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お前ら!武器屋に感謝しろ!  作者: ポロニア
第三章 異端の女
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第53話 姉と妹

*****



「ほらほらほらぁ! 四角い床を丸く掃いちゃ駄目でしょう!」

「すいません……」

「まったくもぅ! ダークエルフちゃん、あんた掃除したこと無いの?」

「はい。郷では手伝いの者が、寮では友達がやってくれたので」


 正直に答えたつもりだったが、ディミータは呆れたような引き攣った半笑いを浮かべた。


「まったく。思っていたよりお嬢さん育ちなのねぇ。ダークエルフちゃん」

「ディミータ、『ダークエルフちゃん』は、ちょっと……」

「そうよね。長すぎよね」

「そういう問題では無いと思う」

「どっちにしろ、コードネームが必要なの。ナックルが死んじまったから、Nが空いたわ。そうねぇ。ネイトがいいわ。本名に似ていて良いでしょ」


 ディミータは「ネイト、ネイト、私のネイト」と何度も口にしてニコニコしている。どうやら気に入ったらしい。


 ネイト……「力」を司る神の眷属。戦士の守神にして、戦死者の運び手。神話に残る、戦死者の魂を選別する戦乙女と似ている。


 ――――戦乙女……私はもう、槍を握る事は出来ない。


 錬金仕掛けの腕を得てから一週間が経ち、金属の腕の扱いにも慣れてきた。

 ようやく日常生活にもそれほどの不便は感じなくなったものの、私の新しい腕は握手した相手の手を握り潰しかねない。微妙な力加減が必要な武器は、もう扱う事は出来ないだろう。


 ――――今後の調整次第だけども、あんまり繊細な動きは期待出来ないかもねぇ

 ――――そんなの別にどうでも良いわよぅ。お姉さんが『良いコト』を教えてあげてるんだから


 ドクとディミータの弾まない会話を思い出す。

 そして、その「良いコト」が、この掃除のイロハだ。


「次はヤスリでデッキを磨きましょ。あ、ネイトの力でヤスリをかけたら穴が空いちゃうか。じゃあ塀を塗りましょう」

「ディミータ。本当に掃除をするの?」

「はい? だってウチの部署知ってるでしょ? 『魔導院清掃局地下訓練施設特殊清掃部』よぉ。特殊お掃除部隊よ?」

「……本当の本当に掃除だったんだ」

「そうよ。人がやりたく無い仕事だから給料イイわよぅ。早くノームちゃんに義足をプレゼントしたいでしょ?」


 いくら人が敬遠する仕事だからといって、錬金仕掛けの義足が買える程の給金が貰えるのだろうか? 狐、いや、猫につままれた気分だ。


「さて、一通りの仕事は覚えたようだし、いっちょ実地訓練に行きますかねぇ」

「実地訓練?」

「そうよぉ。地下一階の掃除に行こ! お姉さんとネイトの二人で十分ね」


 そう言って手渡されたのは、錬金雑巾に錬金デッキブラシ。そして、ドクが開発した軽くて便利な錬金掃除セット。


「似合う似合う、超似合うぅ! いやぁん、カワウィーわぁ」


 ディミータは、両手を頬に当ててクネクネしている。動きにあわせて長い尻尾がゆらゆら揺れる。

 この機能性重視の制服は、掃除の為だったのか。では、あの仮面は?


 ――――この仮面はね、防臭効果が凄いんだよ。活性炭フィルターを錬金術で強化したんだ。これさえ被ればもう何の臭いもしないくらいさ。更に、揮発性の強い液体や、刺激の強い気体から目を守るんだ。タマネギ切っても涙の一滴も出ない。実に素晴らしいと思わんかね?


 誇らしげに防臭マスクを説明するドクの姿を思い出した。まさかこれが掃除用のマスクとは思わなかった。


 こうして私は再び地下に潜る事になった。

 お父様、私は何をする為に魔導院に来たのでしょうか。


***


 地下訓練施設は、基本的に終日開放されている。しかし、利用者は主に学院の生徒である為、放課後から夕食の時間までが混み合い、夜間の利用者は殆どいない。明日の授業に差し障るまで訓練に勤しむ理由は無いからだ。


