第189話 扉の向こう側へ
「呆れたもんだね。どいつもこいつも、本当にバカばっかりだ」
小馬鹿にするような言い草に怒りを覚えて、ボクはディミータの顔を睨みつけた。だけど、静かに目を伏せる彼女の様子からは寧ろ、馬鹿なボクたちを憐れんでいるようにも感じられた。
「……君の言う通りだよ、ディミータ。ボクらは一番大切にしなくちゃいけない存在を、自分たちから生贄に差し出すような真似をしたんだ」
「なにそれ。いまさら後悔しているつもり?」
「違う、そうじゃない! ボクは!!」
「だったら最初っから死ぬ気でプラティナを止めなさいよ。私はねぇ、自分の為に泣くようなヤツが大っ嫌いなんだ」
「ボクは……ボクはそんなつもりじゃ……」
途中まで言い掛けたところで「いや、君のいう通りだね」と、ボクは顔を振った。
ディミータに向かって犯した過ちを語ることによって許しを請うような……そう、懺悔しているような気持ちになっていた。
ボクはただ、真実をありのままに語ろう。
――――もう、あの呪物に関わるのは止めよう。
ぽつり、と呟いたトートの一言は、そのままボクらの敗北宣言となった。
スティルの葬儀を執り行ってから、トートは長老会議の椅子を降りて故郷の森に帰った。ボクは、彼の奥さんが病気で具合が良くないと聞いていたから、引き留めるような真似はしなかった。
スティルを失って心と身体を病んでしまったプラティナには、これ以上の負担は掛けられない。だから、計画の後始末の為にボクがトートの後を引き継いだんだ。
だけど、やらなくちゃいけない事なんて大して無かった。トートは呪物を滅ぼす為に長老会議の立場を利用していただけだったから、長老会議は元のお飾りに戻っただけだ。
それでもボクは長老会議の権力を使い、黄金の剣を封じる為に強力な封鎖結界を各階に敷設した。それから地下七階への階段を隠し、そんなフロアなんてそもそも無かったかのように公式地図の改竄を試みた。その甲斐あって、じきに地下七階の存在はオカルトめいた噂としてしか生徒の口に上らなくなっていった。
スティルが亡くなってから、一つ季節が巡った。
トートが魔導院を去り、抑制を失った教授会は勢いを取り戻しつつあったけど、正直なところ、もうどうでも良い話だった。そんな事よりも、孫の成長ともにプラティナの顔に笑顔が戻ってきた事の方が、ボクにはよっぽど大事だった。
プラティナは唯一残された孫を大切に大切に育てていたよ。スティルのように復讐の道具にしようなんて、これっぽっちも考えていないように可愛がっていた。ボクたちは互いに口には出さなかったけど、呪物の事なんて忘れたようにして毎日を過ごしていた。それがスティルの供養になると信じて。
それなのに、黄金の剣の呪いはボクらを逃がしてくれなかった。
やっと訪れてくれた穏やかな日常は、たった一枚の手紙に打ち砕かれてしまったんだ。
あれはスティルの子が言葉を覚え始めた頃だった。とある聖王都の貴族から、教授会宛てに密書が送られてきたんだ。ボクは幸いな事にそのうちの一通を、長老会議に協力的な教授を通じて手に入れていた。
時折、やれ「聖王を暗殺するのに手を貸してくれ」だの、やれ「軍部を乗っ取るのに協力して欲しい」だのって、突っ込みどころが満載の絵空事が書かれた密書が届く事があった。
