第56話 英雄遺物
「ネイト! しっかりしろ! 気を呑まれるな!」
ディミータの叫びに我に返る。
違う。あの少女は六英雄では無い。六英雄のはずが無い。彼らは五百年も前の存在だ。
黄金の戦乙女と錯覚させるほどに神々しい威容。人間族にこれほど美しい少女がいるとは。お姉様もかくやと思わせる際立った容姿。
エルフの郷の乙女たちが、川のせせらぎに洗われる白瑪瑙とすれば、少女は完璧なカッティングを施した金剛石。野に咲く花とは違う、気品を湛えた庭園の薔薇だ。だが今は、美しい薔薇を愛でている場合ではない。
「カース! あれは呪物なのか? 答えろ!」
カースに問いかけたが、返答は無い。項垂れたままだ。
「ほよ……とほ……」
人喰鬼の死骸の丘の上に立ち、堂々たる姿勢で私たちを睥睨していた少女が、小鳥が囀る様な声で呟いた。
「はい……や……は」
弾かれたようにカースが頭を上げる。私は少女の呟きに耳を疑った。
何故、あの少女がエルフの言葉を?
「隊長! 槍と彼女を引き離せれば、何とかなるかも知れない!」
カースが叫んだ。
どういう意味だ? だが、今は彼の言葉を信じるしかない。
少女はエルフの言葉を呟きながら、穂先のぶれない突撃姿勢で槍を構えた。
「隊長、あの槍は俺が弾く。その間に策を練ってくれ」
「バックラー! 止めろ。あの槍は普通じゃない」
「俺はバックラーだ。俺は、お前らを守る盾だ」
「駄目だ! 許可出来ない!」
「俺は、心も涙も無い一枚の盾で良い」
バックラーは、黄金の槍を構える少女に向き直った。
「俺は、お前たちを護る。俺はもう、誰も失わない」
バックラーの稼いでくれる時間を無駄には出来ない。しかし、いかにバックラーと言えども、あの槍の一撃を受けては無傷とはいられないだろう。私は……私はどうすれば良い?
「カース、あの槍は何だ? 何故、あの少女はエルフ族の言葉を?」
「あれは呪物じゃない。あれは英雄の槍、『英雄遺物』だ」
「何を馬鹿な!! 『英雄遺物』だと? そんな物は伝説の中の存在だ。お伽噺に過ぎない!」
「今は議論している場合じゃない。とにかく、槍と彼女を引き離すしかないだろう」
場の空気が張り詰めていく。少女の構えた槍に『見えない力』が集まっていくような気配を感じる。
……英雄遺物だと? 六英雄の武器が存在している? それこそ冒険物語だ。
「もう、こうなっちゃったら、さっくりブッ殺した方が手っ取り早くて安心じゃない?」
「ディミータ。それは駄目だ」
「とにかく一撃を凌ごう。俺に考えがある。あれが『英雄遺物』ならば、逆に何とかなるかも知れない」
バックラーが両腕に装備した小型の盾を、少女に向けて防御姿勢を取る。
ドクの錬金術で強化された腕と盾。それがバックラーに与えられた錬金術の力。仲間を護るのが彼の能力。
――――俺は、心も涙も無い一枚の盾で良いんだ
先ほどのバックラーの言葉。それが特殊清掃部に残った理由なのだろうか。
私が知る限り、魔導院最高の防御力を誇るバックラー。
私が知る限り、最高の貫通力の黄金の槍。
槍の一撃を逸らすタイミングを計るバックラー。
微塵の乱れも無い突撃姿勢の戦乙女。槍の穂先は微動だにしない。
岩壁に空いた穴からネズミのような小動物が這い出し、槍と盾の間を走り抜ける。
同時に動いた。
黄金の輝きが一直線にバックラーを襲う。
これ以上無いタイミングでバックラーの盾が迎撃する。
正面からの槍の直撃を避け、流れるように、すくい上げるように、小型の盾が驀進するベクトルを逸らす。
だが、凄まじい衝撃が小型の盾を容赦無く砕き、なおも直進する力の奔流は頑強なドワーフを天井に叩きつける。
為す術も無くバックラーの身体は勢いのままに床に落下した。
「バックラー! 嫌だぁ! バックラー!」
「ディミータ、落ち着け! 大丈夫だ、バックラーは死んではいない」
床に倒れ伏したバックラーの腕が動いた。私たちに向かって小さく手を振っている。だが、槍を弾かれて大きく仰け反った少女は、床に突き立てた槍を支点に鮮やかに空中を舞い、音も無く着地する。
「化物め……カース、君の策を教えてくれ」
「彼女を槍から引き離す。あの槍は呪物では無いんだ。そこに俺たちの勝機がある」
彼は懐から茶色の小瓶を取り出し、手短に作戦の説明をした。不確実極まり無い作戦だが、彼の策に乗るしかない。防臭マスクをしっかりと被る。
「俺がバックラーに声をかけるのが合図だ。いくぞ!」
カースが小瓶の蓋を開け、少女の足元に投げつけた。薬剤が空気に触れ、もうもうと白煙が上がる。
「バックラー! マスクを被れ! いますぐにだ。いますぐに」
「苦しいな。煙だけに苦しい」
苦しげにバックラーが答え、仮面を装着する。
