第161話 白銀の魔女
完璧なバランスで左右対象に結われた長い髪が、少女の歩みに合わせて弾んでいる。
――――姉さんはどういうつもりで、この子にそんな名前を付けたんだ。
俺はどうしてもその名の由来が気になって、前を歩くメイド少女に話しかけたい気持ちを抱えたまま後に続いた。掛ける言葉を探しながらスワンソングの後頭を眺めていると、襟に隠れていた首筋に走る横一線の接合部が目に入り、思わずゾクリとした。
その傷跡にも似た一筋の線から目を逸らすと、逃がした視線の先では『こんな時間』にも関わらず、メイド服を着た錬金人形たちが甲斐甲斐しく働いていた。
「……君たちは、眠ったり休んだりはしないの?」
第一ラボに向かう俺たちのすぐ脇を、二人組のメイド少女が「いっちに、いっちに」と息を合わせて巨大な本棚を軽々と運んでいく。その可愛らしい外見からは想像も出来ない怪力に、思わず振り返ってしまう。
「はい。マスターに命令をいただけば、そうします」
スワンソングは軽く振り返ってそう答えた。
「命令……? 食べたり飲んだりは?」
「私どもは飲食を必要としません。強いて言えば……」
不意に立ち止まったスワンソングに合わせて、俺も足を止める。
「魔陽石をいただいていおります」
「魔陽石?」
「はい。そうです」
「魔陽石って、魔陽石?」
はい、と答えて、スワンソングは腰に括ったポーチからキャラメル色の飴玉みたいのを取り出した。
「これは魔陽石を精製した物です。私どもは、これを半月に一度ほどいただいております」
「魔陽石って食べれんの?」
俺はふと天井に埋め込まれた魔陽灯に目をやった。あれは魔陽石で出来ているはず。
「私ども錬金人形は、定期的に魔陽石を身体に取りこまないと活動が出来ませんので」
そう言って、スワンソングは飴玉をそうするのと同じ感じに魔陽石を口に含んだ。
「……マジか」
かりん、こりん、と小気味いい音が続いた後に、こくりと白い喉が上下するのが見えた。……ホントに食べちゃったよ、魔陽石。
「ああっ! 失礼いたしました」
「え、何が?」
「私ったら、お客様の前ではしたない真似を」
「いや、別に気にしないよ」
ぺこぺこと頭を下げ続けるスワンソングを「ほら、姉さんが待ってるから」と宥めると、彼女はひたすら恐縮しながらもようやく歩き始めてくれた。
先導するスワンソングの項に走る接合部を眺めながら、やっぱりこの子たちは人形なんだ、という思いを強くした。
「こちらが第一ラボラトリになります」
「うん」
『第一研究室』と書かれたプレートを見上げていると、スワンソングが遠慮がちな手付きで扉を数回ノックした。
「マスター。シンナバル様がお見えになりました」
「ありがとう。入ってもらって」
一瞬、奇妙な違和感を覚えた。目前にいる少女が発したのと寸分違わぬ同じ声が室内から聞こえたからだ。
違和感にまごつく俺を前に、スワンソングは恭しい仕草で扉を開け、中に入るように促した。
研究室に足を踏み入れると、林立する本で出来た塔に目を奪われた。俺の私室と同じくらいの広さの第一ラボの室内は、大量の本と良く分からない機械で埋め尽くされている。
「久しぶりね、シン」
元々そこには机があったと思われる本の山に向かっていたルルティア姉さんが、読みかけていた分厚い本を閉じて振り返った。
「元気にしてた?」
回転椅子を回して身体をこちらに向けた姉さんは、前に会った時よりも一段と痩せてしまっていた。遠目にも分かるくらいの血色の悪さは、アリスのそれとは違う病的な白さだ。
「……姉さん、具合はどう?」
「ありがとう。悪くないわ」
痩けた頬に笑みを浮かべ、姉さんはこんこんと乾いた咳をした。俺は直ぐに駆け寄って、苦しげに身を屈めた姉さんの背を何度も摩った。手に伝わってくるゴツゴツと浮き出た背骨の感触が、あんまりにも悲しい。
