第204話 物語の終焉
「……終わりにしよう」
どちらからとも無く口にした一言。俺とアッシュ、互いに抱いた想いは同じなのだろう。
解体現場を通りかかった時に感じるような、建造物が壊れていく振動に足元を確かめた。その揺れと轟音は、魔導塔の倒壊を十分に予感させる。俺が『王の剣』を破壊し、リサデルを連れて魔導塔から脱出できる可能性は、後どれほど残っているのか。
「ルルティア……お前の計画は、肝心な所の計算が間違っていたんだよ」
半ば鎖に埋もれたワンピース。それから人形のように横たわる少年の亡骸を交互に見た。
「俺はお前らが思っていたほど強い人間じゃなかった、って事さ」
固く握った手の中が、急にじわりと熱くなった。掌を開いてみると、シンナバルが遺した水晶が紅く、強く輝いていた。安心しろよ、諦めたワケじゃないからさ。諦めなんて、今の今までイヤと言うほど踏み越えてきたんだ。ただ、俺は少しだけ……
「いずれは決着を、と願っていましたが、こういった形で叶うとは意外でした」
その声に顔を上げると、アッシュは妙に吹っ切れた顔をしていやがった。
「そいつがお前の三つめの願いだったんじゃないのか?」
「いえ、僕の願いはそうでは無かったのですが……」
「じゃあ何だ? 言ってみろよ」
「ああ、いえ、それは、その、ちょっと」
アッシュは照れたように口籠った。何だよ、調子が狂うな。よっぽどドラゴンの姿の方が闘り易かったぜ。ホント、締まらない話だよな。これが冒険物語だとしたら、こいつがラスボスなんだろ? やっぱ俺には騎士とか英雄なんてガラじゃあ無いんだよ。武器屋の店主くらいが身の丈に合ってんだ。
「んじゃ、やるか」
「はい、お願いします」
倒すべき敵が、えらく清々しい顔をして俺の出方を待っている。まったく、こんなラストバトルがあるか?
俺が『鋼玉石の剣』を構えると、アッシュは腰溜めに『王の剣』を構えた。リーチからすると、あっちに分がある。しかも、アッシュのスイングは神速の域に達していると言っても過言では無い。とてもじゃないが回避は間に合わない。ならば、一撃を弾いてから斬り返すか? いや、ンな事をしたら次こそコランダムは粉々に砕けちまうかも知れない。
軽く舌打ちして、今も握っているだけでポロポロ崩れる剣柄に心配の目を向けた。それが、失敗だった。
「来ないのなら、こちらから行きますよ!!」
ここが好機とばかりにアッシュが力強く踏み込んできた。飛んできたのは読み通り――――水平方向からのフルスイング!
「くそっ! 間に合わねぇかッ!」
俺は炎の水晶を握り込んだまま、『鋼石玉の剣』でもって『王の剣』を迎え撃った。咄嗟に振り回したコランダムから出現した氷柱の刃が、黄金の刃と衝突する。
「ぐあっ!」
手首が折れるほどの衝撃に、コランダムを取り落としそうになる。そして、ついに耐えきれなくなった結晶の剣柄がガラス細工のように砕け散り――――その時、異変のような奇跡が起きた。ただそれは、ルルティアからしてみれば計算通りの結果なのだろう。
「こ、これは!?」
コランダムを失ったはずの俺の手の中に、一振りの長剣が残っていた。
向こうが透けるほど薄い刃をもつその剣は、武器屋として目にしてきた数多の名剣よりも美しく、流麗なフォルムと研ぎ澄まされた強さを兼ね備えていた。
「これが『鋼玉石の剣』の本来の姿……」
「なにっ!? 『王の剣』が!?」
飛び退いたアッシュの目が、驚愕に見開かれた。『王の剣』の剣身が僅かに欠けたのを、俺の目は見逃さなかった。
「アッシュ! こいつで仕舞にしてやるっ!!」
剣柄の中心に嵌め込まれた炎水晶が煌めきを放ち、紅い残光が宙を舞う。俺は黄金に輝く剣身に刃欠けが生じた所を狙い、斬撃に様々な想いを込めて撃ち込んだ。
爺ちゃんと婆ちゃんの無念を。
父さんと母さんの悲しみを。
そして、俺なんかを愛してくれた人たちへの感謝を。
「俺はその呪いを――――!」
魂の叫びに呼応した刃は一層強く光輝き、ついには激しく燃え上がった。紅い火炎は、真夜中に見る松明のように力強くて頼もしい真っ当な炎だ。呪いを焼き払うのに、これほど相応しい火は他には無いだろう。
