第199話 俺だけにしか出来ないこと
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背中を預けた壁を通して、微かな振動が伝わってくる。
俺はこの『錬金昇降機』って乗り物が嫌いじゃない。広いとは言えない昇降機の籠は、扉が閉じただけで煩わしい世間から切り離してくれる。それに再び扉が開いた時には、さっきまでいた場所とは全く違う世界が広がっているなんて、何だか魔術みたいじゃないか。
そんな取り留めの無い事を思い浮かべながら、ネフティスがこの扉の向こうでいつもの不敵な笑みを浮かべて立っているような……そんな気がしてならなかった。
類まれな戦闘能力と異端の美を兼ね備えた黒き妖精。
他に並び立つ者のいない、魔導院が誇る最強戦力『錬金仕掛けの腕』のネイト。
俺はただ、彼女の表面だけを眺めて理解った気でいた。どんな肩書きがあろうが、どんな外見をしていようが、その素顔はどこにでもいる普通の女の子だったというのに。
――――なっ、なんだ? イヤらしい目で見るなっ!
ンな目で見てねぇし……なんて言ったらウソになるな。今だから言えっけど。
――――お前は操縦だけに気を配ってくれればいい。お前の身体は命に代えても私が護る
お前がそこまで言い切ってくれたからこそ、あんな無茶なマネが出来たんだ。
目を瞑ってネフティスが掛けてくれた一言一言を思い出していると、ひとつ妙な事に思い当たった。全身を矢で貫かれながらも、苦しい息の下で口にした彼女の一言を。
――――私を置いてルルティアの元に行け。その為に来たのだろう。
ネフティスは、俺が魔導塔を訪れる事を知っていた? それはルルティアから聞かされていたに他ならない。
一体何の為に? 俺を保護してルルティアの前に連れて行くだけなら、他に幾らでも方法があったはずだ。
「どういう事だ……」
籠の中を明るく照らす魔陽灯を見上げてみた。ルルティアは魔陽灯と同調させた眼鏡のレンズを通じて、学院都市の様子を視る事が出来ると聞いている。だとすると、彼女は山王都の襲撃も風紀委員会の造反も、全てその青灰色の眼で見通していたはずだ。
ルルティアは、こうなる事を前もって予測していた? ……いや、あの化け物じみた頭脳でもって、こうなるように事態を操っていたんじゃないか?
ドラゴンと化したアッシュが研究所を襲ったのも、聖女王による学院都市への強襲すらも、ルルティアの立てた計画の一部なのかも知れない。
――――素敵よぅ、ルルティアの計画は。シンプルで合理的で愛に満ちていて。
ディミータはその計画を『魔王の計画』と例えていた。俺がこうして疑問を抱え、巻き込まれるでもなく自分の意志でルルティアの元へ向かっているのも、彼女の描いた筋書き通りなのだろうか。だけど俺は、これから何をすりゃ良いんだ? 王の剣を破壊して、一族の悲願を果たせって? んな事ぁ知った事か。ルルティアとリサデルを連れて、さっさと逃げ出すのが最善としか思えない。
「っくしょう……どうすりゃ良いんだよ」
どうしようもない苛立ちを拳に込め、思いっきり壁に叩きつけてやる。すると、ググンッ、と不可視の重みが両肩に加わるのを感じた。
「……あれ?」
到着したわけでも無いはずなのに、昇降機は動きを止めてしまったようだ。
一抹の不安を感じて『行き先』ボタンを連打してみたり、強く押し込んで五秒数えてみたりもしたが、昇降機はウンともスンとも言ってくれない。
「……マジで?」
鋼鉄製の扉を押したり引いたり叩いてみたりと、思いつく事は何でも試してみたが、扉の向こうから返事は無く、昇降機は沈黙したままだ。
「おい、ルルティア!! 見てんだったら早く出してくれ!!」
焦って大声を上げると、見上げた天井の向こうに何かがぶつかる音が聞こえた。
何か落ちてきた? 竜殺しの剣を抜いて油断なく構えると、ズバンッ! と鋭い音と共に、いきなり人の腕が天井から突き抜けてきた。
「うわわわっ! ななっ、何だっ!?」
慌てふためく俺を余所に、籠の上にいるであろう何者かが、天井をバリバリと紙のように破っていく。俺はただ、恐れ戦きながらその様子を見守るしかなかった。
「お前、確か……スワンソング? だったっけか?」
