第183話 本棚の檻
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「自分が長老会議そのものだって、そう言いたいのか、セハト」
息が苦しくなるような沈黙。
短剣の刃と同じくらいに鋭い視線。
彼は……プラティナの孫は、ボクに向かって呻いたきり黙り込んでしまった。
だけれども、今まで『計画』に費やしてきた時間と比べたら、そんなのは瞬き一つと変わらない。怪我をした足の痛みだって、これまでの苦しみと悲しみに比べたら、ちっぽけなもの。
「どうして今まで黙ってたんだ」
沈黙を破ったのは彼の方からだった。せっかちなところも、プラティナに良く似ている。
堪え性が無くて、常にせかせかしていた親友の姿を思い出して、つい口元が綻ぶ。
「……なに笑ってんだよ」
「ああ、ごめんごめん。変なトコもプラティナに似ているな、と思ってさ」
「プラティナ……婆ちゃんの事だな」
「よくあんな暴走馬車みたいな性格のプラティナが、のんびり屋のネルと上手くいくモンだって、いつも不思議に思ってたんだ」
「お前、ネルさんの事も……そうか、だからネルさんの宿屋でバイトなんかしてたのか」
「そうだよ。君を守るために、みんな昔から行動していたんだ」
「俺は誰かに守って貰わなくちゃならないほど弱いつもりはない。自分の身くらい、自分で守る自信はある」
彼は手の中で短剣を回転させて、腰の鞘に納めた。その鮮やかな手並みは刃物の扱いを熟知している証拠。そこいらの傭兵なんかよりも、よっぽど腕が立つのは確かだろう。決定的に素質に欠けていたとしても彼が六英雄の、そして『白銀の魔女』とも称えられたプラティナの血を引いているのは間違いない。でも……だからこそ彼には分かって貰わないといけない。
「君は『鋼玉石の剣』が呪物を呼び寄せている、そう思ってるだろ?」
ボクの一言に、厳しい表情を崩そうとしない彼の眉だけがピクリと動いた。
「コランダムは『呪物を破壊する意志』の結晶。呪物を引き寄せるような効果は無いんだ」
無意識だろうか、彼は短剣を握っていた手で『鋼玉石の剣』を納めた鞘に触れた。
「むしろ呪物を引き寄せているのは、君の中に流れる六英雄『銀髪の剣士』の血なんだよ」
「俺の中の……血だと?」
「いい加減、君も気が付いているんじゃないか? 呪物とは、呪いとは何なのか」
「……セハト、お前は何を知っている? 何をしようとしている?」
「もっとゆっくりと教えてあげたいところだけど、もうそんなに時間が残っていないんだ」
ボクはすっかり冷たくなってしまったマグカップをカウンターの上に置き、雪の降りしきる窓の外をさり気無く窺ってみた。大丈夫、始まってはいない。『彼女』がここに来るまで、まだ幾らかの猶予はあるだろう。
「これから君に本当の事を、本当は何があったのかを伝えるよ」
「ああ、教えてくれ。俺はもう、自分の知らない事に振り回されんのは沢山なんだ」
「……教えるよ。守りたくても守れなかった者の事を。救いたくても救えなかった人の事を。ボクの……ボクたちが犯した失敗を」
もう何十年も前になるかな。ホビレイル族には年月を数える習慣が無いから正確には言えないんだけど、君のお婆ちゃんであるプラティナが、今の君よりも若い頃の話。だから四十年くらい前、かな?
自分で言うのも何だけど、ボクは昔っから変わり者でね。一族の中でも『はみ出し者のセハト』なんて呼ばれていたんだ。
君も知っているだろうけど、ボクらは毎日が歌って踊ってのお気楽な種族さ。当然、ボクも故郷の森で面白おかしく、な~んにも考えずにダラダラと暮らしていたんだ。
そんなある日、ボクだけしか知らない秘密の入食いスポットで魚釣りをしてたら、川の畔に一冊の本を見つけたんだ。ホビレイル族は本を読まないからね。森に立ち寄った行商人が落としたんだか、捨てていったんだか。
まあ、単なる気まぐれだったんだけど、それを何となく拾い上げて、水に濡れてベッチャベチャになった表紙を眺めてみたんだ。本の題名はそう……『六英雄物語』だった。
読み書きが得意じゃないホビレイル族には、本を読む習慣なんて無い。ちゃんとした本を読むのは、その時が初めてだった。だけど、ボクは川に両足を突っ込んだまま、濡れて貼り付いちゃったページを破けないように一枚一枚慎重に、そして夢中で捲り続けたんだ。いま思うと笑っちゃうよね。でもね、それくらいに当時のボクは、六英雄の物語に魅せられちゃったんだ。
それから本を家に持ち帰り、三日かけて殆ど飲まず食わずで読破した。なに? エフェメラみたい? ……そうだね。彼女とは、何か近いものを感じるね。
すっかり六英雄物語にハマってしまったボクは、俄然、森の外に興味を持ったんだ。特に人間族という種族に。彼らが支配する外の世界に。
