第50話 タクティクスオーガ
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地下三階からは訓練施設としての様相も一変する。
灰色の煉瓦を積み重ねた壁と床で造成された地下一、ニ階と違い、地下三階はまるで洞窟のように暗く、陰鬱な場所だ。
伝え聞いた話では地下四階から下に遺構があり、その上に岩や土砂が降り積もり、更にその上に魔導院が建てられているという。つまり地下三階部分は魔導院によって掘られた人工の洞窟ということだ。
「久々に三階まで来たけど、やっぱ、すっげぇ緊張するよな」
「アスベル、お前には常にそれくらいの緊張感があった方が良いぞ」
「お兄様ってば、何故にボクだけに厳しいのでしょうかね」
二人のやり取りに思わず吹き出してしまった。この兄弟は、こう見えてバランスの良い組み合わせだ。私も今ならば、お姉様とこんな風にふざけあえるのだろうか。
じゃれ合うカイラルとアスベルを横目に洞窟然とした景色を見渡すと、所々に落盤を防ぐ為の支柱が立てられ、天板を支えているのが目に入る。
「やだぁ……いま、そこに何かいたよ」
ミュラが壁に空いた穴を指差して不安げな顔をした。
「ああ、あれはネズミの巣だな」
「ネスは平気なの?」
「ん? 何の話だろうか?」
「……あなた、見た目に反して豪胆よね」
何だか分からないが、どうやら褒められたようだ。一応、「いや、それほどでも」と返しておいた。
「ルルモニ、こっちを照らしてくれ」
地図を片手にしたカイラルが声を掛けると、ランタンを手にルルモニがトコトコと駆けて行った。
天井や壁面に設置された魔陽灯が洞窟の闇を払ってくれてはいたが、薄ぼんやりしたその灯りは、地図を見るには心許ない。
「おや? 地図と違うな。こんな所に扉は無かったはずだが」
厚く頑丈そうな扉を前に、カイラルが両手に持った地図を睨みつつ唸る。
こういう時こそ地図作成スキルを学んだ「盗賊科」の生徒がいれば、地図が間違っているのか、それとも道を間違えたのか判断してくれる。
いくら統率力に優れたリーダーとは言え、戦士科のカイラルに地図の読解まで求めるのは酷といえよう。
「地図の通りだと、通路の向こうには広い部屋があるはずなのだが……この扉は一体何だ?」
私たちのパーティには、地図の作成や解読、罠の設置や解除、潜伏や待ち伏せなどの隠密行動を学んだ「盗賊科」や「レンジャー科」の様な、探索に向いた技能を習得したメンバーがいない。
いよいよ地下三階からは正確な地図の作成や、罠の解除などの探索に必要なスキルが必要とされる。立ち塞がる敵を蹴散らすだけでは地下訓練施設の先に進むのは容易では無い。
地図を上に下へと格闘するカイラルを余所に、ルルモニは岩壁を小さな手でぺチぺチと叩いた。
「ふうむ、ルルモニのじっかとにているな」
「じっか? ああ、実家ね……って、お前ん家って、こんなんかよ? そりゃあ、お前、変な奴に育つはずだわ」
またもや妙な事を言い出したルルモニに、アスベルが呆れ顔で返した。
ノーム族は洞窟を改装して住居にすると聞く。では、扉を開けると、そこには友好的な種族の住まいがあって、突然お邪魔した私たちを暖かいスープで持成してくれるのだろうか。おそらくスープの材料は我々に決まりだろう。
「鍵がかかるような扉では無いようだな。カイラル、どうする?」
私は扉には直接触れずに、頑丈そうだが木材を組んだだけの簡素な扉を見て言った。
「ネス、中の様子は察知できるか?」
「駄目だ。壁も扉も厚すぎて、何も感じられない」
「なあ兄ィ、蹴破っちまおうぜ」
「アスベル、懲りてないな。この間、警報の罠に引っ掛って逃げてきたばかりだろうが」
先日の訓練中に、アスベルが警報に引っ掛り、人喰鬼の集団に地下を追いかけまわされたのを思い出した。
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「あれ? 俺、いま、なんか踏んだぞ」
BEEP! BEEP! BEEP!