「お掃除、お疲れ様です」


 受付の若い男性警備員に労いの言葉を掛けられると、ディミータは瞳を潤ませて警備員を見つめた。


「いいえ、お互い様です。夜遅くまで大変ですね。貴方も無理を為さらないで」


 ディミータの甘えた口調に男性警備員がふやけた表情になった。

 私は呆れ半分、感心半分に施設に入った時間と利用目的を受付表に書き込む。 これは施設の受付で徹底されていていて、利用者が施設に入ってから二十四時間以内に地上に戻らない場合は、教官や院生から成る捜索隊が派遣されることになっている。


「ネイト、ほらほらそこそこ。スライムが這った後はワックスが剥がれるわね。ワックス塗り直し」

「ネイト、床。ガムくっ付いてる」

「ネイト、そこに血痕。新入生がドン引くとマズイから拭いといて」


 私にばっかり掃除をさせて、ディミータは壁に触れてはフラフラ、床を触ってはフラフラしている。

 一体、何をしているんだろう。ちょっとイライラする。ルルモニの飴を舐めたくなったが、もう一つだって残って無い事実に泣きたくなる。……そうだ、錬金の義足だ。ルルモニが失った大切な物を補う事が出来るかも知れない。ブラシを握る手に力が入る。


「……何か来るわね。足音から六体。生徒かしらん?」


 私よりも早く気配を読むとは、さすがは獣人族(セリアンスロープ)だ。


「ディミータ、この時間なら生徒の可能性は低いのでは?」

「さっすが。ネイトは頭が良いわねぇ」

「どうするんですか!? 私たち武器を携帯していませんよ」

「あらら、豚人族(オーク)ねえ。イヤねえ。下品ねえ。うわっ、くっさぁ。マスクしとけば良かった」


 先を取られた。豚人族(オーク)は六体。欲に塗れた下賤な豚。

 武器の代わりには心許ないが仕方が無い。デッキブラシを槍の代わりに構える。


「ネイト、なにボーっとしてんのよ?」


 身体が、おかしい。腕に、いや全身に違和感を覚える。重い。足が竦む。

 闇雲に振り回したデッキブラシが空を切る。力加減を誤り、手を離れてしまったブラシは、柱の陰に身を隠したディミータの足元に転がった。


「ディミータ! 私はどうしたら良い? 指示を!」


 六体の豚人族(オーク)が、じりじりと私を取り囲む。

 槍さえ、いや武器さえあれば、こんな奴らに負ける私では無い。いや、違う。私は(すく)んでいる。怖い。震えが止まらない。戦うのが怖い。

 後頭部に衝撃を感じ、一瞬、意識が飛ぶ。両足を刈るタックルを避けきれず、床に押し倒される。

 私は防具らしい防具も装備していない。妙に機能的な清掃部の制服だけだ。通常の衣服よりは丈夫だが、決して戦闘用の防具では無い。


「ディミータ! 助けて! ディミータ!」

「甘えるな。闘いなさいよ」


 黒猫は、柱の陰から眺めているだけだ。金色の瞳は輝かない。


 豚人族(オーク)の各々が、私の両手足を押さえつけた。豚の口から滴る唾液が、顔に、身体中に降り注ぐ。

 喰い殺される! 嫌だ。死にたくない。怖いよ。

 経験したことの無い恐怖に涙が溢れる。


「ディミータ! こんなの嫌だよ! 助けてよ!」


 金色の瞳は、私と豚人族(オーク)を見つめるだけ。

 制服が引き裂かれる。湿った外気が肌に触れる。

 嫌だ! カイラル! アスベル! 助けて! 

