第171話 掃除屋
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「らああああァ!!」
放たれた矢のようにアリスが巨大な蟻の群れに向かって突進すると、通路いっぱいギチギチに密集した集団の一角が崩れた。
「そこだ!」
アリスが穿ったスペースを狙って火球を数発撃ちこむと、小規模な爆発が次々と巻き起こり、酒樽並の大きさの黒蟻が軽々と吹き飛ぶ。それでも爆風から免れた規格外なアリンコどもは焦る素振りも懲りる様子も無く、群れの中心に陣取って長槍を振るうアリスを包み込むようにして一斉に襲い掛かった。
「先輩、危ない!」
もう一撃、ブチ込んでやる! 銀の腕に左手を添えて次弾の準備に入ったが、すぐさま駆けつけたシロウとアッシュが生き残った巨大昆虫を、あっという間に斬って捨てた。
「みんな、お疲れ〜」
そう言って、まだ動けるヤツが残っていないか調べて回るセハトを横目に、腹を上にして転がる、文字通りに虫の息な黒蟻をブーツの爪先でちょんちょん小突いてやった。別に虫は苦手じゃないけど、こうもデカいと流石にちょっと。
「何か妙な感じですね」
アッシュは、ピクピク動いている巨大な蟻に長剣を突き立て、止めを刺した。
「どっか怪我でも?」
しっくりしない風な顔をしているアッシュに声を掛けると、彼は長剣を一振りして酸っぱ苦い臭いのする蟻の体液を振り払ってから、俺に向かって首を横に振ってみせた。
「いいえ。身体はこの通り、絶好調ですよ」
アッシュは雑布でもって剣身を丹念に拭き取り、長剣を鞘に納めた。その几帳面にして落ち着いた仕草は、いつもの彼と変わりない。
「じゃあ、何か気になる事でも?」
「君はエレベータールームを出てからここまで、何か思う所はありませんか?」
「え? いつもの地下五階だな、ってしか思わないけど」
通路の天井、壁、床と上から順に眺めてみたが、ところどころで煉瓦が崩れて土が剥き出しになっているのが目に付いたくらいで、特に気になる事は何も無かった。強いて言えば、転がる蟻の山から離れた場所でアリスが水筒の水で口を濯いでいた。彼女は足が四本以上ある生き物を毛嫌いしている。
「ここまで戦った敵を思い出してみて下さい」
「敵? えーっと」
大きくなり過ぎて上層階では栄養の足らなくなったスライムの集合体『グレータースライム』。
セハトの相棒ほどではないけど、狼にしてはかなり大きな『恐狼』の群れ。
そして、今しがた撃退した巨大昆虫『死肉喰い』の集団。
「地下五、六階ら辺に良く出る連中だね」
俺は指折り数えつつ歯応えの無いラインナップを思い出し、「それがどうかした?」と訊き返した。
「いえ……何でもありません。僕の考え過ぎでしょう」
アッシュはそう独り言のように呟き、「忘れてください」と言い残して、地図を広げるリサデルの方へと歩いて行ってしまった。何だよ、思わせぶりだな。
気を取り直して、折り重なって死んでいる昆虫の山にゲンナリしているアリスを励まそうと思ったが、その前に焼け焦げてない蟻の死骸を熱心に調べているセハトの姿が気になった。
「お前、何してんの?」
「毒腺探してんの」
声を掛けてはみたものの、言ってる意味が分からない。
「ドクセン? 何に使うの?」
「蟻酸が採れるの」
「ギサン? 何に使うの?」
「ルルモニさんが大量に欲しがってるんだよ。『ギサンくれ~ギサンたり~ん』って」
「蟻酸って、薬の材料か。じゃあさ、帰りに回収したら?」
「ダメだよ、そんなの。その頃には無くなっちゃってるかも知んないじゃん」
「無くならないよ。今日は俺たちしか『地下』には潜ってないんだし」
セハトはふるふると首を振って、ちょっと濃いめの眉を寄せた。
「他の動物に食べられちゃうよ」
「ああ、そりゃあ確かに。でもさ、今回の目的は地下七階の探索だし、余計な荷物は増やさない方が良いんじゃない?」
「うぅ~ん、惜しいなぁ。こんだけ持って帰ったら、モニさん喜ぶだろうに」
「止めとけって。またアッシュに怒られるよ」
