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お前ら!武器屋に感謝しろ!  作者: ポロニア
第八章 天の高み 地の深み
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第176話 片っぽだけのブーツ

 アッシュの薀蓄に、セハトが怒ったような声を上げる。


「じゃあ、そんなのどうやって倒すんだよ!? シンナバルの魔術も効かないし、足元がこれじゃあ……もう!!」


 バシャバシャと水しぶきを上げて、セハトは地団駄を踏みまくった。俺だって、一緒になってそうしたい気分だ。


「これは退却するのも止むを得ないでしょう。ただ、アリスの様子が心配です」

「先輩の様子?」


 アッシュの険しい視線の先を追うと、アリスはドラゴンを相手に素晴らしい動きで渡り合っていた。

 水中に両足を突っ込んでいるとは思えない、目を見張るような鋭いフットワークは軽装備に変えた賜物だろうか。だけど、愛らしい顔を歪ませて、遮二無二突撃を繰り返す無茶な戦いぶりは、一体どうしたことだろう。


「ボク……あんなアリス、見たくないよ」

 

 半泣きになったセハトが、震える声で呻いた。

 槍を突き、払うたびにアリスの喉から怪鳥のような金切り声が迸る。

 

「全く彼女らしくない。どうしたのでしょう」


 荒れ狂うアリスと水晶の龍を見比べていたアッシュが、一瞬、グラついた。


「アッシュ、どうしたの?」

「いえ……少し、目が眩んだだけです」


 二、三度、頭を振ってから、アッシュは白い歯を見せた。


「リサデルさん、神聖術でアリスを落ち着かせて下さい。シンナバル、セハトの二人は可能な限り味方のサポートを」


 その笑みに何となく違和感を感じながらも頷くと、リサデルが胸に手を当てて歌い始めた。

 讃美歌のような厳かな歌声を耳にした途端、こんな危機的な状況でも心が落ち着き、静まっていく。


「サポート魔術、サポート魔術……」


 味方を有利に導く補助系魔術をいくつか思い浮かべていると、唐突に明後日の方向へとセハトが猛ダッシュして行った。まあ、あいつにはあいつの考えがあるんだろう。

 意味不明なセハトの姿を意識から外し、紐梯子にぶら下がっていた時に俺を包み込んでいた、あの真っ暗闇をイメージした。


「覆え黒雲……第三位魔術『暗闇の雲』」


 魔術を完成させると、目線に掲げた指先からモヤモヤと黒いガスが湧き出して一塊になり、龍の顔先へと向かった。

 どんなに激しく動き回ろうとも、常に視界を奪う煙幕が付きまとう、学院の生徒には人気の無い地味な補助系魔術だが、その効果は見た目よりもはるかに絶大だ。戦闘中に煙に巻かれれば、どんなに訓練を積んだ戦士でも混乱するし恐怖に立ち竦んだりもする。ただし、伝説級のドラゴンにも通用するかどうか。


「いけるか!?」


 だが俺の期待も空しく、黒雲はドラゴンの顔に届く前に羽ばたきによって吹き飛ばされてしまった。

 散り散りになった雲の切れ端が、未練がましく中空を漂い消えていく。


「マジか……よりによって『魔術無効スキルマジック・キャンセラー』かよ」


 高位の悪魔族(デーモン)しか持ちえないハイスキルに、魔術師である俺には打つ手無し。こうなった以上、皆の邪魔にならないように逃げ回るしか無い。


「らあぁあああァ!!」


 リサデルの神聖術が届かないのか、アリスの雄叫びは続いている。微塵も疲れを感じていないように連続で攻撃を繰り出してはいるが、あの調子では早々に力尽きてしまうだろう。


「アリス! 一旦、退け! 離れるんだ!」


 アッシュの指示が飛ぶが、彼女の耳には届いていないのか、振り向くどころか目もくれない。

 鎧ごと噛み千切りそうな龍の(アギト)や、壁さえ崩しかねない強烈な尾の一振りをギリギリで避けてはいるが、防具に守られていない肌から血が流れているのが見えた。何か俺に出来る事を探さなくては。

