第198話 さよならのかわりに
「行くぜ隊長! 振り落とされんなよ!!」
馬は馬らしく、走る事に集中しよう。背中のネイトに呼びかけると、彼女は「おう!」と勇ましい返事を寄越してきた。
「カース、身を低くしてくれ」
「はいよ、了解!」
疾駆する木馬の上に身を伏せると、ネイトは俺の背中に乗りかかり、長槍を前方に向けて突きだした。
まさしく人馬一体となって突き進む俺たちの前に、身体を張って立ち塞がろうとする兵士はいなかった。どんなに厳しく訓練されていようが、人間ってのは本能的に危険を避けるように出来ている。普通、驀進する馬の前に出ようなんて酔狂なヤツはいない。
「御下がりを! ここは我らが食い止めます!!」
声高に叫んで進み出た赤マントの二人は、たぶん普通じゃないのだろう。さっきのゴレストンとか言う聖堂騎士に負けず劣らずな体躯を誇り、巨大な大盾を構えて並ぶ二人の騎士。その姿はまるで聳え立つ赤い壁だ。
「ふふっ……おかげで的が絞り易くなった」
背中越しにネイトの含み笑いが聞こえた。
全くその通り。大して視力の良くない俺の目が、盾の騎士の後ろに回る背の低い人物を捉えた。騎士たちの行動は、わざわざ向こうから指揮官を教えてくれたようなモンだ。
敵軍は数に劣っている。指揮官さえ討てば、十分に撃退は可能だろう……ただ、頭の片隅に何かが引っ掛かる。初めて経験する大規模な戦闘に興奮しているせいか? いつもの様に頭が働かない。
「そのまま進め!!」
ネイトの鋭い檄に迷いを断ち切り、俺は向かって左側に防御姿勢を取る騎士に狙いを定めた。
遮る者のいない戦場を、放たれた矢のように錬金駆動が疾駆する。俺は来たるべき激突に備え、大きく息を吸い込んだ。
「うわぬわうおおおおう――――!!」
雄叫びだか悲鳴なんだか、何とも締まらない声が喉から勝手に迸る。
衝突の瞬間、身体に当たる風も、景色も何もかもが緩やかに流れた。騎士が構える盾の紋様ですら、ハッキリと見て取れた。今まで色んなバカな真似をしてきたが、壁に向かって全力で突っ込むような真似は初めてだ。
「どぅわぁああ!!」
あまりに激しい衝撃に、意識がフッ飛びそうになる。それでも俺は、何が何でもハンドルから手を離さなかった。木馬ごと転倒しなかったのは、もはや奇跡とも言えるだろう。
「し、死ぬかと思った……って、これで何度めだっての」
ようやく人心地ついて錬金駆動から身を起こすと、いつの間にか下馬していたネイトが、長槍でもって聖堂騎士を突き倒すところだった。
「うおおお! やったぞ!!」
「勝てる! 今こそ突撃だ!!」
「見ろ、敵は動揺している! 押し返せ!!」
大歓声が上がった方へと顔を向けると、ここを好機と見たか、防衛隊が地響きを立てて押し寄せて来た。激しくぶつかり合う両軍が巻き起こした土煙で、一気に視界が悪くなる。こうなるともう、作戦も何もあったもんじゃない。
衝突する鋼と肉体。互いに譲れない、力と意志のせめぎ合い。
大混乱に陥った戦場の中心で、ネイトと小柄な騎士が向かい合っていた。長身のネイトに対し、騎士は頭一つ以上に背が低い。だが、獅子を模した金色の鎧を身に着けたその立ち姿からは、周囲を圧する威厳が感じられた。
「指揮官とお見受けする。その首を頂く前に名を訊こうか」
血が滴る穂先を突き付けてネイトが名を訊ねると、指揮官と思しきその人物は、長剣を地に突き立てて両手を剣頭の上に重ねた。威圧的に見下ろすネイトを前にしても、騎士は堂々とした態度を崩さない。
「戦場に礼も非礼も無いが、先に名乗るのが筋であろう!!」
凛とした騎士の声に、己の耳を疑った。それは思わぬ大音声のせいでは無く、戦場に響き渡ったその声が、聞き違えようも無く女性の声だったからだ。
ネイトは指揮官を守る為に集まってきた兵士たちを威嚇するように睨み付け、槍を一回転させて柄頭で地を突いた。
「魔導院清掃局特務機関『錬金仕掛けの騎士団』副指令、ネイトだ」
群がる兵士たちの顔に緊張が走った。魔導院最強の女闘士の勇名は、遠く離れた山王都にも届いているのだろう。