すごいな、お前たちは。さっき出会ったばかりなのに。だが、お陰で緊張が解けた。
私は、これ以上仲間を失う訳にはいかない。失うのは両腕と戦乙女だけで十分だ。カイラル、アスベル、ソカリス、ミュラ、そしてルルモニ。見ていてくれ。私は、もう仲間を失わない。
巨獣すら眠らせると触れ込みの睡眠ガスの煙幕を掻い潜り、ディミータが少女に迫る。黒猫の仕事は隙を作る事だ。
私は右半身を反らし「ドラゴン・トゥース」の姿勢を取る。槍の代わりに鋼鉄の右手を手刀の形にする。左手を伸ばし中指を照準に――――信じるんだ、仲間を。
「ニギャアァ!」
黒猫が大げさな叫びを上げ、ククリナイフを大きく振りかぶる。少女が、ふら付きながら防御姿勢をとる。両手で黄金の槍の柄を握り、ナイフから身を守る。ガスが効いているのか少女に隙が出来た。
捉えた! 私は一筋の槍になる。狙いは黄金の槍。
やってやろうじゃないか。英雄遺物の黄金の槍と錬金仕掛けの槍。どちらが勝つか。
ディミータの斬撃を避けて飛び退いた少女が私に向き直る。その顔に浮かんだのは愉悦の表情。きっと私も同じ顔をしているのだろう。
「ハイヤアッ! ハァッ!」
私と少女が同時に雄叫びを上げる。獲物を追い立てる掛け声。久しく忘れていたエルフの言葉。
黄金の槍よ、戦乙女よ。四人掛かりとは卑怯だが、私はエルフの誇りを持って貴女を撃とう。
僅かに私が先に動く。
少女が突撃姿勢を取る。遅い。バックラーを打倒したときの様にはいかない。準備動作が短い。
リーチは槍に分がある。唸りを上げて穂先が迫る。だが、閃光の煌めきは無い。勝てる。「錬金仕掛けの腕」で槍を弾けば私の勝ちだ。
渾身の力を鋼鉄の腕に込める。
激突する槍と槍。
右腕が砕け散っていく。
まだだ! 右腕一本くれてやる。だが、まだ終わらせない。
右の「錬金仕掛けの腕」が崩壊した。だが少女は槍を離さない。
互いに突撃姿勢のまま激突。
激突する直前に、左の「錬金仕掛けの腕」で黄金の槍の柄を殴り付けた。
左腕に衝撃。左の拳が砕ける。左肘が曲がらない方向を向く。激痛に気が遠くなる。
身体と身体が、ぶつかり合う。
少女に怪我を負わせないように、受け身を考えずに身を投げ出した。
「カース、頼む!」
「任せろ!」
華奢な少女の身体が弾き飛ばされて宙に浮く。床に叩きつけられる寸前に、カースが少女を抱きかかえた。
うつ伏せに倒れ込んだ私は、なんとか動く左腕を支えに身体を起こし、床に座り込んだ。槍は? 黄金の槍は?
ディミータが、少女の手を離れて床に転がった黄金の槍を蹴飛ばし、私の方へ寄越した。
「勝った……のか?」
「ディミータさん、この子の怪我を確認して下さい」
カースは、ぐったりしたままの少女をディミータに預け、壁に凭れて肩で息をするバックラーの元へ向かう。
「やったな。やりやがったな。遣り甲斐があっただろ?」
「たった一つしか無い命を投げ出すとはな。命にスペアは無いんだぜ。槍だけに」
肩を叩きあいながら爆笑する極寒の二人を眺め、苦笑してから自分の両腕を眺めた。
右腕は腕の形を留めていなかった。左腕も辛うじて動く程度だ。小指と中指が反応しない。生身の肘も腫れてきた。しばらく「掃除」は出来ないだろう。ドクは怒るかな? だが、「回収」は成功した。喜ぶかも知れないな。
傍らに目をやると黄金の槍が転がっていた。少女の手から離れれば、装飾が施された華美な槍にしか見えない。
これが「英雄遺物」か。伝説上の存在とばかりに思っていた。実際に目にしても信じ難い。
六英雄が手にしたとされる武具。「銀髪の剣士」が振るったとされる、魔を祓い邪を滅する「宝石の剣」や、「隻眼のサムライ」の持つ、万物を両断すると言われる太刀「村正」。
そして――――
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Hojotoho! Hojotoho!
どこからか掛け声が聞こえる。
懐かしい。何もかも懐かしい。
Heiaha! Heiaha!
誰かが狐でも追っているの?
太った野兎でも見つけた?
今夜は御馳走かな。楽しみだなぁ。
深い森に抱かれ、清い泉に戯れる白瑪瑙の乙女たち。
ねえ、私も仲間に入れて。
ねえ、仲間に入れてよ。
なんで駄目なの?
私の事がキライなの?
眩いばかりの金色の輝きが私の目を射る。
あぁ、そんなところにあったんだ。
最初に失ったもの。
最初から損なわれていたもの。
私は手を伸ばす。
全てを取り戻すために。
http://blogs.yahoo.co.jp/lulutialulumoni/9697469.html
上記のブログに「金髪の少女」と「アームズを装備したネイト」の画像を登録しました。