第170話 誰の声より 誰の言葉より
アッシュが言い終えると、アリスは血相を変えて短剣を腰だめに構えた。
「貴様、海王都の手の者だったか!!」
アリスは一声叫び、アッシュに向けて一直線に突進した。
「先輩!」
叫んだのが先か、身体が動いたのが先か。
「やめるんだ!!」
ショートソードを弾こうと銀の腕を伸ばした瞬間、黒い影が音も無く眼前を横切った。
軽く響いた金属音と共にアリスが握っていた短剣が跳ね上がり、そのまま天井に当たって落ちた。
「シロウ! 貴様もか!?」
短剣を失った右手を抑え、アリスは呻くように言った。
シロウは詰まらなそうな顔でアリスの姿を眺めてから、何気ない仕草で木刀を肩に担いだ。
「……知らぬ。だが、仲間の話は最後まで聞くべきであろう」
立ちはだかるアッシュと木刀を抜いたシロウを前に、アリスはリサデルを庇うようにして両手を一杯に広げて隅に後退した。
「仲間だと? ならば何故、それを知っていて今まで黙り通していた?」
「それはお互い様ですよ、アリス。どうして貴女たちは仲間である僕たちに、何も話してくれなかったのですか?」
「そ、それは……」
唇を噛み、口籠るアリス。だが、突き刺すような視線はアッシュに向けられたままだ。
俺は、ただ成り行きを、ただ二人の間に交わされる会話を見守る事しか出来ない。それが無性にイラついた。
「貴女たちは信用していなかったのでしょう、僕たちを」
組んだ腕を解かず、アッシュは凍るような目でアリスとリサデルを見下ろしていた。
抜きん出て背の高いアッシュにそうされると、俺だったらすぐに俯いてしてしまうというのに、アリスは目を逸らす事もなく、真っ向から睨み返していた。
「まあ、良いでしょう。話を続けるとしましょうか」
黙り込んでしまったアリスを見て、アッシュは息を吐いて表情を和らげた。だけど、アリスは警戒心を全身に漲らせたまま、微動だにしない。
「大陸北部を良く治めた前王は、実に有能な双子の王女に恵まれました」
アッシュは、まるで史学の講師の様に身振り手振りを混じえて話始めた。
「武勇に優れ、統率力をも併せ持った長女『アグライア』」
組んだ腕を解いて、アッシュは右手を掲げた。
「そして、政治力に長け、知略に秀でた次女『ラティスレイア』」
そして、次に左手を掲げ、ポンと胸の前で手を合わせた。
「前王は二人の娘が力を合わせて人間族を、延いては大陸を繁栄へと導くことを願っていましたが、現在の山王都と海王都がどのような状態に陥っているかは、お二人ともご存知の通りでしょう」
雄弁に語るアッシュを前に、アリスはひたすら無言を貫いている。
「話が戻りますが僕は過去、ラティスレイア様にお仕えしていた事がありました。そして、そこで奇妙な噂を耳にしたのです」
アッシュが半歩前に出ると、アリスは気圧されたように、一歩後ろに退く。
「前王にはもう一人、双子の王女の下に、三人目の王女がいたのではないか、と」
自然、アリスとリサデルは籠の隅に追い詰められるような形になった。
「あ、貴方は、私たちを海王都に売るつもりなのですか」
震える声でリサデルが訴えた。
いつも気丈なリサデルが、アリスの陰に隠れている。そんな姿を、俺は信じられないような気持ちで眺めた。
「売る?」
眉を顰め、アッシュは首を僅かに傾けた。そして、少し困ったような顔をした。
「その発想はありませんでした。そうですね、きっと驚くような報奨金がいただける事でしょう」
「や、やはり貴方は……」
「ですが、長老会議の追手を振り切り、学院都市から貴女たち二人を連れ出すのは至難の業ですね。到底、割に合う仕事とは思えません」
「それでは一体、貴方は何をお望みなのですか?」
リサデルの問いに、今度は驚きの表情をアッシュは浮かべた。
「望み?」
驚きの表情が、子供のような無邪気な笑顔に変わった。
「望みと仰いましたか? はははっ、これは面白い」
