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お前ら!武器屋に感謝しろ!  作者: ポロニア
最終章 彼女の愛は世界を壊す
190/206

第190話 混じりあう記憶

*****




 水族館に置かれているような巨大な水槽の前で、俺はひとり身動きもせずに透き通った壁の向こうを見詰めていた。ガラス板に隔てられた先、水の底に沈んでいるのは魚などではなく、生きているのが不思議なほどに全身に傷を負ったアリスだった。

 その愛らしかった顔は、一目では人相が分からないくらいに腫れ上がり、優雅で伸びやかな手足は固定具で固められ、治療を施されているにも関わらず不自然な形に歪んでしまっていた。


「アリス……」


 ガラス越しに呼び掛けても、無数のチューブに繋がれて死んだように横たわる彼女から返事は戻って来ない。そもそも俺の声なんて、届いてもいないのだろう。

 ドラゴンに姿を変えたアッシュとの戦いで彼女は瀕死の重傷を負い、今は姉さんの治療研究室(メディカル・ラボ)で治療を受けている最中だった。水槽に満ちた液体は、錬金術科が開発した高濃度の治療薬と聞いている。だが、一命を取り留めたとしても、彼女は元通りの美しい外見を取り戻せるのだろうか。


「君を守るって約束したのに……」


 唇を噛み締め、俺はそっと、ガラス面に右手を添えた。銀色に輝く『錬金仕掛けの腕』は、先ほど換装してもらったばっかりだ。普段なら一晩かけて調整するところを短時間で仕上げる為に、かなり強い麻酔薬を使った。そのせいで頭に霞がかかったような気分だ。


「第七街区にて大規模火災発生! 火勢が強すぎて延焼を食い止められません!!」

「第六街区境界線まで敵勢力侵入! 無差別攻撃により市民を含めた多数の死傷者を確認!!」

「北方の大橋が完全に制圧されたとの報告が入りました! 風紀委員会に内通者がいる模様です!!」


 研究室の扉の向こうから慌ただしげに床を踏み鳴らす靴音や、怒鳴り合うような報告の声が聞こえてくる。確か『錬金仕掛けの騎士団(アルキャミスツ)』の臨時司令部が、姉さんの研究所内に設けられたと説明されたような気がする。

 俺は微かに上下しているアリスの胸から目を逸らし、窓際へと足を向けた。目が眩むような高さから学院都市を見下ろすと、湖に近い市街部から火の手が上がり、もうもうと煙が立ち上っていた。


「燃えないはずの錬金煉瓦が燃えている? あの煙の色は……そうか、『燃える水』を撒きやがったな」

 

 山王都の奥地にあるマームード渓谷、そこには火を近づけただけで容易に燃え上がる『燃える水』と呼ばれる不思議な水が湧く泉がある。ただし、そのドロドロした可燃性の液体は”卵が腐った臭い”と形容されるほど酷い悪臭がして、有効利用するのが難しい。それでも使われるとしたら――――