六英雄物語は、人間族の欲望に満ち満ちた物語だ。大陸制覇なんて壮大な欲望から始まった『狂王大乱』は、詰まるところ人間族同士の諍いに過ぎない。ボクら亜人族は、どちらかというと静観、いや、むしろ人間族が共倒れるのを期待してたようにも読める。
ホビレイル族やノーム族は戦争には無関心だったみたいだし、エルフ族は最低限関与しただけ。ドワーフ族は狂王軍と連合軍の双方に武器防具を提供していたもんだから、戦争が長引くように画策していたみたいだけど、直接的な行動は避けていたみたいだね。積極的に戦争参加したのは、人間族に隷属していた獣人族くらいかな。その証拠に六英雄のうち、人間族じゃないのはエルフ族の『金色の戦乙女』と、竜人族の『青銅の竜騎士』しかいない。
しっかし、人間族っていうのは不思議な存在だよね。愛し合ったり、憎み合ったり、殺し合ったりで、短い寿命のクセに大忙しだ。「そんなの踊って歌って忘れちゃえば良いのに」って、ボクは六英雄物語を読みながら首を捻ったよ。
一人の男性を奪い合う『赤き魔女』と『青き聖女』の心境は理解し難いし、お酒と剣の修行にしか興味が無い『隻眼のサムライ』も意味不明。その中でも特に『銀髪の剣士』の存在は異色だよね。
ボクらホビレイル族は、誰かの為に何かをするって感覚が薄い。動いてギリギリ親兄弟までかな。
例えばさ、エルフ族って畑やるでしょ。アレって、たくさん野菜を作って皆で分けたり、場合によっては売ったりするよね。ボクらには、その感覚ってさ、あんまり良く分からないんだ。「タスケテ~」って助けを求められれば助けるけど、そうじゃないなら進んでは手を出さない。
だけど、『銀髪の剣士』はそうじゃない。味方の盾になるのは当たり前。時にはライバルであるはずの『青銅の竜騎士』を庇ってケガを負う。旅の途中で立ち寄った街を救うわ、村は再興するわ、挙句の果てには敵兵すらも命懸けで助けたりする。しかも本人には何の見返りも無し。それどころか裏があるんじゃないかと勘繰られる始末。本当にこんな御人好しが実在するのか? ボクは猛烈に会ってみたくなったんだ。『銀髪の剣士』にね。
そうしてボクは六英雄物語に導かれるようにして森を出た。たまに森に訪ねてくる人間族の行商人の話では、川沿いに一昼夜も歩けば人間族の住む大きな街に着くと聞いていた。
止める者なんていなかったよ。たぶん皆、ちょっと遠くに散歩に出たくらいにしか思わなかったんじゃないかな? さっきも言ったけど、ホビレイル族は他人の事に深く立ち入る事はしないし、なんせボクは『はみ出し者のセハト』だからね。
だけど、その時のボクはまだ、人間族の言葉は読み書き出来ても喋る事には不慣れだったし、何にも増して世間知らずで無知だった。ボクは街に入ってすぐ、悪い人間にまんまと騙されて奴隷にされてしまったんだ。
ボクを買ったのは人間族の貴族だった。ところが御主人様は、ボクを男の子だと勘違いしていたんだよね。下働きとして使うつもりだったみたいだけど、女の子だと知ってボクを『そっち系の奴隷』にしたんだ。
ふふっ、まったく人間族ってのは不思議だよね。どう考えたってアリスとかリサデルみたいなスラッとキラキラした女の子の方が良いだろうに、何でまたボクみたいなのがタマラナイって人がいるんだろうね?
そしてボクは、御屋敷の半地下にあった倉庫で飼われる事になったんだ。そこで毎晩のように口にするのもトンデモナイ、酷い事をされたんだ。
……そんな顔なんて、しなくって良いよ。ホビレイル族はね、イヤな事を忘れるのが得意なんだ。何十年も前の事なんて、今では無かった事と同じさ。それにね、悪い事ばかりじゃなかったんだよ。
ボクが閉じ込められていた倉庫は、もう読まれなくなった書物を収めておく為の書庫だったんだ。最低で最悪な夜だけを、どうにかして耐え抜けば、昼の間は本が読める。ボクが正気を保てたのは、膨大な量の本のお陰だったんだ。
だけども、それも長くはもたなかった。心の平衡は保てても、ボクの身体の方が壊れ始めたんだ。
過酷な拷問の連続に次第に食事も取れなくなり、本を読む気力も無くなってしまった。そうなると早かったよ。
ああ、今夜、殺されるんだな。テーブルの上にズラリと並べられた拷問具を前に悟ったよ。不思議と恐怖は無かった。森に帰りたいとも思わなかった。ボクはただ、もう本が読めない事に絶望した。『銀髪の剣士』に会えなかった事だけが悲しかった。
いよいよ荒縄を首に掛けられて、ウインチで吊り上げられたその時、倉庫の扉をもの凄い勢いで誰かが蹴り破ったんだ。
「許さんぞ、このド変態貴族め! その薄汚い〇△×を〇▽で△□してから跡も残さず粉砕してくれる!!」
煌めく正義の剣。
怒りに燃える灰色の瞳。
そして、白銀に輝く長い髪。
あと、青くて大っきなリボン。
駆け付けてくれたんだよ。ボクの為に『銀髪の剣士』が。