第5話 見知らぬ指
なっ、なんだこりゃ? 慌てて自分の指の本数を数えた。一、ニ、三、四……十本ある。当たり前だ。じゃあ、これは誰の指だ?
俺は肌色の芋虫みたいな切断された指を、恐る恐る摘まんで眺めてみた。太くて丸みのある指は親指だろうか? 硬い指毛がちらほら生えている。すると、これは男の指か?
ぞくり、とするような切断面が目に入り、石榴の実の様なブツブツした赤い切り口の中心に白い物が見えた。つい先ほどまで見ていた悪夢を思い出して全身に怖気が走る。
――――ざけんな! 冗談じゃないぞ!
ガンガン痛む頭と、酸っぱい胃液が上がってくるのを抑えながら、たっぷり寝汗を吸い込んだ寝巻きから学院の制服に着替える。
血で汚れた手を洗い、冷たい水で顔を洗うと少しはマシな気分になった。ヒゲを当たる気にはなれない。いま、刃物なんか触ったら、それこそどうにかなっちまいそうだ。
念の為に切断された指を布に包んで、部屋に備え付けられた机の抽斗に仕舞っておいた。
ビーフィンは俺と同じく学院内にある男子寮に住んでいる。この部屋の上の階だ。俺は転げるようにして自室から飛び出た。
走りたいのに、太ももに力が入らないなんて気持ちは分かるか? 階段を這いながら登った事は? 自分の身体がこれ程いう事を聞かなくなるなんて、思ってもみなかった。それなのに鈍く痛む頭の芯だけは冴えきって、最悪の結果だけを想像していた。
さっきのはただの悪い夢だ。婆ちゃんに墓から甦ってきたゾンビの話を聞かされた夜に見た悪夢と同じだ。じゃあ、あの指はなんだ? アレも夢か? 俺は夢と現実の境い目も分からなくなってきたのか? ビーフィンの部屋のドアを開けりゃ、どうせ腹出して寝てるか、寝呆け面で「オゥ朝飯から奢ってくれるのかい?」なんて軽口を叩くに決まってる。そんで俺は「もちろん!」って、親指を上げるんだ。なあ、ビーフィン。生きてるよな。生きていてくれ。しかし、なんで誰も起きて来ないんだ?
寮内は静まり返っている。寮の朝は腹を空かせた野郎どもで、ガヤガヤ騒々しい筈だ。ダメだ。頭が痛くて何も考えられない。
「おい、何でそんな所で這いつくばっているんだ!」
鉛の兜を被ったかの様に重く鈍った頭をどうにか持ち上げると、抜き身の長剣を下げた教官が俺を見下ろしていた。どうして教官が、寮内で軽戦闘用装備なんかに身を固めているんだろうか。
「非常招集のサイレンが聞こえなかったのか? 寮生はエントランスに集合だ」
「何か……あったんですか?」
「点呼を取ったら一人足りなくて確認にきたんだ。まったく、お前まで死んでるのかと心配したぞ」
「死んだ? 死んだって誰がですか」
最悪だ。こんな事があっていい訳がない。
学院都市にも治安維持の巡回隊、いわゆる警察隊があるのは当然だよな。他所の街では、警察隊は軍部の下部組織である事が多いが、学院都市では魔導院直轄の「風紀委員会」が巡回隊の上位組織だ。学院内で、しかも寮内で死人が出たとなれば、そりゃ当然、風紀委員会が捜査にあたる。
お前らも悪い事すると「風紀委員会」に、お世話になる事になるぞ。
……おや、軽口叩ける空気じゃないな。
十分に広々とした寮のエントランスだが、学院の教官、寮生、それに風紀委員会の捜査員が集まると、さすがに狭く感じられる。
そこでは全員一列に並べられての事情聴取が始まっていた。事件だとしたら犯人はこの中にいる可能性が高い。
普段は教官の前でも、べちゃくちゃ喋くる寮生たちだが、さすがに強面の捜査員たちの前では、皆一様に押し黙っている。だが、俺は列に割り込んででも、ビーフィンがどのようにして死んだのか一刻も早く知りたかった。
――――すいません。ちょっとお尋ねしたいのですが、遺体の指は何本ありますか?
聞ける筈も無い。俺がやりました、と自分から名乗り出るようなもんだ。
前日にビーフィンと共に地下訓練施設に潜っていた俺たちは重要参考人扱いだった。午後からは、パーティのメンバー五名が個別に取り調べを受ける事になった。
ちょっとした事で、すぐに泣き出してしまう彼女が心配だった。メンバーの中でただ一人の女生徒の彼女は、たった一人で取り調べを受けているらしい。
この瞬間にも、彼女がどんな目に遭わされているのだろう? 脂ぎった中年の捜査員に、どんなに過激で陰湿で卑猥な言葉責めを受けているのか? 俺は激しく興奮……もとい、心配した。
冗談だよ。お前らが深刻な顔をしてるから場を和ませようと思ってね。冗談だよ、冗談。怖い顔すんなよ。