第201話 多重連鎖崩壊魔法陣
「殺し合いの最中にどこを見ている」
間一髪、天災のように落ちてきた大剣の刃を避ける。まったく……ほんのちょっと余所見しただけでコレか。
バックステップで二、三歩飛び退くと、『機動錬金』で上乗せされたスピードに感覚が狂ったか、思ったよりも離れてしまった。だが、大剣の届く範囲から逃れられたおかげで一息入れられたのは幸いだ。
「へへっ……悪ィ悪ィ。ちっと考え事を、ね」
俺の軽口には答えず、アッシュは黄金の剣を振り上げた。それは人間族の基準からすると大剣と呼ぶに相応しいサイズだが、奴の手の中ではまるで長剣だ。勘に頼ったらダメだ。目測を誤るとヤバ――――
「うおっと、危ねっ!」
俺に目掛けて振り下ろされた大剣から、金色の輝きを帯びた光が放たれる!
予想していなかった攻撃に慌てて身を投げ出すと、今まで立っていた場所から壁に向かって、一直線に深い穴が穿たれた。
「おいおいおい、騎士のクセして飛び道具なんて感心しねぇな」
壁に空いた穴からは雪が吹き込んでいると言うのに、全身からどっと嫌な汗が噴き出てきた。あんなの真面に喰らったら一溜まりもない。だが、顎から滴る汗を拭う間もくれず、またもやアッシュは高々と大剣を振りかざした。
「ちっ、冗談じゃねえ!」
俺は攻撃こそ最大の防御と信じ、無防備になったガラ空きの胴体に向けて突進した。すると、意外にもアッシュは例の破壊光線を放とうとせず、大剣を下段に構えて俺の打ち込みを弾き返してきた。
弾かれた勢いを借りて距離を取りつつ、どうにか攻め口を探る。真っ向から挑んだところで、どうにかなる相手とも思えない。ただ、何度も切り結んでみたからこそ分かってきた事がある。
「……何だ? 左が利かないのか?」
どういう事だか、奴は攻撃にも防御にも左腕を使ってこない。いや、使わないと言うよりも意識的に動かしていないようにすら感じる。アッシュの左手には、至高の防御力を誇る英雄遺物『竜鱗の盾』が宿っているはず。こいつ、もしかしたら……
「おい、ご自慢の『竜鱗の盾』はどうしたよ? もしかしてブッ壊れちまったとか?」
「黙れ! 人間如きが僕を愚弄するな!!」
それこそ竜の咆哮に相応しい怒声に気圧され、思わず身が固くなる。思い付きでブラフかましたつもりだったが、どうやら図星だったか? ならば、そこを突かぬ手は無い。
「だったら遠慮なく狙わせてもらうぜ」
俺は一度だけ目にした究極の突撃技とも言うべきシロウの奥義を思い出して、床に膝が着くくらいまで姿勢を低くした。一朝一夕でマネ出来るような技じゃないことは百も承知。だが、『機動錬金』で圧倒的なスピードを得た今なら――――
「シロちゃん、俺に力を貸してくれ」
前のめりに倒れんじゃないかと思うくらいの前傾姿勢から、自分の全身がバネになったようなイメージで床を蹴る。
「喰らえッ! 俺流――――絶刀竜牙だ!!」
膝が砕けんばかりの衝撃に歯を食いしばり、超加速で得た推進力を竜殺しの剣に乗せて横薙ぎに切り払う!!
見よう見真似の突撃が、シロウの奥義『絶刀龍牙』に及ぶはずも無い。だが、ドラゴンには絶対的な破壊力を発揮する『竜殺しの剣』と、驚異的な速力をもたらす『機動錬金』ならば――――
大木に斧を打ち込んだ時のような確かな手応えが、指に、手に、腕に伝わる。無我夢中で叩き込んだ渾身の一撃は、竜の左腕ごと脇腹を深々と抉り、斬り通した。
「グオァアアァ! きッ、貴様ァア!!」
身も凍るような絶叫。その叫び声は猛烈な怒りと同時に激烈な痛みを十分に含んでいた。
――――いける!