「ほう……貴様が『錬金仕掛けの腕』のネイトか。聖堂騎士を打倒し、我が元まで迫るとは聞きしに勝る武力だな」
そう言って獅子を模した兜の面貌を上げた女騎士の面立ちに、俺は思わず声を上げてしまった。
「ま、まさか……?」
どうして海女王がここに!? しかし、俺の疑念はすぐに晴れた。かつて『海星傭兵騎士団』の一員として仕えた海女王『ラティスレイア』には、双子の姉王がいる。自ら戦場を駆ける勇猛な騎士でいて、稀代の戦術家として名高い山王都の女王が。
「我は山王都の主、聖女王『アグライア』なり! ネイトとやら……みごと我が首、獲ってみよ!!」
それが闘いの始まりを告げる鐘だった。目にも止まらぬネイトの刺突が聖女王に襲いかかる。だが、女王は地面から長剣を引き抜いたかと思うと、その外見からは想像の付かない鋭い動きでネイトの槍を斬り払ってみせた。
ネイトは両断された槍の穂先を、女王目掛けて投槍さながらに投げ付けた。致命的な投擲を身を低くして避けた女王は、その姿勢のまま一気に間を詰めてネイトに斬りかかった。
「ははっ、あはははははっ! 楽しいなあ、ネイトよ!!」
狂ったような哄笑を上げながら、猛り狂う女王は長剣を振るい続ける。
海女王の物憂げな美貌と瓜二つだというのに、荒ぶる気性は顔付きをも変えるのだろうか。俺はその激情的ともいえるアグライアの面立ちに、ある女生徒を重ねて思い浮かべていた。
情熱的なまでにシンナバルを偏愛するアリス先輩……やはり、あの少女が第三王女か――――
「どうしたネイト!! なぜ打ってこない!?」
苛立だしげな叫び声に思索を中断する。どうもネイトは鋭い斬撃を鋼鉄の腕で弾くばかりで、積極的な攻撃を加えていないようだ。
遮二無二斬り込んでいるように見えて、女王の剣の腕は達人の域に達していると言っても過言では無い。身の軽さを最大限に活かした見事な剣技には舌を巻く思いだ。
「おのれ……手を抜いておるのか!!」
斬撃を払い続ける鋼鉄の腕の重さに負けて、女王は次第に振り回されるような恰好になっていた。どれほど女王に卓越した剣技があろうとも、驚異的な『速さ』に加え、圧倒的な『重さ』を兼ね揃えたネイトには太刀打ち出来ないだろう。
「女王陛下、ここは潔く兵を引いて貰えないだろうか」
「これは異な事を。先ほど我が首を獲ると宣言したばかりではないか」
凍えるような気温にも関わらず、女王は顔を紅潮させ、顎から汗を滴らせている。対するネイトは息ひとつも切らしていない。彼女にとっては準備運動にすら、なっていないのだろう。
「それは貴女が聖女王と知らなかったからだ。ここで私が貴女を討てば、山王都のみならず大陸は大混乱に陥る。それは貴女も望むところでは無いだろう」
「ふふっ、中々に頭が回るようだな。その異端な美しさ、底知れぬ強さ……私はお前が欲しくなってきたぞ」
「笑わせるな。山王都は亜人族を受け入れぬ人間族の都。私はダークエルフである自分を受け入れてくれた魔導院を、命に代えても守りきる」
「ふふん……そうか。手元に置いて愛玩してやろうと思うたが残念だ。黒いエルフは珍しいからな」
犬か猫の話でもしているような女王の言い草に、温厚を自認する俺でも怒りが湧いた。文句の一つでも言ってやろうと思ったが、怒りに震えるネイトの姿に言葉を失った。
「お前みたいな……」
ネイトの髪がまるで炎のように逆立っているように見えた。女王に向けて踏み出した一歩は、冷えた石畳を踏み砕かんばかりだ。俺は、これほどの激情を露わにしたネイトの姿を初めて見た。
「お前みたいな奴がいるから!!」
ネイトは喉が張り裂けるような怒声を上げ、石畳を蹴った。
しかし女王はネイトの挙動を見計らっていたかのように右手を高く掲げ、鋭く振り下ろした。
「弓隊、放て!!」
怒りは判断を狂わせる。
――――頭は冷たく、心は熱く
俺は婆ちゃんの教えを痛感した。ネイトの怒りに巻き込まれて周囲が見えなくなっていた。
「隊長――――!!」