「山王都の連中め……いよいよ攻めてきやがったか」


 黄色かかった炎。不純物がたっぷり混じった黒い煙。汚ねぇ炎だ。反吐が出る。

 不意に、炎に包まれる森の景色が脳裏に浮かんだ。これは……ヴァンの記憶か。

 強力な麻酔を何本も打たれたせいか、さっきからヴァンの記憶と自分の意識が溶けて混ざり合っているような、なんか妙な感じがする。

 俺は自分の頬を何度も叩いて意識をしっかりさせようとしたが、学院都市を焼く醜い炎と、森を燃やす汚れた炎が重なって見えた。


「ヴァン……俺に何か見せたいのか?」


 相棒からの返事は無かったが、俺には彼の考えている事が手に取るように分かった。

 俺は軽く目を閉じて、ヴァンが(いざな)う燃え上がる森へと意識を飛ばした。










「おいおい。やっとこさ霧の中を抜けたと思ったら、お出迎えはお子ちゃまかよ」

「まったくだ。霧の森には『赤毛の悪魔』が出る、って聞いてたのに、これじゃあ拍子抜けだっての」

「ひゃははは! 気を付けた方がイイぜ~。このチビが悪魔かも知れねえぜ~」


 薄霧の立ち込める森に下品な笑い声が響き渡る。せっかく姉さんが餌付けに成功した小鳥たちが、声に驚いて一斉に飛び立ってしまった。

 木々に埋もれるようにして建つ、ちんまりとした僕と姉さん()の玄関先に、武装した男たちが集まって騒ぎ立てていた。ざっ、と見積もって10人か。


「あの、ウチに何か御用ですか?」


 丁寧に尋ねても、男たちは口々に野卑な事を言っているだけで、まともな返事が戻ってこない。


「おいこらチビ! 殺されたくなかったら、大人しく『烈火の魔女』を差し出せ!」


 リーダー格らしき頬傷の目立つ男が、僕の顔に向けて長剣の切っ先を突き付けてきた。僕はそれを手で押し除けてから頭を下げた。


「すいません。ウチの姉さん、新聞は読まないんで」


 僕がそう答えると、男は一瞬、きょとんとした顔をしたが、みるみるうちに顔を真っ赤にして怒り始めた。僕は、頬の傷だけが顔色に比べてワントーン明るいのを見て、何となく「へえ」って気持ちになった。


「ふざっけんなよ小僧! オレたちはなあ、泣く子も黙る――――」

「別に洗剤とかは間に合っているんで……あ、でもエール酒のチケットなら欲しいかも」

「だから、オレたちは新聞の勧誘に来たんじゃねえっ!!」


 男が頭上高くに長剣を振り上げたのと同時に、僕は腰に差しておいた短剣を抜き放ち、男の懐に踏み込んだ。ど素人か。自分よりも背が低い相手に、急所の腋窩を丸出しにするとはね。


「へっ? ああっ?」


 足元に転がった長剣と、ドサッと音を立てて地面に落ちた己の右腕を見て、頬傷の男は一拍遅れて絶叫を上げた。


「ぐぎゃああぁあ!! お、オレの手が!? 腕がああぁ!?」

「いま姉さんは読書中なんです。あまり大きな声を出さないで」


 ショックと痛みに地に膝を突いたリーダーの頬傷が、僕の目の前にあった。


「うん。ちょうど良い高さだ」


 短剣を一閃すると、熟れ過ぎた落果のように男の首が落ちた。僕は噴水のように噴き上がる血飛沫を浴びたくなかったから、手下たちの方へと首無し死体を蹴り倒した。

 リーダーがあっさり殺られた事実がいまいち飲み込めていないのか、残った手下たちは互いに顔を見合わせていた。その判断の遅さがヤツらの運の尽きだ。

 僕は短剣でもって手前にいたチョビヒゲの顎を下から脳天まで突き通し、引き抜いた勢いでその隣に棒立ちになっていた肥満体の突き出た腹に剣柄が埋まるほどに突き刺して、ぐるぐるぐるっと捻った。二人とも「おげろばっ!」とか「おぼろぼっ!!」って、なかなか個性的な断末魔を上げ、折り重なって地面に倒れ伏した。


「あはは。さあ、次は誰が死んでみる?」


 僕は足元に転がっていた生首に爪先を引っ掛けて跳ね上げ、球遊びみたいにして男たちに向かって蹴り込んでやった。


「ばっ、化け物! こ、こっ、この化け物め!!」

「ま、まさか、こいつが『赤毛の悪魔(ディアボロ・ルージュ)』か!!」


 ほんの数秒の間にリーダーと二人の仲間を失った男たちは、口々に喚き散らしながら武器を振り回して襲い掛かってきた。

 恐慌状態に陥った残党を始末するのは、夕飯を作るよりもずっと簡単だ。ただし、ごろごろ転がる死体の後始末は、夕食の皿洗いよりも面倒臭い。


「ただいま、姉さん」


 家の裏手にある小川に死体を放り込み、川下へと流れていくのを確認してから家に戻った。

 玄関から本棚が並ぶ廊下を抜けると、本の山に埋め尽くされた部屋の端っこで、姉さんは安楽椅子に沈み込むようにして本を読んでいた。僕の声が聞こえていないくらいに読書に没頭しているようだった。