「粉砕する!!」
浄化の紅炎がアッシュの全身を包み、火柱が立ち上がった。凄まじい火勢は容赦なくアッシュの全身を焦がし、焼き滅ぼしていく。それなのに、嫉妬を覚えるくらいに端正な顔は苦痛に歪むことも無く、誇りを失わない強い眼差しが俺を見据えていた。
俺は片時も目を逸らさず、そうする事が彼への最大の敬意と思って緑青の瞳を見返した。そして、その氷の裂け目のような色の奥に呪いの源泉を見た。
*****
山王都から遥か北方に、深く静かな山間に佇む小規模な集落があった。
他種族の侵入を拒むその小さな村の住人は、竜族の特徴に人間族の身体を併せ持つ竜人族だった。
くすんだ金色の髪にアイスグリーンの瞳の少年が、村の広場を駆け抜けていく。見るからに利発そうで、可愛らしい少年だった。だが、少年の周りにいる者たちは皆が皆、爬虫類的な風貌と特徴を身に備えていた。そう、ここでは少年は異質な存在だった。
少年の両親も、村人たちと遜色無い姿をしていた。特に村長でもある少年の父親は、村の中で最も大きく立派な角を持っていて、少年にはそれが何よりも自慢だった。いつかは自分にも、偉大な英雄の血を引くという父と同じように、立派な角が生えてくると信じて疑わなかった。
竜人族は、生後間もなくから幼児期までは人間族と変わらない容姿を保つ。だが、数少ない村の子供たちの中でも、少年には全くと言っていいほど竜人族らしい特徴が芽生えて来なかった。少年はそれを己の未熟と思い込み、寝食を忘れて鍛錬に勤しんだ。しかし、村人の誰もがその努力を認めても、少年の身体に変化は訪れなかった。
やがて少年は自分から孤立感を深めていったが、両親を含めた村人たちは少年を、ただ静かに見守るしかなかった。
ある日の事だった。山深い渓谷に人間族の隊商が訪れた。村人たちは久々に見る人間族に大層驚いたが、道に迷って困っているという者を無視するほど薄情では無かった。
「一泊だけ逗留を許す」、それが村長の下した判断だった。そして、村長は人間族が村に滞在する間だけ、少年を自宅の地下室に閉じ込めた。人間族と変わらない姿をした息子に、要らぬ面倒が掛かるのを心配したからだ。
少年は父親の考えに納得して地下室に籠っていたが、しばらくして何かがおかしいと考え始めた。人間族は何を求めて、秘境とも言えるこの地にやって来たのだろう? キャラバンというのは、街から街へと品物を運んで利益を上げると本で学んだ。人間族たちにとって有益な物が、この辺りにあるのだろうか?
年相応の好奇心にも背中を押され、少年は予め用意していた秘密の抜け道を使い、地下室から抜け出る事にした。
地上に出た少年が目にしたのは、まるで地獄のような惨状だった。家という家は焼かれ、首を失った村人の死体がそこかしこに転がっていた。そして、人間族の男たちが嬉々として死体の生皮を剥いでいるのを見て、少年は意識を失った。
「おい、大丈夫かい?」
どれくらい気を失っていたのだろう、少年は人間族の男に頬を叩かれて目を覚ました。
少年は自分も首を落とされて皮を剥がれると思い、悲鳴を上げて縮こまった。
「おうおう、かわいそうに怯えちまって。お前さん、どうしてこんな所に一人でいたんだ?」
聡明にも少年は、この男が自分を人間族の子供だと勘違いしている事に気が付いた。そこで少年は、一芝居打つ事にした。
「親と逸れ、道に迷ってしまったのです」
男が愚かなのか、それとも少年が余りにも竜人族らしく無かったからなのか、男は微塵も疑う素振りも無く、気の毒な少年に同情した。
一先ずの危機は脱したが、少年はこの人間族が何の為に村を襲ったのか知りたかった。それを知ってからじゃないと、復讐が始まらない。この人間どもの首を刎ね、生皮を剥ぎ取ってやる気持ちにならない。
「おじさんたちは何をしに、こんな所まで来たのですか?」
少年は育ちの良い子供の振りをして訊ねてみた。そうした方が、自分を丁重に扱ってくれると踏んだからだ。隊商の男たちは、そんな少年に何の疑いも持たない様子で答えた。