諦めさせるようセハトの肩を叩いた途端、「君たち」とアッシュの呼ぶ声がした。反射的に「すいませーん」と謝る俺がいる。
「先を急ぎましょう」
また怒られる、と思ったが、そうじゃなかったらしい。胸を撫で下ろして振り返ると、セハトは気味の悪い色のドロドロした粘液を垂れ流しているネクロファジィ・アントの死骸を惜しそうに眺めている。その間にもシロウが通路の角の向こうに消え、それを見たアリスが慌てて水筒の蓋を閉めて後に続いた。
「お土産は、また今度にしようよ」
それでもブツブツ言いながら何度も振り返るセハトの背中を押して、先を行く仲間たちを追った。
コツコツと煉瓦の床を刻む靴音だけが通路に響き、やけに耳に残る。
煉瓦で舗装された地下五階は、岩と砂利で覆われた足場の悪い地下四階とは違って歩きやすい。
「そこ曲がれば階段だよな」
振り向いて後ろを歩くセハトに声を掛けると、「そだね」と短い返事だけが戻ってきた。
どこまで歩いても変わり映えのしない洞窟然とした地下三、四階とは打って変わって、明らかに人の手の入ったこの通路は、街の路地と同じように何度か訪れれば、道順を覚えるのもそんなに難しい事では無い。
「いつもより敵の数が少なくないか?」
「その為のルートを選んだんだから当然でしょ」
「地下六階も、そんな感じに行けると良いな」
俺は皆の緊張を解そうと、わざと全員に聞こえるように言ってみた。なのに、いきなり真剣な顔をしたセハトに「静かに」と窘められてしまった。
「なんだよ突然」
「そこの角、半ブロック先に何かいる」
セハトが口元に人差し指を立てて小声で言うと、シロウは無言で木刀を抜き放った。
「判別は出来ますか?」
抑えた声のアッシュの問いに、セハトは両耳に手をあてがい「カサカサって、軽い音がする」と答えた。
「ま~た~む~し~?」
「アリス、頑張って」
うんざりした声で唸るアリスを、リサデルが励ました。
「何かがいっぱいいる。ウゾウゾ動いてるっぽい」
目を閉じて集中するセハトの耳が、ピクッと動いた。ホビレイル族の聴力は、落ちたコインの枚数を当てるくらいに鋭い。この角の向こうに何かがいると思って間違いないだろう。
「よし、先制攻撃を仕掛けましょう。ただし、無駄な消耗は避けたい」
振り向きもせずに剣を抜いたアッシュの指示に、俺も含めて全員が頷いた。
「可能ならば、敵の殲滅よりも突破を優先。行くぞ!」
アッシュの号令で、真っ先に飛び出したシロウが木刀を振るう。敵の姿を確認するよりも先に、ザザザッと箒で床を掃くような音が耳に入った。
「――――っ! よりによって!!」
アッシュの大きな舌打ちに、暗がりの向こうに目を凝らす。
辛うじてランタンの光が届いた所に、緑色した太い縄のような物が蠢いていた。
「これは……『首吊り蔦』か!?」
「いや、違う!」
ガサガサッと騒々しい音と共に姿を現した『異様な光景』に息を飲む。
ナイフ状の鋭いトゲが生えた太い蔓が通路いっぱいに、まるで生垣のように立ち塞がっていた。所々に咲いた鮮烈に赤い薔薇が、あまりにも場違いな不気味さを最大限に引き立てている。ただし、こいつらは普通の生垣と違って水の代わりに血を求め、自ら動いて獲物を捕らえようとする。
「くそっ! 厄介なのが出たな」
前に一度、あの荒縄のような蔓に巻きつかれたのを思い出して、全身に鳥肌が立った。
あれは捕えた獲物の生き血を養分に花を咲かせる人食い植物、『這い回る茨』だ。しかも、見た事が無いくらいの特大サイズだ。
「アッシュ! どうするの!?」
長槍を手にステップを踏むアリスが叫ぶ。だけど、その動きはタイミングを計っているのでは無く、戸惑って踏み出せないように見えた。突いても斬っても効果の薄いクリーピングソーンが相手では当然だろう。
幸い、このゾワゾワ動く植物は、動作が鈍くて移動速度も遅い。いつもならまともに戦ったりもせずに脇を一気に駆け抜けているところだけど、天井に届くほどに蔦を伸ばしたクリーピングソーンを前に、アッシュもどうしようか決めかねているようだ。
「焼き払おうか?」
俺は薙ぎ払う炎をイメージして、いつでも火炎魔術を発動出来るように準備した。しかし、アッシュの返事よりも先に、「ここはボクが!」とセハトが前に出た。
