第177話 御陵神刀流奥伝・絶刀竜牙
どうしてシロウがその名を……しかし、今の俺にはそんな事を考えている余裕は毛ほども無い。
突如湧いた疑念ごと、『俺』も『ヴァーミリアン』という存在すらも、まとめて消し飛ばすような強烈な光に、俺は反射的に顔を覆った。
金色の光からは、これっぽっちも熱が感じられない。なのに肌を灼くような、身体中の骨を砕くようなあの痛みが蘇る。
師匠、姉さん、助けて!
情けない悲鳴を上げてその場にしゃがみ込んだ俺の肩に、誰かが暖かな手を置いてくれた。
「大丈夫。大丈夫だから」
リサデルは俺の肩に手を添えて、きっと俺よりも怖がっているだろうに、強張った笑顔で励ましてくれた。
そして彼女は光に向かって真っ直ぐに立ち、大観衆を前にした歌い手みたいに堂々と歌い始めた。
我は先を征く者
我は戦場の主人
我は天文の運行者
右手には短剣を
左手には荒縄を
心臓は天秤に
魂は樹の枝に
聖杯に血が充つる前に
太陽の敵を斬り分けよ
歌詞の意味なんて、ちっとも分からない。でも、雄々しいまでの声量と猛々しい勇壮な調べは、折れかけた俺の闘志をもう一度奮い立たせてくれた。
「君たちは、命に代えても僕が守る」
異様なまでに膨れ上がった左腕で光の侵入を防ぎつつ、アッシュは首だけを振り返らせて言った。
まるで竜の前脚のように変わり果てた左腕が、濁流のように押し寄せてくる光の波を遮っている。しかし、指の隙間から漏れた光が、鋭い刃のようになってアッシュの身体をズタズタに切り刻んでいた。
「アッシュ!!」
俺の声を受けたアッシュは、血に汚れた横顔を歪ませて豪快に笑った。
「ははっ! この程度、まだまだ温い!」
「で、でも、血が……血がいっぱい……」
「あの歌が続く限り、僕はこうして立っていられる。いや、立ち続けてみせるさ。だが、君はどうだ。僕の心配をしている場合か?」
凄絶な色を帯びていたアイスグリーンの瞳が、ふいに優しい色に変わった。
「君の愛する女性の為に、君の持てる全てを傾けろ」
はっとして、水の中に手をついたままアリスの姿を目で探すと、光の直撃は免れたとはいえ、彼女は長槍を杖の代わりにして、押し寄せる金色の波に抗っていた。
高く結ったポニーテールはすでに解れ、美しい金髪が千切れそうな勢いで後方に靡いている。それでも彼女の眼差しは強く、ひたすらに前を見据えていた。
「アリス!!」
吹き荒ぶ暴風のような光の中、俺は千の想いを込めて、愛する彼女の名を叫んだ。
「シンナバル!!」
胸を焦がすようなアリスの声。
万の想いが込められたその叫び。
心の奥底で湿気っちまっていた火種が再び熱く燃え上がる。
俺の闘志に反応するかのように、手の甲に埋め込まれた水晶が真紅の輝きを放つ。すると、水に浸かっていた『錬金仕掛けの腕』が炎の色に染まり、たちまちのうちに熱い水蒸気が上がった。
――――道を
じゅうじゅうと水が沸騰する音の中、突然に混じったその声に傍らに蹲るシロウを見た。だけど、声の主はシロウでは無い。彼の声はもっともっと低くて良く響く声だ。いま俺が耳にしたのは、幼さすら覚える、高くて未成熟な少年の声。
――――道をひらけ
「道を……?」
意味が分からないまま、シロウが向いている方へと顔を向けてみた。
眼帯に覆われたシロウの目が、何を見ているのかは分からない。
ただ、ビリビリくる程に研ぎ澄まされた殺気の色が、見えるはずの無い殺意の線が、すぐそこにあるように感じられた。
「道……そうか!」
咄嗟に立ち上がり、俺たちを護るアッシュの背中の向こうを見た。シロウが放つ殺気が向かう先、竜の角を。
「俺の炎で――――」
俺は左手の親指を強く噛み、そこから溢れ出た血を炎の水晶へと垂らした。
血を受けた水晶は更に赤みを増し、その痛みはより深い集中へと俺を誘う。
「切り拓く!」
全身が炎に包まれたような錯覚。