「竜人族の首や皮はね、それは良い値で売れるのさ」
「それっぽく飾り立てて、物好きな金持ちに売りつけるんだ」
「ドラゴン退治なんて命が幾つあっても足りないが、竜人族ならどうとでもなるからな」
少年は、英雄の血を引く父がそんなに簡単に殺されてしまった事実を信じられない気持ちで聞いた。
「でも、竜人族は手強かったのでは?」
すると、酒瓶を呷っていた男が、酒臭い息を吐き散らしながら笑って答えた。
「ヤツら、酒好きだって知っているか? ”一晩のお礼です”、なぁんて言ってよ、一服盛れば楽勝ってもんさ」
爆笑の渦の中、少年は怒りに身を震わせていた。同時に、欺く為とはいえ、人間族の振りをしている自分を心底恥じた。
「よぅし、キミにカッコイイ物を見せてあげちゃおっかな」
酔って上機嫌になった男が、小さな酒樽を抱えて持ってきた。
「ほら、この樽の中を覗いてごらん。これを持っていれば、誰でも『竜殺しの英雄』さ」
男に促されるまま、少年は恐る恐る蓋を開けて樽の中を覗いてみた。
酒樽の底に沈んでいたのは、村一番に立派な角を持つ――――
*****
真っ二つに折れた黄金の大剣と同じく、役目を果たした薪のようにアッシュの脚が焼け崩れた。
紅蓮の炎がその勢いを弱めても、まだアッシュに息はあるようだった。それは呪いの力によるものか、それとも竜人族の卓越した生命力の為せる技か。
「アッシュ、止めは必要か?」
床に倒れても未だに炎に許されないアッシュに向かい、敢えて感情を込めずに訊いた。同情や憐れみは、この誇り高い竜人族の騎士には不要なものだ。だが、戻ってきた答えは、覚悟を決めていた俺の予想と違っていた。
「……なぜ『王の剣』が叶える願いが三つまでなのか……武器屋さん、知っていますか?」
「さあな。『王の剣』に関する伝承は、その殆どが失伝しているからな」
「では、お教えしましょう」
俺は、その身体の大部分が惨たらしく炭化してしまったアッシュの傍に膝を突いた。
不思議と焦げ臭さや肉の焼ける臭いはしなかった。そんな無粋な物は紅炎が浄化してしまったのだろう。
「『王の剣』は三つの願いを叶えた後、最後の願いを元に所有者の命を奪う……そうやって多くの者の手に渡って成長を続けてきた、そんな呪物なのです」
「そうか……それで、お前は最後に何を願ったんだ?」
「僕は……」
アッシュは荒い息を吐きながら、眩しそうに目を細めて俺を見上げて言った。
「ずっと、武器屋さんと友だちになりたかった。あの光に飲まれて死を意識した時、思い出したのです」
「お前……そんな事を願ったのか」
「僕はいつからか”自分は特別なんだ”と、”他人は僕より下なんだ”と蔑んでいました。だけど、今ようやく僕は武器屋さんに本音を話せています。これって、友だちという事ですよね?」
縋るような瞳の色は、ヴィジョンの中で見た少年と同じ。きっとアッシュは自分の事を分かってくれる理解者が……いや、そんな難しい存在じゃない。こいつは単純に友だちが欲しかったんだ。それがお前の願いなら、俺の答えは――――
「お前と誰が友だちだァ? ちっとばっかし弱ってるからって甘えんじゃねえよ。お前なんて客だ、客。ただの客」」
「そう、ですか……」
「まあ、いっぱい買ってくれたから、せいぜい”お得意さん”と呼んでやっても良いけどね」
「そう……ですよね。僕はもう、取り返しの付かない罪をたくさん犯してしまいました」
アッシュは寂しそうに微笑み、後悔するように瞳を閉じた。
「だいたい俺はだな、客と友だちになる気はこれっぽっちも無い。友だち相手に真面な商売は出来ねぇからな。だから、お前のその願いは永久に叶わない」
アッシュは閉じていた目を見開き、信じられない物を見るような目付きで俺を見た。
「ぶ、武器屋さん!? 貴方って人は……」
「待ってろ。リサデルなら何とかしてくれる」
神聖術師のリサデルならば、命だけは救えるかも知れない。そう思って立ち上がりかけた俺の頭上に、突如として幾筋もの光の槍が出現した。
いよいよ次回最終話、『聖女の救済』に続きます。
万物を貫き通す、破壊の流星……その使い手とは!?