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お前ら!武器屋に感謝しろ!  作者: ポロニア
第三章 異端の女
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第37話 紅玉石 燃える炎の石

「お父様、大切な話があります」


 父の執務の合間を見計らって相談を持ちかけた。

 大きな机に隔てられた父と私の距離感。それは、父と私の心の距離のように感じる。


「どうするのか、決めたのかね」


 父は筆を握ったまま、私の顔を見上げた。

 冷厳を絵に描いたような父の険しい表情に鼓動が早まる。偉大な郷長の前で、はっきりと意見の言える者は少ない。


「わ、私は、あの、私は……」

「はっきり言いなさい。大切な話なのだろう」


 父の低く重たい声。目が回り、軽く吐き気がしてきた。このまま下を向いたら眩暈(めまい)を起こして倒れてしまいそうだ。


 「わ、わた、私、森から出たい……」


 何とかそれだけは言えた。


 ――お父様、私は外の世界を見てみたい!

 たった一言。ただ、それだけで良いのに。


 郷長は大きく溜息を吐いた。私は父を失望させたみたいだ。そうだろう。姉とは違い、出来の悪い娘なのだ、私は。


「そうか。分かった」


 父はそれだけ言うと、机の上に広げた書類に筆を走らせ始めた。

 私は一礼して、逃げるように執務室を後にした。


 *


 特に当ても無いが、とりあえず小屋で暮らす事に決めた。

 翻訳を続けた甲斐もあって、私は人間族の言語を殆ど習得することが出来た。一人の生活に慣れたら、人間族の住む街に行ってみよう。六英雄物語にあるような、色んな種族が集まる大きな街に。


 だが、このところ六英雄物語を読み進めるのを止めてしまっていた。物語の中盤に差しかかった辺りに、私にとって出会いたくなかった人物が現れたからだ。それはダークエルフの女将軍。


 狂王軍の幹部にして、狂王の愛妾。

 恐るべき残虐性と悪魔の如き奸智。

 闇に魅入られた邪悪な黒いエルフ。


 私は生まれながらのダークエルフだったのだ。郷の者たちが私を避け、忌み嫌う理由が分かった。

 やっぱり私は、森に居るべきでは無かったんだ。

 

 *


 旅立ちの日は、朝から小雨が降り続いていた。

 父は所用で昨夜から出かけていた。元より見送りなんて期待していない。

 玄関で靴に履き替えていると、床に()せりがちだった母が、介添の者に支えられて起き出していた。


「お、お母さま?」


 靴紐を結ぶ手を止め、振り返って母の顔を見た。

 病に侵され、痩せて頬のこけた青白い顔。でも、母はどんなにやつれても美しかった。何故、これほど美しい母から、私のような娘が生まれてしまったのだろう。


「奥様、もう十分でございましょう」


 郷の者が、靴紐を手にしゃがみ込んだ私を見下ろして早口に言った。

 蔑むような視線には慣れている。気付かない振りをして、やり過ごせば良いだけだ。

 母の口が何かを呟くように動いたが、結局は何も言わずに傘を差し出した。

 母の頬から涙の雫が零れたのを、私は不思議な物を見るような気持ちで眺めた。


「お母様、長らくお世話になりました。どうか、どうか、お元気で」


 私は傘を受け取り、小雨の降る中を駆け出した。振り返りはしなかった。泣き顔を郷の者なんかに見られたく無かったから。


 泉から流れる川沿いを歩いた。草の匂い。虫の鳴く声。青葉から落ちる水滴。水面にぽつぽつと絶え間なく浮かんでは消えていく水の輪。

 傘は差さなかった。全身に故郷を刻みたかったから。

 美しい澄んだ泉よ。

 さようなら、お母様。


 強い風と共に雨足が強くなってきた。閉じた傘を手に小屋へ急いだ。

 ろくに中を確認もせずに扉を開け、小屋の中に飛び込むと、予想もしていなかったことに先客がいた。

 私は傘を魚獲りの銛のようにして身構える。

 椅子に座り、暖炉に向かって手を翳していた男性が私を振り返った。


「お、お父様? お父様が何故ここに?」


 驚きのあまりに上ずった声が出てしまう。

 

