第23話 二十九秒のお芝居
多忙な「銀髪のソードマスター」が、私の窮地を見かねて代理を寄越してきたんだ。私にはそう思えた。
「泣いて遂行出来る任務は無い。泣いて解決する事案も無い」
恥ずかしさと悔しさに涙が零れ落ちてしまう寸前に、机に伏せたままの私の頭上から、低くて良く通る女性の声が降りてきた。
私は天啓を受けた気がして顔を上げた。馬鹿な私に神様が助言をくれたのかとさえ思った。
「だから泣くな」
私の前に立つ目付きの鋭い女性は、そう言って少しだけ表情を和らげた。
魔導院の制服? 違う。意匠は似ているけど、何だか威圧的なイメージの制服。
学院都市の街角で見かける風紀委員会の巡回員に似ていなくもないのだけれど、目の前に佇む女性の着ている制服はもっと実用的なデザイン。
血の色をした長い髪、冷たい紅玉石のような瞳、艶のある褐色の肌。そして、尖った長い耳。
全てが見慣れないパーツ。全てが異端で出来上がった女性。
「我々は魔導院特務機関特殊作戦部隊だ。任務遂行の障害になると判断した場合、一般人への攻撃及び殺害を許可されている。不用意な行動は慎むように」
黒い手帳と白い書類を掲げ、魔導院ナントカ部隊の女性が事務的な口調で宣告した。
夏だというのに教室の気温が急激に下がった気がする。
「展開、状況開始」
軽く右手を上げた女性の号令と共に、制服に身を包んだ仮面の一団が教室内に駆け込んできた。十人ほどの隊員たちが教室の四隅に散り、出入り口と窓を固める。そのうちの三人が私を取り囲んだ。
「抜刀許可は出さん。各自待機」
私を囲む隊員たちは微動もしない。呼吸をしている気配も無い。
怖い! この人たち怖い! 私、魔導院で何かしたのだろうか?
「我々の任務は『荷物』の保護と運搬。だが、私はこれから三十秒間だけ任務を逸脱する。何か問題はあるか」
この女性は誰に話しかけているのだろう。答える者は誰もいない。教室は時が止まったままだ。きっと三十秒は長すぎる。
私に声をかけてくれた女性が、担任教師の元に歩み寄る。隊員たちを除くクラス中の視線が、床から一段高い教壇に集まった。
「授業を拝見させていただいた。部隊を預かる身として参考になった」
穏やかな口調なのに心の芯まで冷えそうな低い声に、ロリコン教師は曖昧な笑顔を浮かべて教壇の上で棒立ちになっていた。制服の女性は教壇の下から教師にぶつかるほどの距離まで近づく。
こんな時に変な話だけど、女性の赤くて長い髪に見惚れてしまった。腰まで伸びた真っ赤な髪と、小麦色の肌の組み合わせが凄くキレイ。
赤毛の女性が教師の面前に立つ。私の位置からでは、まるで恋人同士がキスを交している様にも見える。だけど――――
「一般人への攻撃は許可されている」
口づけを交わすはずの唇から漏れた言葉は、甘い愛の囁きでは無く、一方的な攻撃の布告。
目にも止まらない速さで女性の右手が教師の胸元を掴み、そのまま一気に吊りあげた。女性が成人男性を片手一本で吊り上げる光景に、クラスの誰もが言葉を失った。担任教師にとっては三十秒は永遠に等しいだろう。
「これは失礼。殺してしまうところでした」
教師の穿いたスラックスの股間に地図のような染みがジワジワと広がっていく。それを見て、女性は掴み上げていた手を放した。
吊り上げられていたロリコン教師は教壇から転げ落ち、四つん這いでヒィヒィと泣き喚き、具合の悪い犬みたいな格好で教室から逃げ出していった。
「書類が一枚増えるところだったな。さて」
赤毛の女性はロリコン教師の痴態を一瞥してから手を叩き、行儀良く背筋を伸ばして座る生徒達に向き直った。
「あのような大人になりたく無くば、日々どのような行動を取ること最適か、各自考えておくように」
頭の固いお爺ちゃん先生みたいな台詞に、非常勤の教師が来たようなものかと想像してみた。恐怖の非常勤女教師? ちょっと面白いな。
「何秒だ?」
恐怖の女教師が、間近にいた仮面の隊員に訊いた。
「二十九秒です。隊長」
「そうか。では私は任務に戻る」
私は二十九秒間のお芝居を見ていたような気がした。