 泣き叫んでも彼らは来ない。永遠に。


「ディミータ! お願いだから助けて! 嫌だよ! 助けて!」


 黒猫は瞬きすらしない。身動ぎもせず、ただ長い尻尾だけが激しく揺れる。私を組み敷いて、群がる下等な動物たちを無感動に眺めているだけ。


「お父様! お母様! 助けて!」


 豚人族(オーク)の長い舌が、私の身体を舐めまわす。獣臭い唾液の臭いに胃液が込み上げてくる。


「お姉様! お姉様! 助けて!」


 姉の姿に重ねて「金色の戦乙女」に助けを求めていた。邪悪を打ち破る、清らかなる穢れなき乙女。


「ギャオォウ!」


 魂を凍らせるような獣の咆哮に豚人族(オーク)の動きが止まった。硬直した豚人族(オーク)の下に組敷かれながら、視線だけで獣の正体を探る。

 地を這う程に姿勢を低くした黒猫が大きく伸び上がる。爛々と輝く金の瞳。

 飛び上がるように私から離れた豚人族(オーク)どもが、散り散りに逃げ出そうとする。

 黒猫は、左右互い違いに腰に差したククリナイフを一度に抜き放った。予備動作も無く、無造作に手近な豚に切りつける。目にも止まらない斬撃。


 右のククリナイフが豚人族(オーク)の首を薙ぐ。


「立て! また失うつもりか!」


 吠え狂う凶獣。両手の爪の代わりには「残酷」という言葉を形にしたようなククリナイフ。


「足掻け! 自分さえも失うつもりか!」


 左のククリナイフが逃げる豚人族(オーク)の背中を切り裂く。


「失うのか! 私はまた失うのか! エレクトラ!」


 絶叫。沈黙。そして血の海。

 私以外には、動く者はいなかった。



 気を失ったディミータを担いて地下訓練施設の入り口に戻った。引き裂かれた制服は、錬金ゴミ袋を(まと)って誤魔化した。

 受付では救護班を呼ばれそうになったが、ディミータが貧血を起こしただけと言い張った。

 地下訓練施設を掃除に来たのに、逆に汚して来ただけのような気がする。

 背負ったディミータは、あんまりに軽くてフニャフニャしている。本当に猫みたいだ。私を救った気まぐれで凶暴な黒猫。

 彼女は何に反応して逆上したのだろう。見当もつかないし、疲れて今は何も考えられない。


 特殊清掃部の事務所は魔道塔の並びに立つ、総合庁舎の地下だ。

 幸い事務所には、四角四面体のバックラーと、汚い白衣のドクが残ってボードゲームに興じていた。


「ディミータがやられたのか? 信じられん」


 慌てて立ち上がったバックラーが呟く。彼はドワーフ族だ。


 ドワーフ族は、鉱山や採石場などに居を構え金属加工を生業とする、小柄ながらも頑強な肉体と立派な髭を誇る種族だ。

 火と大地に愛され、強い酒を愛する種族と言われる。頑固で寡黙な者が多いが、義に厚く、仲間を大切にする者が多いと聞く。


「突然逆上して、その後に気を失って……」

「彼女、何か言っていたかい?」


 沈痛な表情のドク。濃いレンズ越しでは、彼の感情は窺い知れない。


「エレクトラ。誰かの名前ですか?」


 ドクは軽く溜息をついた。


「バックラー、続きはまた今度にしよう。これからディミータの治療をするから、先に帰っていてくれ。ネイト、手伝ってもらえるかい?」


 バックラーは心配そうに気を失ったディミータの顔を眺めていた。硬そうな虎髭を何度か(しご)いてから一言だけ言って事務所を去った。


「ディミータを頼む。俺の大切な仲間なんだ」


*****


「エレクトラはね、ディミータの妹の名前なんだ」


 ディミータは目を覚まさないかったが、大きな怪我も無く治療は必要なかった。

 一段落して、ドクはコーヒーを淹れた。私にも勧めてくれたが、マグカップの様な割れ物を握りつぶさずに扱う自信が無いので断った。


「ディミータは元々は学院の生徒でね。妹とパーティを組んでいたんだ」


 私は答えず、眠るディミータの顔を眺めた。黒猫は、同じくベッドに横たわっていた私の顔を、どんな気持ちで眺めていたのだろうか。


「彼女たちのパーティは地下四階で何者かに壊滅させられてね。ディミータだけが救出されたんだ」


 私と同じ、いや、私にはルルモニがいる。希望と救いがある。


「酷い目に遭ったのだろうね。酷い物を見たのだろうね。満身創痍の彼女は視力すら失っていた」


 ドクはボサボサの髪を、更にボサボサにする様に掻き回した。私はディミータの顔を見つめ続けた。


「僕は光すら失った彼女に、有りと(あら)ゆる物を見通す錬金仕掛けの『金色の瞳』をプレゼントした。そして、僕とディミータで特殊清掃部を創設した」


 眠り続けるディミータの黒髪を撫でた。彼女が私を撫でてくれたように。


「僕たちの本来の仕事はね、地下訓練施設で命を落とした者の亡骸の回収だよ。そしてディミータは、もう何年も何年も、ずっと妹を探しているんだよ」

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