「新聞屋さん、帰ったよ」


 そう声を掛けると、姉さんは本から顔を上げて、細くてキレイな指で眼鏡の位置を直して僕を見た。つい先日、街に買い出しに行った時にお土産に買った赤いフレームの眼鏡が、姉さんの赤い瞳に良く似合っている。


「あら? 新聞屋さんが来ていたの? 全然気が付かなかったわ」

「うん。あんまりしつこかったから帰って貰うのに時間が掛かっちゃったよ。もう、いちいち断るのも面倒臭いから、魔術の霧をもっと濃く出来ないかな?」

「そうねえ……でも、これ以上に霧を濃くしたら、森で迷子になっちゃうかも知れないでしょう?」

「僕は迷子になんかならないよ」

「いいえ。なるわ。私が」


 大真面目に言い放った姉さんに向かって、僕は思わず、ぷっと吹き出してしまった。すると、姉さんは怒ったような顔をして唇を尖らした。僕はつい、その艶やかな唇に目を奪われていた自分に気づき、慌てて目を逸らした。


「姉さんは外になんか出なくて良いよ。面倒な事は僕が全部片付けるから」

「そうはいかないわ。小鳥に餌をあげたいし、外で飲むエール酒は抜群に美味しいし」

「……姉さん。別に飲むのは構わないけど、ちょっと減るのが早過ぎだよ。こないだ樽ごと買ったのに、もう半分も残ってない」

「ウソ!? 姉さん死んじゃう!!」

「嘘でもないし死にもしないよ。でも、このままだと次の買い出しの前に底を着いちゃうからね」


 し~ん~じゃ~う~よ〜、と頭を抱える姉さんが余りにも可愛らしくて、僕はもう我慢が出来ずに背中からその華奢な身体を抱き締めた。


「うふふ、どうしたのヴァン? 甘えたいの?」

「んん、ちょっとだけ」


 サラサラした長い髪に顔を埋めながら、僕はクラクラするような甘い匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。白磁のような首筋に頬を寄せると「くすぐったい!」と、姉さんは逃げるように身を捩った。


「僕がずっと守るから」

「え? 何か言った?」

「別に。何でもないよ、姉さん」


 そう……僕はずっと、小さな図書館のようなこの家で姉さんと二人、死ぬまで静かに暮らしたいと願っていた。


 僕は両親の顔を知らない。物心がついた時には姉さんと一緒に、山王都の『王立魔術局』とかいう大きな研究施設で暮らしていた。

 あんまり良くは分からないけど、僕の姉さんには物凄い魔術の才能があるって話だった。特に炎を操る能力がズバ抜けていて、魔術局の中で姉さんは『烈火の魔女』と呼ばれていた。一方、僕はというと魔術には向いて無い代わりに剣の才能に恵まれたみたいで、山王都に育った男子なら誰もが憧れる真っ赤なマントを羽織った騎士、『聖堂騎士(セイクリッド・ガード)』の見習いの、そのまた見習いみたいな事をやっていた。


 美人で優しくて頭が良い姉さんは、皆の憧れの的だった。僕にはそれが何よりの自慢でいて、そして不安の種でもあった。誰かが姉さんを見ていたり、姉さんの噂をしているのを耳にしたりする度に、誇らしい気持ちになるのと同時に、イライラとした感情が湧き上がるのを感じていた。


 ――――誰の姉さんだと思っているんだ……僕の姉さんだ。姉さんは僕の物だ。


 自分でも”何かが歪んでいる”と思っていた。でも、僕には姉さんしかいなかった。姉さんだって、たった一人の肉親である僕を愛してくれていた。だから僕は聖堂騎士を目指したんだ。姉さんを護る、姉さんだけの騎士になる為に。

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