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お前ら!武器屋に感謝しろ!  作者: ポロニア
第八章 天の高み 地の深み
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第173話 地下訓練施設第七層

 相槌を打つほどの尺も無い短めの訓示は、短いからこそ俺の心にも響いた。

 そう、だいたい大人はいつだって話が長すぎるんだ。こんくらい短く簡潔に伝えてくれれば、覚えの悪い俺としては助かるんだけどな。

 自分で自分の考えに納得していていると、目の前に立つアッシュも頷いているのに気が付いた。見れば何故だか薄っすらと涙ぐんでいる。今のリサデルの話って、感心こそすれ感涙するほどの話だっただろうか。


「みんな! リサデルさんの言葉を胸に、命に代えても探索を成功させようじゃないか!!」


 震える拳を握りしめて熱く語るアッシュの様子に、肝心のリサデルですら若干引き気味だ。


「あの……命に代えられては困ります」

「みんな、聞いたか! 今の慈愛に満ちた言葉を!」


 俺の隣で「また始まったよ」と呆れたように笑いつつ、セハトがランタンの明かりを絞った。その途端、辺りが薄ぼんやりと暗くなった。

 

「どうしたの? どうして暗くするの?」


 目をシバシバさせてアリスが訊く。俺もそうだが、いきなり暗くなった光の加減に慣れないのだろう。


「ここからはボクが先頭を歩くから、あんまり明る過ぎても具合が悪いんだ」


 セハトの説明に、アリスは納得顔して大きく頷いた。

 未踏破地域では、セハトのような『地図作成スキル』を持つ者が先頭に立つのが探索のセオリーだ。


「さて、どっちみち殿(しんがり)はアッシュだから、もう放っといて先に行こ」


 ボディバッグから方眼紙とペンを取り出して、セハトは笑いながら言った。

 未だに興奮覚めやらぬアッシュをリサデルに任せて、俺たちは地下七階に続く階段へと向かった。


「それにしたって……」

 

 湿った風が吹きあがってくる階段の前に立ち、セハトは続く言葉を忘れたように言い淀んだ。

 今まで目にしていた、ピッチリ規則正しく積まれた煉瓦作りのフロアが、そこから急に歪んでいる。それは例えるなら、子供が()ねて作った粘土の階段のようだ。床から壁は凸凹に波うち、一つとして平坦な所がない。そして、何よりも異様なのが天井だ。


「どうしてこんな風になったんだろ?」


 溶けて垂れ下がった煉瓦が、光の届く範囲まで延々と吊り下がっているのが見える。しかも、石で出来た氷柱のような()()は、奥に行くほど長さと鋭さを増している。

 平衡感覚がおかしくなるような奇妙な階段へと踏み出したセハトの後ろに、アリスがそろそろと慎重な足取りで続いた。

 この階段、初めて下りる筈なのに、どこか見覚えがあるような……

 そんな思い出せないにしては確か過ぎる記憶を手繰りながら、もはや階段とは呼べない歪んだ段差を下りる。


「なんだか鍾乳洞みたいだね」


 アリスが天井を見上げながら何やら聞き慣れない単語を口にした。それがどうも気になって、つい訊いてみた。


「先輩。しょーぬーどー、って何ですか?」

「シンナバル? ……鍾乳洞、知らないの?」


 アリスとセハトが二人して驚いた顔を俺に向けた。


「え? それって常識?」


 焦って訊き返すと、二人とも同じ角度に首を捻った。


「常識? って言われちゃうと、常識じゃ無いかも知れない……」

「じゃあ、この探索が終わったらさ、近くの鍾乳洞にハイキングに行こう!」


 セハトはテンション高く「シロさんも一緒に行こうね」と、俺たちの背後に影のように付き添うシロウにも声を掛けた。ところがシロウは、戸惑ったような顔をして訊き返してきた。