「もう、大丈夫」
姉さんは荒い息を吐きながら両手で俺の手を取った。その筋張った冷たい手に、ついに涙が零れてしまう。
「男の人の手って、良いね。力強くって暖かくって安心する」
「姉さん……どうしてあの錬金人形に『最終作品』なんて名前を付けたんですか」
鼻声で訴える俺の顔を見ずに、姉さんは俺の手を摩り続ける。
「深い意味は無いの。単にオリンピアンシリーズのラストナンバーだから、そう名付けただけ。それに――――」
姉さんが顔を上げると、スワンソングが静々と歩いてきた。俺は涙を拭いたかったけど、姉さんは左手を離してくれなかった。
「マスター、お呼びでしょうか」
「第四ラボで調整中の『錬金仕掛けの腕』を持ってきて」
「かしこまりました」
「あと、私の薬と水。それからシンにはコーヒーを」
「砂糖とミルクはお持ちしましょうか」
そこでようやくルルティア姉さんは俺の手を解放して、にっこりと笑いかけてくれた。
「ねえ、シン。あなた、ブラックは飲めるようになった?」
拳を作ってごしごし目元を拭いながら「飲めない」と答えたら、姉さんの楽しげな笑い声が聞こえてきた。
「じゃあ、コーヒーはミルクたっぷりの甘々で」
かしこまりました、とお辞儀をしてスワンソングは退室した。そこでやっと、先ほど感じた違和感の正体が分かった。スワンソングは姉さんの外見を似せただけじゃなくて、声すらも似ているんだ。
「じゃあ、調整を始めましょうか」
姉さんはそう言って、かつては人が座る為の家具だった、今では単なる本の置き場となった椅子を指差した。やっと昂ぶった感情が静まった俺は、こんもりとした本の山を掻き分けて、そこから椅子本来の役目を取り戻してやった。
俺が椅子に座ると、姉さんは鋭い目付きで『錬金仕掛けの腕』を調べ始めた。
「姉さんは、どうして俺が来たのが分かったんですか?」
普段は目にしない、名前すらも知れない工具を自在に操り、鋼鉄の腕を素早く解体していく姉さんの手元を眺めながら訊いてみた。
「ん……姉ふぁんにふぁ、何ふぇもお見通ふぃ」
でっかいボルトを咥えながら姉さんは答えた。べったりとしたオイルが口元を汚しているが、機械を弄っている時の姉さんは、そんな事は全く頓着しない。
「そうだ。私に報告していないことがあるでしょ」
「え? 報告……?」
『報告』という単語にギクリとした。姉さんは俺の『仕事』を知っているのか?
すぐに返事が出来ないでいると、姉さんはオイルで汚れた顔を綻ばせた。
「ふふっ、照れてるの? 意外に可愛い所があるのね」
「て、照れる、って……?」
「彼女が出来たんでしょ? あの金髪で緑色の目をした綺麗な子」
「ああ、なんだ。報告ってアリス先輩の事でしたか」
「やーだー、さらっと言っちゃうんだ」
「あ、いや、それは、その」
顔が赤くなるの誤魔化そうと「ところで姉さん、ディミータ副長知りませんか?」と訊いてみた。
「どうしてそこでディミータ?」
「ああ、いや、いるんだったら挨拶しなくちゃ、って。あの、副長は俺の直属の上司ですし」
「ふーん」
姉さんは特に訝しむ様子も無かったが、予想もしなかった答えを返してきた。
「ディミータは、隊長と一緒に『地下』に行っているわ」
「え? 『地下』にですか!?」
「驚くような話? いつものお掃除じゃないの」
「いや、だって、いま『地下』は長老会議の命令で立ち入り禁止のはずです」
「魔導塔に籠っていると、そういうのに疎くなっちゃうね。『地下』を閉鎖して、その間に長老会議は――――」
姉さんは工具を動かす手を止めて、考え込むような素振りを見せる。
「アルキャミスツを動かしたのね」