「ここで一晩明かしたのだよ。こうでもしなければ見送りも出来ないからな」


 椅子から立ちあがった父が、私の肩に手を乗せる。これから何が始まるのか訳が分からず、身体が固くなるのを感じた。


「ずいぶんと背が伸びたな」


 華奢で小柄なエルフ族の中では大柄な父だが、いつの間にか私の背丈は父と同じくらいになっていた。


「女の子にしては上背がありすぎだ。嫁の貰い手に困るやも知れぬ」


 軽口を叩く父に驚いた。常に威風堂々と構え、余計な事を口にしないのが郷長の姿。


「お父様は、どうしてこんな所で一晩も過ごされたのですか?」

「郷の者に見られては後々、口うるさい連中が何を噂するか分からぬ。それに大事な話をすると、お前は逃げてしまうからな」

 

 微笑みを浮かべる父。遠い記憶に残る優しい笑顔がそこにあった。


「しかも外は大雨だ。これは実に都合が良い」


 くっくっ、と笑う父を前に、私は黙って立っているしかなかった。これから父が何を語るのか。私には見当もつかない。

 郷長はテーブルの上に置かれた一冊の本を手に取った。それは六英雄物語。


「これは、私が魔導院という研究機関で学んでいた頃に読んだ本だ。郷に戻った時に、人間族の書いた本は全て処分しなくてはならなかったのだが、これだけはどうしても捨てられなかった」

「申し訳ありません。そんな大切な本を勝手に読んでしまいました」

「いや、良いのだ。お前が読むのを期待して、ここ置いたのだから。お前の好奇心に期待してな」


 窓を叩く雨が強さを増す。薄暗い部屋の光源は暖炉の炎だけだった。揺れる炎に合わせて、私と父の影が揺れる。


「……何の為でしょうか。何の為に私にその本を?」

「お前が外の世界に興味を持つ様に」

「私が自分から森を捨てるように仕向けたのですか」

「それは違う。済まなかった。お前には辛い思いをさせた」


 父が、エルフの郷の長が深々と頭を下げた。


「お父様! おやめ下さい。郷長が首を垂れるなど。誰かに見られようものなら……」

「郷の者たちの手前、お前を手許に置く為には仕方なかった」

「な、何を今更……」

「許せとは言わぬ。ただ、これだけは信じて欲しい。辛い思いをさせてでも、私は娘を、お前を(そば)に置いておきたかった」

「では、何故これを、六英雄物語を私に読ませたのですか」

「お前はその本を最後まで読んだか?」


 答える代わりに首を降った。その動きに合わせて影が揺れた。


「私は穢れたダークエルフです。森に、泉に、お父様の傍にいてはなりません」

「馬鹿な事を言うな! お前は私の娘だ! 娘が親の傍にいて、何がいけない!? 何がおかしいというのだ!!」


 大きな声に、思わず身体が(すく)んだ。

 冷静にして沈着な郷長が怒鳴る姿など、見た事が無い。


「だが、郷の者たちは、お前を悪しき存在と信じて疑わない」

「お父様は……どうお思いなのですか」

「私は魔導院にいた。そこは大陸中の叡智が集まる場所だ。私は伝承に残る様なダークエルフなど存在しないと確信している」

「では教えて下さい! 私は何者ですか! 何でこんな、こんなの……こんな肌……こんな色、こんなの嫌なのに!」


 私は胸元に両手を広げ、浅黒い両掌を見つめた。

 広げた掌に涙がポツポツ落ちる。私はその手で顔を覆った。


「お前を受け入れるには森は頑なすぎる。森は深いが狭すぎる」


 父は、子供の頃にしてくれたみたいに私を抱きしめてくれた。強く、優しく。


「お前は紅玉石、燃える炎の石だ。森は炎を抱けない」


 父は私から体を離し、強いが優しい口調で言った。小さな子供に言い聞かせるように。


「行きなさい。そして見てきなさい、この世界を。その広さはお前を受け入れるだろう。北に向かいなさい。そこには魔導院がある。そこで世界を学びなさい」


 雨は止んだ。

 私は森を出る。


「お父様、私は行きます。行って学びます。自分が何者かを知る為に」


 そして向おう、北へ。


 さようなら、深大なる森よ。

 ありがとう。お父様。

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