムは、余程の曰くがある物だけだ。薔薇のカチューシャには、それ程の力は無い」
「なるほどね。じゃあ、鋼玉の剣は、どうなんだ?」
折れた宝石の剣。英雄の成れの果て。呪物にして英雄の遺物。
「鋼玉石の剣は、我らが血族にしか装備は出来ない」
「でも、持つ事くらいは出来るよな?」
「そう。持ち運ぶ事は誰でも可能だ。だが、使いこなすとなると話は別だ」
婆ちゃんは腰のベルトに吊り下げた短剣用の鞘から、刃の無い剣柄を取り出した。
「一族の血筋だろうが、相応の力を持たない者は『鋼玉石の剣』の呪いに呑まれかねない」
「剣の呪いに呑まれると、どうなるんだ?」
「寝る事も食べる事も忘れ、休む事なく死ぬまで呪物を狩り続ける事になる」
婆ちゃんが鋼玉の剣を、俺の目の前のカウンターに置いた。
俺と婆ちゃんだけに見える、蠢く螺旋の黒蛇。俺は返す言葉も無く婆ちゃんの顔を見返した。
「鋼玉の剣は英雄遺物だ。これ程の武具になるとアイテム自体が意思を持つ。操るつもりが操られる事になりかねない」
俺は、呪剣の声を聞いた事がある。あれは御先祖の叫びなのか? それともコランダムの意思なのか?
――――クワセロ 呪ヲ
――――クダケ 呪物ヲ
「どちらにしろ、今のお前では『鋼玉石の剣』は扱いきれない……まだまだ修行が必要だ」
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さあ、どうする? 睡眠ガスの瓶は、さっき使ったのがラストだ。ズダ袋を特殊清掃部の事務所に置いてきたのが悔やまれる。左腕しか使えない分だけ金髪の少女よりは組し易いかも知れないが、隊長の戦闘力には計り知れないものがある。
「バックラー、どう思う?」
「俺の盾は、あと一撃くらいは耐えきれる」
「ディミータさん、どうですか?」
岩に身を預け、少女を抱き抱えたままのディミータに聞いた。
「私はまだいける。でも、ネイトを傷つけるのは許さないよ」
「俺に策があります。上手くいけば隊長を傷付けないで収められるかも知れない」
俺は大陸の東の果て、海を隔てた小さな島々からなる『ヤマト』と呼ばれる国を旅した時に覚えた集団戦法をバックラーとディミータに伝えた。
三人縦列で進撃し、先頭が突撃、敵が避けた所を二列目が突撃、仕留めきれない場合に三列目が突撃する連続突撃。
それは六英雄の一人、隻眼のサムライが編み出した『龍牙』と呼ばれる技を集団戦用に発展させた戦法だ。
「狙いを槍に絞れば、いける」
俺は自分に言い聞かせる様に呟いた。
バックラーが俺の肩を掴んだ。分厚い掌に勇気付けられる。
「やりかけた仕事は、無理やりにでも終わらせなければな」
「この期に及んで自前で被せるとは……やり手だな。だが、ここまできたらやり切るしかない」
俺とバックラーは共に視線を交わし、ガッシリとシェイクハンドした。
「じゃれ合うのも良いけど、そこまでにしときな」
ディミータの警告に気を引き締め、眼前に迫る脅威に注意を傾ける。
フラついていた隊長が経過にステップを踏み、傷付いた左腕一本だけで身長ほどもある聖槍を回転させた。
隊長の赤い瞳は光を失っている。だが、その顔には闘争を楽しむ者特有の笑みが浮かんでいた。
「こりゃ、さっきよりマシな状況なのか?」
「いや、悪化したとしか思えん」
俺のボヤキにバックラーが真顔で答える。そんな俺たちのやり取りを横目にディミータは少女を岩陰に横たえ、立ち上がった。
「ネイトの最大の武器は、スピードを活かした突進力よ。でも、アームズは槍を操る様な仕様には作られていない」
「そうだ。しかも活きているのは利き腕じゃ無く、半壊した左腕だ。そこに俺たちの付け入る隙がある」
俺は自分に言い聞かせるように言ったつもりだが、二人は力強く頷いた。
もはや、頑張りましたがダメでした、で済む状況では無い。少女と隊長を無事に地上に連れ帰り、あの迷惑な槍を持ち帰るんだ!
って、参ったな。俺、こんなキャラじゃないんだけどなぁ。
「来るぞ! 二人とも準備は良いか!?」
バックラーは答える代わりに背負った小型の盾を両腕に構え、ディミータは、左右互い違いに腰に差したククリナイフを引き抜いた。
そして俺は、大量生産品のロングソードを鞘から抜いた。くそ、婆ちゃんの店から、もっと良いヤツを持ってくりゃ良かった。
「行くぞ! 隊長を救えるのは俺たちだけだ!」
俺の雄叫びを合図にバックラーを先頭に全員が岩陰から飛び出す。それを待ち構えていたかのように、隊長は一直線に突撃して来た。
少女との戦闘で目にした、相手の得物を小型の盾で弾く妙技。あの技ならば槍を弾き飛ばせるかも知れない。先頭をバックラーに任せた理由はそこだ。
バックラーがギリギリまで身を低くして、隊長の突撃に備える。
凄まじいまでの突進力を見せ、隊長が猛烈な勢いで槍を突き出す。
槍と盾が火花を散らして激突する!
「なっ!? 消えた!?」
だが、次の動作に移る俺の視界から、隊長の姿が消えた。
「俺を踏み台にしただと!」
バックラーが驚愕の呻きを上げた。隊長はどこだ!?
頭上に黒い影が過り、ゾクッとくるような殺気を受けて天井を見上げた。
「金色の……戦乙女……」
遥か頭上に滞空するのは、輝く槍を手に天を駆ける戦乙女。子供の頃に思い描いた英雄そのものの勇姿に身を守ることすら忘れ、その痺れるような美しさに思わず心を奪われた。
戦乙女が茫然とする俺の前に降り立つ。
はっ、と我に返った時には、黄金の槍の先端が俺の目前に迫っていた。
「駄目よ!!」
棒立ちのまま動けない俺の前に、ディミータが立ち塞がった。
「やめなさい、ネイト!!」
両手を広げて悲痛な叫びを上げたディミータを前に、今にも突き倒さんとしていた戦乙女の動きが止まった。
その時だ。鞘に収めた『鋼玉石の剣』が、その存在をアピールするかのように激しく震えだした。
俺は反射的に鞘からコランダムを取り出し、願った。強く強く願った。
――――頼む! 隊長を救ってくれ。彼女を槍から解放してくれ。
痛切な願いに応えるように、鋼玉石の剣から輝く光が溢れ出した。
俺は鋼玉石の剣で数多の呪いを砕いてきた。ある時は烈火の炎、ある時は雷の柱、ある時は凍てつく吹雪の剣で数々の呪物を粉砕してきた。だが、こんな暖かな光を放つコランダムを見るのは初めてだ。
そして、剣から発する光の奔流が、隊長の身体を包み込んだ。