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お前ら!武器屋に感謝しろ!  作者: ポロニア
第三章 異端の女

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第36話 届かなくても

 昨夜は興奮して寝付けなかったのに、今朝はいつもより早く目が覚めてしまった。まだ両親も起き出していない。手伝いの者が来る前に屋敷から出よう。

 まだ太陽が頭も出さない夜明け前だったけど、張り切って辞書と紙束を持ち出し小屋に向かった。こんなに心が浮き立つのは、どれくらい振りだろう。


 郷長である父の屋敷には、両親と私しか住んでいない。姉様が隣りの森の郷長の元に嫁いでから随分経った。

 公務で忙しい父や、病気がちな母に代って郷の者が家事の手伝いに来てくれるのだけど、彼らは私の食事にだけ虫や小石を混ぜたりするので、屋敷ではあまり食事を取らないようにしている。

 小屋まで歩く道すがら、朝食にする木の実を拾いながら歩いた。

 昨日のうちに川に仕掛けておいた罠を調べると、大きな魚が二匹もかかっていた。大漁大漁! お昼に焼いて食べようかな。

 森の恵みは豊かだ。泉はいつだって私に優しい。

 昨日は歌えなかったけど、今日なら歌える。水精の恋歌を歌いながら川沿いを歩いた。


「Er mag. Er mag Sie.Ich würde Sie gern treffen.」


 私はまだ恋を知らないけれど、恋歌の美しい歌詞とメロディが好き。

 森を抜けると、小屋の様子は昨日と変わらない。念のために遠目から小屋を観察してみたけど、特に異常は感じられない。

 私は何の警戒も無く小屋の扉を開けた。当たり前だけど木の香りも昨日と同じ。

 いそいそとテーブルに「六なんとか」の本と辞書、大量の紙を左から順番に並べた。

 本を読み、意味が分からない単語や語句を辞書で調べて紙束に書き残す。良し、良い感じだ。父にも郷の者にも内緒なのが無性に楽しい。

 木の実を齧りながらだと翻訳が(はかど)るのだろうか。すぐに本の題名が判明した。本のタイトルは『六英雄物語』だ。六人の英雄の物語? 直訳し過ぎかも知れない。

 翻訳は自分でも驚くほど早く進んだ。それくらい物語に魅き込まれたからだ。でも私は、英雄たちの活劇の物語よりも、英雄たちが駆け巡る世界に心を奪われた。


 花々が咲き乱れる庭園。

 様々な人々が行き交う都市。

 レンガを高く積み上げた城塞。


 見たい。


 風が渡る大草原。

 荒れ果てた大地。

 果てしない大海。


 見たい、ぜーんぶ見てみたい! 

 なんて世界は広いのだろう!!


 夢中で翻訳を続けているうちに日が落ちかけてきていた。

 灯りが無くては本を読むこと自体が無理だ。だけど、火を使う事は炊事以外には極力避けるのが森の掟。

 名残惜しいけど、今日はここまでにしておこう。



 *



 屋敷に戻った頃には、すでに辺りは真っ暗になっていた。幸い、手伝いの者は屋敷には残っていないようだった。あれこれ詮索されては嫌味を言われるのが目に見えている。

 玄関で靴を脱いでいると、背中に人の気配を感じて振り返った。


「た、ただいま戻りました。お父様」


 私の背後に立っていたのは父だった。


「遅かったな。どこに行っていたのだ」

「小屋の下見に行っていました」

「……そうか」


 それだけ言って、父は踵を返した。私の傍らに置かれた辞書にも紙の束にも、そして私にも興味は無いのだろう。

 私は靴を脱ぎかけたまま玄関に座り込み、父の足音が聞こえなくなるまで、そこでそうしていた。

 暫くして自室に戻ってから、仄かな月の光の元で翻訳した数枚の紙を何度も繰り返して読んだ。


 森の外の世界、見てみたいな。

 どこか遠くへ行ってみたいな。

 どこでもいいから、ここじゃないどこか遠くへ――――


 次の日も、その次の日も小屋に通った。父は何も言わなかった。


 翻訳が進んで分かってきたのは、六英雄物語とは『狂王』と呼ばれる人間族の王が率いる軍勢と、我々の一族やドワーフ族、ノーム族などの『亜人族』の連合軍による大戦乱の戦記でもあった。『六英雄物語』の中で私たちエルフの一族は、戦いに積極的に参加しない意気地無しの種族として描かれていて、ちょっと頭に来た。


 そして六英雄物語を読み進め、私は運命の出会いを果たした。六英雄の一人はエルフ族の少女だったのだ。同族に六英雄がいたのは嬉しい驚きだ。

 『金色の戦乙女』それが彼女の通り名。華奢な身体を金色の鎧に隠し、か弱い力を勇気で補う美しき戦乙女。黄金の聖槍(せいそう)で邪悪な敵を刺し貫く勇姿に心が踊った。

 真似して小屋に転がっていた木材を振り回してみたが、向う脛を思いっきり強打して、そのあまりの痛さにしばらく動けなくなった。


 さて、驚く事に『金色の戦乙女』が故郷の森を出奔したのは、同じ六英雄の一人、『隻眼のサムライ』への慕情が原因だった。偉大な英雄とはいえ、『隻眼のサムライ』は人間族だ。

 人間族というのは、せいぜい五十年くらいしか生きられないと聞いたことがある。短命な人間族に恋をする理由が、私には理解出来ない。

 さらに物語の中での『隻眼のサムライ』は、詰まらない冗談ばかり吐き、肝心な時に武器を失う、三枚目的な役回りだ。そんな『隻眼のサムライ』に恋焦がれる戦乙女の心情に共感が出来ない。同じ人間族ならば『銀髪の剣士』の方がよっぽど似合うと思うのは、私が恋を知らないからだろうか?

 しかし、その『銀髪の剣士』もどうだろうか。彼はやたらに仲間の盾になりたがる癖がある。時には全身で火球を受け止め、また時には身を挺して落石を止めようとする、正に自己犠牲精神の塊だ。

 どうしても彼の行動に違和感を感じるのは、私が友情を理解していないからだろうか?


 私には恋や愛、友情と言った感情がよく分からない。愛や友情は、とても大切な事ということは何となく理解はしている。

 幼い頃、両親に甘えた感情を抱いたことはある。しかし、そこには静かな拒絶が横たわるだけだった。


 私は知りたい。愛や友情を。

 私はなりたい。勇敢な戦乙女に。

 届かなくても良い。少しでも近づきたい。

 『金色の戦乙女(アスティルティト)』に。

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