「セハト、お前?」
「へへへっ、まあ見ててよ」
セハトの手には得意のリングスライサーでは無く、あからさまなドクロマークの描かれた茶色い瓶が握られていた。
それ! と、ばかりに投げつけた小瓶は、ザワザワ蠢く生垣の中心に咲いた一際大きな花に見事命中、中身をブチ撒けながら床に転がった。
「うおっ! なんだ!?」
突然、タンスの虫除けのような臭いのする煙がもうもうと立ち込め、辺りが真っ白になる。
口元を覆い、顔の前を煽いでいるうちに煙が引くと、そこには茹で過ぎた菜っ葉のようにクタクタになったクリーピングソーンが、床一面にべったりと横たわっていた。
「な、何をしたの?」
リサデルは、おっかなびっくりした顔でセハトに訊き、手にした聖杖の先で萎れた植物をツンツン突いた。
「超! 強力! 除草剤! なのだ!」
「除草剤?」
俺とリサデルが同時に言った。
「どう見ても除草剤の域を超えているけど。劇薬の間違いじゃないの?」
「ルルモニさんの特製除草剤なんだよ。これで枯れない植物など無い」
「凄いな。これがあったら植物系の敵なんて余裕だな」
「でもね、これ作るのに蟻酸がいっぱい必要なんだって」
「ははあ……世の中って上手く出来てんな」
そうは簡単にいかない世の仕組に感心していると、「もう大丈夫ですよ」と、アッシュの声が聞こえた。声の主に顔を向けると、彼は雪道を踏み慣らすようにクリーピングソーンの死体(?)を踏んで固めていた。
ところでシロウはどこにいるのだろう。目だけで探すと、彼はいつの間にやら向こうに渡って階段の前に佇んでいた。
「先輩、手を」
アリスに声を掛けると、彼女は「ありがとう」と、はにかみながら、おずおずと手を伸ばしてきた。その手を取って指を絡めると、ちょっとだけ心が弾んだ。こんな青臭くてズルズル滑る、不気味な植物の上を歩いていても。
「リ、リサデルさん。どどっど、どうぞ僕の手に……」
渡り切った俺たちのすぐ後ろで、アッシュがリサデルへと手を伸ばしていたが、呼ばれた当の本人はセハトと両手を取り合い、ヨタヨタしながら向こうに渡ろうと奮闘中だった。
アッシュは微妙な顔をして、息の合わないダンスパートナー同士のようなリサデルたちを見守っていたが、二人が無事に渡りきったのを見届けて居住まいを正した。
「ここまでは無事、順調に来れました」
アッシュは一つ咳払いをして、俺たちの顔を順に見渡した。
「地下六階は皆さんも知っての通り、竜族の巣窟です。気を引き締めて参りましょう」
俺たちはシロウを先頭にして、地下六階の階段へと足を踏み出した。
セハトが言うには、ここから先は城塞の跡地らしい。地下六階へと続く階段は相当に年季が入ってはいたが、見るからに堅牢に組まれていて、ヒビくらいは目に付くものの崩落している所は無かった。
それでもセハトの持つランタンの光を頼りに注意深く足元ばかりを見て階段を下っていると、そこかしこに残る緑色の足跡にギョッとした。ああ、なんだ。さっきのクリーピングソーンの青汁か。
苦笑いをして緑の足跡を眺めていると、ふとアッシュの一言が耳に蘇ってきた。
――――ここまで戦った敵を思い出してみて下さい
動植物を問わず、溶かして栄養にするスライム。
生きた獲物のみならず、死肉ですら漁る狼の群れ。
巨人族の死体ですら、瞬く間に白骨に変える巨大昆虫。
強靭な蔦でもって締め上げ、カラカラになるまで体液を絞り取る食人植物。
「……屑拾い?」
あまりにもキレイに繋がり過ぎて、つい口から出てしまったが、誰も俺の独り言には反応しなかった。アッシュの感じた違和感とは、これの事だろうか。
どんなに巨大な怪物の死体でも、腐るヒマすら与えず数日で骨まで食い尽くす『屑拾い』たち。
薄気味悪い奴らだが、その存在のお蔭で俺たち『特殊清掃部隊』は、深い階層での『仕事』を行方不明者の捜索だけに絞ることが出来る。
「あれ? 待てよ……」
何かが記憶の隅に引っかる。昨夜、確か姉さんが……
だけど、その答えが出るより先に、地下六階の床を踏むのが先だった。