第188話 かけがえのない君のために
初めて会ったにも関わらず、ボクには一目で分かった。この少女はプラティナとリュカルオンの子供なんだってね。
どうやらボクらのパーティが壊滅した時には、プラティナのお腹の中にはリュカルオンの子、スティルがいたらしいんだ。だけど、人間族がそんな簡単に子孫を残せるなんて、当時のボクには思いも寄らなかった。
ボクはその……生殖行為っていうの? そういうのにはホントに疎いんだ。だって、ホビレイル族は発情期が数年に一度しか来ないし、生涯の内に子供を作るのなんて一人か二人が殆どで、多くてもせいぜい三人だし。
――――ねえセハト、旅の話を聞かせてよ!
ボクは初めて近しい人の子供というのを目の当たりにした。それも他でも無い、プラティナとルカの間に生まれた娘だ。可愛くて可愛くて仕方なかった。こんなに愛おしい存在がこの世にいるのだろうか? って、心の底から思ったよ。
だけど、スティルは曲がりなりにも王族の血を引いている。王位継承権では後ろから数えた方が早いくらいの末席に過ぎなかったリュカルオンですら、命を狙われていたくらいだ。スティルの素性が知れたら、聖王都がどう動くか分かったもんじゃない。
そのせいかプラティナは学院で鍛えた剣の技を、まだ短剣ですら満足に持ち上げられないくらいに幼いスティルに教えていた。ボクはそれを護身の為なんだろう、って眺めていた。
でも……プラティナの目的はそうじゃ無かった。その時にはもう、プラティナとトートの計画は始まっていたんだ。
*
「スティルを守るのが女王計画? ルルティアが言っていたのとは随分と違っているけど?」
ディミータの長い尻尾がゆらゆらと揺れる。彼女は長い話が苦手だと聞いている。
「先に言っておくけど、女王計画はボクらが考えた計画じゃないんだ」
「はあ? 今更なに言ってんの? 長老会議以外に、どこのどいつがあんな大それた計画をブチ上げんのよ?」
「君がルルティアから聞かされた、って言う女王計画の概要を教えてくれないか?」
胸元に組んだ腕を解いて、ディミータは尖った顎に手を置いた。すると、揺れていた尻尾もピタリと動きを止めた。僅かな逡巡の後、彼女は口を開いた。
「謀殺されたはずの第三王女『アイリスレイア』を擁立し、学院都市を独立国家として樹立させる。当然、教授会は新王国の要職に就き、強大な権力を握る事になる」
ディミータは訳知りの政治学者のように語ったが、最後に「まあ、学者バカには過ぎた夢よね」と悪態を付け加えた。
「それに、そんなデカいヤマを思いついたとしても、あの虚弱体質の学者先生どもでは実行に移せるだけの能力が無い。それが出来るのはお前たち、長老会議だけだ」
「そっか……さすがのルルティアも、過去まで見通せる訳じゃないんだね」
ボクは無意識に溜息を吐いていた。それは安堵の息では無く、ただ空しさを吐き出すための排出行為に過ぎない。
「確かにボクらは、ある目的の為に長老会議を乗っ取った。でも、それは女王計画の為じゃない」
「じゃあ、あんたらの計画ってのは?」
「ボクらの最大の目的は、英雄遺物『王の剣』の完全なる破壊」
「……女王計画を立てたのは誰だ?」
「女王計画の立案者はね、第三王女『アイリスレイア』の祖母なんだ」
「アリスの祖母? 誰だ、そいつは?」
「ボクらのかつての仲間だったリズリサだ」
「なにっ!?」
ディミータの口から悲鳴のような短い声が上がる。
掴みかかってくるような彼女を手で制して、ボクは「もう少し話を聞いて」と続けた。
「プラティナが剣を捨てて武器屋になったのは、目を傷めたからだと思ってた。トートが現役を引退して魔導院の教授になったのも、魔力を失ったからだと思ってた。でも……彼らの復讐の炎は埋もれ火のように、消えずにずっと燻っていたんだ」
ぱきり、と暖炉の中から薪が爆ぜる音が聞こえた。
穏やかな熱気は濡れた身体を暖めてくれる。だけどボクの記憶の底には、温まりようもない鉛のような思い出が重く冷たく沈んでいた。
*
プラティナが、ルカリュオンの忘れ形見を厳しくも大切に育てていた頃、トートは地下で培った知識と実戦経験を元に、魔術科の教授になっていた。それと同時に鑑定科で、ボクらのチームを壊滅させた『黄金の剣』の研究を進めていたんだ。そして彼は、魔力を失った自分に苛立ってもいた。
魔力を失った、というのは適切な言い方では無いね。魔術を使えなくなってしまった、というのが正しいか。
魔術の行使には、正しい手順とイメージの完成が不可欠だ。トートは第七位魔術の不完全な発動によって心に深い傷を負い、魔術発動の為のイメージを保てなくなってしまっていた。そこで彼は魔導院では花形ともいえる魔術科の陰に隠れて、ひっそり地味に息を潜めていた錬金術科に目を付けたんだ。
トートは自分と同じく、才気に恵まれつつも事故や病気で能力を失った者を学院都市から探し出しては錬金術科に次々とスカウトした。君のボス、アイザック博士もその一人だ。トートの思想は君たち『錬金仕掛けの騎士団』に受け継がれているんじゃなかな? ネイトの鋼鉄の腕や、君のその『金色の瞳』と同じくね。
トートの狙い通りに爆発的な発展を始めた錬金術科は、学院都市どころか大陸全土の生活を劇的に変えた。彼はそこから得た資金力を背景に教授会を買収しては切り崩し、形骸化していた長老会議に喰い込む事に成功したんだ。あの頃の彼は、黄金の剣に対する復讐心を糧に生きていたんだと思う。
長老会議の一席に就いて後、トートは魔導院の最高権力と豊富な財力を駆使して、あの黄金の剣が六英雄時代に君臨した狂王の愛剣、『英雄遺物・王の剣』である事を突き止めた。
その事実はプラティナの思惑と重なった。『呪物を狩る者』でもある彼女は、すでに黄金の剣が強力な呪物だと気が付いていた。だけど、視力の弱ったプラティナは暗い所では満足に剣を振るう事が出来ない。
ディミータ、君ももう分かっただろう? プラティナは自分の娘を使って復讐を果たそうと考えていたんだ。
こうして一時は離れ離れになっていたプラティナとトートは、目的を同じくして再び手を結んだ。
トートは長老会議の権力でもって素質のある生徒を集めて精鋭部隊を育て上げ、プラティナは銀の髪の一族に伝わる特殊な能力『呪物破壊』と、己の持てる戦闘技術の全てをスティルに叩き込んだ。
訓練は苛烈を極めたよ。スティルは年頃の女の子らしい幸せや楽しみを、これっぽっちも体験出来なかったと思う。
実はスティルを連れて学院都市から逃げ出そうとまで考えた事もあるんだ。だって、あの優しかったリュカルオンが、自分の娘を犠牲にしてまで復讐を果たして欲しいなんて思うだろうか?