「……すまぬ。聞いていなかった」

「うはっ、珍し。シロさんでも緊張するの?」


 遠慮の欠片も無いセハトの言い草にハラハラしたが、「……そうかもな」と、シロウは殆ど分からないくらいに薄く笑った。

 そうだった。セハトは年上や偉い人が相手でも、いつだってこんな調子だ。それは、俺が尊敬して止まない師匠にだって変わらない。


「じゃあさ、結婚式って緊張した?」

「……ああ、したな」

「じゃあさ、初めて赤ちゃん抱っこした時って緊張した?」

「……ああ、したな」


 こいつ、真面目に探索する気はあるのか? 足場の悪い階段を下りてる間中、緊張感に欠けた質問はずっと続いた。

 天井から垂れ下がる溶けた煉瓦が、ちょっとした柱のようになって足元まで届くほどになった頃、すたすたと軽快に階段を下りていたセハトの足が、はたと止まった。


「そ、そんな――――!?」

「セハト? どうした!?」


 突然、しゃがみ込んでしまったセハトに声を掛けたが、丸まった小さな背中越しに見えた光景に同じく声を失ってしまった。


「かっ、階段が無い――――」


 誰もが茫然としたまま、数歩先に広がる真っ暗な闇を前に立ち竦んでしまっていた。光の届かない底無しの穴を前にしては、どんなに勇敢な戦士だって言葉を無くすだろう。


「こんな、こんなはずじゃ……」


 足元に並べた地図の束をメチャクチャに(めく)りだしたセハトに、「大丈夫よ、落ち着いて」とリサデルが優しく声を掛けた。


「違う違う違う違う違う! これじゃあ計算が、計算が合わない!」


 セハトは目を血走らせて、宝物のように大切にしているはずの地図をグシャグシャと握り潰して震えだした。そんな鬼気迫る姿を前に、掛ける言葉が見つからない。

 するとリサデルが突然、こんな奇妙に捻じれた景色には似つかわしくない子守唄を歌い始めた。


「お母さんの柔らかい手は、静かにお前を揺すっている」


 肩を震わせていたセハトがノロノロと顔を上げ、穏やかな声で歌い続けるリサデルを見た。


「お母さんの暖かな腕は、まだお前を護っている」


 聞き入ってしまうほどのリサデルの歌声には、魔力にも近い『何か』を感じる。聞いているだけなのに腹の底が暖かくなってきて、一歩先に広がる底無し穴への恐怖すらも薄れていく。


「……ごめん。ボク、どうかしてた」


 涙を浮かべて謝るセハトを、リサデルは包み込むようにして抱きしめた。

 

「こんな暗闇を前にして普通でいられる女の子はいないわ。セハト、貴女はとっても頑張ってる」


 取り出したハンカチで、そっとセハトの顔を拭うリサデルの姿は、母の顔すら憶えていない俺にでも、母親という存在を思い起こさせるのに十分だった。


「ありがと……もう大丈夫だよ」


 セハトは大きく息を吐いてからリサデルから離れ、俺たちに向かって頭を下げた。


「ゴメンね。ちょっとビックリしちゃって」

「ビックリしたのは、こっちだっての。一体どうしたんだよ」


 心配半分、驚き半分な気持ちでセハトに訊くと、彼女は気まずそうな顔をして苦笑いを浮かべた。


「この先を最下層だと仮定すると、ある程度は空間を埋める構造物が無いと構造計算式が成り立たないんだ」

「悪い。俺にも分かりやすく言ってくれ」

「この下に何も無いってコトは無いハズなんだ」

「なるほど、俺にも良く分かった」

「しかし、困りましたね」


 途中、アッシュが割り込んできた。


「これでは先に進めないな」

「ん、ちょっと待って」


 セハトはその辺に落ちている小石を拾い、池にでも放るような仕草で大穴に投げ入れた。


「何のつもり?」

「静かに」


 俺に対する注意だったと思うけど、全員が呼吸を止めてセハトに注目する。

 ほんの数秒後、セハトの眉と耳が同時にビビッと動いた。


「これは……水音だ」

「水音? この下は一体?」

「もしかしたら水が溜まっているのかも。シンナバル、ちょっと」


 突然、名を呼ばれて「おう?」と気の抜けた返事しか出来ない。


「そこの石、取って」

「石? これ?」

「違う。その隣にある、もっと大きいヤツ」


 拳二つ分くらいのゴロッとした石を手渡すと、セハトは腰に何重にも巻いていた紐でもって、荷造りでもするように石を(くく)った。そして、さっきと同じように大穴に向かい、括った石を投げ込んだ。

