第200話 魔法の竜
「魔法の竜? リーザ姫? お前、なに言ってんだ?」
数百本もの長剣を床にバラまいたような、そんな金属音に掻き消されて、ルルティアが何を言ったのか上手く聞き取れなかった。
俺は今にも倒れ込みそうなルルティアを助け起しながら、それでも彼女が伸ばす指先へと目を向けた。
「……なんだ、ありゃ?」
立ち並んでいた本棚が残らず薙ぎ倒された研究所は、まるで放棄された図書館のようにも見える。その荒れ果てた廃墟の中心に、繭を思わせる巨大な金属の塊が四方から伸びた鎖に吊るされていた。
「鎖の塊?」
しかし、ルルティアの魔力が尽きた今、錬金術の鎖は鼓膜を破るほどの轟音を上げ、崩れ墜ちていく。まるでドシャ降りの様に落下する鎖の雨の中、目を灼くような赤が見え隠れする。
敷き詰められた灰色の煉瓦。
足元に散らばった鎖の切れ端。
崩れた壁の向こうから吹きこむ雪。
およそモノトーンに塗りつぶされた世界に、その真紅の巨体は鮮烈だった。
繭の中で身を屈めていたのだろうか。ゆっくりと立ち上がったそいつは、優に俺の身長の倍近い体躯を誇っていた。
俺は絵本の挿絵や絵画くらいでしか本物のドラゴンを見た事が無い。だから、ほんの数十歩先に佇む圧倒的な存在がドラゴンなのかどうか、いまい一つ確証が持てない。ただ、俺を見下ろす凍えるような緑の瞳には見覚えがあった。
「よう、久しぶりだな」
直立するドラゴン、と言うより、リザードマンの親玉だと思えば少しは気が楽になるか。だが、その背から伸びる猛禽のような羽と、俺を見下ろす彫刻のように整った顔貌がリザードマンとは余りにもかけ離れていた。
「随分とまあ、立派になっちまったもんだ」
息も絶え絶えなルルティアを床に横たえてドラゴンへ向き直ると、心臓が一つ大きく鳴った。
軽口でも叩いておかないと、絶望感に圧し潰されそうだ。
――――今すぐに目の前の敵から逃げろ!!
幾度となくピンチを救ってくれた俺の『状況判断スキル』が警告を発している。
明け透けな怯えを見透かしたように、アイスグリーンの瞳が俺を凝視していた。そして、人間の基準からすれば長すぎる首がゴクンと膨らんだかと思うと、リザードマンは不明瞭な発音ながら徐に話し始めた。
「この身体は……僕が望んで手に入れた物だ」
「はっ、こいつぁ驚いた。喋れんのかよ、お前。身も心もトカゲに成り下がっちまったと思ったよ」
この化け物は俺の知ってるイケメン騎士に似てはいるが、らしさがこれっぽっちも伝わってこない。時折、ピクピクと小刻みに動く仕草や呼吸する度に膨らむ喉は、爬虫類のそれとまんま同じだ。
「だけどな、お前はその身体を自力で掴み取ったんじゃない。それは、その呪物に与えられたモンだ。借り物なんだよ
黄金の剣を指差して言い切ってやると、ギョロギョロと忙しなく動いていた目がピタリと止まった。
「借り物、だと?」
「ああ、そうだ。呪いを受け入れる代わりの御褒美なんだよ、その大層な御身体は」
「僕の、この、身体が?」
「ウチの店でポーション割を飲みながらボヤいてた頃の方が、よっぽどイケてたぜ。今のお前はな、呪われた化物だ」
相手の出方を見る為に挑発を絡めてみたが、返って来たのは意外な答えだった。
「そうかも知れない」
「……ンだと?」
「この姿は与えられた物かも知れない。それでも僕は願わずにはいられなかった」
それだけは変わらない緑色の瞳が、俺の身体越しに何かを見ていた。
「僕は今まで、己を厳しく律する事こそが騎士の本分、禁欲こそが己を高みに導く最善の方法だと信じていた。だが、どうだ? 望んだ物は何一つとして手に入らない。手を伸ばしても、触れる事すら叶わなかった」
その視線の先を横目で追うと、そこには今も昏々と眠るリサデルの姿があった。
