エピローグ お前ら! 武器屋に感謝しろ!
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「それが去年の……あの雪の日に起きた事件の全てだよ」
そうして長く悲しい物語を語り終えると、身動ぎもせずに僕の話に聴き入っていた妹は、その作り物の綺麗な瞳を何度か瞬かせた。
どれくらいの間、僕ら兄妹は向かい合っていたのだろう。聞こえてくるのは暖炉の中で薪がパチパチと弾ける音、それと普段より賑やかに思える街のざわめき。
暖炉の上で丸まっていた黒猫がすとん、と飛び降りたのが合図だったように、妹はスカートを整えて立ち上がった。
「スワンソング?」
僕は、無言で立ち上がった妹の姿に不安を覚えて名を呼んだ。
彼女は、僕の不安を知ってか知らずか、「おかわりを淹れて参ります」と、水を飲みに行った黒猫の後を追った。
「……ありがとう」
見送った小さな背中は、僕の目には何となく寂しげに映った。
スワンソングに下された最終命令は『涙を流す意味を求めよ』だと聞いている。だけど、彼女と過ごしたこの半年の間、僕はスワンソングが涙を流したのを見た事は無い。
ぱたん、と小さな音を立てて閉じられた休憩室の扉から、肌身離さず腰に下げている長剣の鞘に目を移した。
シンプルな革鞘には似つかわない秀麗な剣柄には、紅色の水晶が一際美しく輝いている。
「……なあ、相棒。お前はどうやって”心”を手に入れたんだ?」
返事の代わりに水晶の中の炎が揺らめいた気がした。僕は悩んだり困ったりした時には、こうやって剣に向かって話しかける事にしている。そうすると良い考えが浮かんだり、タイミング良く何かが起きたりするんだ。ほら、こんな風に。
「ふぅう、寒い寒い。ヤバいよ。雪、積もってきちゃったよぅ」
肩に乗った雪を払いながら店に入ってきたのは猫人族の女性、常連客のディミータだった。僕は来客を暖炉の前に誘いながら、彼女が羽織ってきた厚手のコートを受け取った。
「ふぅん。随分と店主っぷりが板に付いてきたじゃない」
「いえいえ。僕なんて師匠の足元にも及びません」
「そうかしらん? あの若白髪よりもずっと良い仕事してると思うんだけど。あんた、顔可愛いから絶対に女性客が増えるわよん」
ずずい、と間を詰めて僕の顔を覗き込んできた金の瞳の圧力に負けて、ついつい三歩ほど後退る。かつて相棒の上司だったというこの女性の、正しく猫のように掴みどころの無い行動と性格には、いつも翻弄されてしまう。
「あの、ディミータ……さん」
「その顔で”ディミータさん”なんて呼ばれると、やっぱり妙な感じがするわねぇ」
「じゃあ、なんて呼んだら良いですか?」
「そうねえ、うふふぅ。”姉さん”って呼んで甘えてもイイのよん」
意地悪な猫みたいな顔をして、ディミータはクスクス笑った。でも、その目にはからかうような色と、思いやりの色が複雑に混じり合っていた。
姉さん、か……僕には二人の姉がいた。これから先も、僕が姉と呼ぶ女性は二人だけしかいない。
「でも、僕からしてディミータさんは、”姉”さんというよりも”姐”さん、って感じがしますね」
「うわうわわ……ちょっと止めてくれる? ホントに最近、ギルドでそんなん呼ばれているんだから」
「じゃあ、あの、昔みたいに『副長』って呼んだ方が良いですか?」
受け取ったコートをハンガーに掛けながら訊き返すと、ディミータは猫目を細めて笑った。
「それもちょっとね。『錬金仕掛けの騎士団』は、とっくに抜けた身だし」
「今は『人探し屋』でしたね」
昨年の聖女王による急襲事件と魔導塔の大倒壊によって、街には多数の死者・行方不明者が出た。一年経った今でも不明者の捜索は続いているが、行政の対応だけでは全く追い付いていないのが現状だ。自然、遺体や遺品の捜索を請け負う者たちが民間から現れ始めた。