いつものように適当にあしらうか、それとも無視を決め込むかと考えていたんだけど、つい手に取った密書に記されていた差出人の名を見て、ボクは自分の目を疑った。
『リズリサ・ブランドフォード』
厳重に封された密書の内容は、差出人の名前以上に衝撃的だった。ボクにはそれは、数十年にも渡る妄執に憑りつかれたリズリサの呪いとしか思えなかった。
ブランドフォード家に戻ったリズリサは、あれから数年をかけて十人もの娘を産み育て、一人の例外もなく王の後宮へと送り込んでいたんだ。そして、成長したリズリサの娘たちは王の子を、リュカルオンと同じ血を引く子供たちを身籠った。
ボクはその執念に、短命な人間族ならではの計画に背筋が寒くなった。リズリサは自分と王の血を受けた子供たちでもって、愛するリュカルオンを蔑ろにした聖王都に復讐しようと企てたんだ。
「リズ、やれば出来るじゃないか」
プラティナは孫を抱き、鼻で笑っていた。
ボクは急いで密書が教授会に渡るのを押えにかかったのだけれど、すでに密書の数枚は有力な教授の元に届いてしまっていた。権謀術数に疎いボクでは、あまりに打つ手が遅すぎた。
リズリサが灯した復讐の種火は、教授会の野心を燃料にして野火のように広がり、遂に『女王計画』という名の猛炎として燃え上がってしまった。
どうしたら良いのか分からなくなってしまったボクは、エルフの森に隠匿していたトートの元に赴いて助言を仰いだ。
全ての事情を知った彼は、すぐさま自分の息の掛かった錬金術科の教え子たちに使いを出して、教授会や聖王都に対抗する為の長老会議直轄の武装集団を組織した。それが後の『錬金仕掛けの騎士団』なんだよ、ディミータ。
トートは奥さんの事もあったし、何より深くて広いエルフの森をまとめ上げるので大変そうだった。これ以上は彼の手を煩わせられない。ボクは知恵のステータスが足りてない頭が沸騰するんじゃないかっ、てくらいに考えに考えた。
「リズの計画なんて上手くいきっこないんだ。聖王都はそこまで間抜けじゃないさ」
プラティナは、ようやく二本足でオタオタ歩き始めた孫に目を細めながら言った。そんな悠長に構えるプラティナの姿にイライラしたけど、事実、彼女の言う通りになった。
ブランドフォード家は、あの手この手で王の子を魔導院に移送しようと試みたけど、湖に架かる長い橋を渡り切れた者はいなかった。それは聖王都の誇る精鋭騎士団『聖堂騎士団』、真紅の法衣を身に纏った死神たちの手によって、御者から侍女に至るまで一人残らず始末されていたからだ。
可哀想だと思ったけど、ブランドフォード家が諦めさえすれば計画は頓挫する。そう期待して、ボクは見て見ないフリを決め込んだ。
そんなある日、教授会に宛てて届いた一抱えの木箱に、ボクの考えが甘過ぎたと思い知らされた。
箱の中には見せしめのつもりか、惨たらしい姿の子供たちの遺体が一杯に詰め込まれていた。恐怖と苦痛に歪んだ子供たちの顔にルカとリズの面影を見出したボクは、突然湧き上がってきた怒りに叫び出しそうになった。
でも……ボクは何に対して、どこのどいつに向かって怒っているのだろうか?
聖王都の残酷さに?
リズリサの無謀な計画に?
救いようの無い人間族の愚かさに?
それとも忘れようと思っていた、あの忌まわしい黄金の剣に?
