第185話 魔王ルルティア
「リュカルオン……その人が俺の爺ちゃんなんだな。名前も初めて聞いた」
揺れる心情を誤魔化すように、彼は自分のマグカップを手に取って口を付けた。その動きにボクも釣られて、一度は置いたマグに再び手を伸ばした。
「プラティナは、何も話してくれなかったの?」
「ああ、なんせ名前も教えてくれないくらいだしな。俺自身、爺ちゃんの存在なんて殆ど気にした事も無かった」
「そう……」
「多分あれだろ? よっぽど酷いヤツだったんだろ?」
「うん、君にとっても良く似てた」
「ははっ、どういう意味だっての」
「誰にでも分け隔てなく親切で、底抜けに優しい人だったよ。裏を返せば優柔不断で御人好しだったけど」
「……返す言葉が見つからないな」
ボクたちは顔を見合わせてクスクス笑いあった。
暖炉の薪が、パチンと小さな音を立て、黒猫がふわっ、と欠伸をした。
ずっとずっと、この時間が続けば良いのに。だけれども、ボクは。
「でもね、彼は何に関しても諦めがちで、常に自信が無さそうだった」
「……そうか」
「ルカはね、前王の弟だったんだ」
「はぁ? 王族だってのか?」
「何番目の序列だったかは知らないけど、下から数えた方が早いくらいのポジション。だけど、正真正銘の王子様だよ」
「俺の爺ちゃんが王子様? ……駄目だ、ピンと来ない」
立ち眩みでも起こしたように、彼は瞼を押えて頭を振った。ショックと言うより、とても驚いているように見えた。
「直系王族の中でも、最もステータス数値が高い者が王座に就く仕来りは知ってるよね。その習わしからするとルカのステータスは中の中、王位継承レースでは大穴扱いだったんだ」
プラティナも好きだった競馬に例えると、彼は「なるほどな」と言い、気を取り直して引きつった笑みを返してくれた。
「それで魔導院にいたのか。俺が生徒ン時にもいたよ。地下で腕を上げて箔を付けよう、って貴族の御子息、御息女様が」
「ルカの場合はそうじゃない。彼は命を狙ってくる政敵から身を守る為に魔導院に入ったんだ。一応、騎士科に在籍していたんだけど、心根が優しすぎたんだろうね。いっつもプラティナにボコボコにされてたよ」
「婆ちゃん、剣の稽古は容赦しないからな。うっ、嫌なコト思い出した」
彼は両手で自分の身体を抱いて、ぶるっ、と身震いした。そんな仕草に親友の姿が重なる。クールな外見に反して、いつだって周囲を明るくしようと戯けていたプラティナに。
「でもね、王族の中ではステータス数値が低いルカだったけど、それでも一般の生徒に比べれば十分に優秀だったんだよ。そうじゃないと騎士科どころか魔導院にも入れないでしょ?」
「まあ、確かにそりゃそうだな」
「ボクなんかヤル気マンマンだったのに、入学試験に何回落ちたか覚えてないよ」
「ふっ、俺は一発合格だったぜ」
「でも、希望していた騎士科に落っこちたから、ハードルの低い戦士科に入科したんでしょ?」
「む……何で知ってんだよ。ああ、そうか。お前、長老会議だったんだよな」
へへへ、っと笑って誤魔化しながら、冷えたマグを覗き込む。すると、ミルクの表面が小さく波打っていた。
そのまま視線を床に向けると、暖炉の前に寝そべっていたエレクトラが耳をピンと立てて周囲を伺うような仕草を見せた。
「そろそろ本題に入ろう。どうしてボクたちが、長老会議が君を守ろうとしたのか。そして、全てを知った後、君は猫の森に向かうんだ」
「猫の森に? 俺が? 何で?」
怪訝な顔をする彼を無視して、昔話を再開する。
もう、時間が無い。だけど、ここで彼の説得に失敗する訳にはいかない。これ以上の失敗はボクには許されない。
ようやく怪我が癒えたボクは、プラティナとリュカルオンに連れられて魔導院の入学試験を受けたんだ。結果は……惨敗。
だってさぁ、考えてもみたら当時のボクって、読み書きは出来ても大陸共通語である人間族の言葉はかなり怪しかったんだ。プラティナたちは、ボクに合わせてエルフ族やホビレイル族の言語、『森の言葉』を使って話してくれていたんだよね。
猛勉強しながらボクは、プラティナから紹介してもらったネルの宿屋を手伝ったり、運送屋の真似事をしていたんだ。飽きっぽいホビレイル族のボクでも、毎日入れ替わり立ち替わりに違う人が泊りにくる宿屋の仕事は面白かったし、大陸中を巡る運送屋の仕事は楽しかった。