 

「うりゃっ!」


 離れた方からセハトの声が聞こえたかと思うと、ドラゴンの顔の周りで小さな爆発が起こった。たぶん、姉さんの作った炸裂玉でも投げつけているのだろう。

 連鎖的に巻き起こった爆発に、小うるさそうに顔を振ったドラゴンの口が大きく開いた。空気がピリピリと震え、龍の長い首が上下に動く。


「セハト、逃げろ!」


 竜族マニアなアッシュじゃなくても分かる。あれは竜族最大の攻撃、ブレスを吐く予兆だ。

 ドラゴンは、ぐうっと頭を逸らし、なおもその場に留って炸裂玉や火炎瓶を投げ続けるセハトの方へと向いた。


「ブレスだ! ブレスが来るぞ!」


 アリスとシロウの攻撃を意にも介さず、水晶のドラゴンは火炎や吹雪の息でも無い、光のブレスを吐き出した。


「うわあっ!」


 予想もしていなかった眩い閃光と耳を劈く轟音に、仲間たちから悲鳴が上がる。

 あまりの眩しさに反射的に顔を背ける。それでも顔を伏せてる場合じゃ無い。

 俺は真っ白になった視界の中、セハトがいた辺りに目を凝らした。だけど、そこにセハトの姿は見当たらず、光の直撃を受けた岩壁には大きな穴が広がっていた。


「セハト、どこだよ! 早く出て来いよ!」


 セハトがいたはずの辺りの水面に、何かが浮いているのが見えた。俺は急いで駆け寄り、ボロクズみたいなそれを拾い上げた。

 

「ウソだろ……」


 筒の部分がズタズタに裂け、べったりと血に塗れた片っぽだけのブーツに頭ン中が真っ白になる。


「なあ、その辺に隠れてんだろ? 出て来てくれよ」


 絶対に、絶対にあいつはこんなトコで、こんなに簡単に死んじまったりはしない。死んだりしないんだ!


「ふざけんなよ! 出て来いって! 早く出て来いよ!!」


 いつの間にか俺は、我を忘れて叫びだしてしまっていた。だから気が付かなかった。ふっと顔の前を横切ったのが、唸りを上げて迫る龍の尾だったとは。


「シンナバル!!」


 俺の名を叫んだのが男の声か、女の声かも分からない。だけど――――


 ――――うしろにとべ


 声に従って背後に跳ぶと、一瞬遅れて黒い影が横合いから飛び込んできた。

 何者かにタックルを受けて水の中に倒れ込み、鼻から口からしこたま水を飲んで、やっと我を取り戻した。


「あれ? シロウ……さん?」

「この馬鹿者が!」


 水を吐きながらも自力で立ち上がるよりも先に、フードを引っ掴まれて荒々しく引き起こされ、左右の頬を一発、二発と張られた。


「しっかりしろ! 俯くな、前だけを見ろ! 闘え、踏ん張って立ち向かえ! 大切な女性(ひと)を守ると決めたのだろうが」

「大切な、ひと……」


 水を滴らせ、血走った右目で睨みつけて来たシロウに曖昧な返事をすると、彼は再び木刀を手にして、一人奮闘するアリスの元へと向かった。


「だからって、どうすりゃ良いんだよ。どうやって闘ったらいいんだ」


 アリスを守りたい。セハトの仇を討ちたい。だけど、魔術の効かない相手に、俺はどうやって戦えば良いんだ。


「シンナバル、こっちだ!」


 顔を上げると、リサデルを背後に従えたアッシュが盾を掲げていた。この足場ではリサデルを守るのだけで精いっぱいなのだろう。さっきまでピカピカだった新調したばかりのはずの盾には、大小さまざまな傷が刻まていた。