身体が燃え上がるような昂揚感。
「うおぉおおおお!!」
振り上げた銀の腕を、水底を砕き割ってやるつもりで水中へと叩き込む。
耐え難いくらいに熱い蒸気が湧き上がり、反射的に顔を逸らしかける。それでもここで目を逸らす訳にもいかない。
「アッシュ!!」
そこどいて、なんて悠長に呼びかける余裕なんて無い。
今にも破裂しそうな魔力をギリギリまで押さえつけながら叫ぶと、一瞬だけ振り向いたアッシュが「分かった」とでも言うように頷き、飛び込むような姿勢で水中へと身体を投げ出した。
「点火!!」
魔術詠唱は必要無い。これは失ってしまった右腕の代わりに得た炎だから。
水中にぶち込んだアームズからドラゴンに向かって、真っ直ぐに線を引いたかのように水底が紅く輝く。次の瞬間、水面がグワッと沸き立ったかと思うと、次々と立ち上がった紅の炎が天井まで噴き上がり、凄まじい轟音と共に熱い蒸気が洞窟を満たした。
「……美事なり」
蒸発した水の中から、ほんの一瞬だけ姿を現した水底の上を漆黒の影が突き抜けた。
俺の目にその姿は、太陽に向かって飛ぶ一羽の鴉のように見えた。
「御陵神刀流奥伝――――」
金色の光を遥かに凌駕する稲光のような青白い閃光が、立ち込める蒸気の中に一筋、煌めいた。
「絶刀・竜牙!!」
キィイン――――と長く尾を引く残響から一拍遅れて、蒸気の壁に線が入り、白く塗り潰された世界が切断された。
霧散する蒸気の中、ただ静かに刀を納めるシロウの背後で、鼻面から首の中頃までを真っ二つにされた水晶の龍が、盛大な水飛沫を上げながら崩れ落ちていく。
「終わった……」
血液の代わりのように金色の光を撒き散らす龍の姿に、安堵は覚えても喜びの感情は湧いては来ない。
長槍を支えにして肩で息をするアリスを気遣うよりも先に、俺はセハトの姿を探して洞窟の中を駆けて回った。
「セハト! もう出て来ても大丈夫だぞ!」
どれだけ叫んでも、どれだけ声を嗄らしても、セハトからの返事は無い。
「こ・こ・だよ~ん」って水の中からも、「うへへ、びっくりした~?」なんて、壁に空いた大穴からも、あいつは顔を出してはくれなかった。
「セハト……どこ行っちまったんだよ……」
次第に涙声になっていく自分の声に気が付きながら、それでも俺はセハトの名を、親友の名を呼び続けた。
***剣を手に取れ 有資格者よ***
突如、聞こえてきた大声に立ち止まり、思わず辺りを見渡すと、シロウが佇むすぐ傍、輝く丘のようなドラゴンの死骸の頂上に、俺の身長ほどもある黄金の大剣が突き立っているのが見えた。不気味な声は丘から……違う、大剣から聞こえてくるようだった。
***手を伸ばせ 最も強き者の手に剣を***
どっかで聞いたような声だ。そう感じたのは、大勢の男女が一度に声を合わせているように聞こえるくせに、全くと言って良いほど声に生気を感じなかったからだ。
なんて言ったら良いのだろう……そうだ。錬金人形たちの、息継ぎをしない話し方に似ているんだ。そんな奇妙な既聴感に、ゾワッとする何かを感じる。
***手を伸ばせ 最も欲深き者の手に黄金を***
耳を塞ぎたくなるような大音声の中、アッシュに支えられて黄金の丘へと向かうアリスの姿が目に入った。なんだよ、セハトを探すのが先じゃないのかよ?
――――だめだ
いよいよ聞き慣れてきた少年の声が再び、そして確かに耳に届いた。
――――燃やせ
燃やせって、何を?
さっき、俺を救ってくれた少年の声に耳を傾ける。だけど、黄金の剣の放つ大声に掻き消されて、それっきり何も聞こえなくなってしまった。ただ、その切羽詰まった響きからは警告めいた何かを感じる。
『燃やせ』って、また炎を使う事になるのだろうか?
心の中に再び火を灯すと、銀の腕は頼もしいくらいの反応を返してくれた。大丈夫、俺の炎はまだ絶えてはいない。