「ばっ馬鹿! アスベル馬鹿! 馬鹿の王様! 馬鹿王!」
「え? 俺? ネスじゃねぇの? 違う? やっぱ俺か」
「なんか、むこうから、はしってきたよ。おうーい」
「おうーい、じゃねえだろ! 兄ィ! どうするっ」
「非常にまずい。今すぐ全員回れ右だ。撤退だ!」
獅子の鬣を逆立てたような頭髪に、天井に届くほどの剛強な巨躯を誇り、一体で未熟なパーティ一組に匹敵するほどの戦闘力を持つ人喰鬼の大群に追いかけられるのは、さすがに怖かった。
「はぁっはぁっ……ちょっ、超リアル鬼ごっこっ!」
「はっはぁはぁ、捕まったら、りっ、リアルに喰われるうっ」
「あははははははははは」
「ル、ルルモニが壊れた?」
「あははははははははは」
「なっ、ルルモニっ? はやっ!」
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普段の極楽ノームな姿からは想像出来ないスピードで走り去っていくルルモニの背中を追って、全員で地下訓練施設を逃げ回ったのは苦い思い出だ。
「あぁ、ありゃ酷かった。あんなの、もうごめんだわ」
「だが、ここを通らないと先には進めない」
「扉を空けた瞬間に、ソカリスの魔術で焼き払うってのはどうだ?」
「それは賛成しかねるよ、アスベル。もしかしたら、この先に傷ついた生徒が助けを待っているかも知れない」
「もしも罠が掛かっているとしたら『警報の罠』かと思う」
「何でだよ? ネス?」
「鍵を掛ける扉ではない以上は、警報くらいしか罠を仕掛ける必要は無い。この扉は何者かが生活する上で仕切りとして作ったのだろう」
こんな場所に住んでいる以上、友好的な連中では無いだろう。
「罠に掛かるのを覚悟で行くか?」
「この扉を開けねえと先に進めないから仕方が無いっしょ。それともノックでもするかい?」
「んちわー! ミカワヤでーす!」
「ルルモニ……ミカワヤって何?」
「では、アラーム覚悟で突っ込むぞ。十体以上の敵がいたら即時撤退だ。ネス、アスベルの前衛は状況を見て直ぐに支持を出す。ソカリスは広範囲の攻撃魔術の準備」
全員が頷く。カイラルが無言で指を三本立てる。
鋼の槍を強く握りこむ。
冷たい泉に飛び込む前のように、息を大きく吸い込む。
そして、全身の力を腕に、手に、槍に!!
カイラルの手によって扉が開かれた!
――――BEEP! BEEP! BEEP! BEEP! BEE……
予想通りに、大音量の警報が鳴り響く
学生食堂の半分ほどの広さか。机や椅子、生活用品らしき品が転がっているのが視界に入る。
のそりと玉座から立ち上がる巨躯。その手には鈍く輝く大剣。人喰鬼の王と、その周りに侍る衛士たち。
甲虫を模したような、淡い水色の鎧に身を包んだ巨躯。先日の鬼ごっこの親玉「人喰鬼の王」。
蛮族の様な半裸姿の人喰鬼とは違い、戦棍を持った重騎士のような甲冑姿の「人喰鬼の戦士」が二体。
鋼に肉体に、巨大な弓を携えた「人喰鬼の弓兵」が同じく二体。
願ってもいない好機だ。手薄なところを突いた。だが「人喰鬼の王」の放つ威圧感、それは並みの人喰鬼の比では無い。その闘気に気圧される。
「ネスは王を! アスベルは遊撃! 私は弓兵を狙う! ソカリス、いけるか!」
返事の代わりに私たちの横を、轟然と炎の嵐が吹き抜ける。
――轟!