でも……それでもやっぱりスティルは、魔導院最強の剣士『白銀の魔女プラティナ』の娘だった。
――――だって、私が父様の仇を取らないで、どこの誰が取るっていうの?
お母さん譲りの強くて真っ直ぐな、そしてリュカルオンと同じ色をした瞳が彼女の決意を物語っていた。
トートやプラティナと違って地図を描く事しか能の無いボクは、ただスティルを見守る事しか出来ない。剣も魔法も使えないボクは、かけがえのない者の為に何が出来るのだろう? ボクは足りない頭で考えに考えて、直感的に六英雄物語を思い出したんだ。
圧倒的な力を誇る狂王を倒したのは六人の英雄。ならば、六英雄の子孫を集めればスティルの助けになるんじゃないか? なんて、安直な考えに駆られてボクは大陸中を巡った。それが結局はシロウやシンナバルを……いや、今は女王計画の話だったね。
ボクが六英雄の子孫を探して奔走している間に、スティルはあっさりとボクの背丈を追い越して、誰もが振り返らざるを得ない美しい女性に成長していた。
なんていうかな、彼女は周囲を笑顔にする不思議な雰囲気を持っていた。そう、そこの暖炉の炎みたいに明るくって快活で、一緒にいるだけで暖かい気持ちになる、スティルはそんな女の子だったんだよ。
そして彼女は魔導院に入り、トートが組織したチームと合流して地下で実戦を重ねた。その剣技は魔導院屈指と噂され、しかも『鋼玉石の剣』を操る技術はプラティナをも凌駕した。
期待を上回るスティルの成長と能力に、トートもプラティナも満足していた。英雄たちの子孫は見つからなかったけど、ボクももう大丈夫じゃないかって安心しかけていた。
だけど、想像もしていなかった事が起きてしまった……スティルに子供が出来ちゃったんだ。
*
「しょーもない」
黙って聞いていたディミータが、呆れたような半笑いを浮かべて頭を振った。
「ボクもトートも茫然としたよ。その辺の人間族の事情はボクら亜人族には理解不能だ。君も猫人族なら分かるだろう?」
「さあね。私はキライじゃないから。そういうの」
「……とにかく、予想外の事態に困惑している間にスティルのお腹はどんどん膨らんでいった。そうなると、気になるのは父親の存在だ。名前は確か……クラウド? いや、クロ……?」
「クロードだ」
思わぬ名前がディミータの口から出て、ボクはビックリしてしまった。
「ど、どうして君が知っているの?」
「魔炎晶石の開発者でも知られる錬金術師クロードは、アイザック博士の同僚の一人だった。ルルティアからそう聞いたよ」
訳知り顔で語るディミータに、ボクは頷いてみせた。
「彼にはトートも目を掛けていたんだ。パッとしない男だったけど、ヒマさえあれば妙な物を作ってスティルを喜ばせていたんだ。それがいつの間に……」
ちょっと思い出しただけでも頭にくる。ボクは知らずに舌打ちしていた。
「だけど、出来ちゃったからにはしょうがない。ボクらは計画を一時中断させてスティルの子の誕生を心待ちにした」
「それがカースなのね」
「銀色の髪に銀の瞳を持って生まれてきた男の子を見て、プラティナは泣いて喜んだ。一族の血を強く引いている、ってね」
プラティナは孫の誕生を見て、本心ではどう思っていたのだろう。彼女は自分の一人娘ですら復讐の道具にしてしまったというのに。そして、ボクの危惧は現実の物となってしまった。
「しばらくは平穏な日々が続いたよ。トートもプラティナもすっかりお爺ちゃんお婆ちゃんの顔になっていた。だけど、彼らの心に巣食った呪いの触手はスティルの子にまで伸びてきた」
「ふん、生まれたばっかのカースまでも巻き込もうとしたのね」
「……あんなに怒ったスティルを見るのは初めてだった。そして彼女は身体も勘も鈍ったままにチームを引き連れて『王の剣』に挑んでしまった。結果は――――」
トートの命で組まれた救助隊と共に後を追ったボクらが見たのは、リュカルオンと同じように『王の剣』の呪いに蝕まれたスティルだった。自我を失い黄金の剣に操られたスティルは、クロードを含めたチーム全員を惨殺してしまっていた。
「……最悪だった」
切り札の『鋼玉石の剣』は、呪いに狂うスティルの手にあった。
プラティナは自分の手で、愛する一人娘を殺すしかなかったんだ。