 俺は水を含んだローブの重さに負けそうになる己の身体に喝を入れてアッシュの元へと駆け寄り、泣きそうになる自分を叱りつけて、血に汚れた片足だけのブーツを差し出した。


「それ……セハトの!?」


 アッシュが受け取るより先に、リサデルが奪うようにしてブーツを手に取った。


「そんな……そんな……」


 ぽろぽろと涙を零しながらも、リサデルはブーツを両手に握り締めて懸命に嗚咽を押し殺していた。そんな彼女を傷ましい眼差しで見たアッシュは、「退却しましょう」と言い、自分を納得させるように頷いた。


「でも、シロウさんは闘えって……」

「僕たちの任務は地下七階の探索です。ドラゴンの討伐ではありません」

「リサデルさんと先輩が探している家宝の剣は……」

「ここで全滅してしまっては意味がありません。この件を長老会議に報告して、レクセリアスの討伐隊を組織して貰いましょう」

「セハトは? あいつ、もしかしたら水の中に沈んで――――」


 俺の言葉を遮るようにしてアッシュは「退却! 退却だ!!」と大声で指示を出した。

 だが、変わらず無謀な突撃を繰り返すアリスと、何故かシロウまでもが指示を無視して木刀を振るい続けている。

 

「――――っ! ここに来てあの二人は!」


 忌々しげに舌打ちしたアッシュは「仕方が無い」と呻いて、俺とリサデルに向き直った。


「シロウさんの所まで前進します。リサデルさんは僕の後ろから絶対に離れないように。それからシンナバル」


 アッシュは膝を折り、俺と目線の高さを合わせて強い眼差しを向けてきた。

 

「君は殴ってでもアリスを連れ戻すんだ」

「なっ、殴ってでも?」

「殴ってでも魔術を使ってでもだ。どういう事だか、彼女は我を忘れている。神聖術すら届かないとなると、無理矢理にでも連れ戻すしかあるまい」

「で、でも……」

「ここを生き延びなければ、明日は無い」


 話は終わりだ、とでも言うように、アッシュは盾を構えて進み出た。その後ろに、赤ん坊でも抱えるようにしてブーツを胸に抱いたリサデルが続く。

 殴ってでも、って……そんなこと、俺に出来るのか?

 答えを出せないままにアッシュの後ろに付いていくと、膝の上まで水に浸かった歩き難そうな後ろ姿が気になった。


「アッシュ、ちょっと」

「どうしました?」


 振り返りもしないアッシュの後ろ頭に向かい、気になった事を報告する。


「水かさが増えてる気がするんだ」


 アッシュは一旦、足を止めてから、セハトのいた辺りに空いた大穴に目を向けた。


「あそこから水が流れ込んでいるのかも知れません。それに頼りのランタンもどこかに行ってしまった。急がなくては」


 壁に空いた大穴から天井に視線を移すと、照明弾の光も弱まってきていた。皮肉な事に、いま一番明るいのは敵であるドラゴンの発する魔陽石のような輝きだ。

 アリスとシロウは水晶の龍を相手に善戦しているように見えた。だが、アリスが一方的に攻撃を仕掛けていられるのは、シロウがドラゴンの気を引いて攻撃を一身に受け止めているからだと気が付いた。彼が退却の指示を無視したのは、そのせいかも知れない。