猛烈な火炎が吹き荒れ、王と衛士たちを包み込む。さすがはソカリス。タイミングに抜かりは無い。
だが、そこは生命力漲る人喰鬼族。苦い焦げ臭さと、吐き気を催す肉の焼ける臭いが立ち込める中、一体として倒れている人喰鬼はいない。
「ウゴオォオオ!!」
威嚇するように咆哮を上げた人喰鬼の王に突撃をしかけると、間髪入れず大剣が私を迎え撃ってきた。
魔陽灯の光を反射した煌めく光が私を打つ。
疾風のような速さ。大剣が目の前に迫る。
「貫け! 私の槍は、お前を逃がさない!」
身を伏せて、地面すれすれを駆け横薙ぎに払われた一撃を避けながら、渾身の一突きをお見舞いする。
「速攻! 猛攻! 強攻! 俺は戦士ぃい!」
雄叫びをあげたアスベルが、二体の人喰鬼の戦士を相手に立ちまわっている。
唸りを上げる戦棍を掻い潜り、戦斧を振り回し叩きつける姿は、まるで戦鬼だ。
「恐れるな、私の心! 恐れるな、皆の闘志!」
カイラルの雄叫びにパーティ全員が鼓舞される。
怪我を負った者にミュラが駆け寄り、神聖術で怪我を癒す。
ルルモニが投げ付ける特製火炎瓶が、人喰鬼たちを襲う。
ソカリスの魔術が炸裂する。眩く輝く雷球が人喰鬼の弓兵を撃つ。
「喰らえっ!」
鋼の槍が、王の腹部深々と突き刺さる!!
「ゴオォウオウオゥオ!!」
激痛に叫び声を上げる王の姿に勝利を確信した瞬間、密着に近い状態から唸りを上げて正拳が繰り出された。予想も出来ない近接攻撃をまともに胸に受けてしまう。
「ぐはあっ!!」
咄嗟に槍を引き抜き、飛び退いて衝撃を和らげたが、拳の強烈な一撃を受けて息が詰まった。
息が吸えない。思わず片膝を突いてしまう。天使の胸鎧を装備していなかったら、肋骨の数本は持っていかれるところだ。
膝を突いた私の背中に、王が追撃を加えようと大剣を振りかぶるのが見えた。
「よくも俺のネスを! おんどりぃやあぁ!!」
駆け抜け様にアスベルの戦斧が、王の胴を横薙ぎにする。
胴体を半ばまで叩き切られた王が、恐るべき生命力でもってアスベルに向き直った。が、そこまでだった。
鋼の槍が、あっけなく王の側頭を貫いた。
巨躯が一瞬、硬直し、そのままの姿勢で倒れ込む。
「勝った……のか?」
辺りを見渡すと、折れた巨大な弓と、甲冑を着こんだ人喰鬼が床に転がっていた。私たちのパーティ以外に動く者はいない。
「ネス、危なかったな。立てるか?」
「ああ、大丈夫……」
「どうした? どっか怪我でもしたか? あ、もしかして、さっきの『俺のネス』ってトコ? うへへ、気にしないで」
アスベルの軽口を叩き、膝を突いた私に手を差し伸べる。
「大勝利だ。これほどの戦闘、今までに経験したことが無かったな」
冷静なカイラルが興奮気味に捲し立てる。
勝利の余韻に浸り、皆が緊張を解いて戦利品を品定めしている。
「怪我は無いですか? どこか痛めていたら早く治療しましょう」
ミュラとルルモニのケアは、いつものように万全だ。
私はアスベルの手を握り立ち上がる。
「警報が心配です。新手が現れる前に立ち去りましょう」
そうだ。ソカリスの言う通りだ。
なにか、よくないことが。
――――早く此処から立ち去らないと。
私の本能が警報を鳴らす。
「おい、どうしたんだよネス? ぼんやりしちゃって」
なにか、よくないものが、すぐ近くに。