そして、何度目かの挑戦だったかな? ようやく魔導院の盗賊科に合格したんだ。ルカもネルもプラティナも、まるで自分の事のように喜んでくれた。嬉しかったな。さっきも言ったけど、ホビレイル族は他人に深く干渉しない。その時、ボクは初めて『他人の幸せを喜ぶ』って気持ちを理解したんだ。
それから数日後、プラティナとルカが普段組んでいるパーティ、ああ、その頃はチームって言ってたかな。そのチームのメンバーにボクを紹介してもらえる事になったんだ。
「あのう……おじさんって、ホントのホントにプラティナの友だち、なんですよね?」
待ち合わせの場所、学生食堂の片隅でボクは、ヒゲボーボな山賊風のおじさんと向かい合って座っていた。
おじさんは布に包んだ酒瓶から、ドボドボ溢れんばかりに酒を注いでは「あぶねあぶね」言いながら、コップの縁をズルズル啜っていた。
「おおう、間違いないぞい。プラティナ隊の『魁先生』とは、何を隠そう拙者の事」
「さきがけせんせい、って?」
「敵陣に真っ先に飛び込んでこう、バッサバッサと斬り倒すんじゃい! そのうちに付いた二ツ名ぞ」
テーブルの上で見えない刀を振り回し、アルコール濃度100%のブレスを吐き散らしながら「がっはっはっ」と豪快に笑う怪しい東洋人に、さっきっから圧倒されっぱなしだ。早くルカかプラティナ、来てくんないかなぁ。
「おい、ホーザン。また昼間っから飲んでんのか?」
若い男性の声に、やっとルカが来たてくれたと思ったのだけど、近づいて来たのは真っ赤な髪を逆立てて、トゲトゲしたシルバーアクセサリーをジャラジャラさせたエルフ族の青年だった。
「や、君がセハトかい?」
その厳つい風貌にボクを騙した奴隷商人の若者を連想したが、ピアスがいっぱいぶら下がった長い耳を上下させて、青年は気さくな調子で挨拶をしてくれた。
「よう、トート。先に言っておくがな、これは酒では無いぞい」
「そいつが酒じゃねえとしたら、いったい何だってんだよ」
「こいつは薬じゃあ、薬。主らも飲むじゃろ? 『回復ぽおしょん』とか何とか言うて」
「ポーションは酒じゃねえよ」
毒付く青年に笑い返しながら、ホーザンと呼ばれた山賊(しかも親分風の)がゴソゴソと瓶を包む布を解く。
ボクと赤毛のエルフが二人並んで親分の手元を覗き込んでいると、包みの中から現れた酒瓶の中身を見て、エルフの青年が仰け反った。
「お前っ、何だそれ!? 気色ワルっ!!」」
「気色悪いとは失敬な奴め。十年物の蛇酒じゃあ。れあ物じゃぞ、れあ物」
「おい。チビちゃん、意識飛んじゃってるぜ」
青年に言われて、はっ、と我に返った。そんなボクを見て、ヒゲ山賊が満足げな笑い声を上げた。
「がっはっはっ! そんな胆力では地下の魔物には勝てぬぞう」
「おいおい、あんまデカい声で笑うな、って。またあの女に怒ら……」
言い掛けたまま、トートの動きが止まる。どうしたのだろう? と不審に思っていると、背後に鋭い気配を感じた。
「まあっ! まあまあまあまあまあっ!」
ホーザンが慌てて隠そうとした酒瓶の首を、まるで獲物を捕らえるハヤブサのような勢いで伸びてきた手が引っ掴んだ!
びっくりして振り返ると、猛禽のような手の持ち主は、意外にも小柄な女性だった。
「鳳山! またこんな物を院内に持ち込んで! 仮にもサムライと名乗るのなら、もっと自制心を持ちなさい!」
「お、おう。済まぬ」
「トート! またピアス増やして! 貴方にはリュカルオン様の従者としての自覚はあるのですか!」
「いや、俺、従者になった覚えなんて無いし……」
「はあ? 文句があるのなら、もっと大きな声で言いなさい!」
「あ、いえ、何でも無いです。はい」
修道女のような制服を着た女性は、しゅん、としてしまった男性二人の顔を睨みつけてから、煌々と光る眼鏡と細い顎をボクに向けてきた。
「貴女がセハト君かしら?」
その冷たく鋭い青い瞳にゾクっとしながら、ボクは小声で「はい」とだけ答えた。
「もっと早く私が来ていれば良かった。こんなアホ二人の相手をさせて、ごめんなさいね」
「おい、リズ! アホはこいつ一人で十分だろ! ホーザンと俺を一緒にすんなって!」
「うるさい! そこで大人しく座ってなさい! この不良エルフ!」
「ひぃっ! す、すいません……」
なんだろう、このリズって女性、もの凄い威圧感だ。背なんてボクとそんなに変わんないのに、彼女の前では長身のトートと頑強な体格のホーザンが小さく見える。
息が苦しくなるような圧倒的で圧迫的な威圧感にドキドキしていると、リズの手がボクに向かって伸びてきた!