天井にぽっかり空いた穴からひょっこり顔を覗かせたのは、初めて出合った頃のルルティアと寸分違わぬ同じ顔をした錬金仕掛けの人形、スワンソングだった。少女は小首を傾げながら、不思議そうな顔で俺を見下ろしている。
「これはこれは御主人様。ご機嫌はいかがですか?」
「この状況を見て、御機嫌良さそうだと思った?」
「申し訳ございません。お気に触りましたか?」
「……とりあえず、こっから出してくれよ」
畏まりました、と微笑んだメイド少女は、己がブチ抜いた穴に腰を掛けたかと思うと、俺の隣にすとん、と降り立った。
「おい、ちょっと待て。お前まで降りて来てどうすんだ」
「後ろに下がっていただけますか? 少々お騒がせいたします」
何を思ったのか、スワンソングは扉に向かって無造作に手刀を突き入れた。
「おっ、おい!?」
思わず声を上げてしまった。そんな真似をしたら親指以外まとめて突き指、いや、突き指なんかで済むモンか。
だが、その枝のような細腕にどれほどの豪力が秘められていたのだろうか。スワンソングは鋼鉄製の扉を、まるで薄っぺらなブリキ板のように破壊していく。
「どうぞ。足元にお気をつけて」
涼しい顔をして、スワンソングが手を差し伸べた。だが俺は、披露された恐るべき腕力以上に、扉の向こうに広がっていた凄惨な光景に目を疑った。
動く物の一つもない、見渡す限りの瓦礫と本の山。そして、その上には千切れた四肢や瓦礫に圧し潰された人体の一部が散らばっていた。
「なっ――――!?」
口元を手で覆い、声を上げそうになった自分を抑える。だが、良く良く見れば散乱する手足からは血の一滴すら流れ出ていない。これは……人形の残骸だ。
俺は傍らに立つスワンソングの顔を横目で見た。彼女は何の感慨も無さそうな顔で、バラバラになった人形たちの姿を眺めている。
彼女たち『琺瑯質の瞳の乙女たち』は、時に笑ってみせたり困ったような表情を浮かべたりもする。だがそれは、前に俺を案内してくれたメイド人形が語ったように、”そういう風”に作られているだけに過ぎない。静かに佇むスワンソングは、怒りも悲しみも何一つとして感じていないのだろう。
「スワンソング、こいつは一体どういう事だ? 状況を説明してくれ」
「上階にてマスターと姉様たちが、ドラゴンと交戦中です」
「上階だって? ここは研究所じゃないのか?」
「はい。ここは倉庫階で御座います。ドラゴンとの戦闘によって、研究所の床が落ちたのです」
スワンソングが指差した先、落石でも受けたかのような穴だらけの天井に目を凝らすと、何か重たい物同士がぶつかりあう音が遠くに聞こえてきた。おいおい……床に大穴が空くような規格外の戦闘に、俺なんかが割って入ったところで役に立つのだろうか?
俺はうんざりしながらも、スワンソングに訊いてみた。
「って事は、ここはルルティアの研究所の下の階、って事?」
「はい。ここは不用品や資料を収納する倉庫として使っておりました」
なるほど。故障か何か知らないが、研究所に到着するはずだった昇降機は、その下の倉庫階で止まっちまったんだな。
「ところで、お前はここで何してたんだ?」
「リサデル様の御指示に従い、アリス様と共に避難していたのですが、天井が崩れた折に逸れてしまいまして、こうして探し回っておりました」
「ルルティアは? リサデルは無事なのか?」
「申し訳ございませんが、アリス様の捜索を優先しておりまして把握しておりません」
「そっか……」
「ですが、マスターは御健在です」
「何で分かる?」
「マスターが死亡した場合、最終命令が発動するよう設定されておりますので」
「死亡……ンな事させねえよ!」
しかし、ルルティアたちを連れて逃げるにしても、居所が分からなくては話にならない。俺はスワンソングの小さな肩を掴んで揺さぶった。
「頼む。俺を上の階に、あのガンガン音がしている所に連れて行ってくれ」
「御言葉ですが、御主人様の戦闘能力では何の足しにもならないかと」
「だろうね。自分でも分かってるさ。だけど――――」
あの頃のルルティアとまんま同じ顔が、俺を真っ直ぐに見返してきた。
――――同じよ! 同じ命なのよ! 助けたつもりがあるのなら、最後まで私を見ていてよ!
