第55話 戦いの女神 勝利に通じる者
今回の仕事内容が普通の「掃除」ならばエンジニアブーツで十分だが、今回は「迅速な回収」が目的だ。私は編み上げブーツを選び、靴紐をきつく縛り上げた。
「ある生徒とは何者だ?」
ブーツの底の減り具合を確認をしながら銀髪の青年、カースに訊いた。
「俺も詳しくは教えてもらっていないんだよね。騎士科の女生徒ってくらいしか知らない」
「では大変貴重なアイテムとは?」
「大変に貴重な武器としか聞いていない。武器なのは確からしいけど」
「君は何故呼ばれた? その女生徒の関係者か? それとも貴重な武器とやらに詳しいのか?」
「女生徒とは無関係だよ。だけど、貴重な武器とやらには少し詳しいかも知れない」
この男、本当に長老会議が寄越した人物なのか? 持っている情報が不確定極まりない。
「いま俺の事、『役に立たないな』って思ったでしょ」
「え? あ、いや……」
心を読まれた? それとも、私の知らない魔術か? この青年、見た目によらず魔術師なのか?
「エルフって耳の動きで気持ちがバレちゃうから。腹芸が使えないって不便だね」
「耳か……君はエルフについて詳しいのだな」
「最近までエルフの郷で世話になっててね。久々に学院都市に帰ってきたら、いきなり魔導院に行けって婆ちゃんがさ」
エルフの郷が人間を受け入れただと? 余所者を受け入れない私の郷とは大違いだ。だが、今は思い出に浸っている場合では無い。
銀髪の青年、カースは一言で表現するなら旅の行商人のような格好だ。
革製の胸当てに肘当て、膝当てくらいの簡素な防具。腰には鞘に収まった、どこにでもありそうな長剣。そこまでは旅人の風体だが、腰に巻いたベルトのみならず、胸当てを固定するベルトにすら、ディミータが使うような投げナイフから大型の短剣まで、大小様々な刃物が収められている。腰には山斧、背負った大きな袋からは、様々な武器の柄が飛び出している。ポールウェポンはさすがに入りそうにもないが、投槍や投斧らしき武器が見え隠れしている。まるで歩く武器屋だ。
「隊長。バックラーとディミータの二名、準備完了しました」
仕事モードに切り替わったディミータは、普段とは全く違う表情になる。私の頼もしい相棒。
「君にも、一応これを」
青年に特殊清掃部隊の防臭マスクを手渡した。反射的に受け取ったカースは、仮面を裏にしたり表にしたりと、じっくり検分している。
「なんですか、これ? ちょっと怖いデザインですね。装備したら外れなくなりそう」
「防毒マスクみたいなもので、非公認部隊の正式装備だ。一時的とは言え、君も部隊の一員だ。装備はしなくても良いが持っていてくれ」
カースは頷いてマスクを装着したものの、天地が逆だった。
「……カース、逆だ」
「あ、すいません。慣れないもんで。うおっ、前が見えないっ」
お前はルルモニか? と、心の中で呟きながら、カースの顔から仮面を外してやると、思いもよらない至近距離で目が合った。髪の色よりは濃い、銀灰色の瞳に釘付けになる。
……不思議な色。小雨の降る泉のような。葉から落ちる水滴のような。
「く・お・らぁ! 貴様らぁ! 何をイチャついておるかぁ!」
ディミータの長い尾が激しく揺れる。いつもの不機嫌・黒猫モード。
「テメェ、人のモンに手ェ出しおったら、ただじゃおけんぞお。肝に銘じときぃやぁ」
「おい、一刻を争うんじゃないのか」
低い位置からの至極真っ当な指摘。バックラーの呟きに全員が黙り込んだ。
そうだった。地下訓練施設に急がなくては。しかし、カースと目が合った時の、あの気持ちは何だ? 胸の奥に違和感が残る。体調不良で無ければ良いのだが。
「行くぞ!」
自分にいいきかせるように出撃の号令を掛けた。
***
時刻は昼食時、学院は賑やかだったが、地下訓練施設の利用者は皆無だった。
すっかり顔馴染みになった受付の若い男性から説明を受ける。
「上から連絡は来ています。例の生徒が受付を突破したのは一時間ほど前です」
「助かります。生徒の特徴などは覚えていますか?」