「始めまして、セハト。私はリズリサ。職種は神聖術師よ。リズ、って気軽に呼んでね」
彼女は小さな両手でボクの手を包むように握り、穏やかに微笑んだ。その手の柔らかさ、深くて青い瞳に、「ああ、この人は善い人だ」って直感した。
「それで、このバカ二人は自己紹介くらいはしたのかしら?」
「あの、アホからバカにレベルアップしておりますが……」
「黙れ、イカサマエルフ。自己紹介はしたのか?」
「あ、いえ……まだです」
「人並みの事も出来ないのね。哀れみを通り越して空しささえ覚えるわ」
「ひ、酷くないですか……」
トートは非難の声を上げたが、リズの一睨みで大人しくなってしまった。ホーザンに目をやると、彼はヒゲをモゴモゴさせて、腕を組んで寝たフリをしていた。
「礼儀知らずの半端者たちに代わって、私が紹介するわ。まずはこのエルフの風上にも置けない風体の輩がトート。職種は魔術師。エルフに有るまじき事に炎の精霊を操るのが得意だわ。いつか森の裁きが下るわね」
「よ、宜しくね~」
椅子に座ったまま片手を上げたトート。エルフにしては大柄で、まるで大木をイメージさせる剛健な容貌からは只者ではない雰囲気が漂っているというのに、今はしょんぼりと鉢植のように小さくなってしまっている。そんなにリズが怖いのだろうか。
「そして、このムサ苦しいのが、東国ヤマトから来たサムライ、御陵鳳山。剣の腕だけは確かだけど、ただそれだけの取るに足らない人物」
「ちょっ、取るに足らない人物とは余りに……」
「他に誇れる事が貴方にあって?」
「いえ、仰る通り。特に御座いませぬ」
屈強な男性二人を完全制圧しているリズリサという女性に、ボクはとっても興味を持った。なんか、プラティナとは違うカッコ良さだ。
キビキビと指示を出して二人に飲み物と食べ物を取りに行かせるリズリサの姿を眺めていると、ようやくリュカルオンとプラティナが連れ立って現れた。
「リズ、あんまり二人を虐めないで」
リュカルオンが困ったような顔をして窘めると、リズリサは背筋を正して眼鏡に手をやった。
「お言葉ですがリュカルオン様。足らない二人に従者としての心得を伝えておりました」
「あのね、リズ。トートとホーザンは仲間、友だちだよ。そこを勘違いしてはいけないよ」
畏まりました、とリズが頭を下げた。その時、プラティナが小さく舌先を出したのをボクの目は見逃さなかった。
何も知らないルカが席に着くのと同時にリズが顔を上げ、魂が凍てつくような視線でプラティナを睨んだ。なっ、何なんだ? この二人の関係は!?
「おーう、ルカ。遅かったじゃんか」
トレイに飲み物を満載したトートの後ろに、まるで食堂の店員のように両手に料理の乗ったトレイを持ってホーザンが戻ってきた。
「どうだ? プラティナ相手に一本くらいは取れたかの?」
ホーザンがテーブルの上に料理を並べながらルカに訊いた。ちぐはぐに並べられた料理を、神経質な手付きでリズが並べ直していく。
「プラティナから一本取れる人なんて、そうそういないよ」
「騎士が誇るべきは剣の腕だけではありません。リュカルオン様には気品と知性が備わっておられます」
リズは意味ありげな顔でクスっと嗤い、プラティナの顔をチラ見した。
ボクはその時、乱暴な手付きで皿を配っていたプラティナの眉が跳ね上がるのを見た。
「ほう……まるで私には気品と知性が備わって無い、とでも言いたそうだな。リズ」
「ああら、御免あそばせ。貴女に言ったのでは無くってよ、プラティナ。もしかして御自覚ありまして?」
「上等だ。今日こそ決着を付けてやるぞ、リズリサ!」
「ああ、怖い怖い。わたくし、暴力ではプラティナには敵いませんわぁ。助けてえ、リュカルオンさまぁん」
甘えた声を上げてルカの首にしがみ付いたリズを、血相を変えて引き剥がしに掛かるプラティナ。何なんだ? この人たちは?