身体のどこかに僅かに残っていた戦士としての経験が、ここが好機と俺の背を押す。
鮮血を噴き出し、湯気を上げる臓物が零れ出した脇腹を狙い、更なる一撃を喰らわす為に突進する。
「コイツで止めだ! 覚悟――――」
勝利の二文字が脳裏に浮かんだ瞬間、目の前を巨大な赤い物体が覆った。その正体が何なのかを理解する前に、俺は一撃で壁まで吹き飛ばされ、背中から叩きつけられた。
背骨が砕けたんじゃないかと思うほどの激痛に、防御の姿勢を取るどころか立ち上がる事すらままならない。ぐらぐらと揺れる視界に、憎悪に溢れた目をこっちに向けて迫り来るアッシュの姿が飛び込んできた。
「……そうだ。お前、ドラゴンだったな」
四つん這いになってにじり寄ってくるその姿に、ようやくピンと来た。いま俺を打ち倒したのは、その大蛇のようにのたうつ太い尻尾だったんだな。
壁を支えに何とか立ち上がって竜殺しの剣を構え直すと、アッシュの首がゴクリと動き、端正な口元が真一文字に裂けた。ゾッとするような不気味な様相に瞬間、目を奪われる。すると、凍えるような冷気に支配されていた室内が、瞬時に蒸し風呂の様な熱気に満ちた。
「やべっ!!」
急激な室温の上昇に危険を感じ、転げるようにしてその場から逃げ出すと、ほんの一瞬遅れで俺の立っていた場所が火炎に包まれた。耐火性の高い錬金煉瓦の床すら焦がす凄まじい火力に、熱さからくるのとは違う汗が頬を伝う。
「火炎竜か。正統派のお前らしいよな、アッシュ」
四肢を踏み締め、首を伸ばして炎の息を撒き散らす猛々しい姿は、子供の頃に夢中になって読んだ『聖なる騎士と魔法の竜』に出てくるドラゴンにそっくりだ。あの頃は聖騎士よりもドラゴンかっけえ、って思ってたな。
思わず苦笑いした途端、異様な嘔吐感に襲われ、たまらず身体が”くの字”に折れた。我慢しきれずに吐き戻したそれは未消化の食物では無く、大量の鮮血だった。
「……どっか痛めたか」
ドン引くほどの吐血の量だが、痛みに捕らわれる程では無い。足だって前に出る。大丈夫だ、まだやれる。
俺はもう一度、絶刀龍牙の構えを取った。シロウとルルティアの力を借りて、あのドラゴンを斃すんだ。
床を舐めるほどに姿勢を低く……だけど、目だけはドラゴンから逸らさなかった。だが、睨み付けた視線の先で、火口のようなドラゴンの口が再び大きく開いた。
「くそっ!」
回避など毛頭も考慮していない突撃姿勢が仇になった。だが、このまま座り込んでいてはブレスの餌食になるのが目に見えている。
俺は意を決して、火炎が吐き出される寸前のドラゴンの咢に向かって突進した。
「うぉおおおォ!!」
視界が炎の色に染まり、耐え難い高熱が全身を押し包む。雄叫びなんだか悲鳴なんだか分からないが、喉から勝手に叫び声が迸る。床を転げ回って身体に燃え移った火を消している間に、手から竜殺しの剣が失われている事に気が付いた。
「畜生! よりによって、あんなトコに……」
俺の切り札、竜殺しの剣はドラゴンの足元に転がっていた。これでは取り返そうにもドラゴンの懐深くまで飛び込まなくてはならない。
咄嗟に胸ポケットを探ると、魔術偽典の残りは三本だった。抜き出した一本を見て、つい舌打ちが漏れる。『第一位魔術・小炎』……これは炎の竜には役に立たない。
「第六位魔術・氷雪の嵐か……」
気を取り直して引き抜いたのは、店の地下でアッシュを撃退した強力な魔法の巻物。こいつで暴風雪を起し、その隙に竜殺しの剣を奪い返すしかない。
『機動錬金』の残り時間は、それほど残っていないはず。迷っている余裕は無い。
「開封!」
ドラゴンの足元へと駆け出しながら、鉛筆の様に小さく細い魔術偽典の封を切る。すると、雪の結晶を象った魔法陣が手元に浮かび上がった。そこに触れて魔術を発動させようとした途端、立っていられないほどの猛烈な突風に襲われて、魔術偽典を取り落してしまった。
「なっ、なんだ!? この風はどこから……?」