「僕は命を失いかけたあの瞬間、黄金の剣の声を聞いた。『己の弱さを憂うか? 望みを手にする力が欲しくはないか?』と。そして僕は応えた。『ああ、欲しい。是非とも欲しい』と」
アッシュがもう、取り返しのつかない所まで呪いに汚染されてしまった事実を、俺は呪物を狩る者としての経験から確信せざるを得なかった。
「もう願望を抑止するのは止めだ。僕は僕の意志に従い、貴方との決着を付ける」
「あのさぁ。お前、カッコ良さげに言ってるけど、要するに我慢すんのはもう無理限界、って事だろ?」
「……僕は、貴方を殺して欲しい物を手に入れる。それが僕の意志、願望だ」
「そうかい。じゃあ俺は、お前ごとその呪いを粉砕してやるよ」
アッシュは黄金の剣を、俺は竜殺しの剣を互いに向けて突き付けた。それが始まりの合図だった。
唸りを上げる黄金の大剣をギリギリの所で掻い潜り、戦闘に巻き込まないようにリサデルたちから距離を取る。
「……ご先祖さんよ」
腰に括った鞘の中で『呪物を喰らう呪物』が暴れている。俺は鋼玉石の剣を宥めるように柄に触れた。
「あんたの出番はまだ先だ」
『呪物破壊』は、破壊対象が強大であるほど体力と精神を消耗する。英雄遺物の一つにも上げられる『王の剣』を破壊するには、まずはアッシュを弱らせないと話にならないだろう。
俺は胸ポケから魔術偽典の一本を取り出し、床に放り投げた。
「第二層錬金術! 『機動錬金』!!」
足元に展開させた魔法陣の上に飛び乗ると、両脚が光に包まれた。これは一時的に戦闘速度を加速してくれる、一見、有用に思える補助錬金術だ。
戦闘時における速さは、ある意味では最強とも言えるファクターだ。なんせ、相手の反撃を許さずに攻撃し、反撃すらも未然に防げてしまえば無傷で勝利する事すら可能。速さは正義だ。
だが、地下訓練施設での戦闘で『機動錬金』を行使する者は殆どいない。理由の一つは閉鎖空間である地下では折角の機動力が活かせないという点と、もう一つは使いどころを間違えると『機動錬金』は死に直結する欠陥を抱えているからだ。
「いくぞ! オラァ!!」
爆発的なスピードに乗って、擦れ違いざまに竜殺しの剣を叩きつける! すると、今まで感情らしい感情を見せなかったアッシュの顔が驚愕の形に歪んだ。
「なっ!? なんだ、その速さは!?」
「驚け! これが『魔導院の宝石』、錬金術師ルルティアの最新作『魔術偽典』だ!」
アルケミィ・ギアにも匹敵するスピードでもって、斬り付けながら尚も加速する。反撃はワンテンポどころか二呼吸も遅れてやってきた。
だが、術の有効時間はおよそ五、六分。効果が切れた後は副作用も無く元のスピードに戻るだけなのだが、それが『機動錬金』の使い難さの所以である。別次元の速さに慣れた頭は、術の効果が切れた身体を「減速した」と勘違いする。狂った感覚を取り戻すには相当の時間が必要となる。ある意味では致命的な副作用とも言えるだろう。
「遅っせぇ! 遅ぇぞ、アッシュ!!」
アッシュが俺のスピードに追い付いて来れない内に、なるたけ早く片付けたい。『機動錬金』の有効時間の事もあるが、何よりもルルティアとリサデルの身体が心配だ。それに下ではネフティスたちが戦っている。頼みの綱は『琺瑯質の瞳の乙女たち』だ。とっとと呪物を粉砕し、怪力メイドちゃん軍団の力を借りて聖女王の急襲部隊を撃退したい。
そこでふと違和感を覚えて周囲を見渡してみた。オリンピアンが一体も居ない?
脳裏にさっき、階下で見たばかりの光景が目に浮かんだ。
腹から両断された無残な身体。
バラバラに千切れた青白い手足。
天井を見上げたまま、転がる生首。
まさか、スワンソングだけを残して全滅しちまったとでも言うのか?