第44話 珈琲と黒蜜
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それからというもの、私とルルモニは講義の合間に都合を合わせては買い物を楽しみ、安くて美味しいと噂の店を探しては夕食を共にし、評判の娯楽施設に遊びに行った。
そう……その数ある娯楽施設の一つで、とある究極の娯楽に出会ってしまったのだ。
「ルルモニは、おんせんしたいです」
オンセンとは何だろう。人の名前か? オンセン死体?
「でも、がくいんとしには、お風呂やさんしかないのです」
……風呂の事だったか。良かったなオンセン氏。
学院の女子寮にも風呂はあるが、温かい湯に浸かった経験が無いのと、黒い肌を晒すのは憚られたので水浴びだけで済ませている。
「ルルモニは、お風呂やさんにいきたいのです」
「ルルモニ、わたしは風呂にいきたくないのです」
「何言ってんの? 早く行くんだよ。ほれ」
ルルモニは本当に言葉が苦手なのだろうか。言葉では、まったく敵わない。
早めの時間なのが幸いだったか、ルルモニが選んだ入浴施設は最近オープンしたにも関わらず、利用者は私たち二人だけだった。
さて、大勢が入浴出来るほどの湯を沸かすだけの熱量を、どのように調達するのだろうか。やはり大量の木材を燃料にするのか? そうなると、エルフの端くれとしては少し複雑な気分だ。
私たちエルフ族は、何より森を、木を大切に扱う。それは近ごろ人間族の間で流行の「森を大切にしようキャンペーン」などでは無くエルフの本能的なものだ。私たちの一族は、森が無くては全ての生物は生きていけない事を知っている。
入浴の手順について書かれた壁紙を眺めていると、ボイラーについて気になる記述を見つけた。
***当施設の浴場には、魔導院錬金術科の開発した錬金製ボイラーを使用しております。錬金製ボイラーは、従来のボイラーに比べて燃料を約半分にまで節約出来ます***
こんなところにまで錬金術が応用されているのか。感心を通り越して恐れすら抱く。
「はやくー。はやくはいろう風呂はいろうはやくはいろう風呂はいろうよ」
妙にテンポの良いルルモニに急かされるように服を脱ぐ。裸を見られる事に抵抗は無いが、私は脱いだ服を畳みながらも、嫌な事を思い出した。
――――郷長の下の娘が水浴びをすると、泉の水が汚れて困る
郷の者たちの陰口。私に聞こえるのを知った上で陰口を楽しんでいたのだろう。いや、陰口では無く本心だったのかも知れない。
「ほほう、抜群のプロポーション! グッとクルゥー」
また花の話か? 森の外の世界で流行っているのか。このフレーズは。
脱衣所から浴場を隔てている扉を開けると、意外に広くて開放的な気分になった。
壁も床も青みかかった白くて清潔なタイル張りだ。脱衣所の向かいに大きな浴槽があり、温かな湯気が立っている。磨かれたタイル張りの床に足を取られそうで、私は用心してゆっくりと歩いた。
すると、私の脇を一陣の風が駆け抜け、勢いのまま川に飛び込むような姿勢でルルモニが浴槽に飛び込んだ。
1・浴場では走らぬこと。
2・体を洗ってから浴槽に入りましょう。
3.浴槽にはゆっくり浸かりましょう。
先ほど確認した入浴の手順からすると、奴はすでに三つの禁忌を犯している。さあ、何をもって償わせようか。
「おーい、なにやってんだー。はやくこいよーう、おまえー」
身体を洗う私に向かって、長年連れ添った伴侶にかけるようなセリフを吐いている奴がいるが、私は人間族の定めた規律を破るつもりは無い。せっかく私を受け入れてくれた世界だ。規律は守らねば。
冷水で身を清め、いざ行かんとするか。湯の森、浴槽へ……あぁ、やっぱり怖い。熱いのかな?
私は、おっかなびっくりそろそろと爪先を浴槽の湯に浸けてみた……か、かなり熱いぞ。大丈夫か?
「くくく……ゆだんしたな」
熱い湯に気を取られ過ぎて、いつの間にか背後に回ったルルモニに気が付かなかった。
「ちょ……押すな。押すなって。お願い、押さないで! やめて、やめぎゃあぁ!」
……はあぁ、これは気持ちが良い。
暖かい湯に包まれて、身体中から色んなものが抜けていく。
ふうぅ、なんか、もう、どうでもいいさぁ、って気持ちになる。
なぜ私は、今の今まで湯に入らなかったのだろう。新たなる此の世の神秘に触れたようだ。
また来よう。次はルルモニ抜きで。
***
ルルモニのパーティ全員の都合を合わせる為に、私を含め六人で顔合わせを兼ねて学生食堂で昼食を取る事になった。
どうも朝からソワソワして、気分が落ちつかない。そのせいか、午前中の実技訓練では、久々に後頭部を強打してしまった。上達した分だけ破壊力の増した己れの一撃で、危うく自らを病院送りにするところだった。
私は、ぶつけた患部を冷やしつつ、食堂へと向かうことにした。
魔導院の学生食堂は、蔦の絡まった煉瓦の壁の、懐古的で趣のある外観だ。広々とした食堂内は、二百名が一度の食事が出来るほどの広さがある。
吹き抜けの天井に加え、二階席まであり、モノトーンを基調にしたシックなインテリアは学院都市の人気レストランにも負けない雰囲気だ。しかし、学生食堂らしく「値段は安く」「量は多く」、そして「味は二の次」だ。
席は予約しているので、昼の席取り合戦に加わる心配は無いのだが、私は予定より十五分ほど早く着いて先に昼食を済ませた。
メニューは新鮮な野菜を挟んだパンとコーヒー。私はこの頃、コーヒーという飲み物に嵌っている。