「あ~、セハト。とりあえず食え食え、食っとけ」
サラダにフォークを突き立てながら、トートが声を掛けてきた。その隣では、肉を口いっぱいに頬張ったホーザンが、うんうん頷いていた。
「あの、ほっといて大丈夫なんですか?」
リザとプラティナに首根っこを掴まれて左右から揺さぶられるルカは、完全に為すがまま、されるがままの状態だ。あれ以上揺さぶったら、首がもげちゃうんじゃないだろうか。
「ああなっちゃうと、もう誰にも止められないんだよね。だからセハト、君の働きに期待している」
「期待? ボクに、ですか?」
「君なら良い潤滑油になりそうだ」
「潤滑油?」
「うん、頼むよ。このままだと近いうちにルカ死ぬぞ、マジで」
リズとプラティナの聞くに堪えない罵詈雑言の数々が、ルカの身体を通して飛び交っている。ボクはその姿に、暴風に翻弄される屋根の上の風見鶏を連想した。
でもね、トートの狙いはドンピシャだったんだ。ルカがボクに構う事によって、リズとプラティナが激突する回数が減ったんだ。
ルカはね、剣の腕は今一つだったけど、楽器演奏は一流の奏者にも劣らない腕前だったんだ。こっそりと、「本当は騎士科じゃなくて、吟遊詩人科に入りたかったんだ」ってボクに漏らした事もある。ボクはね、ルカから楽器の正しい扱い方を教わったんだよ。
そして結束力を増したボクたちは数々のミッションをこなし、いつしか魔導院でも一二を争うチームに成長した。地下訓練施設の完全制覇を成し遂げるのはプラティナ隊だろうと噂されていたし、ボクたちに出来ない事なんて無い、って本気で思っていたよ。
あの時、あの剣を……あの呪わしい黄金の剣を見つけるまでは。
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「いつまでそうやって、甘ったるい思い出に浸っているの?」
突然の女の声に、心臓を鷲掴みにされたような気分になった。
「いつの間に……いつからそこに居たんだ」
彼の喉から驚きに満ちた声が漏れる。
女は押し殺しすような含み笑いを漏らしながら、壁の中から染み出してくるかのように姿を現した。
立ち尽くすボクたちの前に足音一つ立てずに進み出た女は、黒猫を抱き上げて愛おしそうに頬ずりした。エレクトラは気持ち良さそうな顔をして、まるで肉親に甘えるような鳴き声を上げた。
「そんな耳触りの良い話ばっかりして、同情でも買おうとしているのかしら?」
女の一言一言が、ボクの胸に、何十年を経ても決して癒される事のない記憶に突き刺さる。
「黙れ! ボクの苦しみを、ボクたちの悲しみを何ひとつ知らない癖に!」
「あははっ、何も知らないって? あんまり錬金術師ルルティアを舐めない方がいいぞ。長老会議」
「ルルティアが? 彼女が何を知っているって言うんだ!?」
心臓が、痛い。早鐘のように打つ鼓動が耳まで届くようだ。言い返してやりたいのに、唇が縫い合わされてしまったかのように開かない。
「カース、良く聞きなさい。リュカルオンを殺したのはプラティナなの。貴方のお爺様を殺したのは他でも無い。貴方が尊敬して止まないお婆様なのよ」
「止めろ――――!!」
ボクの叫び声と、彼が取り落としたマグカップが砕け散る音が、同時に店内に木霊した。
「あれは仕方がなかったんだ。あの呪いは……誰にも止められなかった」
血の海に沈んでいくリズリサと、王の呪いに猛り狂うリュカルオン。
そして、嘆きの絶叫を上げて鋼玉石の剣を振り下すプラティナ。
ボクには、何も出来なかった。
「だから生き残ったボクたちは、あの呪いを滅ぼす為に長老会議を作ったのに! どうしてお前は計画の邪魔をするんだ!」
情けないくらいに震える声で、やっと言い返してやった。両目から涙が溢れていたことには、後から気が付いた。
トート、ホーザン、リズ……お願い。ボクに力を貸して。
ルカ、プラティナ……彼を、君たち二人の残した孫を守って。
「んふんふふふ、馬っ鹿ねぇセハト。あんたたちの考えた計画なんて、ぜーんぶルルティアにはお見通しだったのよ。あの子はね、ちょっと頭が良い女の振りをしていただけなのよ」
女の発した一言は、ボクの想像を、ボクの計画を、何十年もかけて綿密に計算してきた全てを、いとも簡単に打ち砕いた。
「教授会の目論んだ『女王計画』も、あんたたちの考えた計画も、全てはルルティアの計画の一部に過ぎない」
瞬きをしない金色の目が、錬金仕掛けの瞳が、絶望に沈むボクの心を見透かした。
「素敵よぅ、ルルティアの計画は。シンプルで合理的で愛に満ちていて。それこそ魔王の計画よ……そうね、『魔王ルルティア』って、なぁんかカッコ良くないかしら?」