第182話 私と兄様だけの、とても静かな世界
いらっしゃいませ。何名様でのご来店ですか? お客様、お煙草はお喫いになられますか?
あの……お客様、大変申し訳御座いませんが「ここって武器屋だったよな?」と仰られましても、私には「仰せの通りで御座います」としか、お答え出来ません。当店は『第一種・武器および防具取扱い業者』としての認定と営業許可を、帝都通商産業管理局から受けております。決してお客様の仰るような『家族向けの大衆食堂』などでは御座いません。
私の着ている服が気になると? いいえ、このメイド服は規定の制服では無く、強いて言うなれば私の『ライフスタイル』そのものです。これを着ていないと、自分が自分で無くなってしまう、そのような気が致します。
めっちゃ似合っている? とてもカワイイ? ……そうですか。これはお褒めに預かり恐縮です。どうぞ、こちらは割引券です。ぜひご利用下さいませ。
ところで本日は何をお探しでしょうか? 武器ですか? 防具でしょうか? 近頃の帝都は昼間から魔物が現れる始末。信頼の置ける装備に整えておく事を強くお勧め致します。
え? 探しているのは当店の店主、で御座いますか? 申し訳ありませんが、あいにく所用で席を外しております……と、言うのは建前でして、恐らくは近所の本屋で油を売っていると思われます。直ちに連れ戻しましょうか? そうですか、それには及びませんか。
わたくし、ですか? いいえ、彼女ではありません。私は当店の『看板娘』にして店主の妹に御座います。お見知りおきを。
全然似ていない? 店主は銀髪だった? ああ、その白髪頭の薄ぼんやりした方なら、当店の前のオーナーです。昨年の話になりますが、経営権を兄に譲り引退されました。さあ? いまどちらにいるのかは存じておりません。
はあ、お土産で御座いますか。ああ、これは海王都限定の『特選・猫まっしぐら』ですね。こんなに沢山ありがとうございます。言葉を話せないエレクトラに代わり、御礼申し上げます。
彼女と私は、当店の『第一看板娘』の座を巡り相争う間柄ではありますが、敵視・敵対・掴み合いをするのではなく、互いに切磋琢磨する関係を築きたいと思っております。
お客様をお見送りして、お土産にいただいた猫缶4ダースをカウンターの上に置いた途端、黒猫が何かを訴えるように私の足元に絡みついてきた。私はその黒いネコ科の動物を抱え上げ、真ん丸な瞳を覗き込んだ。
「いま、兄様がミルクを買いに行ってくれてます。これはその時に開けましょう」
にゃ~にゃ~と不満げな鳴き声を上げるエレクトラを諭していると、耳内に搭載されたセンサーが石畳を刻む兄様の足音を捉えた。
「兄様、お帰りなさいませ」
先回りして扉を開けると、「むおっ!?」と奇声を上げて、扉の向こうにいた兄様が一歩飛び退いた。
「あのさぁ、わざわざ扉を開けてくれなくていいよ。毎回毎回びっくりするんだよね」
「そうですか……お荷物をお持ちだと不便かと思いまして」
「ああ、その時はノックするから」
「かしこまりました。以後、気を付けます」
「……昨日も同じ事を言ったんだけどね」
「え? どうしましょう。学習機能に異常が発生したのでしょうか?」
想定外のエラーに両手で頭を抱え、昨日の行動をフルスキャンしていると、兄様は困ったような顔をして私の肩を叩いた。
「いよいよ人間に近づいてんじゃないか。最近のお前ってさ、普通の女の子にしか見えないよ」
「では、マスターから授かった命令を果たす日も近いのでしょうか」
「姉さんからの命令? えっと……ごめん、何だっけ?」
「お忘れですか? この人でなし」
「また妙な言葉を覚えやがって……まあ、いいや。熱いコーヒー淹れてくれよ。もう寒くて寒くて」
寒がりな兄様は大袈裟な仕草で、ぶるっと身体を震わせてから扉を閉めた。
「今日こそブラックに挑戦なさいますか?」
「うぅ~ん……いや、ミルク多め砂糖少なめで」
「かしこまりました。この根性無し」
「……」
兄様が買って来て下さった牛乳瓶を受け取り、休憩室でコーヒーを淹れていると「何この大量の猫缶は!?」と、驚きに満ちた声が聞こえてきた。
「前オーナーを訪ねていらしたお客様から頂きました」
私はそう答えてから、カウンター席に座る兄様の前に『ミルク多め砂糖少なめなコーヒー』を置き、エレクトラの前には程よく冷ましたミルクの皿を置いた。
「そっか……今頃、どうしてんだろうな」
ちゃっちゃっちゃっ、とリズム良くミルクを舐めるエレクトラを眺めてから、兄様は溜息を吐きつつ窓の外に視線を移した。
「雪が降りそうだ」
「湿度、温度ともに条件は満たされています。恐らく一時間以内に降雪が始まるかと」
「一年振りだ」
「降雪するのは、昨年の『あの日』以来です」
「あの日、か……」
寂しげに呟いた兄様の隣に座り、私も自分用のカップにコーヒーを注ぎ入れた。
「お前、コーヒーなんか飲んで大丈夫なのか?」
「ええ、問題ありません。濾過機能は正常に作動しています」
「濾過って……」
やっと笑顔になった兄様を見ていると、不思議なくらいに自律回路が安定する。人間はこれを『安心する』と表現するらしい。
「あれから一年も経ったんだね」
「正確には三百と六十二日です」
「……どうする事が正しかったんだろう」
「兄様は出来得る限りの事をされました。客観的に見ても、自責する必要はありません」
「……これからどうしたら良いんだろう」
「私は、兄様のお話しを聞くくらいのお役にしか立てそうにありません」
そう言って頭を下げると、兄様はとても悲しそうな顔をして、首を横に振ってみせた。
「お前が謝る必要は無いよ」
「いいえ。どうぞ私にお話し下さい。あの日、何があったのか。どうか私に教えて下さい。あの時、あの場所で何があったのか」
砂糖の足りないコーヒーが苦かったのだろうか。兄様はマグカップに口を付けて顔を顰めた。それでも私は構わず、話してくれるように促した。
「私は知りたいのです。どうしてマスターが、私にあのような命令をお出しになったのか」
「……分かったよ。スワンソング」
兄様は一つ頷いて、あの日、この街に起きた事を話し始めた。