「騎士科の女生徒です。パーティを組んで何度かは地下に潜っています。目立つ子なので覚えてはいますが、名前までは、ちょっと」
受付の男性から、生徒の特徴を聞き出し全員で確認する。
年齢は十代前半から中頃、総合戦闘科の制服を着用。金髪に緑の瞳。色白。身長はドワーフ族のバックラーより少し高いが、かなり薄い身体つき。そして、手に持った得物は長槍らしい。
「伝説の戦乙女が実在するのなら、あんな感じなんでしょうね」
受付の男性は思い出したかの様に、ふやけた表情になる。女性の外見に惑わされる性格なのだろう。
「ディミータが先頭、私、バックラーと続け。カース、君は自由にしろ。ただし自分の身は自分で守れ」
地下に続く階段を駆け下りながら指示を出す。
「一時間前か。どこまで潜っているだろうか? 地下一階に留まっていてくれれば助かるな」
「どうして地下訓練施設に潜ったんだろうねぇ? 持ち逃げするなら学院の外でしょうに」
「貴重な武器を持っているとはいえ、女生徒一人だ。そう深くには潜れないだろう」
「生きていりゃあ良いんだがな。既に『荷物』になっちまっているかも知れん」
両手に小型の盾、更に何枚もの小型の盾を背負ったドワーフ族のバックラーだが、その鈍重そうな外見に反して足は速い。猫人族のディミータほどの移動速度は無いにせよ、隊列を崩したり足手纏いになる事は無い。
「カース、君はどう思う?」
荷物を部室に預けて、歩く武器屋姿から軽装の旅人風になった銀髪の青年に訊いた。彼は防臭マスクを祭りのお面の様に頭の後に回していた。
「うーん、俺が呼ばれたって事は、その女生徒は正気を失っていると思うんだよね」
「正気を? 何故そんな事が分かる?」
「その槍は、十中八九、呪いのアイテムだ。俺、その類のプロだから」
呪いのアイテムの専門家? 解呪の神聖術を使うのか?
「君は解呪が出来るのか? 失礼だが聖職者には見えないが」
「俺、壊せるんですよ。呪いのアイテム」
「呪物を壊す? 聞いた事が無いぞ。そんな話は」
「ちょっとしたコツがあるんだ。コツコツってね」
無言で階段を駆け下りた。早くも遅れ始めたカースが何か言っているが、私には何も聞こえなかった。
「血の臭いがする」
ディミータが鼻をひくつかせる。やはり探索や捜索にはディミータは頼りになる。
「方角は分かるか?」
答えずディミータが走り出す。その後を全員が続く。
「意外と近いかも知れないな」
カースの声に振り返る。真剣さを形にしたような銀灰色の瞳に射抜かれる。
「地下だけに近い、とか言っちゃって」
……こいつを寄越した長老会議とは、一体どんな集まりなんだ?
*****
「なんだぁ? こりゃあ?」
バックラーが呟く。それは全員の気持ちを代弁した呟きだった。
三体の豚人族が、己の血溜まりの中で折り重なるように倒れていた。その胸には抉られたような大きな穴が穿たれている。前に倣えで整列した所を、バガテルの化合弓で打ち抜かれたような傷だ。いや、さすがの化合弓でも、三体のオークを同時に打ち抜けるほどの威力は無い。
「これは、大型弩砲でも使ったというの?」
ディミータですら、言葉を失う光景。私たちが追っている女生徒とは、いかなる手練れか? もしや野獣のような戦乙女か。
「隊長、これを見てくれ」
片膝をついてオークの死骸を調べていたカースが私を見上げる。
長い前髪から垣間見える銀色の眼差しに、胸の奥が疼く。
「まだ血が乾ききっていない。そう遠くには行っていないはずだ。とおーくにはな」
胸の痛みは寒い冗談が原因だろうか。
防御の達人、バックラーが私を守るかのようにカースの前に立ちはだかる。
「三体か……そう多くはないな。おーくはな」
バックラーがカースを見下ろしながら呟いた。
「やるな、あんた。俺の攻撃の上に被せてくるとは」
「お前こそ。この状況でまさかの攻撃。侮れん」
バックラーがカースに手を差し出す。その手を握り、立ち上がる銀髪の青年。
異種族同士、こんなに短期間で打ち解けるとは。カース、君は一体、何者だ?
