第196話 飛べ! 高く強く速く!
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ふと、誰かに名前を呼ばれたような気がして、俺は疾走する錬金駆動の速度を落とした。
「馬さえ乗れりゃあ何とかなるわぁ」と、ディミータが言ってた通り、車輪付き錬金木馬の扱いにも慣れてきた。この手の”己の感覚が追い付かない乗り物”が苦手な俺だったが、今では辺りを見渡す余裕すら出てきた。さすがは俺。
「……しっかし寒いな」
風を切って走る錬金駆動の上は存外に寒く、降りしきりる雪はまるで吹雪みたいに吹き付けて来やがる。ディミータに急かされたせいで、まともな防寒着を用意出来なかった。用意出来た物と言えば、数本の『魔術偽典』と、背中に括った『竜殺しの剣』くらいだ。
今さっき、黒煙が上がる湖岸の方から真っ赤なドラゴンが魔導塔へ向かって一直線に飛んで行くのを見た。あれが『王の剣』の呪力で姿を変えたアッシュなのか? だとしたら、俺ごときが駆けつけた所で何が出来るのだろう。今まで散々にムチャもしてきたが、ドラゴン退治なんて経験に無い。
「……ったく、どうすりゃ良いんだっての」
愚痴りながらも錬金駆動を魔導塔へ向かって走らせていると、行く手に机や椅子を積み上げた即席バリケードが見え、その前で数十人の武装した集団が争っていた。かたや学院の生徒たちの様に見えたが、揉み合う相手が着用する制服に自分の目を疑った。
「なんで風紀委員会が……?」
バリケードを背にした生徒たちが優勢に見えたが、さすがに風紀委員会の巡回員は良く訓練されている。道を封鎖しているつもりでいて、足止めされているのは生徒たちのようだ。膠着状態で競り合っている脇を、赤備えの装備に身を固めた兵士たちがあっさり突破していく。ちらりと目にしただけだが、兵士の装備に刻まれた紋章は『飛翔する火竜』、それは山王都正規軍の旗印だ。
俺はハンドルを大きく右に切って、通い慣れている『税務署通り』から縁の無い『職安通り』へと道を変えた。不案内な道だけど、あの混乱に巻き込まれるよりはマシだろう。
「……こいつは思ったよりも厄介だぞ」
道幅の狭い通りに入ったにも関わらず、そこかしこに兵士の姿があった。だが、擦れ違おうが追い抜かそうが、ヤツらは奇妙な乗り物に跨った俺を一瞥するだけで、追ってくるどころか静止の声すら掛けてこない。
不要な摩擦を避け、与えられた任務のみを追う姿勢。恐らくこいつらは、拠点制圧に長けた急襲部隊なのだろう。そんな連中に学院都市の道という道を知り尽くしている風紀委員会が加担しているとなっては、魔導院は相当に不利な状況に置かれていると言えよう。
学院都市は交通の利便性を重視した学術都市であって、攻め入られる事を想定した城塞都市とは違う。学院都市の全ての中枢である魔導塔へと至る道筋は幾らでもあり、その全てを封鎖する事は不可能だ。このままでは、数刻もしないうちに魔導学院都市は落ちる。
俺はこっそりと通用口から侵入する計画を中止して、危険を承知で魔導院の正門へと急いだ。
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「マジか……最悪だ」
剣戟の音と怒声、苦痛に満ちた悲鳴。そこかしこで火の子を散らし、めらめら燃え盛る炎。そして、生ゴミを腐らせたような漂う悪臭。
普段は和やかに人々が行き交う魔導院の正門前は、生徒と巡回員と兵士たちが入り乱れ、混乱を極めていた。もはや攻城戦の戦場と化した正門に突破口を探したが、混戦の中では錬金駆動を止める事すらままならない。
気ばかり焦る俺の耳に、「おい、そこの! お前、カースか!?」と、野太い声で俺の渾名を呼ぶ声が聞こえた気がした。
「おお、やっぱりカースじゃないか!」
木馬を止めて声の聞こえた方に顔を向けると、小柄な筋肉ダルマが両手に構えた巨大な盾でもって、兵士に見事なシールドチャージを喰らわせていた。
巡回員の数人を巻き添えに吹っ飛んでいった兵士の姿に目もくれず、俺に向かって厳つい顔を綻ばせたのは『錬金仕掛けの騎士団』の古株、バックラーだった。
「バックラー! 無事だったか!」
錬金駆動から降り、背負った切り札では無く護身用の短剣を抜いて身構えると、彼は短い足をフル稼働させて駆け寄ってきた。その縦横の比率が同じ四角い身体は傷だらけだったが、大きな怪我はしていなさそうだ。
「教えてくれ。どんな状況だ?」
俺が尋ねると、バックラーは荒い息を整えてから、虎ヒゲを震わせて吐き捨てるように言った。
「まんまと山王都の陽動に引っ掛かっちまった。悔しいが奴ら、戦慣れしてやがる」
「仕方が無いさ。あっちは職業軍人だ」
悔しそうに顔を歪めたバックラーに慰めの声を掛けながら、「陽動って事は、別働隊がいたのか」と訊いてみた。
「落ちる寸前の正門に俺たちが急行したのを見計らって、『公安第三部隊』が寝返りやがったんだ」
「公安が? どうしてそんな事に……」
「分からん。だが、俺たちは中と外からの挟撃で散り散りにされて、やたら腕が立つ赤マントの何人かに突破されちまった。どうにかこれ以上の侵入を防ぐのでやっとだ」
「赤マント……それで隊長は?」