避けろ! と叫ぶ間も無く、飛来した数十本もの矢がネイトの全身に突き立った。
ネイトは駆け出した勢いを殺す事すら出来ず、石畳の上に激しく転倒して悲痛な声を上げた。
「おい、大丈夫か!?」
苦痛に喘ぐネイトに駆け寄り、俺は水平方向から放たれた射線を目で追った。
「ギャアッ!!」「ぐわっ!!」「た、助けて……」
防衛隊から次々と悲鳴が上がる。
クロスボウを装備した女王の弓兵隊は、恐ろしいほどに精密な射撃で神聖術師や魔術師を狙い撃ちにしていく。攻撃を受ける事に慣れていない術者たちが逃げ惑った挙句、秩序を失った防衛線はズタズタになった。
隙を突いて防衛線を突破した制服姿の男たちが階段を駆け上がっていく。そいつらこそ俺の感じた”引っ掛かり”の正体、今の今まで姿を現さなかった公安三課の『第三部隊』だった。
「くそっ! 完全にやられちまった!」
すでに女王の姿は兵士たちに紛れ、どこにも見えなかった。まさか女王自らが時間稼ぎをするとは……赤備えの部隊どころか虎の子の聖堂騎士すらも、魔導塔内部の構造を熟知するサードステージを突入させる為の駒に過ぎなかったと言うのか。
「カース……怪我は無いか? どこか……撃たれてはいないか?」
「隊長、俺の心配をしている場合かよ!」
抱き起したネイトの怪我の状態は、どこから手当をすれば良いのか分からないほど深刻だ。特に胸に刺さった矢は、迂闊に触ると取り返しがつかない場所を貫いている。
俺は治療班の姿を目で探したが、防衛隊が完全に崩壊してしまった今、治療班が真面に機能しているとは思えなかった。
「私を置いてルルティアの元に行け。その為に来たのだろう」
「俺を見損なうよ、ネイト。お前を置いて行けるワケねえだろ!!」
その時、頭の中に閃く物があった。そうだ、ルルティアの研究室にはリサデルがいる。彼女なら満身創痍のネイトを救える。
「少しだけ辛抱してくれ。必ず、必ず助けるから」
ぐったりとしたネイトをアルケミィ・ギアの後部座席に乗せ、俺も鞍に跨った。それから『魔術偽典』を一本取り出し、発動させた。
「第三層錬金術『金の鎖』」
自分に向けて拘束の錬金術を行使すると、狙い通りに鎖はネイトと俺の身体に絡みついた。少なくとも、これで彼女が座席から転落するのは防げるはずだ。
俺はすっかり人が居なくなり、ガラ空きになった階段を睨み付けた。正門ですら飛び越えてくれた錬金駆動なら、たかが階段如き屁でも無いだろう。ただ、重傷者を乗せていては話は別だ。
「隊長、これから錬金駆動で階段を上る。辛いだろうけど、気をしっかり持ってくれ」
「……なあカース、お願いがあるんだ」
「らしくないぞ、隊長。いつもみたいに偉そうに命令口調で言えよ。じゃないと聞かないからな」
「さっきみたいにネイトって……いや、ネフティスと呼んでくれないか」
「あ、ああ……分かったよ。行くぞ、ネフティス!!」
涙声を誤魔化す為に、俺はわざと大きな声を上げてハンドルを強く握った。頼む、少しでも速く、少しでも優しく階段を上ってくれ。
俺の願いを汲み取ったか、錬金駆動は段差を感じさせない滑らかな挙動でもって、軽快に階段を駆け上がってくれた。これならネフティスの負担も軽いはずだ。
階段を上りきると、あの不思議なガラスの壁が無残にも粉々に打ち破られていた。当然、やったのはサードステージしかいない。対テロ部隊として組織された公安三課にとって、拠点への突入なんてのは朝飯前……いや、それこそが彼らの仕事か。
「ネフティス、このまま突っ込むからな」
一度、錬金駆動を停止させてからエントランスを覗き込むと、大きなカウンターにうつ伏せで倒れ込む受付嬢たちの姿が目に入った。奴らに見つからないで行動するなど不可能だ。俺は記憶を頼りに研究室直通の昇降機へと進路を取った。
サードステージの姿は見当たらない。研究室行きの昇降機は後付のせいか、エントランスからは離れた場所にある。もしかしたら、奴らは他へ向かったんじゃ――――
「うわあっ!!」