結果、マンサーチャーは今、この街で最も稼ぎの良い仕事の一つに数えられている。
「ねえ、あんたも『人探し』を手伝わない? 武器屋がヒマな時で良いからさ」
ディミータは地下訓練施設の『掃除屋』だった経験を活かして、ちょっとした規模の『人探し屋ギルド』を運営をしていた。彼女が率いる組織は依頼料こそ強気の設定だが、捜索成功率はすこぶる高いとの評判だ。
「……そうですね。『人探し』自体に興味無くはないんですけど、僕はまだまだ店の経営を学ばないといけませんから」
「そう、残念ねえ。あんたがウチに来てくれれば、バックラーやバガデルたちも喜ぶと思ったんだけどね」
聞き覚えのある名前に少しだけ心が波立つ。確か相棒が所属していた『掃除屋』の仲間たちだ。だけど、僕とは直接の関わりが薄くてあまりピンとは来ない。
相棒が過ごした日々の記憶は、確かに僕の頭に刻み込まれている。だけど、彼の感じた友情や愛情、彼が経験した苦しみや悲しみまでは、記憶を元に想像する事で受け入れるしかなかった。
「ま、その気になったら、いつでも声掛けなさいね」
だけど、ディミータが僕に注ぐ眼差しは、いつだって優しくて穏やかだ。きっと彼女は居なくなってしまった相棒を、僕に重ねて見ているのだろう。
「ところでディミータさん、今日は何の御用でしたか?」
「ああ、そうそう。ねえ、ウチの旦那、来てないかしら?」
「旦那さんですか? いえ、今日はまだいらしてないですよ」
黒猫みたいなディミータと対象的な、白毛の猫人族の青年を思い浮かべた。
天井に頭が付く程の長身に、叩き出しの鋼のように鍛えられた肉体。その規格外の逞しいボディからは、猫なんて可愛らしい生き物じゃなくて、危険極まりない大型の肉食獣を連想せざるを得ない。
もしかしてディミータの旦那さんは、伝承に残る『虎人族』なんじゃないかと、僕は常々疑っている。
「……あの野郎。またどっかで金にもならない依頼でも受けてるんじゃないでしょうね」
イライラした様子のディミータに椅子を勧め、戻ってきたスワンソングに来客用のコーヒーを用意させようとすると、ディミータは「ごめん、いまコレだから」と言って、先月よりもふっくらしてきた下腹部を摩った。
「ああ、お腹に赤ちゃんがいる時は、コーヒーってダメなんですね」
「全く飲んじゃいけないって訳では無いけど、まだ悪阻が少しね」
ディミータは、いつの間にか足元に寄ってきたエレクトラを拾い上げて、猫に向かって愚痴を言い始めたが、その声はどこか楽しげだ。
「だから、ルルモニ薬局で吐き気止めの薬を貰った帰りに寄ったのよ」
「そうでしたか。そういえば、確か……」
ディミータから受けていた注文の品がそろそろな気がする。スワンソングに確認するように頼むと「先ほど届きました」と、木箱を抱えて持ってきた。
「ありがと……って、重っ!!」
無造作に差し出された木箱を受け取った途端、余りの重さに危うくバランスを崩しかけた。こんな重量物を足の上に落としでもしたら、向こう三か月は松葉杖だ。
「ちょっ、これ、中身はっ!?」
「スローイングナイフが10ダース。しめて120本にございます」
「それを先に言ってくれ!!」
ナイフ満載のずっしりした箱をカウンターに乗せて、額に浮いた脂汗を拭く。こんなの妊婦さんに持たせて帰すなんて真似、僕には出来ない。
「ディミータさん、僕、これ家まで持っていきますから」
「あら、ステキ。宅配業務まで始めたの?」
「いえ、そういうんじゃないんですけど……」
そう返しながらも「武具の宅配……なるほど」と呟く自分がいる。
意外と僕には商売人の素質が備わっているのかも知れない。
*
