第172話 何一つ答えを得られないままに
「みんな、ちょっと待って。もうちっと明るくするから」
最後の一段を兎のように、ぴょんと飛び降りたセハトが錬金ランタンを床に置いて調節ツマミを捻ると、荷馬車が楽にすれ違えるくらいに幅の広い通路が明るく照らし出された。
「わっ! 眩しっ!」
「あはは、ごめんね」
一気に明るくなったランタンの光に手を翳しつつも、アリスは油断なく隊列の定位置に着いた。
階段を下りてバラバラに散っていた俺たちは、号令を待つ事なく隊列を組み直した。六名で作る八の字型の陣形は、どのような状況にも即座に対応できる基本中の基本な陣形だ。
メンバーのそれぞれが前後左右と上下の六方向に気を配り、パーティリーダーたるリサデルの指示を待った。
「何か……妙な感じがしませんか?」
まるで猟犬が周囲を窺うような神経質な仕草で辺りを見渡しながらアッシュが言う。
妙な感じ……やはり、続けて『屑拾い』ばかりが現れている事だろうか?
それとも、ふと俺の記憶に引っかかった棘のような違和感の事か?
俺は、次にアッシュが何を言うのかを待っていたが、彼は「シロウさんは、どうですか?」と、黒づくめの背中に声を掛けた。
シロウは振り返る事も言葉を発する事も無く、二度ほど首を横に振った。
「そうですか……」
アッシュは、それを「否」と受け取ったようだ。次に彼はセハトの方へと顔を向けた。
「セハト、君は?」
「ん~、ボクも特に何にも」
「ふむ……」
「アッシュはさぁ、何がそんなに気になんの?」
目をパチクリさせて訝しげな顔をしたセハトに、思案顔でアッシュが答えた。
「いえ……どうも静かすぎるな、と」
途切れ途切れに言ったアッシュに、セハトはケラケラと笑って返した。
「ンも~、アッシュは心配性だなあ。敵が少なかったら少なかったらで『これは、もしや待ち伏せでは?』とか言うし、敵が多かったら多かったらで、『これは、何かあるのでは?』とか言うんでしょ?」
マズい、こんな状況で茶化すと怒られる。数えきれないほどアッシュに叱られてきた俺が言うんだから間違いない。
ところが、意外にもアッシュは、ふっ、と笑って肩を竦めた。
「そうですね。知らないうちに緊張していたのかも知れません」
「そうそう。あんまり固くなるのは良くないよン」
ヤバい。今度こそマジで怒られる……と、思ったが、リサデルがクスクスと笑いだすと、アッシュも後ろ頭をポリポリやりながら笑い始めた。
「皆さん、あまり固くなり過ぎないように行きましょう」
リサデルのありがたい一言で、俺たちは探索を再開した。
俺は割り振られた上方向、すなわち天井付近を注視しつつ、階段を下りている時に湧いてきた疑念を思い返してみた。
だけど、五分も歩かないうちに「後ろ、1ブロック先」と、セハトの押し殺した声で考え事を中断した。
「でっかいネズミがいる」
背後からの顰めた声に、はっとして振り返る。
セハトが指差したその先には、一抱えもあるゴロンとした体格のネズミが数匹、感情の籠らない目をこちらに向けていた。あれは『猪ネズミ』か。こんな深いトコにも出るんだな。
臨戦態勢を取る仲間たちをセハトは掌で制し、何を思ったか、ネズミたちに向かって「ちゅちゅう」と、それっぽい声マネをした。すると、まるで言葉が通じたかのようにネズミの集団は通路の向こうへと走り去った。
「マジか……」
確かにセハトが森の動物と会話らしき行動をとっているのを見た事がある。だけど、あんな化けネズミにも有効とは驚いた。
「ふっ、ホビレイル族ナメんな」
薄っぺらい胸を張るセハトの肩を、アッシュがポンポンと叩いた。
「お手柄ですよ。今回の作戦は可能な限り消耗を避けることに尽きます」
「うへへっ、褒められちった」
褒められたのがよっぽど嬉しかったのか、それとも照れ臭かったのか。セハトは得意げにクルッと一回転してみせた。
そんな無邪気な姿を見て、仲間たちは取り出した各々の武器を収め、定位置に戻った。
相変わらず時が止まったかのように静かな通路には、六人分の靴音だけが反響している。
……何だろう? アッシュの言うように、どうも静か過ぎるように感じる。前に地下六階を探索した時には、フロア全体に『巨大な存在の気配』みたいなのが漂っていたと思ったのは気のせいだろうか?