「その赤マントどもを追っかけて魔導塔に向かった」
思わず舌打ちが出る。バックラーの言う”赤マント”ってのは、一騎当千を謳われる聖堂騎士だと思って間違いないだろう。それに加えて『アルキャミスツ』と並ぶ公安三課の特殊制圧部隊『サードステージ』か。
魔導院の最強戦力と称えられる『錬金仕掛けの腕のネイト』と言えども、さすがに聖堂騎士と公安第三部隊を一度に相手にするのは無謀だ。
自然と項垂れていた俺の肩を、バックラーが叩いた。
「カースよ。錬金駆動はディミータのお気に入りの玩具だな」
「さっき借りたんだ。速いから魔導院まで乗ってけって」
「という事は、ディミータと話は出来たんだな」
「ああ……ディミータさんと約束をした。俺は何としても魔導塔に行かなくちゃならないんだ」
分かっている、とでも言うようにバックラーは何度も頷いて見せた。
「非番の日にな、そいつでもってディミータと遊んでいるんだ」
「こんな時に何の話だよ?」
「飛ぶんだよ。こんな風に、ぽーんってな」
バックラーは指先を空中に走らせ、ぽーんと盾の上で跳ね上げた。俺はその単純な動きだけで、コイツらが普段、どんなにアホで過激な遊びに興じているのか、その全てを理解した。
「まさか……俺に”それ”をやれってのか?」
「この混戦を突破するには、それしかあるまいて」
「いやいやいやいや、無理ですって」
「無理な事があるか。ディミータは女の身でも見事に飛ぶぞ」
「あの人と同じカテゴリに入れないでくれ。そもそもディミータさんは人間族ですらないし」
「カース、グダグダ言わずに覚悟を決めろ」
「ちょっと待て。俺って生身なんですけど。アンタらは錬金強化されてるから大丈夫なんでしょうけど」
「おう、そいつは良いアイディアだ。死んじまったら錬金強化してもらえば良い。そうすりゃあ、晴れてお前さんもアルキャミスツの一員だ」
「間違ってる! その考え方は絶対に間違っている!」
ディミータと二人乗りした時の、あの内臓が掻き回されるような不快感と、棍棒でぶん殴られたような激痛が尻に蘇ってきた。思わず自分のケツを撫でまわしていると、増援と思しき赤備えの小隊が路地の向こうから現れた。しかも、一斉に膝を突いた兵士たちが構えているのは機械弓と来たもんだ。
「カース! つべこべ言ってる暇は無いぞ!!」
一転、バックラーは真剣な顔をして吠えた。腹の底に響くその怒声に、返事の一つも出て来ない。
「全速で来い! 俺を踏み台にして飛ぶんだ!!」
「まっ、待てよ、バックラー。アンタはどうすんだ?」
慌てふためく俺に、バックラーは不敵にして頼もしい笑みを返してきた。
「おいおい、俺のコードネームを忘れたのか? 俺は『小さき盾』だ。盾は大切な者を護る為にある」
バックラーは、己の身長よりも高い大盾の表面を拳で一発叩いた。
「俺の心配をする暇があるなら、どうぞサッサと飛んでくれ」
「……分かった。でも、死ぬなよ」
「ふん。クロスボウの矢なんぞ、たとえ寝呆けていようが弾き返してやるわい。クロスボウだけに、な」
期待に満ちた目を向けてきたバックラーに、苦笑いを返す事しか思いつかない。
「ぼうっとしてても、ってか?」
ディミータが聞いていたら、ノッてくるだろうか?
ネイトが傍にいたら、呆れた笑いを浮かべるだろうか?
全てが終わったら、試してみたいな。
満足げに笑ったバックラーはタワーシールドを傾け、裏に潜り込むような姿勢を取った。俺は錬金駆動に跨り、バックラーが作った傾斜に向けて全速力で突っ込んでいった。
強烈な加速に身体が後方に引っ張られる。唸りを上げる錬金駆動から振り落とされないようにハンドルを握り締めると、前触れも無く重力が消失した。
「うぉおおおお!! 俺、飛んでる……」
想像していたよりもずっと高く、錬金駆動は俺の店よりも高さがあるはずの正門を優に飛び越えた。今の気分はそう、まるで幼い頃に夢見た天馬に跨った天駆ける聖騎士だ。
俺は余りに爽快な気分に快哉の声を上げた……のも束の間、放物線の頂点まで上昇した錬金駆動は、当然のように落下し始めた。
「ひぃやあぁあああぁ!!」
分かっていたけど怖いモンは怖いっての!
だからこういう乗り物は嫌いなんだ、って言ったのに!!
「ぬおぉおおおお! 助けて婆ちゃ――――」
口から出掛った悲鳴を、俺は噛みちぎって飲み込んだ。ちくしょう……俺が今、やるべきことは何だ!? 情けない悲鳴を上げて婆ちゃんに縋る事か? 誰かに助けを求めるのは、もう止めだ!
前だけを見ろ! 歯を食いしばれ!
振り落とされるな! しがみ付け!
「っざけんなあっ! こンちくしょうがぁああああっ!!」
木馬ごとバラバラになっちまうんじゃないかって衝撃が全身を襲う。それでも俺は目を閉じなかった。
車輪からはギュリギュリと擦れる音と共にキナ臭い煙が上がり、踏ん張った足の裏からはガリガリと地面を削る感触と熱が伝わってくる。
暴れ馬を御すように力の限りに、だけど冷静にハンドルを操った。心は熱く、頭は冷たく、だ。
ひとつ息を吐いた頃には、錬金駆動は何事も無かったようにピタリと動きを止めていた。
「ふっ……どうって事もない」
雪が降るような気温にも関わらず、どっと噴き出てきた汗を拭い、俺は震える手でハンドルを握り直した。