灰色の曇天に灰色の石畳。
天から降る羽毛のような白雪。
僕はこのモノトーンな街の風景が嫌いじゃない。
スワンソングに店番を頼んで外に出ると、ディミータが言っていたように石畳一面が薄い雪に覆われていた。
「足元、気を付けて下さいね」
なんて言った傍から足を滑らせかけて、ディミータの失笑を買ってしまった。
僕は恐る恐る、ディミータは軽快に歩きながら、未だに瓦礫の撤去すら終わっていない復興半ばといった街並みを眺めた。
嫌でも目に入る巨大な塔は、つい一年前まではこの街の智慧と繁栄のシンボルだった。それが中腹から崩れ、折れて倒れた上層部は北部街区を完全に圧壊し、死んだクジラのような無残な姿を晒していた。それでもここは大陸一の大都市である事には変わりは無い。道を往く人々の表情は明るく、何か浮き足立っているような雰囲気すら感じさせる。
「なんかここ最近、賑やかよねえ」
「ああ、それはアリスの……アイリスレイア様の戴冠式が近いからですよ」
「へえ、悪阻が酷くて家に籠っていたから知らなかったわ」
今やアリスはこの街の大英雄だ。黒衣の魔女が召喚したという赤いドラゴンを魔女もろとも討ち果たし、山王都に通じてクーデターを起こした風紀委員会を粛清した上、山王都と海王都の連合軍を籠城戦の末に撃退し、更には魔女が操る錬金人形を鎮圧した英雄的な功績は、幼稚園に通うチビっ子ですら知っている。近日に控えた戴冠式を前に、気の早い街の住人はアリスの肖像画を掲げ、新女帝を讃える歌を歌っては、お祭り騒ぎを連日のように繰り広げていた。
「で、たまにはアリスと会っているの?」
「いえ……もう半年、会っていません。アリスが会いたがっているのは僕じゃないですから」
アリスは『王の剣』の願いを叶える力でシンナバルを蘇らせようとしたが上手くいかず、どういう事か僕が蘇生してしまった。これは僕の推論だけど、たぶん相棒は”死ぬ”とか”生きる”なんてのとは無縁の存在だったのではないだろうか。
そんな事を考えながら『鋼玉石の剣』を飾る紅水晶を眺めていたら、「ちょっと、あんた聞いてんの?」と、急に耳を引っ張られた。
「てててって、痛いですよ。ディミータさん」
「さっきからシンナバル、シンナバル、って呼んでるのに無視するからよぅ」
「すいません……まだ呼ばれ慣れていなくって」
ディミータは僕の耳を引っ張りながら、悲しいような切ないような顔をした。
「そんなにムリしなくて良いのに。あんた確か、『ヴァン』って言ったっけ?」
「良いんです。僕はシンナバルとして生きていく、って決めたんです。せめて名前だけでも守ってやらないと」
「そう……あんたも変なトコ似てるわねぇ。頑固で依怙地で不器用で」
「似てるって、誰にですか?」
「あんたの師匠だよ。まったく今頃どうしているんだろうね」
師匠は崩壊する魔導塔からスワンソングの助けを得て脱出したものの、共に逃げたリサデルは酷く衰弱し、意識を失ったまま目を覚まさなかった。
どんな治療を施しても意識の戻らないリサデルの容体に、医師は匙を投げ、神聖術師は首を横に振った。それでも諦める事を知らないような師匠の不眠不休の看病と、ルルモニが命を削って精製した秘薬でもって、リサデルは一か月の後、ようやく目を覚ました。彼女の積み上げた半生の記憶と、青く美しい瞳を犠牲にして。
「師匠、もう十分です。リサデルさんと二人で静かに過ごして下さい」
僕らは疲れ果てた師匠に、猫の森での静養を勧めた。だけど師匠は「まだ、後片付けが残ってんだ」と、休む間もなく錬金人形との戦いを始めた。
そして、街を荒らしまわっていた錬金人形の駆逐が一段落した頃、師匠は『鋼鉄石の剣』と店を僕に託して、リサデルを連れて街を去った。それは大陸中に散った殺人人形を、一体残らず滅ぼす為の旅だった。