『機動錬金』の速度でもって壁際まで退避し、吹き荒ぶ暴風の出所を探ると、ドラゴンの背で大きく開いていた猛禽の羽根が折りたたまれるのが見えた。破壊の光に火炎ブレス、それに攻撃を押し返す突風かよ……
俺は毒吐きながら、祈るような気持ちで魔術偽典を抜き出した。
「……まだ、こっちにも運はある」
手の中の『第六位魔術・神雷』を握りしめて、俺は小さく呟いた。
竜殺しの剣の回収どころか、貴重な魔術偽典の一本を無駄にしちまった俺に残された、正真正銘の最後の攻撃手段だ。いくら生命力旺盛なドラゴンと言えども、城壁さえも打ち崩す雷撃魔術、『神雷』の威力には無傷ではいられないだろう。
「もってくれよ、俺の脚!」
気合いを入れて両腿を叩き、再度床を蹴る。
錬金術で強化されているのは速力であって体力では無い。度重なる猛ダッシュでもって、確実に疲労は蓄積されている。正直な所、全速で走れるのもこれがラスト一本だと感じていた。
親指で弾くようにして封を切ると、迸る紫雷がそのまま魔法陣として展開した。後はコイツをドラゴンの足元で炸裂させて……
「――――痛っ!?」
勝利のビジョンが頭を過ったその時、左の太腿に走った激痛に耐えかねて、俺はもんどり打って床に転がった。
「こ、こんな時に……」
床に這いつくばりながら、引き裂かれるような痛みを訴える腿に手をやる。よりによってこのタイミングで肉離れか。
這いずりながらも手から零れた『神雷』の巻物に手を伸ばすと、頭上がふと翳るのを感じた。
半ば無意識に横転回避するのと、鋭いカギ爪が床を削り取るのは殆ど同時だった。それでも掠めた爪先が、俺の背中の肉を抉った。
「ぐうッ!!」
爪に引っ掛けられた勢いを殺す事も出来ず、俺は自分の血が飛び散るのを見ながら壁に激突した。
どうにか上体を起そうとしたが、腕が震えて力が入らない。俺は俯せになったままドラゴンを見上げた。
「アッシュ、それは余裕か? 油断じゃないのか?」
俺の目にはドラゴンが嗤っているようにも見えた。裂けた口元から覗く炎が、唇を舐める舌のようだ。
折角なんで、俺も笑い返しておいた。
「さっき聞いたばっかの話で何だけどさ。俺の親父って、ちょっとしたアイディアマンだったらしいんだよね」
もう、これっぽっちも面影を残さないアッシュの口が、顎が外れたかの様に大きく開く。
「しょうもない錬金アイテムを作っては、母さんを喜ばせていたんだと。だからさぁ」
俺は一本だけ残った魔術偽典『第一魔術・小炎』を取り出して開封した。可愛らしいとさえ思える火の玉が魔法陣の中心に浮かぶ。
「こんな事を思いついちゃうなんて、俺のこの身体には確かに親父の血が流れているんだな、って思うワケよ」
デコピンのように魔法陣の真ん中を指先で弾くと、空中に出現した小さな火球が一直線に飛んで行った。展開したまま命令を待つ雷の魔方陣へと。
「へへっ……命中」
その軌跡を無感情に眺めていたドラゴンの目が、突如として始まった炎と雷が絡み合う奇妙な現象に大きく見開かれた。
「キサマ……コレハナンノ小細工ダ!?」
「お前、そんなナリでまだ喋れんのか。じゃあ、折角だから魔術の講座でも聞いてみるかい?」
俺はようやく身体を起こして壁に背を預けながら、唸りを上げる火柱と弾ける放電のダンスを眺めて口笛を吹いた。
「異なるタイプの攻撃魔術を、”同じタイミング、同じ座標で発動させるの厳禁”って、どっかで習わなかった?」
荒れ狂う炎と雷に呼応するように、辺り一面に真っ白な雪の結晶が漂い始めた。よし……これで条件は整った。
「ま、それが究極の破壊魔術、『第七位魔術・核撃』の発動理論なんだけどさ」
焦りを隠せないように忙しなく首を左右するドラゴン。その周囲では燃え盛る炎と猛る雷、そして渦巻く氷雪が互いを飲み込まんと鬩ぎあっていた。そして、暴走する魔力が消滅と生成を繰り返す狭間に、虹色の輝きを放つ光球が出現した。
「これが『多重連鎖崩壊魔法陣』だ……カッコいいだろ? いま名付けた」
ビリビリと大気が震え、目の前の空間が歪んで見えた。次にキィインと耳鳴りのような音を耳にした瞬間、視界が白く塗り潰された。