前触れも無く、いきなり横合いから飛び込んできた何かに錬金駆動ごと押し倒される。その衝撃で金の鎖が弾け飛び、ネフティスともども冷たい床に投げ出された。
「ネフティス! 大丈夫か!!」
倒れた彼女に駆け寄ろうとした俺の前に、目出し帽を被った屈強な男が立ちはだかった。目出し帽の隙間から覗く氷のような青い瞳が、俺とネフティスを見比べている。縦に走った切れ込みのような瞳孔が、男が猫人族だと物語っていた。
「くっ!」
苦し紛れに引き抜いた短剣は、鞭のような男の蹴りで簡単に弾かれてしまった。そのまま男は俺の存在を無視して、ネフティスに近づいた。
「てめぇ! その女に触んな!!」
竜殺しの剣を抜き放った途端、今度は後ろ回し蹴りを鳩尾に喰らい、床を舐める羽目になった。痛みに身動きの取れない俺の目の前で、男はネフティスの顔を覗き込んでいた。
「……行け」
男の足元に這い寄る俺の耳に、地の底から響くような低い声が届いた。聞き違いかと思って顔を上げると、男は凄まじい膂力でもって、畑から作物でも引っこ抜くかのように俺の身体を引き起した。
それっきり振り返りもしない男の背中を一瞥して、俺はネフティスの元に駆け寄った。
「知り合いか?」
ふらつきながらも立ち上がったネフティスに肩を貸すと、彼女は「昔、少しな」と血の気の引いた唇の端を上げた。
その時だ。離れたエントランスの方が、俄かに騒がしくなった。
「急ごう。いよいよ後続部隊が乗り込んで来た」
幸い、昇降機はもう目の前だった。『開く』ボタンを連打すると、スライド式の扉が開いた。危なかった。こいつが上まで行っちまってたら、もうお手上げだった。
素早く籠の中に乗り込んで『行き先』ボタンと『閉じる』ボタンを交互に押しまくると、扉がゆっくりと閉まり始めた。
「はあぁ、一先ずひと安心か」
安堵の息を吐きながら蹴られた腹を摩っていると、突然、名前を呼ばれて顔を上げた。
「おいおい。いきなり本名呼ばれてビックリしたよ。いつもみたいにカースって――――」
続きを柔らかな唇に遮られたという事実に気が付いた瞬間、彼女のどこにそんな力が残っていたのだろう、俺は錬金仕掛けの腕に突き飛ばされて、奥の壁に叩きつけられていた。
「いってぇ……何すんだよ!」
「最初から、こうしていれば良かった」
「お、おい! 一体、何のつもりだ!?」
閉じていく扉の向こう、彼女は悲しげに微笑んでいた。
「想いを伝えるのは、どんな闘いに挑むよりも勇気が必要だったんだな」
「ネ、ネフティス!? お前、何やってんだ!」
「もしも……もしも私が人間族の女の子で」
「馬鹿野郎! 早くこっちに来い!」
「こんな肌の色をしていなかったら」
「今はそんな話してる場合じゃないだろ!」
「お前は……私を好きになってくれただろうか」
俺は『開く』ボタンに手を伸ばしたが、すでにボタンは彼女の手によって破壊されていた。
「ネフティス……どうしてだよ」
「私がここに残って、誰も使えないように昇降機のパネルを壊さないと」
「だからって、お前……」
「私の為に、泣いてくれるの?」
「頼む、頼むから一緒に来てくれ」
「私、こんな肌に生まれてしまったけど、今は感謝してる。だって、そのおかげで森から出る事が出来たんだもの」
もう、扉の隙間からは彼女の半身しか見えなくなってしまった。穏やかに話す彼女の口調は、普段の厳めしさとはかけ離れていたが、これが彼女本来の喋り方なのだろう。
「魔導院は、ひとりぼっちだった私を仲間に入れてくれた。私はここで、やっと自分の居場所を見つけたの」
「……」
俺はもう、何も言わなかった。ただ、最後まで彼女の声を聞いておきたい。
「アルキャミスツの仲間たちが待ってる。最後まで……闘わなくちゃ」
扉が閉まりきる最後の瞬間、ネフティスの赤い瞳から一粒の涙が零れ落ちた。
「貴方にネフティスって呼んで貰えて、嬉しかった」
俺はその涙に手を伸ばした。だけど、扉は俺と彼女を完全に遮断した。
「ありがとう」
彼女の遺した感謝の一言は、別れの挨拶だったのだろうか。