 今度は石を餌にして一本釣りでも始めたかのようなセハトの姿を、全員が息を飲んで見守った。

 真剣な顔をして紐を手繰るセハトは、いったい何をしているのだろう? やがて、苦しくなるような静寂を、「よしっ」と声を上げてセハトが破った。


「ねえ、今ので何が分かるの?」


 全く意味が分からない、といった風なアリスの顔。きっと、俺も同じ表情をしている事だろう。


「こっから下までの距離だよ」


 そろそろと慎重な手つきで紐付きの石を引き上げながら、セハトが答えた。


「水の深さは膝丈くらい、かな」


 濡れた石と紐を見比べ、方眼紙に数字を書き込んでいるセハトの姿を見て、ようやく俺にも合点がいった。


「そっか。その紐で穴の深さを測ったのか」

「そうだよ。ほら、ここに目盛も付いているでしょ」


 確かに紐には均等に目印が付いている。セハトの言うように括り付けた石から見て、濡れているのは足裏から膝までくらいの長さだ。


「寮長さん。穴はそこまで深くは無いけれど、下にはどうやら水がきているみたいだ」


 セハトの報告を受けて、リサデルは難しい顔をした。


「水は、どんな水?」

「うーん、毒水とか汚水では無いみたい」


 石に顔を近づけながら、セハトは鼻をクンクンさせた。


「一度戻って、梯子でも用意しないと駄目かしら」

「縄梯子でも良かったら、すぐ作れるけど」

「お願い出来る?」


 リサデルの頼みに、指で輪っかを作って答えたセハトは、俺に向かって「持って」と、紐を二本、差し出してきた。

 反射的に紐の先端を片手ずつ受け取りながら「どうすんの」と尋ねると、セハトは物凄いスピードで紐を編み始めた。


「おぉぉお!?」


 気を抜いた途端にスッポ抜けてしまいそうな紐を必死になって握り締めていると、神業みたいに縄梯子、いや、紐梯子が出来上がっていく。


「す、すっげえ……」


 あっと言う間に編み上がった紐梯子を前に、思わず感嘆の声が漏れる。でも、人が使うにしては、どうにもこうにも頼りない細さだ。


「強度的に人の重さに耐えられますか?」


 俺の懸念を代弁するかのように、アッシュが紐梯子を手に取った。


「おや、これは思いのほか……」

「それ、錬金術科のルルティアさんが作った紐なんだ。『鋼鉄鬼蜘蛛(アイアン・スパイダー)』の糸が漉き込んであるから、百人ぶら下がっても大丈夫」


 セハトは柱状になった石の氷柱に紐梯子をきつく結び付け、強度を確かめるようにグイグイと引っ張った。


「では、一番重量のある僕から降りましょう。その方が安定する」

「そうだね。一度に全員で降りたら、こっちの方が持たないかも」


 石の柱をペシペシ叩きながら、セハトは錬金ランタンをアッシュに手渡した。


「では、僕の次にアリス、その次はシンナバル。それからシロウさん」


 降りる順番を決め、アッシュは手渡されたランタンを慎重な手付きでベルトに括り付けてから紐梯子を降りて行った。

 セハトは石柱と紐梯子を険しい目で見つめながら、予備の小さなランプを取り出して火を着けた。


「……どうして私が二番手なの?」


 不満げにむくれたアリスの顔が、仄かな明かりの中に浮かぶ。


「だって、重たいからじゃないですか?」

「むぐぐ……そんなに重たくないもん」

「いや、鎧とか槍とか」

「ああ、そっか」


 そうでしたぁそうでしたぁ、と誤魔化すように即席の鼻歌を歌いながら、アリスは大穴を覗き込んだ。


「どれくらい深いのかな」


 アリスの隣に膝を突いて暗闇を覗き込むと、ランタンの光が目に入る。やがて、「着きましたよ!」と、アッシュの大声が下から聞こえてきた。


「じゃあ次、行くね」

「先輩、気を付けて」


 梯子に足を掛けて降りだしたアリスが、くん、と顎を上げて目を閉じた。

 俺は、その花弁みたいな唇に吸い寄せられるように顔を近づけて、そうっと彼女の唇に触れた。

 降りていくアリスを、ぼーっとした気持ちで眺めていると、背後から咳払いが聞こえた。ふと振り返ると、シロウが眼帯をしていない方の目で、静かに俺を見下ろしていた。


「……行け」

「え? どこに?」

「……次は主であろう」

「あ。そうでした」


 慌てて梯子に足を掛けると、シロウは表情を崩さずに自分の口元を指差した。


「え? 何ですか?」


 シロウのジェスチャーを計りかねて、ついつい訊き返す。


「……紅が残っておる」

「うぇえっ!?」

 

 慌てて手の甲で口元を拭うと、思わずバランスを崩して梯子を踏み外しかけた。

 ヤバい! 落ちる!? 無我夢中で手を伸ばすと、意外にガッシリとしたシロウの手が、俺の手を掴んだ。


「シンナバル。常に平常心を持て」


 珍しくも、呆れたように笑うシロウの顔に、師匠の苦笑いが重なった。

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