初めて飲んだ時には苦い薬のようにも感じたが、慣れてくると苦味の後に来る豊かなコクと酸味がクセになる。苦味が口内に残らず、すっきりさせてくれるので食事中にも飲めるのも良い。これが乾燥させた木の実から作られる飲み物と知った時には心底驚いた。
私の育った森では果実の汁などを集めてジュースにするか、集めた果汁を発酵させて酒を造るくらいで、わざわざ木の実を乾燥させたものを焼いて・砕いて・湯を注いで・濾すなんて、一体どこの誰が思い付いたのか。恐るべし人間族。大陸の半分を手にするだけある。
「君がルルモニの紹介してくれた騎士科の女子だね」
コーヒーを楽しんでいたところに、テーブルの向かいから声をかけられた。
「初めまして。私はカイラル。こっちはアスベルだ」
にこやかに笑う体格の良い二人の青年は、総合戦闘科の制服を着ているところからして、おそらくは戦士だろうか。それにしてもこの二人、良く似た顔立ちをしているな。
「俺たち兄弟なんすよ。カイラルが兄ィで、俺が弟ッス。よろしく!」
「おい、アスベル、初対面の女性に失礼だぞ。弟が失礼な物言いをして済まない」
少しだけ背が方のカイラルが、少しだけ背が低い方のアスベルと呼ばれた若者を窘める。この兄弟は、見た目は似ているが性格はかなり違うようだ。
エルフ族は出生率が低い。兄弟姉妹は少数派だ。お姉様と私はエルフでは珍しい例だ。その点、人間族には血族が多いと聞く。
「こんな美人を連れてくるとは、やるなぁモニモニは。なぁ兄ィ」
「また、お前は! だが、確かに美しい女性が仲間になるのは正直嬉しいです」
カイラルとアスベルが同時に手を差し出す。これは何の儀式だろう。
「おい、兄ィ、俺が先に手を出したって」
「馬鹿を言うな、握手をするのは兄が先だろう、どう考えたって兄が先だろうがっ!」
握手か。そういえば、握手と呼ばれる手を握り合う儀式はあまり経験が無い。しかも同時に求められた場合はどうしたら良いのだろう?
とりあえず、私は右手でカイラルの手を握り、腕を交差させて、左手でアスベルの手を握った。
「これでどうだろうか? よ、宜しくお願いします」
カイルとアスベルの動きが一瞬止まった。しまった。これは失礼だったかも。
「面白れぇ! 見かけによらず天然だな。モニモニが連れてくるだけある」
「いや、これは思いつかなかった。貴方は頭が良い女性だ」
二人は腹を抱えて爆笑している。何だか分からないが、これは歓迎されているという事で良いのだろうか。
「たのしそうですなあ。もうなかよくなったですか」
小柄な体に大きめの薬学科の制服を着たノーム族の少女、ルルモニ。その隣には、修道女の着る修道衣に似たデザインの制服を着た少女。白いウィンプルまで被っているので本物の修道女のようだ。
「初めまして。神聖術科のミュラと申します。あなたの噂は聞いていますよ。新入生で騎士科に入科した方がいると聞き、お会いしたいと思っておりました」
私の事が生徒たちの噂になっているのか。この黒い肌のせいだろうか?
「新入生で騎士科に入科なんて数年ぶりだそうですよ。しかも女子生徒だなんて、もしや野獣のような女性かと思っておりましたが、私と変わらぬ女の子で安心しました」
差しのべられた白い手袋に包まれた手を握り返す。
野獣? 私は学院内で、どのように見られているのだろうか。
「おう、ルルモニだ! よろしくな」
お前はいい。
手を突き出してぶつぶつ呟くルルモニの後には、ローブの胸に魔導院の紋章の入った魔術師科の男子用制服を着た華奢な男子生徒が立っていた。金色の髪に青い瞳。青白い肌。そして、尖った長い耳。
「僕はソカリス。魔術師です。どうぞ宜しく」
ソカリスは私を顔を見る事も無く自己紹介した。私の事を視界に入れない様にしているのだろうか。そう感じるのは私のコンプレックスなのだろうか。
私は思い切って右手を差し出した。震える右手。私は私。学院に来てから私は変わったんだ。お父様は言ったではないか。学院は智慧の集まる場所。
「すまない。君が悪いとは思っていない。だけど僕の育った森の教えでは、その手に触れるのには抵抗がある」
***
昼食は和やかに進んだ。生真面目なカイラル。お茶らけるアスベル、笑顔でパンを千切るミュラ。妙な言葉使いで皆を笑わせるルルモニ。そして冷ややかな視線。
私はひとり、もう少しコーヒーを飲むと言って食堂に残った。もう午後の講義が始まる時間だ。食堂には数える程の生徒しか残っていない。午後の日差しは優しかった。
冷えたコップに半分残る褐色の液体。その残った黒っぽい液体を眺めた。どれだけミルクを混ぜても白くはならない。いつまでも茶色い液体。
私と同じだ。何に混ざろうが私は私だった。ここに来て私は変わったと思っていた。でも何も変わっていない。私はコーヒーと同じ色。涙が一滴混じったところで何も変わりはしない。
「あらら、まだいたここにいたのか」
ルルモニ? 午後の講義はどうした?
「しんさくの飴がかんせいしたのだ。毒見させてやる」
小さな掌には黒い玉がひとつ。日差しを受けて、つやつやと輝いている。
「おまえのことをかんがえながらつくった。ほら、ルルモニのすきないろだよ」
彼女は、そっと私の手を取り、黒い玉を私の掌に乗せた。
「くろみつをにつめてつくった。あまいよ。涙がとまるくらいあまいよ」
ありがとう。ルルモニ。
甘いよ、とっても。涙のせいかな。