「姉さんは長老会議について、何か知っているんですか?」
「それがね、この姉さんにも良く分からない事が幾つかあるの」
そこで姉さんは口元に手を当てて、何度か咳き込んだ。俺は思わず立ち上がりそうになってしまったが、姉さんは「大丈夫だから」と呻いて青白い顔を苦しげに歪ませた。もう、どうしたら良いのか分からないでいると、これ以上にないタイミングで扉をノックする音が聞こえた。
「先にお薬とコーヒーをお持ちしました」
駆け出した勢いで扉を開け放つと、銀盆にグラスとマグカップを乗せたスワンソングが目を丸くして立っていた。
「これ、姉さんの薬だね!?」
こくこくと頷く少女から薬とグラスを奪い獲ると、その弾みでマグカップが床に落ちた。構わず姉さんの元に駆け戻り、手渡した薬を姉さんが水で流し込んだのを見届けてから、ようやく床に零れたコーヒーを掃除するスワンソングに声を掛けた。
「ごめん。コーヒー台無しにしちゃって」
「いえ、お気になさらないで下さい」
「姉さんは、いつもこんな感じなの?」
「はい。近頃は発作を起こされる回数も増えてきました」
「……そっか」
椅子に沈み込むような姿勢でぐったりとする姉さんの姿を見て、不安と心配で胸が苦しくなる。それでも姉さんは「もう大丈夫よ」と、無理矢理に弱々しい笑みを浮かべた。
「スワンソング。例の物を取ってきて」
「はい。それでは、第四ラボに向かいます」
すっ、と腰を折って出ていくスワンソングの後姿を見送ると、姉さんはふうっ、と溜め息を吐いた。その頬には少しだけ赤みが戻ったように見える。
「姉さん。調整は良いですから休んで下さい」
「馬鹿な事を言わないで。誰がアームズを作ったと思っているの」
「でも、姉さんの身体に触ります」
「私の事を心配するのなら好きにさせて。私から研究を……私から錬金術を奪わないで!!」
声を荒げた姉さんの姿に、俺は言葉を失った。いつだって冷静な姉さんの、こんなに余裕を失った姉さんの姿なんて見たくない。
「……あのね。シン、聞いてくれる」
「はい」
「姉さんね、もう、あんまり時間が残っていないみたいなの」
「そんな……こと」
頭のどこかでは分かっている。姉さんの病気は、すでに取り返しの付かないところまで進んでいる。
だけど俺は、誰かがどうにかしてくれるって、誰かが奇跡を起こしてくれるんじゃないかって期待してしまう。
「だからねシン、姉さんはこれから大切な事を幾つかあなたに伝えるわ」
「……はい」
「そんな顔をしないで。男の子は一日にそんなに泣いちゃ駄目よ」
「分かってます!」
俺の返事に、姉さんは朗らかに笑った。
「まずは長老会議の話から」
グラスに残った水で唇を湿らせて、姉さんは淀みなく話し始めた。
「手に入るあらゆる情報を精査しても、正体が掴めない謎の組織。大勢いるようにも見えるし、ほんの数人で構成されているようにも見える」
「幻みたいですね」
「いいえ、幻じゃないわ」
眼鏡のブリッジを押し上げ、姉さんは続けた。
「殆ど目には見えないけど、確実に存在はしている」
俺はいつの間にか、口の中に溜まっていた唾を飲み込んだ。
「魔導院が創立された時点から存在する、魔導院の全てを総括する最高決定機関。それが『長老会議』。かの組織はその時代、その状況に応じて規模を変えて存在している」
まるで魔術科の講義のような話の内容に、俺は黙って頷いた。
「現在の規模や構成人員は一切分からないのだけど、先代の議長の名前だけは分かっているの」
「やっぱり幻じゃないんですね」
姉さんはゆっくりと頷き、話を続けた。
「先代の議長の名はプラティナ。かつて『白銀の魔女』とも呼ばれた魔導院史上最強の騎士。おそらく彼女が……全ての始まり」