「何だか静かだな」
モヤモヤした不安から、つい口を突いた一言にセハトが反応した。
「んも~。シンナバルまでアッシュみたいなこと言うの?」
「僕がどうかしましたか?」
「な~んでもな~いで~す」
俺とセハトが同時に言うと、アッシュは「そうですか」と俺たちの顔をチラ見して、前に向き直った。
「……お前さぁ、余計なこと言うなよ。俺まで怒られんだろ」
「だって、シンナバルが変なこと言うから」
声を顰めてセハトに毒突くと、セハトもヒソヒソ返してきた。
「だいたいさぁ、敵に遭わないって、すっごく良い事じゃんか」
「そりゃそうだけど、何か気になるんだよな」
「気になるって、何が気になんの?」
「え? いや、何と言うか、直感? みたいな?」
「シンナバルの勘なんて、当てにならないし」
「ンだとテメェ」
「あのねえ、ボクがこのルートを考えるのに、どんだけ苦労したか分かって言ってんの? 君たち全員の歩幅の平均値から階段を下りる速度まで計測して目的地までの所要時間を綿密に計算し出現が予想される数百種もの敵性種族・その特徴・考え得る行動パターンから導き出された完全無欠にして美しいほどの危険回避ルートに何か文句でもあるってのムゴォッ」
興奮気味に捲し立てるセハトの口を慌てて塞いだが、ジットリとした視線を後頭部に感じ、俺はゆっくりと振り返った。
「……君たち、声が大きいですよ」
凍てつくような目で見下ろしてくるアッシュ。「こんな時に、君たちはいったい何をケンカしているのですか」
「だあってさぁ、シンナバルがさぁ、シンナバルのくせにさぁ、ボクの考えたルートにケチ付けるんだもん」
「ケチなんて付けてねぇし。ただ、静かだなっ、て言っただけだし」
「はい、それまで」
アッシュは苦笑いをしながら、俺とセハトのディスカッション(という名の口ゲンカ)を中断させ、前列の左側を歩くアリスに声を掛けた。
「アリス、君はここまで何か気になる事はありましたか?」
「えっ? 私?」
問われたアリスは歩みを緩め、「特に無い、かな」と、小首を傾げて俺の方を向いた。
「シロウさん。どうですか」
振り返りもせずに、シロウは「無い」とだけ答えた。ほんの少しも乱れないその歩調に引っ張られるように、全員の歩く速度も元の調子を取り戻した。
「二人とも、考え過ぎなんだよ」
「きっと、セハトの引いたルートが完璧なのよ」
取り成すようにリサデルに頭を撫でられて、セハトは「だぁ~よぉ~ねぇ~」と、気持ち良さげな猫みたいな顔をした。
「ねえ、シンナバル。とりあえず謝ってよ」
「はあっ? なんでだよ!?」
いきなり突き付けられた謝罪の要求に、思わず上ずった声が出た。
「魔導院公認一等地図士である、このボクが描いた非の打ちどころがコレっぽっちも無い素敵ルートにケチを付けた事を、だよ」
「だからっ、ケチは付けて無いっての」
抑えた声で言い返したつもりだったが、ガチャッガチャッと、音を立てて前を行く重装騎士様の背中越しにワザとらしい咳払いが聞こえてきた。
「……分かったよ。地上に戻ったら何か奢ってやるから」
「やたー! 何にしよっかな」
「アレだアレ、パエリアにしようよ。ほら、お前がバイトしてる宿屋のパエリア」
そして俺は激辛シーフードカレーに決まり。ちょっと思い浮かべただけなのに口の中にカレーの味が蘇ってきた。
ああ、そうだ。辛いの苦手なアリスには、何だか良く分からないけど隠し事をしていた罰として激辛カレーを一皿、いや、半皿食べて貰おう。そして残りは俺が喰う。
「セハトって、パエリア好物だろ?」
愉快な想像を膨らませながら提案すると、セハトは「うん、イイね」と朗らかに笑った。俺はその屈託の無い笑顔と、地上に戻ってからの楽しい一時に思いを馳せて満足した。