血を吐き叫んだルルティアの声が、耳に蘇ってくる。
そうか……彼女の言っていた意味が、やっと分かった。俺はルルティアを助けただけで満足して、本当の意味で救ってはいなかったんだ。俺がやった事は、捨て猫に餌だけやってその場を立ち去るのと同じ事だったんだ。
「俺はそろそろ決着を付けなくちゃいけないんだ。色々とね」
「自分が破壊される可能性が高いとしても、ですか?」
年頃の女の子にしか見えないスワンソングの、唯一作り物めいた琺瑯質の瞳が俺を見詰めている。
「私はマスターから”極力破壊されないように”との命令を受けております。それは私の『魔術符号』に刻まれた最重要事項の一つです」
「言ってる意味が分かり難いけど、ようするに”死んじゃダメだ”って事だろ?」
「姉様たちに伺ったのですが、私以外には誰一人としてそんな指示は受けていないようなのです。どうしてマスターは、私だけにそのような命令を下されたのでしょう?」
「さあね。お前にやって欲しい事とか、お前にしか出来ない事があるんじゃないの?」
俺は、自分に言い聞かせるように言った。俺だって、俺にしか出来ない事を果たしに行くんだ。
「なあ、お前の力で俺をルルティアの所まで連れて行ってくれよ」
「それが御命令とあらば」
「ああ、頼むよ」
俺が笑って頷くと、スワンソングは「では、失礼いたします」と言い、ぎゅうっ、と強く抱きついてきた。
「おっおい? 何を――――」
ぐっ、と引っ張られたかと思った次の瞬間、身体が宙に浮くのを感じた。いや、浮くなんて表現は生易しい。打ち上げられたんだ!
目の前にグングンと天井が迫る! このままじゃ激突する!!
「ぬわわわわ――――っ!!」
間一髪なのか、それとも計算されていたのか。俺の身体は天井に空いた穴を、ギリギリの所でスリ抜けたようだ。
束の間、胸を撫で下ろすと、俺が突っ込んで行く先に、まるで蜘蛛の巣のように張られたロープ状の物が視界に飛び込んできた。
「あれは……鎖か?」
上手い具合に垂れていた鎖の一本を掴み、勢いを殺す。どうにかこうにか宙ぶらりんの態勢を取ることに成功した。
ただ俺は、高い所が苦手である。特に、こんな中途半端な高さが一番怖い。出来るだけ下を意識しないようにして鎖をよじ登っていると、矢のような勢いで飛んできた鎖が、顔のすぐ近くを掠めて行った。
「うおっ! 危ねえっ!!」
鎖を掴んだ手が、緊張の汗で滑る! 力一杯にしがみつくも、一度落ち始めた勢いは簡単には止まらない。
墜落を覚悟したその時、数本の鎖が俺の手足に絡みついた。この冷たい金属の感触には覚えがある。
全身を縛り上げる力強い鎖の束は、その主の元へと俺を運んだ。
「もうちょっと格好良く登場出来なかったの? 聖騎士様」
「悪いが俺は武器屋なんでね。それ以上でも以下でも無いし」
ようやく足の裏に確固たる床の感触を感じて、無駄口を叩く余裕も出てきた。
「もう会わない、って決めたつもりだったけど、また会っちまったな」
別れてまだ数日しか経っていないと言うのに、ルルティアは更に痩せ衰えてしまっていた。ピッタリだと思えた黒いワンピースでさえも、今は大きく見えてしまう。襟口から覗く浮き出た鎖骨が痛々しいほどだ。
「で、リサデルは無事か?」
「ひっどい。私の心配は?」
鎖の束を握るルルティアの背後に、死んだように動かないリサデルの姿が目に入る。緊張感に欠けたルルティアの口調から、リサデルの身に別状は無いと察した。
「お前、ピンピンしてんじゃねえか」
「そう見える? でもね……もう限界なの」
色を失った唇の端に、やけに鮮やかな赤い筋が走ったかと思うと、ルルティアはその場に両膝を折った。
慌てて駆け寄る俺を制したルルティアの手が、力無く指し伸ばされる。その途端、細い手首に巻き付いていた大量の鎖が轟音と共に千切れて落ちた。
「さあ、貴方の敵はあそこにいるわ。魔法の竜を斃してリーザ姫を救うのよ」
すいません。お待たせしました。