もう、これ以上の犠牲者を出したくなかった。
ボクは長老会議の権限でもって『女王計画』に関わる一切に箝口令を敷き、発足したばかりの武装集団をプラティナに任せて旅に出た。
六英雄の子孫を探し出す旅に。
今度こそ、黄金の剣を破壊するために。
「そして、ボクは学院都市から遠く離れた場所から手紙を使って教授会を操った。魔導院に居なかったからこそ、かえって事が上手く運んだんだ」
静かに話を聞いていたディミータの手が背中へと伸びる。店の空気に抑えきれない殺気が混じり始めるのを肌で感じた。
「どうしてアリスだけが学院都市に辿り着けた?」
「さあ? それは分からない。ただ、幼かった彼女はたった一人で森を彷徨っていた所を保護されたと聞いている。それからアリスは、先に学院に紛れ込んでいたリサデルと合流したんだ」
ふぅん、と鼻白んだディミータの手元に不穏な光が見えた。
彼女が目の前に立った時から、こうなる事は決まっていたんだ。
「……それで、私を襲い、妹を殺したのはどっちだ?」
「命令を下したのはボク、手を下したのはプラティナだ。あのタイミングでアリスの存在が漏れるのだけは防がなくちゃいけなかった。教授会は暴走するだろうし、聖女王のシンパを通じて山王都の介入を招く」
「それって言い訳かしら?」
ディミータの両手が煌めいた。扇のように開いた無数のナイフが暖炉の炎を受けてオレンジ色に輝いて見えた。
ボクは「どう受け取ってくれても良いよ」と言って、目を閉じた。
「これ以上の犠牲者を出さない為の計画は、より多くの人を巻き込み、不幸にしてしまった。不思議なもんだね。自分で考えた計画なのに、自分で止める事すら出来なくなってしまったんだ」
ボクは罰を受けなくてはならない。エレクトラを、シンナバルを、シロウを、アッシュを、多くの人を犠牲にした罰を。
覚悟を決めたボクの足元を、柔らかな気配がくすぐった。薄目を開けると、黒猫が足首に額を擦り付けて甘えた鳴き声を上げていた。
「どうしたの? ミルクのおかわりが欲しいの?」
黒猫に尋ねたのと同時に、ぽろりと涙が零れてしまった。ディミータはそれを見逃さず、氷の刃のような声を浴びせてきた。
「その涙は、何の涙だ? 懺悔か? 後悔か? 恐怖か? 絶望か? 答えろ」
「違う……どれも違うよ」
ディミータは、もうナイフを隠す気も無いようだ。重なり合うナイフの刃を鳴らしながら、一歩一歩近づいてきた。
「悲しくて泣くのもダメなの?」
ボクは零れる涙を拭いもしないで、足元に絡みつくエレクトラを眺めた。ぽつぽつと床に落ちた滴を、黒猫はぺろぺろと舐め始めた。
「……結局さぁ、あんたの計画は誰の為の計画だったの?」
声に弾かれるように顔を上げると、金色の瞳がボクを見下ろしていた。
「あんたの計画ってのは、死者を慰める為の計画だったんじゃないの?」
思いがけない言葉に、ボクは心臓を掴まれたような気分になった。
たくさん本を読んで少しは賢くなった気がしてた。やっぱりボクは……馬鹿だったんだ。
「そうか……ボクは最後の最後まで間違いに気が付いていなかったんだね」
そう呟くと、目の前の殺気が、すうっと霧散した。
ボクは不思議な気持ちになって、いつの間にか窓際に移動いていたディミータに声を掛けた。
「ボクを殺さないの? 復讐は?」
「萎えた。恐怖心の無いヤツを殺しても詰まらん。私はねぇ、あんたが泣いて叫んで良い訳しながら命乞いする姿が見たかったんだ」
「ごめんね。今からでも良かったら命乞い、しよっか?」
「ちょっと、止めなさいよ。違った意味で殺したくなるわ。そんな事よりも、ほら。いよいよ始まったわ」
「始まった? 何が?」
突然の遠雷が轟くような音に聞き耳を立てる。ボクは慌ててディミータの隣に駆け寄り、窓から外の様子を窺った。
怒号のような悲鳴のような、大勢の人が叫ぶ声が聞こえてくる。そして、遠くに不吉な黒煙が何本も立ち昇るのが見えた。
「学院都市で火事だって? そんな事って!?」
「女王計画を下敷きに、ルルティアの計画が発動したのさ。さあ、あんたもこれ以上の後悔を重ねたくなかったら表に出て戦うんだ」
「戦う? 戦うって誰と!?」
「世界さ! こんなクソみたいな世界をブチ壊してやるんだよ!! さあ、行くぞ!!」
ディミータはそう叫び、扉を開け放った。
「大丈夫、ルルティアが救ってくれる。あんたの苦悩も、あんたの悲しみも……全部まとめてね」