 強烈な一噛みを木刀で弾き、グレートソードのような角の一振りを寸前で躱したシロウの元にアッシュが駆け寄った。


「シロウさん、いい加減に真剣を抜いて下さい」

「……これは異な事を言う。それでは鍛錬にならぬではないか」

「そんな悠長な事を言っている場合じゃありません。水かさが増して来ています。ここは一先ず退却しましょう」

「ふむ……」


 詰まらなそうな顔で増水してきた足元を眺めたシロウは、薄い笑みを浮かべて言った。


「アッシュよ、主は全ての力を出し切ったのか? アリスを見ろ」


 血を流し、全身を傷だらけにしながらも、なおも突き動かされるように槍を振るうアリスの姿に、何故かスワンソングを思い出した。

 疲れも痛みも、そして涙の意味すら知らない、金色の結晶を糧にして動く人の形をしたモノ。今のアリスはまるで錬金人形みたいだ。それが何よりも悲しい。


「ふふっ……女子(おなご)と言えども死力を尽くして闘う姿、美事(みごと)ではないか。主はそうは思わぬか」

「僕の全力は、皆を守る為に使います。シロウさん、貴方の考えとは相容れません」


 二階から落下してきたような角の一撃を大盾で遮り、アッシュは誇らしげに告げた。

 だが、アッシュに攻撃を弾かれたドラゴンはそれ以上の攻撃を止め、首を高々と上げて俺たちを見下ろした。


「マズい……またあの光だ」


 金色の光が角の先端に集まり始める。あれは、さっき俺を吹き飛ばした魔力の波だ。この至近距離であの光の奔流を受けたら、今度こそ一溜りも無い。


「……この姿、リサデルさんに見せたくは無かった」


 煌々と輝く龍の角を見上げたアッシュは、何を思ったか『重装騎士の誇り(プライド)』とも言える大盾を、微塵の躊躇も感じさせずに放り投げた。

 どういうつもりか分からないけれど、水の中へと沈んでいく大盾に、俺はアッシュの覚悟を見た。


「アッシュ? 貴方は何を……」


 騎士のする事とは思えない行為にリサデルは驚きの声を上げた。そんな彼女に、アッシュは悲しいような、諦めたような複雑な笑みを向けた。


「リサデルさん。僕は皆を、貴女を守り切る事こそが己の務めと信じています。僕はその為に全力を尽くしましょう」


 アッシュは手甲ごと手袋を外し、左手を高く掲げて叫んだ。


「我が左手に携えしは青銅の盾! 其は女帝を護りし絶対不可侵の聖壁なり!!」


 それは魔術の詠唱のような

 それは神聖な祈りのような


「我に害為す全ての事象を遮断せよ。英雄遺物『竜鱗の盾(ビオライン)』」


 言い終えるのと同時に、アッシュの左腕が膨れ上がり、みるみる内に鱗に覆われていく。信じられない光景に俺は息を飲み、リサデルは短い悲鳴を上げた。

 その間にも角全体に宿った光輝からは、いまにもはち切れそうな圧力を感じる。


「早く、僕の後ろに!!」


 苛む苦痛に耐えるようなアッシュの声。

 異形へと姿を変えるアッシュを前にして茫然と立ち尽くすリサデルの身体を、シロウが引き摺るようにしてアッシュの背後に回った。

 

「先輩!!」


 早くアリスも連れて来なくちゃ、と駆け出しかけた俺のローブを、シロウが後ろから引っ掴んだ。


「シロウさん!? 離して下さい! 先輩を、アリスも助けなきゃ!」

「彼奴は、皆を護る為に死力を尽くす、と言うた。見届けてやろう」

「で、でも、そんな……」

「アッシュを信じられぬか」

「そっ、そんなこと言ってません!」

「主は死力を尽くしたか? アリスは見せたぞ。それに――――」


 シロウは木刀を腰帯に差し直し、その代わりに滅多な事では抜かない愛刀を抜いた。

 青白く輝く刃は、竜の放つ金色の光を拒絶するかのように跳ね返し、ただ冷たく冴え渡っていた。

 

「アッシュは今、死力を尽くさんとしている。では、主は何時(いつ)、死力を尽くす?」


 シロウは刀を担ぎ、低く低く、頭から水に潜るような奇妙な構えを取った。


「さあ、漸くここまで来たのだ。そろそろ主に課せられた使命を思い出したらどうだ」


 シロウは(うずくま)るような姿勢から俺の顔を見上げて、ゾッとするような笑みを浮かべた。


「ヴァーミリアンよ」


 想像もしていなかったシロウの一言に、脳天をぶん殴られたような衝撃を覚えた。

そして、次の瞬間、猛烈な圧力を伴った光の洪水が辺りを包んだ。

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