*****
モンスターの死骸を追ってみると、女生徒は迷うことなく地下へ地下へと、最短距離で向かったようだ。
倒れているモンスターの共通点は、胴体に空いた巨大な穴。女生徒が持ち出したというのは武器ではなく、もしかしたら掘削機では無いだろうか。
「これは……何とも凄まじいな」
散々、私の心を凍てつかせたカースも、さすがに寒い呪言を吐けなくなるほどの光景だった。
重騎士のような出で立ちの「人喰鬼の戦士」の死骸が二体転がっている。鎧ごと背中まで貫かれ、胸に空いた大穴から床が垣間見える。重厚な金属鎧を着こんだオーガバトラーの胴体を一撃で貫通する戦闘力。だが、奇妙な事に争った形跡が殆ど無い。
「不意を衝いたにしても、反撃の機会も与えずオーガバトラーを二体も倒すとは、どんな女生徒だ」
さすがのバックラーも呆れたように肩を竦める。
「立ちふさがる敵を見境なく撃破している様だな。他の生徒がいたら巻き添えになっていたかも知れない」
昼時で良かった。今頃、地上では平和なランチタイムだろう。只今、地下では掘削機で地下訓練施設を掘り進む、野獣のような女生徒が快進撃中だ。
「静かに」
ディミータが人差し指を立てて口元に当てる。
耳を澄ます。金属のぶつかり合う音。獣の発する短い悲鳴。
黒猫が無言で駆け出した。全員がディミータを追う。
黒猫が曲がり角を右に曲がる。視界から消えるディミータ。
黒猫が曲がり角を戻って来る。私の脇をすり抜け、来た道を走り去るディミータ。
「にっ、逃げろ! ヤバい!」
あんなに慌てたディミータを見るのは初めてだ。何だ? この先には何がいる?
地響きのような足音が聞こえる。待てよ……この足音はどこかで聞いた事があるぞ。
「うそだ……ろ?」
カースの呟きと共に全員が全速力で来た道を走り出した。
通路の向こうから人喰鬼の大群が怒涛の勢いで走ってきた!
「はぁっはぁっはぁっ、何で、何がどうして、またリアル鬼ごっこ?」
「はっはっはぁっはっはぁ、分からん、何が何だかサッパリ分からん」
バックラーが走りながら振り返り、「おい、あれは何だ!」と、後ろを指差した。
走りながら首だけで振り返ると、短い悲鳴と共にオーガが一体、また一体と倒れていくのが見えた。人喰鬼の一団の向こうに何かがいる?
「止まれ! 全員停止!!」
目前まで迫ったオーガの腹を突き抜けて、凄まじい勢いで尖鋭的な何かが飛び出す。悲鳴を上げる事も無くオーガが絶命する。
「バックラーは前衛守備! ディミータ、援護しろ!」
頬に飛んだ返り血に、私の防衛本能が警告を発する。
反射的に両腕を交差させて防御体勢を取る。床を蹴り、受け身を考えずに後に飛ぶ。
オーガの胴体を貫いた黄金の輝きが「錬金仕掛けの腕」に触れた瞬間、巨大な鉄球でも打ちこまれたのかと思うほどの衝撃に身体ごと弾き飛ばされる。
咄嗟に鋼鉄の腕で防がなければ、吹き飛ばされるどころか内臓破裂で即死しているところだった。しかも、いまのは私を狙った攻撃では無い。
「あれは……まさか……」
カースの絶望にも似た呟きを耳にした。
血生臭い風に靡く金色の髪にエメラルドの瞳。戦いの喜びに震え、返り血を浴びて微笑む少女。それは美しき戦いの女神。
私は見た。積み重なった人喰鬼の死骸の上に立つ、威風堂々たる『金色の戦乙女』の姿を。