「じゃあ、探索が終わったらな」
「うん、約束だよ」
俺たちは顔を見合わせ、にっ、と笑い合って探索に気持ちを戻した。
よし、モヤモヤした気持ちは一先ず置いといて、今はとにかく地下七階の探索だ。そのついでにアリスとリサデルが探している家宝の剣とやらを……
「――――っ」
久しぶりに頭のどこか深い所に痛みを感じる。
やめよう。この事について考えるのは、今はやめておこう。
左手で首の付け根を揉みながら歩いていると、見覚えのある場所に出た。
崩れかけた壁と大きく陥没した床。そして、容易に溶解するはずの無い、溶けかけた耐熱煉瓦。数日前の激戦の跡は、そこかしこに生々しい痕跡を残していた。
「まだ修繕されてはいないみたいね」
通路の壁をなぞり、手に付いた真っ黒な煤を眺めてアリスが呟いた。
「そうみたいですね」
『紅翼竜』の巨体がぶち壊した壁や天井を眺めつつ、何気なく答えたその時、疑念の答えと共に腹の底から「あっ!」と声が出た。
「どうしたの?」
「あ……先輩、いやその別に何でも無いです」
「変なの」
「アリス、今更なに言ってんの? シンナバルは、いつだって変だよ」
「お前は黙ってろ」
セハトに言い返しながらも、すっかり失念していた姉さんの一言を思い出した。
――――ディミータは、隊長と一緒に地下に行っているわ
現在、俺たちだけじゃなくて、『特殊清掃部隊』も地下に潜っているのかも知れない。単なる掃除や修繕に出ているだけかも知れないけど、ネイト隊長が出張っているとなれば、それは『錬金仕掛けの騎士団』としての第六レベル以上の緊急事態だ。
『屑拾い』ばかりが現れる、妙に静かな地下訓練施設と何か関係があるのだろうか。
「シンナバル、大丈夫?」
アリスは最大級に心配そうな顔をして、俺のローブの袖を引っ張った。きっと、ここで俺が気を失ったのを思い出したのだろう。
「シンナバル、大丈夫?」
セハトは最大級に心配そうな顔をして、折りたたまれた分厚い紙を差し出してきた。
何となく受け取って広げてみる。何だこれ? 紙袋か?
「これ、なに?」
「ほら、そこの角でサッとしてきちゃいなよ。我慢は良くないよ」
「……何の話?」
ぐっ、と親指を立てて、セハトはウインクしてきた。
「大丈夫。生理現象は誰にだって起こり――――」
スパーン! と小気味良い音を聞かせてくれた紙袋を、頭頂部を抑えたセハトに返してやると、アッシュの号令が掛かった。
セハトを一睨みしてから駆け付けると、異様な形に捻じくれた階段の入り口を背に、アッシュとリサデルが並んでいた。
「セハトが考案してくれたルートのおかげで、予定よりも早く目的地に到達することが出来ました」
取り出した懐中時計を腰に吊るした巾着に仕舞いながら、アッシュは満足そうな笑みを浮かべた。
「ここから先は一切の情報の無い、未知の領域となります。どのような地形で、どのような強敵が現れるのかも分かりません」
次いでリサデルが言うと、階段の下から湿った風が吹き上がってきて、一つに束ねた彼女の髪を揺らした。
「しかし、恐れる事はありません」
リサデルは聖杖を胸の前に持ち、辻説法でも始めるかのように粛々と話し始めた。
「動物は知恵を持たないが故に、容易に罠に掛かります。ですが、私たちには神がお授け下さった知恵があります」
説話なんて五分もまともに聞いた事が無かったけど、美しく澄んだ声で歌うように話すリサデルの一言一言が、頭の中にすんなりと流れ込んできた。
「どのような困難に直面しても決して感情に流されず、常に冷静を保ち、人にのみ許された神の恩恵たる知恵を働かせて下さい。皆に六柱神の加護があらんことを」
あと二話、いや、三話で第八章を終わらせる!
と、言いつつ長引かせちまうダメ作者です。