「まっ、セハトとパブロフも一緒ですから大丈夫ですよ。たぶん」
そう言って笑い返すと、ディミータはもう一回、より強く僕の耳を引っ張った。
「てててって、痛いですってば!」
「そんないい加減なトコも似てるわね」
「そ、そうですか? そんなに似ていますか?」
「な、何よ? ニヤニヤして。たまに気持ち悪くなる所も似てるし。ああキモい」
そうですか似てますか、と良い気分になった僕の耳に「我らが女帝陛下万歳!!」とか「俺たちのアイリスレイア様、超最高!!」と繰り返す、人気アイドルの熱烈なファンみたいなノリの、騒がしい音頭が聞こえてきた。
「ふん、まったく良い気なもんだね」
「あれは、アリスのシンパ……と言うか、もはや信者ですね」
「まったく、誰のおかげで人形どもにブッ殺されなくて済んだと思っているんだか」
やっと僕の耳から手を離してくれたディミータが、耳触りな奇声を上げて盛り上げる若者たちの集団を眺めて毒づいた
「良いんですよ。僕の師匠は見返りを求めるような小さい人じゃ無いですから」
「シンナバル……それは買い被り過ぎよ。あいつは事ある度に”俺のおかげだ”、”俺に感謝しろ”って、それはそれはしつこかったんだから」
「本当ですか、それ? うわあ……聞きたくなかった」
思いっきり落胆した顔を作ってみせると、ディミータはお腹を抱えて笑い出した。
「ちょっ、ディミータさん! そんなに笑うとお腹に触りますよ!」
「だって、あんたがそんな顔するからよぅ……って、あれ、いま動いた?」
「え? 動いたって何がですか?」
「何がって、赤ちゃんよ! ほら、ここよ、ここ!」
無理矢理に腕を掴まれて大切な商品を取り落してしまったが、「早く早く!」と急かすディミータの勢いに負けて、幸せが詰まった膨らみに恐る恐る掌で触れた。
「あ、本当だ。ぽこぽこって……」
そこから伝わる暖かさ、確かにそこにいる命。
その存在、その事実に圧倒されて、僕は声を出せなくなってしまった。
束の間の平和。
穏やかな日常。
ささやかな幸せ。
それを護ったのは、大陸に名を轟かす騎士でも、歴史に名を残す大英雄でも無い。
――――あの人、なんて名前だっけ?
そう言われてしまうような、どこの街にも一人はいる名も無き武器屋の店主だ。
誰も彼を意識しないし、
誰も彼に「ありがとう」なんて言わないだろう。
だからこそ僕は、声を大にして言いたいんだ。
「お前ら! 武器屋に感謝しろ!」
***** お前ら! 武器屋に感謝しろ! 完 *****
あとがき
遂に3年にも渡る連載が終わりました。ご愛読、本当にありがとうございました。
増減の激しい読者数……たまに頂ける感想に一喜一憂する、辛くも楽しい3年間でした。
正直、何の為にこんなモン書いてんだ? なァんて想いが脳内を駆け巡る時もありましたが、達成感らしい達成感を得た経験の薄い私にとって、3年も掛けて物語を書き終えた事実は、何とも感慨深い物があります。
ハッピーエンドとは言い難い終わり方ですが、私個人、モヤモヤした終わり方が好きなのです。その方が記憶に残りません? 読んだ後も考えてしまう作品って、ずっと心に残るような気がします。
ヒット作には無縁の作風だと自分でも感じていますが、これからも”これぞポロニア節”みたいに楽しんで頂けるような作品を書いていけたら良いな、と思っています。
ちなみにいつになるかは分かりませんが、続編も考えています。シロウの娘やディミータの子供が活躍する話です。『武器屋』を未読な方でも読めるような作品にしようと思っていますので、まんま続編、って感じにはしないように考えています。
読者の皆様、また次回作でお会いするのを楽しみにしています! 読んでくれてありがとう!!