「なっ、何を笑うのですか!!」
「昨夜、僕は確かに言いましたよ。『騎士の名に懸けて、最後まで貴女をお守りします』と。僕の望みは貴女を守る事、それだけです
「え? あ……」
「箱の中身を知らずに宝物を守るのも一興ですが、そうも言っていられない状況です。リサデルさん、貴女たちが求めている物は、英雄遺物でしょう」
英雄遺物? アッシュの言葉に『錬金仕掛けの腕』に目をやった。
赤い光は、俺の不安と戸惑いを物語るように頼りなく揺れている。
「貴様、どこまで知っている!?」
そう言って詰め寄るアリスを片手で制して、アッシュはリサデルに問いかけた。
「あの黄金の剣は、元々は竜人族の宝です。人間族である貴女たちが、あれを手に入れて何を成すつもりですか?」
「それを貴様に聞かせる道理は無い!」
「アリス、少し黙っていたまえ。君をそういう風に仕立てたのは、他でも無いリサデルさんなのだろう」
絶句したアリスは、よろけるようにして後退った。俺は、今にも倒れそうなアリスに駆け寄り、その身体を抱き支えた。
「先輩、しっかりして」
「……大丈夫。ちょっと、びっくりしちゃっただけだから」
青白い顔で胸を抑えるアリスの肩を抱きながら、俺は怒りを込めてアッシュを睨みつけた。だが、俺の事なんて眼中にも無いように、彼はリサデルを問い詰めていた。
「あの英雄遺物は、人間族にとっては王権の証とも伝え聞きます」
「……もはや、貴方に隠し事は通用しないようですね」
「そう理解していただけると助かります」
アッシュは心底、ほっとしたような顔をした。俺には、それはアッシュの本心に見えた。
「では、もう一度聞きます。貴女たちは、それを手にして何をするつもりですか」
「それも先ほど言いました。魔導院にて新家を立ち上げると」
「……野心は無い、と?」
「私とアリスに、そんな物があるとお思いですか?」
リサデルは悲しげな顔で笑った。それもきっと、確かな心の表れなのだろう。
「宜しい。貴女を信じます」
そう言ってアッシュは、すっと膝を折り、リサデルの前に跪いた。そして彼は恭しい手つきでリサデルの手を取り、両手で包み込むようにして握った。
「改めて、僕は貴女の盾となる事を誓いましょう」
「アッシュ? 貴方は……」
「ただし、一つだけやっていただかなくてはならない事があります」
アッシュはリサデルの手を握ったまま立ち上がり、俺たちを一瞥した。それからリサデルに向き直り「謝って下さい」と言った。
「あ、謝る?」
戸惑うリサデルに、アッシュは「仲間たちに謝って下さい」と重ねた。
「隠し事をしていた事を、ここまで共に闘ってきた仲間たちに謝って下さい」
どうしていいのか分からない、そんな顔をしたリサデルの背を、アッシュは軽く押した。
「あ、あの……皆さん。い、今まで黙っていて、その……」
ごめんなさい、と最後は消え入るような声で謝り、そのままリサデルは俯いてしまった。
「寮長さん」
そんなリサデルの前に、セハトが駆け寄った。
「ボク、別に怒ってないよ。言い難いコトって、誰にだってあるじゃん」
何でもないような顔をして、セハトはニコニコと笑っている。
「……拙者の預かり知らぬ事だ」
腰帯に木刀を差し直しながらシロウが呟いた。でも、その口元は僅かに綻んでいた。
「ねえ、シンナバル」
不意に名を呼ばれ、掴んだままだったアリスの肩から手を離した。
じっ、と俺の顔を見つめるアリスの目が潤んでいた。
「あの、私……」
アリスが何かを言い掛けた時、微かな駆動音を響かせて昇降機のドアが開いた。
「俺、気にしてません」
アリスに背を向けて、俺は扉の向こうへ踏み出した。
泣き顔なんて見たくない。
笑っている顔だけが見たいんだ。
だから、このまま振り返らないでいよう。
「ずっと先輩の傍にいる。俺は、そう決めたんです」
彼女の全てを信じる為に
僅かな戸惑いを握り潰す為に
俺は祈るような気持ちで銀の拳を握り締めた。