第4話 呪いの始まり 悪夢
俺がまだ学院に在籍していた頃は、腕の立つ先輩たちでも地下四階までしか到達していなかった。そんな先輩方からは「地下訓練施設は三階からが本番だぞ」と、散々脅かされたもんだ。
今はどうなんだ? 俺の可愛い後輩たちは何階まで到達してるんだ? そうか、お前らは地下一階までか。まぁ、焦らず行けよ。行けば分かるさ。
訓練施設の地下三階には梯子で降りるんだ。丈夫な金属製の梯子とはいえ、普段の生活に梯子なんて使わないだろ? 暗がりの中、降りる先が見えない梯子を降りる。そりゃあドキドキしたモンさ。
訓練施設入口から地下一階に下りる階段には、
***気持ちが悪くなったら、すぐに近くの教官に***
とか、
***危ない! と思ったら、慌てず騒がず無理せず帰還***
なんて注意書きが、階段の壁一面に貼られてるくらいの過保護っぷりだったのに、地下三階からの危険度の上がりっぷりは反則レベルだ。
人喰鬼や戦鬼などの半端な知性があるうえに戦闘慣れした凶暴な亜人や、巨大昆虫類の殺人蟷螂や巨大百足などなど、気を抜くとパーティが全滅に追い込まれかねない怪物との戦いは熾烈だった。
でも、俺は充実してたよ。これこそが戦場よ! ってね。婆ちゃんが熱く語ってくれた騎士物語に近づいている、って感じられたからな。
実際にステータス数値も「騎士科」を受験するに足りてきてたんだぜ。やっぱ「信仰」のステータス数値は、イマイチ足りなかったけどな。
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苦戦の末に凶悪な人喰鬼の一団を壊滅させた時だった。奴ら、後生大事に宝箱なんて持っていやがったんだ。だが、お約束通りに鍵が掛かっていた。そんな時は開錠のエキスパート、「盗賊」の出番だ。
俺らのパーティの「盗賊科」の生徒は、事が上手く運ぶと親指を立てるクセがあったから「ビッグフィンガー」、略して「ビーフィン」って、仲間内で呼んでいた。お手製ピックで器用に罠を解除していくビーフィンの手並みは、それは見事なもんだった。
間を置かずして宝箱と格闘するビーフィンの手元から「キィン」と、小気味良い金属音が聞こえた。箱の罠が解除された音だ。
ビーフィンは振り向きもせずに、誇らしげに親指を立てて見せた。俺たち全員も、ニヤリと笑いあって親指を立てた。宝箱の中身が高値で売れる物だったら、いつもの飲み屋で祝宴だ!
俺は待ちきれなくなって箱の中を覗き込むと、そこには紅い宝石を嵌め込んだ美しい短刀が納められていた。心を奪われたように言葉も出ない俺の背後から仲間たちも箱を覗き込み、皆が同時に息を飲んだ。だがその時、俺の目に妙なモンが見えたんだ。箱から立ち昇る煙のような奇妙なモヤが。
……こりゃ何だ? 新手の罠か? みんな、気が付いていないのか?
不吉を感じさせる薄黒いモヤは、みるみる内に人の形を取り、しゃがみこんだまま箱の中身に釘付けになっているビーフィンに掴みかかるかのように見えた。
……みんなには見えてないのか? このモヤは、俺だけに見えてるのか!?
俺はタックル紛いにビーフィンを突き飛ばし、短刀を納めたままの宝箱を思いっきり蹴り飛ばした。
後で聞いた話だが、俺は狂ったように叫びながら、仲間が止めるまで箱を蹴り続けていたらしい。一切覚えていなかったが。
「神聖術科」の術者である彼女の「精神を癒す神聖術」で落ち着きを取り戻した俺は、訝しがる仲間たちを相手に、どうにかこうにか説明をした。だが、俺が見たあの「黒いモヤ」は自分でも説明がつかない。
ビーフィンは相当に腹を立てていたが、メシを奢るという約束すると、奴は親指を立ててニヤリと笑って許してくれた。顔は悪いが良いヤツだ。
結局その日は訓練どころじゃ無い、って事で、寄り道しないで地上に戻る事にした。
俺は神聖治癒術じゃなくて、彼女に「直接的かつ情熱的」に癒して貰いたかったが、さすがに疲れていたのでキスだけ有り難く頂戴して、寮に戻って早々に床に就いた。
*
夜中に目が覚めると、俺は暗闇の中に立っていた。壁どころか柱も天井すら見えない。
ここはどこだ? 手を伸ばしてみると、水の中にいるかのような奇妙な抵抗感を指先に感じた。
足下を見た。身体が宙に浮いているんじゃないかと錯覚するほどの深い暗闇に一歩も動けなくなる。
胃が締め付けられるような恐怖と心細さに一歩も動けないでいると、背後に人の気配を感じた。
恐る恐る振り返ると、ねっとりとした闇の中に、趣味の悪い寝間着姿のビーフィンが得意のポーズで親指を突き立てていた。
間の抜けた悪友の姿を見て、ほんの少しだけ安心した。
「だっせーパジャマだな」
そう声を掛けようとした時だ。ビーフィンの背後に何者かが立っていた。
どうもそいつは見覚えがある男だった。だが、あろうことか、その手には不穏な赤光を放つ短刀が握られていた。
一言も発すること無く、男が短刀を振りかぶる。刃が振り下ろされた先には――――
――――避けろ! ビーフィン!
親指が飛んだ。想像したよりも高く。
親指のあった場所からは水飲み場の蛇口を上向きにして捻ったように鮮血が噴き出した。
男の短刀が寝間着ごとビーフィンの身体を切り刻んでいく。それなのにビーフィンは、恍惚とした表情で突っ立ったままだ。
――――止めろ! 止めてくれ! 俺の友だちなんだ!
俺は心の底から懇願した。だが声が出ない。いや、出せない?
短刀は浅く、だが確実にビーフィンの肌を切り裂いていく。どれも致命傷には至らない浅い傷だ。しかし、このままでは失血死は免れない。
俺は涙を流して男に許しを請うた。お願いだ止めてくれ。
――――ビーフィンを許してくれ。お願いだ! 許して下さい。
ビーフィンの身体は裂かれた革袋の様に成り果ててしまった。ビシャリと水っぽい音を立て、そのまま血溜まりに倒れ込む。
そして、真っ赤に染まった短刀を握った男が、ゆっくりと顔を上げた。
*
カーテンの隙間から漏れる朝日が眩しい。
ここは俺の部屋だよな? 体に馴染んだベッドの感触に少しだけ安心した。
酷い夢だった。頭が痛い。吐き気がする。
拳を握り込みすぎて、爪が掌に食い込んじまっていた。
握った拳の隙間から血が滴っていた。どうやら血が滲むほどに、強く握っていたらしい。
指の一本一本をゆっくりと解すと、拳の中に何かを握り込んでいた事に気が付いた。
それは――――
切断された指だった。